表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Prism Hearts  作者: 霧原真
第十六章
189/222

更衣室の前で待ちながら

校庭でリレーの走る順番を決めるということをメイからついさっき告げられた俺は、もう一人のリレー選手であるところの木元をそこへと連れていくために声をかけたりエスコートしたりいろいろと大変だったわけなのだが、とりあえず制服から運動可能な服装に着替えるために更衣室へと訪れたのだった。しかし俺自身、着替えにはそう時間をかけない派なのであって、あっという間に着替え終わってしまったわけなのだが、しかしだからといって絶賛着替え中の木元を放って一人で校庭に行ってしまうというのは男としてどうかとも思うわけである。

それならばこそ、俺はこうして更衣室の前でぼんやりと立ちつくしているわけであって、早く木元の着替えが終わらないかなぁとか、今日の晩飯は何にしようかなぁとか、今日の弁当に入っていたきんぴらごぼうの隠し味はなんだったのかなぁとか、いろいろと考えを巡らせながら時間を潰しているという塩梅なのである。

まぁ、俺たちがいつも着替えに使っている二年生の更衣室――これは教室棟の二階のちょうど真ん中に位置しており、そこを境にして左側に一組二組三組四組、右側に五組六組七組が配されており、男女のそれが隣り合うようになっている――は、その隣がトイレになっているわけであって、それを使いに来た生徒に『こんなところで何をしているんだこいつは』みたいな視線を投げかけられるが、それくらいのことでくじける俺ではない。女の子の着替えが終わるまで待つくらいのこと、霧子を毎朝目覚めさせるとか晴子さんの買い物に付き合うとかしている俺なのだ、どうして出来ないことがあろうか。

「しかしまぁ、暇なことに違いはないか」

そうなのだ、いくら忍耐強く待つことのできる俺といっても、暇な時間を暇な時間として認識することはしてしまうわけであり、それは偽らざる事実として俺の眼前に立ちはだかるのである。つまり端的に言うならば、暇なのだ。暇な時間を無為に潰すことを苦痛に感じることはないが、しかし暇なことは事実なのだ。

というわけで、暇にまかせてうちの学校について少し説明しよう。今まで詳しいことについて、あんまり説明したことなかったし。

まず、俺たちの通っている学校は私立の高等学校だ。レベルは県内でもそこそこ上の方で、だいたい上の下くらいで、それなりに進学校としてがんばっていると言えるだろう。偏差値的には、60台後半くらいだったかな? 学力的に考えると、姐さんはもっと上の高校を狙っていて然るべきだし、志穂はどうやって潜り込んだのかさっぱりわからないレベルだ。

学校の施設としては、各学年の教室がある教室棟、それ以外の諸々の教室がある特別教室棟、部活動とか委員会活動とかで使われる部室棟の三つの建物で概ね構成されている。それ以外にも、講堂も兼ねている大きな体育館とか、冬でも普通に使える屋内プールとか、ゆり先生の根城になっている家庭科棟とかいろいろあるし、それぞれの特別教室もけっこう立派な感じがする。たぶん各家庭からの寄付金とかが案外集まっているに違いない。そればかりは、さすが私立と言ったところだ。

カリキュラムは単位制で、一年の間は学校側が決めた時間割なのだが、二年になるとある程度は学生が好きに選ぶことが出来る――週に四時間くらい時間割が空欄になっているところがあって、それを学生が好きに埋めるみたいな感じだ――ようになっている。俺なんかは体育とか音楽とか美術とか家庭科とか、出来るだけお勉強じゃないものをいれるようにしたが、姐さんなんかは全部の空きコマに「発展○○」とか「レベルアップ○○」みたいなのを突っ込んでいるらしい。そこらへんに、それぞれの意識の差みたいなのって出るよな。

あと、カリキュラムといえば、うちの学校は二年生になるとコースが分かれるのである。それは大まかにいうと三つあって、一つは文系大学受験用の文系コース、一つは理系大学受験用の理系コース、そしてもう一つが、どういうわけか存在している家庭科コースである。普通に考えて、進学校にそんなものがあるのはおかしいと思うのだが、どうしても家庭科を学びたいという奇特な学生向けに開かれているのだろうか。そして、やはりここで気になってくるのはゆり先生の存在だ。果たしてゆり先生がここに来たから家庭科コースが生まれたのか、家庭科コースが生まれたからゆり先生が雇われたのか、どちらなのだろうか。三年前に卒業したOGの晴子さんに聞いたところ、晴子さんが卒業するときにそんなコースはなかったということだし、いったいどういうことなのだろうか? まぁ、俺としてはあるならあるでうれしいから、どうでもいいといえばどうでもいいんだけど…、なにを思って家庭科コースなんて新設したんだろう?

「まったく、意味が分からん……」

「あれ、三木くん? どうしたのこんなところで、ジャージで」

そして、俺が更衣室の前でぶつぶつと考えを巡らせつつ外に漏らしつつしていると、我らが二年七組のある方向とは逆の方向から――ちなみに、そちらの方には特別教室棟との連絡通路の渡り廊下があったりするのだが――てくてくとやってきて俺に声をかける人影があった。

「ん? あぁ、佐原か。俺はちょっとな、いろいろあってな、こんなところでジャージでいるんだ。それより、佐原こそどうした、いつもならもう帰ってる時間だろ」

軽く不審者的な風情を醸し出している俺に声をかけてきたのは、クラスメイトの佐原湊だった。その右手には何やらファイルのようなものが保持されており、きっと職員室か何かに用事があったのだろうと俺は予測したが、まぁ、もちろん確たる確証を持っているわけではない。

「そう、かも。いつもならもう帰ってる時間かな」

「佐原は帰宅部だよな、たしか。それにあんまり放課後も教室に残ったりしてないし、めずらしいじゃん。なにか用事でもあったのか?」

「んと、そう、ちょっと用事があって残ってたの。三木くんは、どうして?」

「まぁ、俺もちょっと用事が出来てな。これからリレーの走る順番を決めるんだけどさ、そのためにちょっと走ってみるんだと。バトンの受け渡しのうまさとか、いろいろあるじゃん?」

「へぇ、そうなんだぁ。あたしは、リレーって早い人が集まって、早い順に順番を決めてるんだと思ってたよ」

「ん~、それでもいいんだけどさ、スタートの上手いやつとかもいるし、逆にバトンパスがめっちゃ下手なやつもいるわけよ。単に一番脚が早いやつだからアンカーになるっていうわけでもないんだわ。選手をどういう順番に配置するかとかは、まぁ、戦略と駆け引きになってくるわな」

「そうだったんだぁ、あたしはリレーに出たことないから知らなかったよ。脚が遅いから、まず選手に選ばれないんだよね」

「そりゃ、選抜リレーなんて脚が早いやつのやるもんなんだから、普通のやつには縁のないものになっちまうわな。実際、俺もこのクラスだとそこそこ早い方だけど、本当に脚の早いやつには余裕で負けるし、選抜リレーなんて出たことないって」

「そんなことないよ、三木くんは脚早いと思うなぁ」

「そうか? まぁ、男としてそう易々と女の子には負けられないとは思ってるけど、俺よりも速いやつなんていくらでもいるだろ」

「そんなことないよ。綾ちゃんとゆりちゃんも、三木くんは体育祭のキーマンだって言ってたし。二人とも、三木くんがいっぱい点を取ってくれるの期待してるって」

「うゎ、マジか…、先生たち期待してるのかぁ……。あんまり期待されるのは、正直きついんだよなぁ……」

「期待されるの、キツいの? でも三木くんって、他の人から期待された方がいつも以上に力を出せる人じゃない? 霧子ちゃんとか紀子ちゃんとか、みんなそうだって言ってたよ?」

「む、実際、それはそうなんだよな。自覚はある」

「それなら、期待される方がいいんじゃないの? あたしは、それこそ期待されると縮こまっちゃう方だから、出来るだけ期待はしないでほしいんだけど……」

「力が出せるっていっても、全部の状況をひっくりかえせるほどの力は出せねぇって。やっぱり引っ張り出せる力には限界があるし、それで身体能力が飛躍的に上がるってこともないんだよなぁ。だからさ、勉強とか敵のいない個人競技だったら期待されるのはいいんだけど、明確に勝たないといけない敵がいるスポーツとかだと期待されるとけっこうキツい。まぁ、応援してくれてるとか期待されてるとかっていうのは、それだけでうれしくてがんばろうと思わせてくれることだからさ、がんばることは間違いないんだけどさ」

「がんばれって言われてがんばれるんだったら、それはそれだけですごいと思うけどなぁ、あたしは。あたしはそれは、絶対無理だから……」

「なんで絶対無理なんだよ、出来るって。応援してくれてたり期待してくれてる人の顔をな、まず思い出すんだよ。そうしたら、その人たちの想いに応えたいなぁっていう気持ちがわいてくるだろ。あとはもうその気持ちに従ってがんばるだけでいいんだぜ? 出来ないなんてことないって」

「あたしはね、応援してくれてる人のことを思い出しちゃうと「がんばらないと!」って思っちゃって、なんにも上手く出来なくなっちゃうんだよ……。やらないとって思うほど、うまくできなくなっちゃって……」

「そうなのか、それは難しいな……。まぁでも、がんばりたいって思えるのはいいことだよな。ともかくそう思えないと、そもそもがんばれないと思うしな」

「そうなのかな……?」

「俺は、そう思う。やろうと思わないことは、絶対にやれないもんだろ。ほら、勉強しようと思わないと勉強できなかったり、ダイエットしようと思わないとダイエット出来なかったりするじゃん。それと同じようなもんだと思うぜ」

「でも、テスト前に勉強しようと思っても別のことしちゃったり、ダイエットしようと思っても甘いもの食べちゃったり、なかなか思った通りには出来ないよ?」

「まぁ、それが普通の感覚だろ。やろうと思ったことをやろうと思った通りにやれるっていうことの方が、どっちかというと不自然なんじゃないか? なんつぅか、そういう不完全なところがある方が人間的っていうの? あるべき姿なんじゃないかと思うぜ、俺は」

やろうと思ったことをやろうと思ったようにやれるというのは、どちらかといえば機械の領分だ。あるプログラムを組み、それを受容するソフトをつくりあげ、入力し出力される。そういう一つのプロセスとして画一的な結果が確実に吐き出されるのは、ある種人間的ではないと、俺は思う。

なんというか、そういうのを可愛げと言うんだろう。広太なんかは、そこらへんの可愛げと言うものが、まるでありはしない。そして俺も、気合でがんばるとか期待に応えようと努力するとか、そういうところに対する可愛げはないと思っている。

もちろん、それは俺の個人的な素養もなくはないと思うが、とりあえずそういうことになってしまった最大の要員は晴子さんの指導、もとい調教によるところが大きいと思うのだ。晴子さんの期待に応えるとか、晴子さんの望みを叶えるために努力するとか、そういうアレが俺の根本的なところにあるんだろう。

というか、そもそものところで、俺の努力の仕方が非人間的っていうか、晴子さんの要求が非人間的なのかもしれない。まぁ、晴子さんのことをそんなふうに言おうとは思わないが、ただの事実としてそういうものがあるような気がしてならないのだ。あっ、リレーの順番決めたら晴子さんのバイト先行かないと、そういう約束だったしな。

「まぁ、俺が非人間的な感じにがんばり屋さんってことなんじゃないか、うん」

「…、それでいいの?」

「いいんだよ、それで。そういうもんだって、俺自身納得してるし、事実やり過ぎなくらいやっちまう。だから、出来れば誰も俺に期待しないでほしいんだけど、なかなかそういうわけにもいかない。そしたらもう、諦めて自分の性質を受け入れるしかないだろ」

「達観か諦観か、よく分からない境地にいらっしゃるのね、三木さんは。ふふ、やっぱり面白い方ですのね、あなたは」

「っと、着替え終わったのか、木元。待ってたぜ」

「えぇ、お待たせしましたわ。あら佐原さん、ごきげんよう」

「ぇ、えと、ごきげんよう……」

「お話し中申し訳ありませんが、わたくし三木さんと校庭に行かなくてはいけませんの。そうですわよね、三木さん?」

「あぁ、そうだ」

「佐原さんも、校庭にいらっしゃるかしら? それでしたらお二人のお話の邪魔をすることもありませんが」

「あの、えと、あたしは、いいです……。ちょっと、やることもあるし……」

「あら、そうですの? それでしたら、わたくしたちはこれで失礼しますわね。さぁ、参りましょうか、三木さん?」

「分かった、準備できたんならさっさと行かねぇとな。校庭でメイも志穂も待ってる。そんじゃな、佐原、あんまり遅くまで残ってたらダメだぜ?」

「そう、だね。また明日……」

なんだ佐原のやつ、急に元気がなくなっちまったな。さっきまでは普通に話ししてたのに、木元が来たとたんにどうしたんだろうか。

あっ、もしかしてこれってメイが言ってた、木元のことが苦手っていうやつなんじゃないか? おぉ、それってメイに固有の感覚じゃなかったってことなのかもしれないぞ。木元にとってはそう面白くないことかもしれないけど、なるほど、そういうものなのかもな。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ