用事があるんだ、帰りましょ
「なぁ、霧子、これから暇か?」
体育祭の開催までもはや一週間を切った月曜日、そんなこととはまったく関係なく俺は放課後の教室で霧子に話しかけていた。
「にゅ? 幸久君、急にどうしたの?」
「いや、俺はこれから帰るわけだけど、霧子はどうなのかなってふと思ったんだよ。っていうか、霧子もこれから俺といっしょに帰るんだから、帰ってからしないといけないことがあるかっていう意味で聞いてるんだからな、俺は」
それというのも、俺は晴子さんにアクセサリーを贈らないといけないわけであって、その現物を次にあの喫茶店に行くまでに見つくろっておかないといけないのである。しかもそのアクセサリーは晴子さんへの贈り物なのだからそう易々と決めてしまうことは出来ないわけであり、まずそもそもいいお店を探すところからしなくてはならないという寸法だったりする。
もうその案件というのは、俺にとっては体育祭がどうしたとかこうしたとか、そんな年中行事程度に左右されるようなものではないのであって、可及的速やかに解決すべき問題なのである。というか、何はともあれはやく晴子さんにプレゼントしたいというだけでしかないのだけどな。
「ちょっとな、いろいろあっていい感じのアクセサリーを一つ見つくろわないといけないんだ。だから霧子の知ってるかわいいアクセサリーショップを紹介してほしいなって思うんだよ。いいだろ、霧子、いい感じでお高くないお店に案内してくれよ」
「えと、幸久君、とりあえず聞くんだけど、どうして急にアクセサリーなんてほしいの? しかもかわいいのってことは、自分のがほしいってわけじゃないの?」
「まぁ、そうなるな。そもそも俺はそんなにアクセサリーなんてつけないからな、俺のを買うっていうわけじゃない。なんつぅか、人へのプレゼントってやつだ」
ちなみに、俺がアクセサリーをプレゼントする相手が晴子さんだということは、霧子にバラしてしまうわけにはいかなかったりする。それは、もし霧子が俺のプレゼントが晴子さんに渡されるものだと知ってしまった場合、それをきっかけにして晴子さんのバイトについての情報が漏えいする可能性を配慮しての注意である。
まぁ、霧子は一回晴子さんのバイト先に来たことがあるわけであり、だからもうバレていると考えてもいいのかもしれないが、しかしそれであっても注意するに越したことはないだろう。なんといってもあのときは、晴子さんの見事な猫かぶりによって霧子はひどく混乱していたわけだし、けっきょくハルさん=晴子さんという等式がつながってはいなかったようにも思えたからだ。
しかし、けっきょく何事も用心に越したことはないってことなんだろうな。それならばこそ、ここで不用意に晴子さんのバイトについての情報のヒントになりかねない情報を口にするくらいだったら、それこそ今からであっても沈黙してしまうのが適切だろう。
「も、もしかして…、えと、アクセサリーを買うんだし、女の子へのプレゼントだったりする、のかな……?」
「…、まぁ、そういわれればそうかもしれないな、女の子っていうのはどうかと思うけど。あ~、あと俺用のもなんかほしいな。霧子、連れてってくれる店、女物だけじゃなくて男物も置いてある店がいいわ」
「その女の子って、この学校の人だったりするの……? 見に行こうと思えば見に行ける人だったり、しないよね……?」
「ん? なんだ霧子、俺が誰にプレゼントをあげるのか気になるのか。別にたいしたことじゃないから、あんまり気にしないでもいいんだぞ?」
「そ、そういうわけじゃないんだよ……? あたしは別に、きになるとかそういうことがいいたいんじゃなくってね、えと、あの、ほら、アクセサリーってその人の歳で合うのが違うと思うから、にゅ、そういうことなの」
「ほぅ、やっぱりそういうもんか。まぁ、年齢相応っていうのもあるしな、いい大人があんまりガキっぽいのを着けるのもなんだし、ちっちゃい子どもが変に大人びたのを着けるのも変っちゃ変だ。さすが霧子、おしゃれさんは考えることが違うな。なんつぅか、分かってるな」
「そ、そうなの、にゅん。えへん」
そしてえへんと、まるで何かを誤魔化すような風を感じなくもないが、霧子は腰に手を当てて少し子どもっぽく胸を張った。いったい何を誤魔化そうとしているかよくわからない、というか、今言ったアクセサリーを年相応に選ぶということがあまりに的を射ているので、きっと何かを誤魔化しているのではという疑念自体が俺の勘違いであり、なんらか邪推であるというべきなのではなかろうか。
そもそも霧子が俺に対して何を誤魔化さなくてはならないというのだろうか。ほら、考えるまでもなく、霧子が俺に対して何かを誤魔化さないといけない状況なんて思いつきはしないのだから、きっとそんなはずはないのである。決して、考えること自体が面倒だから考えないというわけではなく、いっしょうけんめい考えたところでそれが見つかりっこないと分かり切っているからこそそれを深く考えるという手間を省いている、言うならば省エネルギー的選択であり、エネルギー効率的な観点から行なわれる行為の仕分け作業の結果に他ならないのである。霧子についてのことで俺に分からないことなどほとんどないのだから、その仕分けの境界線を見誤ることなどありはしないと、俺なりにそれなりに自信をもって言うことが出来るのである。
「おっ、なんだ、めずらしいな、そういう感じ。いやぁ、えっへんと自慢げそうな気配の霧子もかわいいぞ、うんうん。そうか、霧子はおしゃれさんな自分には意外と自信があったりするわけだ。このおしゃまさんめ、…、ん? おしゃれと、おしゃま……? 勢いで言ったけど、同じ言葉ではないよな、これ……?」
「…、幸久君?」
「…、いや、それは、別に今じゃなくていい、だろ、うん。すまん、霧子、変なところにひっかかった。おしゃれでもおしゃまでも、どっちでもよかったな。一文字違うだけなんだから、語感重視でしゃべってるんだ、そこまで神経質になることもない」
「おしゃれとおしゃまは、けっこう違う言葉だと思うんだけど……。でもあたし、国語苦手だから、どう違うか説明できないし…、にゅ、幸久君が気にしないんなら、あたしも別にいいや」
「そうだぞ、いま重要なのはそんなことじゃなくて、むしろその前の話なんだからな。ほら、霧子、帰るぞ、俺は急いでそのアクセサリーを買わないといけないんだ、リーズナブルかつおしゃれかつブリリアントなのを頼むぜ」
「にゅ…、それはハードル高すぎ……」
「それじゃあリーズナブルでおしゃれなのでいいや。ぶっちゃけ別にブリリアントじゃなくていいし、清楚なのの方がむしろいいわ」
「にゅん、分かったよ、いいお店がないか考えてみるね。…、あっ、そうだ幸久君、今日は体育祭の練習しなくていいの? 最近いつもやってたと思うんだけど」
「練習? あぁ、今日は別にいいだろ。みんなには悪いけど俺にはそのアクセサリーを買う用事の方が大事だし、最近はなんとなくリレーのバトンも二人三脚もうまく出来るようになってきた気がするから、今日はいい。よし、そうとなれば今日はなしってメイにも言わないといけないな、メイ~!」
『はいはい、なに?』
「おっと、思ったよりも近くにいたな」
『幸久くんがリレーの練習に行く気配もなくぼぅっとしてると思ったら急に立ち上がってきりちゃんとお話ししに行っちゃって、練習行かないのかなぁって聞きに来たんだよ。それで、幸久くんのお話は?』
「俺の話もまさにそれについての話なんだな、これが。メイ、俺は今日、体育祭の練習に一切参加しませんので悪しからず。ちょっと極私的な用事があってな、体育祭の練習をしてる場合じゃないんだ、これが」
『用事? 今日は練習してから行くってわけにはいかないの、前みたいに?』
「今日の用事はどれくらい時間がかかるか分からないからな、出来るだけ余裕をもっておきたいんだ。なんつぅか、どれだけ時間をかけても足りないみたいな、そういう気分なんだよ」
『そっか、それじゃ幸久くんは今日は練習できないんだね。あたしからみんなに言っとく』
「あぁ、悪いな、メイ。そういうことだからさ、志穂と木元には言っといてくれ。よし、そういうことだから霧子、今すぐに行くぞ、出発だ」
「にゅん、幸久君が練習お休みするって決めたなら、すぐに行こっか。メイちゃん、それじゃあたし先に帰るね。また明日、バイバイ」
『バイバイ ノシ』
「明日は練習するからさ、二人にはよろしく言っといてくれ、メイ。俺も帰るわ、じゃあな、また明日」
『明日はちゃんと練習出てね、バイバイ。ちゃんと練習しないと、最終的に幸久君がみんなの足を引っ張ることになっちゃうからね』
「あー、それは勘弁だな。まぁ、ちゃんと練習はするから、今日のところは帰らせてくれ」
『帰っちゃダメなんて言ってない。ただ、幸久くんは内のクラスの主戦力なんだから、やることやってくれればいいんだよ』
「その期待値、やべぇな。もし役立たずだってバレたりしたときの失望感を考えると、恐ろしいぜ……。練習、がんばらないとなぁ……」
「幸久君、がんばってね!」
「見事に他人事だな、霧子。俺は霧子が応援してくれれば基本的にどこまででもがんばれるけど、霧子が応援してくれないと基本的にあんまりがんばるつもりはないんだぜ。きっちりおにいちゃんを応援してくれ、霧子」
「それは、にゅん、応援はいっしょうけんめいするよ。競技では役に立てないし、そもそもそんなに出ることもできなかったし、応援するくらいがんばらないと」
「そっか、それは助かるな、百人力だ。それじゃ店に案内してくれ、頼むぜ」
「それも、にゅん」
「いいのが見つかるといいなぁ。とっても大事なプレゼントだから、とにかく気に入ってもらえるような、すっげぇのがどぉん! ってな」
「にゅ、そんなすごいの、見つけられるかなぁ……」
「霧子が知ってる店なら、きっとなんかすげぇのがあるだろ、たぶん」
「あ~、ゆっきぃいたぁ~! もうリレーのれんしゅ~するんだから、はやくきて~」
しかし、教室でメイに帰宅を宣言し別れを告げた俺と霧子だったわけなのだが、やはりそう簡単にリレーの練習をぶっちぎって逃げるなんてことが出来るはずはなかったのである。もちろんリレーの練習を休んで帰ろうとしている俺の方が悪いのかもしれないけど、それでも今日は用事があるんだから仕方ないじゃないか、志穂。
「どぅあ!? なんだお前、急に出てきてなにすんじゃい!?」
背後の死角から不意に現れた志穂は俺の手をぐいとつかむと有無も言わさずそれをひっぱり、その超パワーによってバランスを崩した俺はあわや転倒し頭を階段の角に打ちつけた上に階下に転落という決定的危機を迎えかけたわけだが、気合と根性とそれなりの反射神経で残ったもう片方の手を地面に突いて事無きを得たのである。
本当に、一歩間違えれば死んでしまってもおかしくない危険がポンポンと起こるのだから、俺の日常は気が休まらないというのである。もちろん、それは概ね志穂によって引き起こされるのであって、志穂と交友関係を保ち続ける以上それを避けることは叶わないことは明白であるのだが。
「も~、れんしゅ~なのにこないゆっきぃがいけないんでしょ~! まいにちれんしゅ~するって、ゆっきぃが言ったんでしょ~!」
「確かにそう言ったかもしれないけど、今日は用事があるから帰るって、今メイに言ったところなんだよ!」
しかしだからといって、俺がそんなことを理由にして志穂との飼い主-ペット関係、ないし友だち関係を辞するということはないのである。俺には志穂を真人間として再教育するという崇高なる使命が最終的目標としてかかげられているのである。それはもう、あたかも天啓を下された聖職者のような熱意をもってして、それへと全力であたっていきその問題を解決へと導かなくてはならないという、どこか強迫観念にも似た意志が俺の内面に渦巻いているのである。
ならばこそ、どうして俺がこんなところで志穂を見捨てるようなことがあるだろうか。俺の志穂再教育の旅はまだまだ始まったばかりであり、それが一年や二年ぽっちで終わるようなものだとどうして考えることが出来るだろうか。これまでの微妙に歪んだ人格教育を正常のそれへと回帰させるのは、それこそ十年スパンの計画にならざるを得ないのだ。
「だから俺は、今日は帰ります! 志穂はみんなと練習をがんばるように!!」
「…、にゃんにゃんさ~!」
「それを言うなら、アイアイサーだ。沖縄出身のお子様か、お前は」
「あたしは、この町のうまれだよ、ゆっきぃ。こんどおうちにきてね、ゆっきぃ」
「それは、気が向いたらな」
『それじゃしほちゃん、練習いこっか。明日幸久くんがびっくりするように、ばっちり練習しとこうね』
「にゃんにゃんさ~!」
「もう変な感じに言葉が染みついちまってるのか…、また直すの週単位の時間がかかるな……。っつぅか誰だよ、志穂に変な言葉教えてるの、マジ迷惑だわ……」
「ゅ、幸久君、あの言い方かわいいし、あれはあれでアリだと思うよ」
「それじゃ霧子、今の言葉を自分で言ってみなさい」
「じ、自分で……? にゃ…、にゃんにゃん、さ~?」
「…、かわいいから、アリ!」
いやいや、とりあえずそんなことはいいんだよ。今日は本当に用事なんだから、さっさと帰らないといけないんだって。晴子さんにプレゼントするアクセサリーを選ぶという、他の人からしたら大したことないと思うようなようじであっても、俺にしてみたら最上級に重大な用事なんだから。