クラスメイト、木元ゆあ
「あら、どうなさったのかしら、三木さん。三木さんの方から声をかけてくださるなんて珍しいですわね」
少し目を離したすきに手早く荷物をまとめて教室を後にしようとした木元に、俺は大急ぎで声をかけてその帰宅を止めたわけなのだが、しかしそんな慌てている俺の様子とは対照的に、木元は落ち着き払った声音でそんなことを言ってくれたりしたのだった。まぁ、俺が慌てているのは思ったよりも素早くこの場から去ろうとする木元の動きの機敏さに因るのであって、木元が落ち着いていること自体には不思議はない。
でもそれであっても、木元にも驚いた的な感情の動きがあってもよさそうなものだが、どうやらそれすらないらしく、俺の方に振り向くその動きにもまったくブレはなくむしろ優雅さすら感じるほどだった。っていうか、なんか振り向くときの感じがバレエのターンみたいに見えたんだが、俺の気のせいか?
「持田さんとお話しなされていたことを、わたくしにも伝えに来てくださったのかしら? そういうことでもなくては声をかけてくださらないのですから、三木さんもひどい方ですわ」
「いや、なんつぅか、それはすまんかった?」
「ふふっ、構いませんわ。三木さんには三木さんの交友関係がおありでしょうしね、それを否定するつもりなどはありませんもの。ですが、あまり女を待たせるというのは感心しませんわよ、一人の男として」
「…、それは、木元としては、俺の方から話しかけてこいよって、常日頃思ってたってことか?」
「さぁ、どうでしょうか? 仮にそうだとして、女の口からそのようなこと、直接言ってははしたないと思いませんこと? それよりも三木さん、よろしければ持田さんとお話しされていたことを教えていただいてもよろしいかしら。そのために今日は、珍しくわたくしに声をかけてくださったのでしょう?」
こいつもしかして俺がこれから言おうとしてることを全部知っているのではないかと、俺がそこはかとなく不審に思うほどの落ち着きぶりの木元だったのだが、しかしどうやらこちらが思っていた以上にこちらに対して興味をもっていたようだ。だが、その言い方はどこか真意をはっきりと見せないような持って回った言い回しで、俺程度の対人コミュニケーションスキルではどうしようもない感じを覚えた。
というか、こいつなんか難しいなぁ……。俺はこういうオブラートに包んだみたいな会話が苦手なわけであって、出来ればその真意をずばっと言ってしまってほしいのだ。もちろんその人特有の、慣れ親しんだ語り口っていうのはあると思うけど、それでも出来れば俺に合わせてほしいと思ってしまうところがある。
俺の周りの人たちは、基本的に言いたいことは言う、というか言おうとしてることを言うやつが多い、と俺は思っている。だからこそ、そういう持って回ったような、ぐるぐるとう回するような話し方には馴染みが薄いのである。もっと晴子さんみたいに、剛速球のジャイロボールでデッドボールブチかましてくる感じできてほしいところだ。それくらいじゃないと、きっと俺はいろんなところで勘違いをしてすれ違って、さっきのメイとの会話みたいに肝心なところでミスをしたりするのだ。
「あぁ、えっと、さっきメイと話していたのはだな」
「三木さん、先ほどわたくしのことを、なんとお呼びになったかしら?」
「え? なんて呼んだって…、木元?」
「持田さんのことは、何とお呼びになったかしら?」
「…、メイ?」
「そうですわね、わたくしのことは、木元とお呼びになりましたわね。持田さんのことは、メイとお呼びになりましたわね」
「…、それが、何かあったか?」
「いえ、わたくしの口からは、何も」
「それは、何か問題か?」
「いえ、まさか、問題などありませんわ」
「…、うん、そうか。それじゃあ、話をすすめても、いいか?」
「えぇ、三木さんがそれでよろしいのならば」
「よし、それじゃ話を進め…、いや、進めないぞ。ここは、きっと大事なところに違いないんだ。よし、言いたいことがあるなら言ってみろ、木元」
「ふふ、そんな、言いたいことなどありませんわ。わたくしの口から言うことなど、ありませんわよ」
「ウソだ、そんなわけあるか。きっと何か言わんとしてそんな微妙な言い方したんだろ。騙されないぞ、何も言うことがないなんて、んなわけあるか」
「それでは三木さんは、わたくしが何を言いたいといいますの? わたくしは何も言うことはないと言っていますのに、いったい何があるというのかしら?」
「…、経験則で、なんとなくそう思っただけで、具体的にどうかっていうのは、知らん!」
「あら、分かりませんの? 自信を持ってらっしゃるようでしたから、分かってらっしゃると思いましたのに」
「分からないのは、俺にはよくある話だ。分からなくても、分からないなりになんとか考えてみるんだけど、けっきょく分からないんだよなぁ、いつも」
「それは、どうなのかしら? 分からないというのは、けっきょく分からないのですから」
「まぁ、いつものことだ。分からないんだから、それ自体は分からないで仕方ない。でも分からないっていうのを分からないまま放置するっていうのは、あんまり好きじゃないんだよな」
「つまり、そういう信条をお持ちということでよろしいかしら?」
「あぁ、そういうことだな、うん。上手いこと言ったな、木元」
「そうかしら? おほめにあずかり光栄ですわ。それで三木さんは、わたくしが何を言いたいとおっしゃるとお考えなのでしょうか?」
「いや、まぁ、分からないんだけどさ。だからなんつぅか、木元が腹に一物抱えてるってことで、一つ」
「あら、嫌だ、そのような言い方をなさるなんて。それではわたくしが腹黒い策謀家か何かのように思われてしまいかねませんわよ」
「仕方ないだろ、それ以外に話の収集がつかないんだから。そんな簡単に分かるんだったら、今こうして話が分からんみたいなこと言ってないだろ」
「確かに、それはそうかも知れませんわね。それでしたら、今はそうして保留なさるのも仕方がないことなのかもしれませんわ」
「保留って言われると、なんかなぁ……。もっとこう、カッコいい感じで頼むわ」
「保留であることは違いないのですから、それをもっと恰好のいい感じと言われましても、わたくしにはどうともし難いですわね」
「そうか…、それなら仕方ないか……。うん、もう諦めて話を進めることにするわ。それで、えっと、俺とメイがしてた話だったよな。…、そうそう、リレーの選手は今から校庭に行って走る順番を決めるんだ」
「走る順番を? それは、むしろ校庭ではなく教室で決めることのように思うのですが、どうなのかしら?」
「なんか、せっかくだから一回走ってから決めるんだってさ。ほら、バトンパスの感じとか、いろいろあるだろ、いろいろ」
「そうですわね、そういったことは、確かに一度走ってみなくては分からないことではありますわ」
「よし、それじゃあ行こうか。メイにな、木元を校庭まで連れてくるように頼まれてるんだよ。とりあえず更衣室に行って、着替えてくれ」
「えぇ、そうさせていただきますわ。制服のまま校庭に出て、埃っぽくなっては敵いませんから」
「お、女の子っぽい発言だな。その感じ、とてもいいと思います」
「あら、三木さんは女の子っぽい女の子がお好みですの? いつもご一緒にいらっしゃる天方さんも、そういった感じですし、もしや三木さんは天方さんとお付き合いをなさっているのかしら?」
「俺が霧子と? いやいや、そんなことはないって。付き合ってるっていうのは、彼氏と彼女とかのそういう付き合いのことを言ってるんだろ? 俺と霧子は、そういうんじゃないからさ」
「それではどういったお付き合いをなさっていらっしゃるのかしら」
「兄と妹、みたいな感じ」
「天方さんと三木さんは、実際に血のつながった家族というわけではないのでしょう?」
「そうだな、別に実の兄妹ってわけじゃない。昔から家が近いから、ずっと兄妹みたいな感じで触れあってるってだけだ。っていうかさ、本当に実の兄妹だったら双子ってことになるんじゃね?」
「もし四月の初頭に三木さんが産まれ、直後にお母様がご懐妊なさったとすれば、同じ学年に双子でない兄妹がいたとしてもおかしくはないですわね。あとは、腹違いの兄妹ということもなくはないですし、双子でないとおかしいということは、ありませんわね」
「…、そう言われちゃうと、俺と霧子が本当の兄妹じゃないってことも言いきれなくなっちゃうわけだけど、たぶん違うと思うんだ、たぶんだけど。そうじゃないって自信は、けっこうある」
「そうですわね、わたくしが言ったことはあくまでも単に可能性がゼロではないということでしかありませんから、その可能性があるというわけではありません。まさかわたくしも、三木さんと天方さんが本当の兄妹だなど思っているわけではありませんもの」
「やっぱりそうだよなぁ。まぁ、霧子と俺が本当の兄妹でもそうじゃなくても、俺にとって霧子がかわいい妹分っていう事実には変わりないわけだし、そんなに問題はないのかもしれないけどさ」
「ふふ、やはりそうでしたのね。天方さんも、あんなにかわいらしいのに、妹としか見てさしあげないなんて、三木さんもひどい方ですわ」
「いや、ひどいって言われても、俺にとっては霧子はずっと昔から妹みたいなもんだから、今さらそれは変えられないっていうかさぁ。木元だって今ままで弟同然に思ってた幼なじみを、それ以外の存在として認識するなんてできるんか?」
「わたくしにはそういった間柄の方はいないから直接には分かりませんが、その方が魅力的だったならばそういった相手として見ることは出来るのではないかしら?」
「俺は、どっちかというと霧子のことはかわいいと思ってるし、魅力的だと思ってるつもりだぜ?」
「それならば三木さんにとって、天方さんはあくまでも家族として魅力的ということではないかしら。わたくしもお父様のことは魅力的に感じていますが、お父様のことを異性として思うことはありませんもの。そういうものなのではないかしら?」
「おぉ、なるほど、家族として魅力的っていう考えは、思いついたことなかったな。そうか、俺の霧子に対する想いは、そういう風にいえば理解することが出来るんだなぁ」
「ふふ、そうして納得されてしまうと、天方さんも困ってしまいますわね。女としてのがんばり甲斐も、ないというものですわ」
「おいおい、俺だって霧子が女の子としてがんばってるのは知ってるぞ。髪だってあの長さをキープするのはやっぱりすげぇ大変みたいだし、スキンケアとかも意外とやってるらしいんだからな。まぁ、実際にやってるとこは見たことないから、どんなことやってるのかは分からないんだけどさ」
「それは当然ですわ。女というものは、殿方にその努力を見せるものではありませんもの。努力とは影であるべきだとは、三木さんは思いませんこと?」
「俺は、目に見えてがんばってる女の子っていうのも、けっこういいと思うぜ?」
「優雅や美というものは、そういうものではありませんわよ、三木さん。美しい花は地を割る根によって支えられていますが、その根が目に触れることはありませんでしょう? 美は努力によって支えられるというのは間違いありませんが、しかしあたかもその努力などないかのように振る舞うことこそ、本当の優雅というものではありませんこと?」
「…、確かに、そう言われるとそうかもしれない」
「ですから、仮に気づいたとしてもそういった女の努力には目を瞑るというのも、男の甲斐性というものですわよ。殿方は、ただ一つの完成品として見せられた女性の姿を愛でるべきですわ。美しい美術品の製作工程などに興味を持つのは、無粋なことだとは思いませんこと?」
「木元の話は、やけに説得力があるなぁ。なんつぅか、そういうことに一家言あるって感じだ」
「ふふ、そのようなこと、女ならば当然のことですわ。容姿の美醜はすべての女にとって一大事、それならばすべての女は美の専門家たり得るのです。どのような方でも、多かれ少なかれ考えることなのですわよ。というよりも、そういったことを自分なりに少しも考えない女性というのは、女性としての義務を怠っていると言わなくてはなりませんわ」
「おぉ、そこまでか……」
「女として生まれたからには、美しくあるべき。女性の社会進出がどうのと騒がれる世の中ですが、そのようなこと己の華を磨く努力を怠る理由にはなりませんもの。女を美しく飾ることを目的とした職業がなくならないのも、その証明になっているとは思いませんこと?」
「ん~、そういわれると、そうかも?」
「もちろん、考え方は人それぞれですし、三木さんは殿方ですから分からないというところもあるかもしれませんわね」
「まぁ、そういうものなんだろうなぁっていうのは、なんとなく今の話を聞いてて思った。うん、女子の着替えが長くても、買い物が長くても、俺は我慢できる男だ」
「納得していただけたようで幸いですわ。それでは三木さん、校庭に向かいましょうか」
「あぁ、そうだったな、そもそものところ。それじゃ行くか、メイも志穂も霧子も待ってるだろうし」
木元のことは、けっきょく未だよく分からないわけだが、まぁ、なんか変な奴っぽいってことはよくよく分かったような気がするのだ。とりあえず詳しいところはおいおい聞いていけばいいかなぁみたいな感じで。
…、まぁ、別にクラスメイトなんだし、急いでいろいろ聞きだすっていうのも変な話だ。ちょっとずつ知っていけばいいじゃねぇの。