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Prism Hearts  作者: 霧原真
第一章
19/222

偶然×正論×決着!

「おい、志穂。だいじょぶか?」

俺の前で奇跡のアクロバティックを繰り出した志穂は、自分の動きに自分で驚いているのか、きょとんとしたような顔でぺたんとシートに座りこんでいる。まぁ、当然だろうな。あんな動き、いかに志穂といえども初めてに違いないし、驚くに決まっているのだ。

よかったのは志穂が怪我をしなかったことと、もうひとつ、俺と視点を共有している人が一人もいなかったこと。こんなくだらないことのせいで怪我をするなんて冗談ではない。なにが悲しくてじゃんけんをして怪我をしなくてはいけないのだ。

そしてもう一つの方は、俺と志穂の両方にとってよかったことだろう。志穂にとって、どことははっきり言わないが、見られてしまったこと自体がかなりの精神的痛手であることは分かる。しかし俺一人という最少人数で被害が収まっているとも言うこともできる。不特定多数に目撃されるという大きな被害を出すよりはなんぼかマシと言うことも、あるいはできるかもしれない。

さらに、俺にとってなにがよかったかといえば、それを目撃したという事実ではなく、その事実を他の人と共有していないことだ。つまり「私にも見えたんだから、三木くん、君にも見えてたよねぇ?」というような類の、逃げるのに困難するような追求がかからないのである。これならば、おおっぴらには見えてなんていない、と突っ張って、あとで個人的に志穂に詫びを入れるということができる。

「どっかぶつけたりしてないか?」

「…………」

「志穂?」

しかし、どこかをぶつけたりはしていないようなのだが、志穂は俺の声になかなか反応しない。こんなことでびっくりしすぎて放心するような、そんなやわな心はしていないはずなのだが、どうかしたのか?

「立てないのか?」

「……、そっかぁ」

「はっ? なにが?」

そして志穂から上がったのはそんな、何かに納得したような言葉で、だが何に納得したのか俺にはさっぱり分からないのだった。というか、今の動きからいったい何を納得したというのか。

重力の存在とか、力学的なエネルギーの存在とか、そういう変なものに対してじゃないといいんだが、どうだろうか。

「これがししょ~の言ってたわざか~」

「技!? まさかお前、じゃんけんとみせかけて俺のこと倒しにきてたのか!?」

「ちがうよ~、そういうのをね、こないだ聞いたの。きいたけど、よくわかんなかったんだけど~…、これでわかった~」

「そ、そうか…、それはよかったな」

「うん、ししょ~にもかえったらみせたげる」

「とりあえずあれだ、早く立ちなさい。ケツ冷やすぞ」

「は~い」

「ほら、手、貸してやるから」

それから俺は、もう一度志穂の前に手を伸ばしてやる。

掴みやすいように、さっきのじゃんけんの出し手であるグーの形ではなく、当然手は開いている。

「ありがと、ゆっきぃ」

志穂は、素直に俺の手に向かって自分の右手を差し出した。差し出したからには握るものだと、俺は思っていた。

「はっ!? ぽんっ!」

しかし何を思ったのか、志穂はハッとしたような顔をする。

「? なに?」

「ちょきちょき」

「…、なにをしている」

「ちょきちょき」

しかし志穂は俺の手を握らなかった。

握らず、立てている人差し指と中指で、ちょきちょきと俺の手をはさんでくる。それはまるでハサミで紙を切るような、そんな動き。

「ゆっきぃは、パーで、あたしは、チョキだよ?」

「……、まぁ、待て、話せばわかる」

「んゅ? どういうこと?」

俺が出したのは、グーだ。決してパーではない。

ここでこうしているのは、ただ志穂を立たせてやろうという親切心でしかなく、決してパーを出しているというわけではないのである。

オーディエンスだって、俺がさっきグーを出したところは見ているわけだし、ちゃんと話せば今の勝負の俺の出し手がグーだったことは分かるわけだ。そうなればグーとチョキで俺の勝ち、というところまで容易に辿り着くはずなのだ。

これで、完全に理の勝利。理によって、この勝負を詰め切った、ということになるであろう。

「俺が出したのはグーだ。悪いが俺の勝ちだ」

「うっそ~、だってそれはパーだよ?」

「いや、これはパーじゃなくて、お前を立たせてやるために手を伸ばしただけだよ。グーのままじゃお前がつかめないだろ?」

「え~、じゃあグーなんて、いつ出したの?」

「さっきだよ。よよいのよい、で出したんだよ。お前だってそのときにそのチョキを出したんだろ?」

「そうだけど、そのときゆっきぃがなに出してたかなんてしらないよ?」

「お前は知らなくても、他に見てる人がいるだろ。こういうときはな、俺たち二人が話し合うよりもそばで見てた公平な立場の人に意見を聞くのがいいんだぞ。俺たちが言い合いになると、両方が自分の勝ちだ、っていうからどうしたらいいか分からないだろ?」

「そうなんだ~、あっ、しんぱんみたいな?」

「そうそう、試合するときに審判いるよな。それそれ。審判の言うことなら、従うっきゃないよな」

「しんぱんのいうことにさからうと、怒られちゃうってししょ~もいってたよ」

「そうだ」

「そういうときは、変なことをいわれるまえにしんぱんをたおすんだ、って」

「それは今すぐ忘れなさい。今、すぐな」

「は~い」

よし、これで公平な立場の人に俺の出し手を保証してもらえれば、俺の勝ちで確定だな。まったく、志穂がおかしなことを言いだしたときはどうしたものかと思ったが、しかしこれで決着だ。

問題はない。この勝負の終着駅は、変わらず俺の勝利である。

「姐さん、俺の出した手、グーだったよな?」

そして、ここで一番熱心にこちらに注目していて、加えて最も公平公正な存在といえば、姐さんをおいてほかに存在しない。あれだけ集中していた姐さんが、この勝負のクライマックスである俺たちの出し手を見そこなっているはずが、

「すまん、見落とした」

ないのである!

「はっ……?」

「だから、三木の出し手だが、見落とした」

「えっ…、見落としたって…、見てないってことだよな? 見てないってことは、俺の出し手がグーだったって保証できないってことになるのか……?」

「そうだな、そういうことになる。見落としている私が偉そうに保証など、できるはずがない」

「な、なんで!? だって、見てたじゃん! ずっと、見てたじゃん!」

「見ていたな」

「見てたなら、俺の手も見てたんじゃないの!?」

「見てはいたが、見落としたんだ。しかし、よそ見をしていたわけでもない」

「えっ…、どういうこと……?」

見ていたのに、見ていなかった。注目していたが見落とした。それは並存するのか。簡略化すれば、その言葉は「したが、していない」ということになり、矛盾するのではないだろうか。

姐さんが、そんなことをするはずがない。姐さんは見ていたなら見ているし、注目していたなら見落とすことはない。

ということは、どういうことだ? 何が起こっている?

「私はよそ見などしていない、それは確かだ。そうだろう、天方、持田」

「にゅ、のりちゃんは、ずっとそっち見てたよ」

『みてた』

「霧子たちはなにしてた?」

「お茶、飲んでたよ」

『ウーロン茶、飲んでた』

「のりちゃんはすっごく集中してたから、邪魔しちゃいけないと思ってそっとしておいたよ」

「そういうことだ」

姐さんはよそ見をしていない。ということは本来、そこに見落としはありえない。

そして姐さんはそんなことで嘘を吐かない。見落としたというのなら、本当に見落としているのだ。

ということはなんだ、何かあったのか。集中していた姐さんが俺たちの出し手を見落とすような何かが。何かしらのイレギュラーが起こったとでもいうのか?

「りこたんは、どうして見えなかったの?」

「そ、そうだ、どうして見落としたんだ?」

「偶然、スカートの陰に隠れてしまったんだ。私の視界では、皆藤が回ってしまって、そのスカートがちょうど出し手に被ったんだ。そしてスカートがどいたときにはもう三木は手を引いていた。だから私は見落とした。この勝負の出し手について、私は判断する資格がない」

「…、手を引いた……? 確かに、そうかも……」

確かに、俺は志穂の攻撃を回避するために上半身を引いた。そのときに、前に出していた手、つまりは俺の出し手だが、もいっしょに引いた気がする。

いや、引いたというか、上半身をあまりに緊急回避的に引いたもので、手だけを前にとどめる、なんて器用なことがことができなかったのだ。というか、手を引いておかなかったら、位置的に志穂の蹴りを打ち込まれていたかもしれないので、あれは仕方なかったと言うべき不可抗力なのだ。

じゃんけんの出し手というものは、前に出ていて初めてそうであると呼べるのであり、引いてしまっては手であるとはいえない。なるほど確かにその通りである。

引いてしまっては、それがグーの手なのかただ握りしめているだけなのか、それがパーの手なのかただ開いているだけなのか、それがチョキの手なのかただのピースサインなのか分かりはしない。判断すること自体が不可能な状況に陥るのである。

だから姐さんは判断しない。俺の引いてしまった手がグーの形をしていたことくらいは見えたかもしれないが、それをグーであったと憶測することはないのだ。その判断に責任を持つことができない以上、姐さんがそこへと無責任に踏み込むことはないのである。

「で、でも俺は、グーだぜ?」

姐さんが見えていないということは、他の人もまた見えていない可能性が高い。というか、他の見ている人たちは漠然と俺と志穂との戦いを見ているのであり、俺たちの出し手にまで集中してみている人なんて、姐さん以外にはいないのである。

となると、俺の手がグーだったということは誰からの保証も得られない。俺の理を説明したとしても、そこから俺の出し手の保証にまではつながらない。俺がその理に従って出し手を決定したということ自体への保証も、同様にないのだから。

「三木、私からお前の手について何かを言うことはできないが、一つだけ言えることがある」

「な、なに?」

「皆藤の手は、最初から今までずっとチョキだ。それだけは間違いない。私はお前たちの横、特にいうなら皆藤の右側に座っているから皆藤の右手の動きは始動点から終着点までよく見える。しかし逆に、三木の右手の始動点はよく見えない。始動点が見えればグーかどうかの判断はできるが、それが出来ない以上、私からお前の手について言えることはなにもないんだ、すまないな」

「いや、それは…、もういい……」

「ねぇ~、りこたん? どうしたらいいの?」

「ん? それは、皆藤の勝ちだろう」

「はっ?」

「勝ち? やった~、勝った~!」

姐さんは言った。言ってしまった。そして志穂はぴょんぴょんと飛び跳ねて喜んでいる。

ちょ、ちょっと待ってくれ!

姐さんは、どういう意図を持ってしてか分からないが、志穂の勝ちであると宣言してしまった。勝負にかかわりのない第三者が、である。

それをされてしまうと、勝敗が決定してしまうではないか。それはいけない。

「ちょ、ちょっと待って!」

俺はそれを許すわけにはいかず、ここで口を挟まないわけにはいかなかった。だって負け。負けになってしまう。勝っているのに、勝っていたのに!

俺は、負けていないじゃないか!

「なんで! なんで志穂の勝ち!? 俺、負けてなくね!?」

「いや、負けているだろう。現に皆藤はチョキだ、最初からずっとチョキだったことは、私が保証する。対して三木、お前はパーじゃないか。そうして出しているのがパーである以上、そうとしか言えないぞ」

「い、いや、これは、志穂を起こしてやろうとしただけで……!!」

「そんなこと、私には分からないぞ。さっきも言ったが、私には三木が何の手を出していたかは分からないんだ。それに、お前がどんな意図を持ってその手を出したのかも、私には分からん」

姐さんの口からは、ただ真っ当な正論だけがつらつらと紡がれていく。正論とは、そもそも論駁することができないからそう呼ばれるのであり、今回もご多分にもれずそうだった。

「まさかそうだとは思っていないが、出した手が負けていたから『助け起こそうとしていたんだ』とごまかしているだけかもしれない。それを私は判断することができない。出来ない以上、目の前にある結果を結果として採用するしかないではないか、違うか?」

「ち、違く、ないです…、あっ! 違うって! これは明らかにアクシデント! アクシデントなんだから、取り直しだって! 再戦が、一番妥当!!」

「妥当ではない。言っただろう。最悪、お前が負けのごまかし、言い逃れをしている可能性がある、と。そんなことをしていたら、問答無用で負け、ルール違反だ。再戦を認めることはその違反を看過することにつながる可能性もある。だから、目の前にある結果を採用するのが最も妥当」

正論は、実際問題、非常に辛い。正論に余地はないのだ。理詰め、これこそ理詰め。俺のような勝ち方も理詰めなら、姐さんの説明も理詰めなのである。

それは追い詰めるためのものだ。逃げ場などない。正論に、抜け道はないのである。

「そういうゴネからの再戦を許していたら、負けそうになったら再戦要求という寝技が横行して、そもそも勝負自体が成立しない。それに再戦というのは、勝負自体が崩壊したときの取り直しとしてするものだ。今の場合、確かにアクシデントはあったが、どちらからも待ったがかからなかったではないか。勝負の場が崩れたから再戦にしたいというのなら、アクシデントが起こった次の瞬間に、それこそ皆藤を助け起こす前に声をあげて止めるべきではないのか?」

「…、そう、だね……」

正論すぎる、本当に反論できない。止めなかったということは、状況を受け入れたということ。そう判断されても、仕方ないのである。

状況を受け入れたうえで、現にある事実として俺が負けているように見えて、その上で実は勝っていた、負けていない、再戦だ、と騒ぎ立てるのは、間違っている。正論である。

「三木、お前の負けだろう」

「…、負け…、です……。騒いで…、すいませんでした……」

もはや、負けを認めるしかない。姐さんが真っ当すぎる正論で武装しているとなると、それを打ち破ることはできないのだ。

負けた。何に負けた。

試合? 勝負? 気合? それとも、偶然?

俺は、ガクッと膝を突いた。

少なくとも、しばらくは立ち上がれない。

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