今日もまたきちゃった
「おかえりなさいませ、ご主人様♪」
…、どうにも、なりませんでした!
そりゃな、俺だって初めは口八丁手八丁でなんとかなると思ってたさ、あぁ、思ってた。でも、それがどうにもならなかってんだ、もちろんそれには俺なりの理由、というか言い訳みたいなものがあったりなかったりするわけだ。いや、あるんだよ、あるの。
「おかえりなさいませ、三木様。本日もよくお帰りくださいました。どうぞごゆっくりなさってください」
当然、俺だって木偶の坊とか案山子の類ではないのだ、当初の予定通りに霧子を煙に巻いて家に帰ろう、最低でもまったく関係のない喫茶店に誘導しようとしていたさ。でも、俺が思っていた以上に今日の霧子は押しが強かったのだ。俺は基本的にいって霧子に弱いんだ、珍しく強く押されたら簡単にぽっきり折れてしまうに決まっているではないか。
「お帰りなさいませ、三木様、今日はご友人様もお連れなのですね。それではどうぞ、カウンターではなくテーブルの方におかけください。ユイちゃん、ご案内をお願いします」
「はい♪ おまかせください、メイド長♪」
それになにより、俺たちが買い物に来ていた店があの喫茶店に近かった。そう、俺たちがいま来ているのは全然関係ない喫茶店などではなく、まさに晴子さんが勤めているところである喫茶店、サザンクロスなのだ。簡単にいうと四面楚歌といったところであり、もはや逃げ場はないと言って過言でないだろう。
もちろん、今日は晴子さん、もといハルさんの勤務はありませんというのが一番いい決着だとは俺も思うのだが、そんな俺にとって都合のいいことがこんな都合のいいタイミングで起こるような幸運の星のもとに俺は生まれていない。当然のごとくフロアの奥の方で――幸いまだ俺たちの来店には気づいていないようだが、気づかれるのは時間の問題であり、間もなく俺たちの存在が晴子さんの認知の下におかれることだろう――黙々と、あるいは鬼気迫る様子でテーブルの表面を台布巾で磨きあげている。
「ご主人様、本日はハルちゃんも出勤していますよ♪ 専属の贈り物は、今日なされるんですか?」
「あっ、いや、えっと…、知ってるんですか、そのこと?」
「はい♪ ハルちゃんに専属ができるのは、とってもめずらしいことなんです。だからみんな、とっても興味があるんですよ♪」
「そ、そうなんですか……? いや、なんか、恥ずかしいな……」
「ハルちゃんはとってもお仕事ができる、みんなの目標なんです! でも、ハルちゃんはなんでか専属のご主人様をぜんぜんもたなくって、みんなふしぎだなぁって思ってたんですよ! だからだから、ハルちゃんのご主人様になる方には興味しんしんなのですよ~♪」
「こら、ユイちゃん。三木様をテーブルにご案内さしあげたらすぐに自分の仕事に戻りなさい。三木様のご用聞きは専属のハルちゃんのお仕事ですよ」
「は~い♪ それではご主人様、失礼いたします♪」
「すいません、三木様。ただいまハルちゃんをお連れしますので、少々お待ちくださいませ。ハルちゃんはお掃除をし始めると熱中してしまうところがありまして、申し訳ありません」
「いえいえ、そんな、俺のことなんて後回しにしてもらって構いませんから、掃除がひと段落ついてから来てもらうんでも一向に」
「いえ、ただいま呼んで参ります。少々お待ちくださいませ」
「…、幸久君、ここは、前に来たことあるよ?」
「…、そうだよ?」
「おねえちゃん、ここで働いてるの……?」
「ちょっ! 霧子! なにその三点リーダは! メイドさんだって立派な仕事だろう! 職業に貴賎なしと言ってだな、どんな仕事だってそれにはそれが存在する理由があるわけなんだ! その仕事がないと困る人たちだっているんだ! やめなさい、そうやって、既存のネガティブイメージだけで色眼鏡で見るのは!」
「にゅぅ…、でも、おねえちゃんがメイドさんしてるなんて信じられない……。おねえちゃんはぬいぐるみとかかわいいものとか大好きだけど、でも自分でそれを着たりしないんだもん。いつも着てる服だって、かわいい系じゃないし、あんまりスカートはいたりもしないもん」
「いや、そんなことはないだろ。晴子さんだって普通にスカートはくじゃん」
「おめかしして外に出かけるときだよ、そんなの。幸久君も知ってるでしょ、おねえちゃんの部屋着はだいたいジャージかハーフパンツなんだよ?」
「え? 俺、晴子さんがジャージでだらけてるとこなんて見たことないけど? 確かに晴子さんも家でゴロゴロしてることもけっこうあるけど、外から帰って来たまんまの恰好とかじゃん。ハーパンでいることは、まぁ、たまにあるけど、それもちゃんとファッションとして着てるだろ」
「…、そういえば、幸久君がいるときはぜんぜんジャージ着てないかも……? なんでだろ…、偶然かな?」
「俺がいるときだけ偶然ジャージ着ないって、どういう偶然だよ、それ。そりゃもちろん晴子さんだってジャージくらい着るだろうけど、そんな万年ジャージ生活みたいな言い方するもんじゃないぞ、霧子」
「で、でも、幸久君がいないときはけっこうジャージなんだよ? ほんとだよ?」
「ん~、それはあれか、晴子さんの寝巻がジャージってことなのか? ほら、俺もさ、かなり霧子の家に行ってるっていっても十時過ぎまでいることはほとんどないだろ? だから、俺が帰って寝る準備をするとジャージに着替えるとか、そういうことなんじゃないのか? 当然、寝巻のジャージを寝るとき以外に着てるのは変な話だし、俺がいるときに着てないっていうのもそうおかしな話じゃなくなるだろ?」
「そ、そうなのかなぁ……? 確かにあたしも、おねえちゃんが部屋でどんな恰好してるかはわかんないし…、なんだかよくわかんなくなってきたかも……」
「まぁ、晴子さんは俺の師匠なんだから、そんなジャージ生活なんてしてるわけないんだって。あっ、ジャージ人間といえば、霧子、あれから都さんとなんかあったか?」
「都さんって、えと、miyako先生のこと?」
「あ~、そうそう、あのマンガ家。あのときはサインもらえてすげぇうれしそうだったけど、どうなったかなぁって思ってな。ほら、俺はそんなにマンガとか読まないし、サインをほしいって思うような人もいないし、どういう気持ちになったんだ?」
「それは、すっごいうれしかったし、今もすっごいうれしいよ。先生にサインしてもらった本は大事に大事に本棚の上の方にしまってあるよ」
「あれから何か交流でもしてるのか? たとえば…、なんだ、ファンレターを渡したとか、そういうこと?」
「ファンレターは、まだ渡してないよ。書こうとはしてるんだけど、なんて書いたらいいか分からなくって、なかなか書き上がらないの」
「はぁ…、別にファンレターなんて、『ファンです、がんばってください』とか書いとけばいいもんじゃないのか? っていうか、俺は未だにあんまり信じてないんだけど、都さんは本当にすごいマンガ家なのか?」
「と、当然だよっ! miyako先生はいろんな賞を取ってるんだよっ! 単行本の売上だって全国トップクラスだし、すんごいんだよっ!」
「へぇ、賞なんてとってるのか、都さん。でも、それにしては部屋に賞状とかトロフィーとか飾ってないよな……。まさか、捨ててるのか?」
「それは分からないけど、でもmiyako先生がすごいマンガ家なのは確かなんだよ。ネットで調べればすぐに分かることだよ、幸久君」
「うちはネットが通ってないからな、そういわれても調べようがないんだから仕方ない。まぁ、都さんの絵は上手なのは分かるけど、でも読んだことないからマンガが上手なのかどうかは分からないなぁ……」
「だから、前から貸してあげるって言ってるのに。先生のマンガはあらかた揃ってるんだから、いつでも貸すつもりなんだよ、あたしは」
「それは、前にも何度か聴いてる」
「というか、幸久君はどうしてあたしのオススメの本を借りに来ないの?」
「ん~、なかなか機会がなくてな。借りるのがイヤってわけでは、けっしてないんだけどさ、実際の話。でもなんか、うっかり忘れてるっていうか?」
「幸久君あんなにうちに来てるのに、なんで借りていこうとしないの? あたしは、あたしの好きなものを押し付けるのはあんまり好きじゃないからたまにしか言わないけど、でも幸久君もうっかり忘れすぎだよ」
「ん~、あれだろうな、きっと俺にはそこまで物欲がないんだ」
「物欲がないって……」
「忘れちゃうんだから仕方ないだろ!」
「な、なんで強気なの……? 忘れちゃってるのは幸久君なのに……」
「霧子は覚えてるんだから、ちゃんと俺が来たときに言ってくれればいいじゃん。それで解決だ」
「にゅぅ…、そうする……」
「ご主人様、少々声のボリュームを落としていただいてもよろしいでしょうか?」
「あっ! 晴…、ハルさん! すいません、火曜でも金曜でもないのに来ちゃいました!」
「はい、おかえりなさいませ、ご主人様。それと、ご主人様がお帰りいただくのに、曜日は関係ありませんわ。ご主人様が戻ろうとお考えになられたときこそがそのときであり、ご主人様のお気持ちのままにお戻りになられることこそ私どもの喜びでございます。私の出勤する曜日などに関係なく、ご主人様のお気持ちのままにお戻りくださいませ」
「でも俺はやっぱりハルさんに会いたいですし、次からはしっかりハルさんの出勤日を狙って見計らって来た方がいいかなって」
「いえ、ご主人様がいつお戻りになられても、最高のおもてなしをすることが出来るよう、メイドたちは常に研鑚を欠かしません。私がいなくても、ご満足をいただくことができると思いますわ」
「それでも俺はハルさんに会いたいんです」
「そのようなことを言っていただけるなんて、この身に余る光栄ですわ。それとご主人様、今日はご友人様をお連れになったのですね。以前に一度、ご主人様が初めてお戻りになったときにご一緒されていた方ですね、おひさしゅうございます」
「ぉ、お久しぶりです……」
「本日はよくお戻りになられました。ぜひごゆっくりなさってくださいませ、お嬢様」
「にゅ…、はぃ……」
「なんだ、霧子、変なやつだな。ハルさん、ケーキと紅茶のおいしいとこをお願いします。あと、今日は渡すものがあるので、後で少し時間をもらえますか?」
「はい、万事承りました。ケーキと紅茶はすぐにお持ちいたしますので、少々お待ちください」
「お願いします」
「それでは失礼いたします、ご主人様」
俺たちの注文を腰元から出した伝票にさらさらと書き込むと、優雅な仕草で軽く腰を折り、ふわりとスカートの裾をふくらませつつ踵を返した晴子さんはこつこつとブーツを鳴らして厨房の奥へと消えていった。今日の晴子さんは、いつもは結ったりもせずそのままの髪を、どうしてか今日は珍しくでシニヨンにまとめている。晴子さんの髪はセミロングくらいでそこまで長くはないのだが、ウィッグでも足しているのか、そのお団子はそれなりに大きく見えかぶせているシニヨンキャップも遜色ないようだ。
シニヨンといえば、むしろメイド服よりもチャイナドレスじゃねぇのという人も多いだろうが、しかし後頭部で一つのお団子にするパターン(シニヨンは後ろで一つにまとめるか、あるいは両サイドで二つにまとめるかのパターンがほとんどだろう。前者の場合は高めに結ったポニーテールをくるくるとまとめて、後者の場合はツインテールをそれぞれのサイドでくるくるとまとめてつくられる)の場合はメイド服の方が似合う。なんか、清楚だよね、シニヨンキャップとかがね。
「…、はぁ、メイドさん、いいな……。学園祭は、メイド喫茶にするか、霧子」
「幸久君、文化祭は二学期だよ。それにみんなメイドさんやりたいって言うか分からないよ」
そしてそんな俺の些細な呟きに、俺の差し向かいに座っている霧子ちゃんが軽いため息をもってして反論を行なったのだった。文化祭はまだまだ先だよ、ということよりも、メイド喫茶なんてやりたくないよという気持ちの方が強く現れた話し口を隠し切れていないあたり、何らかの理由があってやりたくないか、あるいは単に恥ずかしいとかそういう理由でやりたくないと思っているに違いない。まったく、メイドさんが恥ずかしいなんて、何を考えているんだ。おばさんだって美佳ちゃんだって、ほぼ常時メイド服着用なんだぞ、メイド服への悪口はそういう人たちすべてへの悪口と心得ないといけない。
というか、現にここはメイド喫茶なのであって、つまりはメイドの巣窟なのである。そんなところでメイドさんの悪口なんて許されない、それどころか生きてこの場を出ることができるかどうかも分からない、気がする。
「何言ってるんだ、俺が説得するに決まってるだろ。本気を出した俺の手にかかれば、クラス一つ分の人心を掌握するくらいあっという間だろ。それとも霧子は、メイドさんをするのはイヤなのか?」
「ぃ、イヤってほどじゃないけど…、でもやっぱりメイド服みたいなひらひらした恰好をするのは恥ずかしいと思うな。ここのメイド服はパフスリーブにロンスカで落ち着いてるけど、学園祭とかだとミニスカにフリルをいっぱいつけたりしてかわいいメイド服を用意するんでしょ?」
「何言ってるんだ! メイド服はロンスカロンスリが一番だろ! ミニスカになんて、俺がさせない!!」
「さ、させないの? でもみんな、きっとメイド喫茶っていったらミニスカのメイド服を想像すると思うよ?」
「だから俺が、あらかじめ衣装に使うメイド服をサンプルとしてつくっておいてだな、俺がメイド喫茶を提案するときは霧子にそれを着てもらうんだ。そうすれば、どういうコンセプトでメイド喫茶をやろうとしているかすぐに理解してもらえるだろ。俺はけっして今風な改造メイド服を望んでいるわけではなく、古典的なクラシックメイドを広めたいと思ってるんだ」
「…、幸久君、いつの間にそんなにメイドさん大好きになったの? 前はそんなことなかったと思うんだけど、趣味が変わるような何かがあったの? メイドさん怖いとか言ってなかったっけ?」
「とりあえず、怖くはなくなったな。前はメイド服=おばさんって感じだったから怖かったんだけど、今はそういう感じじゃない。こう、どことなく好意的な感じだ」
「にゅぅ、そっか……。えと、幸久君が学園祭でメイド喫茶やりたいって話するのは、いいと思うの。でもね、幸久君、自分の好きなことについてだとたまに無茶なこと言ったりするから気をつけてほしいなって」
「それは…、そうかもしれない。なるほど、そうか、あぁ、あんま無茶なこと言わないように気をつけるわ」
もちろん、俺が女の子に無茶なことをさせるなんてことはほぼないのであって、その心配はおそらく霧子の取り越し苦労にすぎないだろう。女の子がイヤだということは、俺は基本的にすることができないのだからな。
それに、あんまり行きすぎたことをしようとしていたら姐さんが黙っていないのだから、そこまで心配することはないのである。だから俺は、何の迷いもなく学園祭の出し物としてメイド喫茶を提案することが出来る。
しかし、当然のことだが、そんなことについての話し合いをするのはまだしばらく先のことだ。だから俺に出来るのは、今から少しずつ企画を練っていくことくらいで、誰にどのように反対されたとしても完全に対応できるように再反論のサンプルづくりをすることくらいしかないのである。