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Prism Hearts  作者: 霧原真
第十六章
187/222

放課後の用事とは

ゆらゆらと差し込む放課後の陽光。がやがやと各々の放課後へと散っていくクラスメイト達のつくり出す喧騒に身を浸しながら、俺は自分の席にぼんやりと座ってのんべんだらりとその瞬間を浪費していた。

「今日は、五時から晴子さんのところだから…、それまでは一時間くらい暇なのかぁ……」

今朝もなんとか無事に遅刻をせずに済んで、一日の学生生活も無難にやり過ごした俺は、実のところこれ以上ないくらいに心がうきうきと弾んでいた。もちろんそれが外から見て分かるようにすることはないのだが、それであってもこの心の内のワクワクは俺の身を深く深く蝕んでいるということができるだろう。

まぁ、蝕んでいるというのは、どうかと思うが。

「あと一時間したら、また会えるんだよなぁ…、メイド姿の、晴子さんに……」

メイド姿の晴子さんに会うことが出来る。それは、俺にとってどこか不思議な感覚を呼び起こす事実だった。もちろん、晴子さんが日常的な場面においてメイド服を着用することなどはありえないことであり(晴子さんはどうやら実の母親である雪美さんにすら自らのバイト先の実態を教えてはいないようであり、晴子さん的には秘密のお仕事的なアレなのではないかと思われる)、メイド姿というレアな恰好をしている晴子さんを見られるというのは、晴子さん大好きな晴子さんフリークを自称する俺としてはこの上ない喜びなのである。

しかし、それでありながら、メイド服姿の晴子さんというのは、俺にとってある種馴染みになりつつあるというのも事実だった。そう、俺には晴子さんのブロマイド(晴子さんとのトランプ勝負の激戦を通して獲得した、というか晴子さんのお情けで恵んでもらった、メイド姿の晴子さんが写されているイコン)があるのだ。だからここ一ヶ月、俺が晴子さんの姿を拝まなかった日は一日としてなかったわけであり――いや、もちろん、俺は平日には毎朝霧子を起こすために天方家に訪れているわけであり、そういう意味ではこれまでも晴子さんの姿を見ない日は、休日以外にはなかったわけなのだが――、毎朝イスラム教徒的な礼拝行為を欠かすこともなかったわけなのである。

「前は少しだけメイド服にビビってるとこもあったけど、今はもうそんなことないしな。もう、メイド服といったら晴子さんみたいな感じすらあるし、なんかメイド服大好きになってきてるぜ、俺」

というわけで、もはやメイド服を着ている晴子さんは信仰の対象に近くなってきているのであって、それを直接リアルな存在として認識することは、俺にとって信仰の原体験というか、天孫降臨とかキリスト復活に匹敵する宗教的事象になっているということができるだろう。…、そんなこと言って、本物の宗教者に怒られたりしないか心配だが、信仰の自由は日本国憲法で保障されているわけであり、俺が晴子さんを信仰していてもそう問題はないのかもしれないが。なにも、怪しい宗教法人を立ち上げて金儲けをしようというわけでもないんだし、うん、問題あるまい。

つまり、何が言いたいかと言えば、メイド姿の晴子さんに会えるっていうのは、すげぇうれしいってことなのである。それならば、どうして俺が一ヶ月もの長きにわたって晴子さんのバイト先であるところのメイド喫茶に顔を出していなかったかと言えば、それはもうやんごとなき事情によるのである。というかぶっちゃけた話、あのメイド喫茶という空間に侵入することが、少し恥ずかしかったのである。

「いや、メイド喫茶っていうか、その恥ずかしさみたいなのは外食全般に対して感じてるのかもしれないなぁ……。あの、サービスを受けてる感じっていうか、変にちやほやされてる感じっていうか、やけに持ちあげられてる感じが、どうにもむずがゆいんだよ。まぁ、食事に対してだけじゃなくて、そのサービスに対する代価っていう意味で代金を支払ってるところもあるんだろうし、客側がどうこう考えるようなもんじゃないのかもしれないけどさ……」

そして、それはまた同様に、庄司の家の面々に対する苦手意識――こんなこと言ってはいるものの、俺は実のところみんなのことが大好きなわけであって、苦手というよりもむしろ引け目とか負い目と言った方がいいかもしれないが――にもつながっているのである。もう、いい加減に俺を主みたいな感じで持ちあげるのは止めていただきたいところだ。

でも、なんといっても、晴子さんに直接来いって言われちゃったら、行かないわけにはいかないよなぁ。恥ずかしいとかなんとかグダグダ言ってる場合じゃないよなぁ。いやぁ、ほんとはあんまり気が進まないんだけど、行かないといけないよなぁ。晴子さんの御言葉に逆らうっていうのは、許されないことだしなぁ。

『幸久くん、ニヤけてるけど、どうしたの?』

「…、失敬な、ニヤけてなんていないよ、俺は。そういうメイこそ、今日はさっさと帰っちゃわないんだな。珍しくね?」

『今朝言ったこと、忘れた?』

「…、今朝言ったこと、ね。いや、そんな、忘れてなんか、いないって……。あっ、うん、忘れてない! 忘れてないぞ!」

『今の今まで忘れてた顔→今ちょうど思い出した顔』

「リレーの走る順番を決めるから少しだけ残ってほしいって話だろ、忘れてないって。その証拠にほら、授業が終わっても残ってただろ?」

『幸久くん、ただぼんやりしてただけでしょ。別に覚えてたから残ってたんじゃなくて、意味もなく残ってたら偶然用事があっただけでしょ』

「…、よく分かってるじゃないか、メイ。あぁ、そうだよ、俺はただ意味もなく居座ってただけだよ。忘れてて、すいませんでした……」

『それでいい。みんな待ってる』

「えっ、マジで? 待ってるってどこで? 教室で決めるんじゃないのか?」

『校庭。少し走ってみてから決めた方がいいって、さっき決まった。幸久くんはぼんやりしてて話し合いに参加出来そうもなかったから声かけなかったけど』

「ぼんやりしてたから声かけなかったって…、いや、もはや何も言うまい……。分かった、それじゃあ着替えてすぐに行くわ。メイは先に行っててくれ」

『あたしもこれから着替えるから、きっと幸久くんの方が先に校庭につくと思うよ』

「あぁ、まぁ、女の子の着替えにはとかく時間がかかるものだからな。ゆっくり急がずに来てくれよ、メイ」

『うん、分かった。それじゃあ幸久くん、木元さん連れて来てね』

「えっ? …、あぁ、木元もリレーの選手なのか。っていうか、なんで俺? 同じ女子なんだからメイがいっしょに行ってやれよ」

『木元さん、少しだけ苦手』

「え~、そんなこと言うなって、意外といいやつかもしれないじゃん。ほら、これまであんまり話したことないからって、食わず嫌い的に苦手意識持つのはよくないんだぞ。とりあえずどんなやつが相手でも、とにかく話しかけて見るんだよ、メイ。…、っていうかさ、リレーの選手って四人だよな、校庭で誰が待ってるんだ?」

『しほちゃんときりちゃん』

「霧子は、何のために校庭に? そもそもあいつ選手じゃないだろ。選手じゃないならいなくてもいいんじゃないか?」

『見学。幸久くんが残るなら見てるって。たぶん暇なんだと思う、きっと』

「なんだ、暇なのか、霧子。ったく、仕方ないな、帰ってのんびりしてればいいだろうに。そもそも霧子はだな、なんでもかんでも俺といっしょがいいみたいなところが昔から抜けてなくてだな」

『幸久くん、この後、どこかお出かけ?』

「へ? あぁ、そうだな、おでかけだけど…、なんか急だな、どうした? そんな俺の話を強制的に中断する見たいな聞き方するなんて、珍しいな」

『そんなことない。それで、どこに行くの?』

「どこって…、それはな、あの、ないしょだよ」

『分かった、サザンクロスでしょ』

「なんで分かるの!? どういうこと!?」

『やっぱりそうだったんだ。幸久くん、さっきメイドさんがどうとかぶつぶつ言ってた。こんな片田舎に、メイド喫茶なんて何軒もないんだから、そうかなって思うのは当たり前だと思わない?』

「…、言ってたかも、ね……」

『別にあたしは、今日はいかないから心配しないでもいいよ。それに幸久くんがメイドさん大好きな性癖でも、あたしはヒいたりしないから。あたしもサザンクロスよく行くし、キモいとか思ったりしないから』

「いや、うん、キモくないよ?」

『でも他の人にはあんまり言わない方がいいと思うよ。みんながみんなそういうことに寛容っていうわけじゃないから。特にのりちゃんとかには、言わない方がいい。のりちゃんはメイドさんのことを、何かこう不埒なものみたいに思ってるところがあるから、知られちゃうと幸久くんも不埒なものだと思われちゃうぞ』

「いや、別に俺、そんなにメイドさん大好きってわけじゃないし。メイさん、勘違いしてるよ、根本的なところを見誤ってるよ」

『それじゃあ幸久くん、木元さんを連れて来てね。お願いしたからね、きっと連れて来てね。木元さん、今にも帰りそうだから、がんばってね』

「なぁ、メイ、そんな優しい顔で後ずさりしないでくれないか。きっとなにかがすれ違ってるっていうか、食い違ってるだけなんだよ。話し合おう、そうすれば俺たちはもっと深く、より正確に分かり合えると思うんだ。な、そうしよう、そうするのがいいに決まってる。いや、そうしないと俺が困る気がしてならない」

『うん、そうかも。でも今は時間なくなっちゃうから、それはまた今度ね。みんな待ってるから、出来るだけ急いでね』

「メイ、あんまり距離を取られると、画面に何が書いてあるのか読めないぞ。なぁ、戻って来てくれ、メイ。変な誤解をしたまま、この場から立ち去ろうとしないで、ほんとにお願いだから!」

『木元さんは比較的めんどくさい子だけど、幸久くんならきっと上手くやれると思うから。がんばってね、どうしたらいいのかは分からないけど。木元さん、きっと根本的なところはいい子のはずだからね』

「うゎ、もうほんとに見えないわ……。こういうとき、メイが声に出してしゃべってくれないのって、すごい不便だな。普通にしゃべってれば、これくらいの距離でもコミュニケーションだってとれるっつぅのに」

すすすと後ずさりで更衣室に向かって行ってしまったメイを追うことも出来なかった俺は、仕方ない、リレーのメンバーの最後の一人である木元のエスコートをしなくてはいけないのである。っていうか、木元と話をすることって、今までそんなになかったなぁ。まぁ、基礎情報は入ってるからそう連れていくにあたって問題はないと思うんだけどさ。

っと、さっきから言ってる木元というのは、うちのクラスの女子のことだ。彼女のフルネームは木元ゆあ(キモト ユア)といって、出席番号12番なので俺とはかなり座っている席が離れていたりする。そういうわけで、俺も木元とはそんなに話をしたことがないわけであって、そんなに詳しいところは知らないわけなのである。知っていることといえば、それこそ表面的な情報と外見情報くらいのものでしかない。

ならばこそ、ここではそれを提示して場を濁すことにしよう。木元の身長はそこまで高くなく、姐さんよりも少しだけ低いくらい。ウェーブがかかった感じの栗毛色の柔らかそうな感じの髪は、さらさらと肩を覆うように風に流れている。

休み時間は決まって自分の席で、おしゃれなブックカバーがかけられた文庫本を片手に優雅に過ごしているが、たまに文化部の連中と話をしていることもあるから、きっと文化部に入っているんじゃないかと思う。軽音部の千原とか栗原と話をしているのが多いように思うから、きっと音楽系の部活に違いない、かもしれない。でもきっと軽音部ではないと思う。

「仕方ない、メイにお願いされちゃったし、木元に話通すことにすっか。っていうか、おいおい、荷物まとめてんじゃねぇか! つい今さっきまで読書してたんじゃねぇのかよ! 木元さん、お待ちになって!!」

そして教室に寂しく取り残されてしまった俺は、メイの残した言葉を成し遂げるべく、今まさに帰宅の途につこうとしている木元を呼びとめることにするのだった。というか、メイがダメなら霧子でも志穂でもいいから、女子同士できちんと話をしてするべき誘導なりなんなりをしておいてほしいものである。

まぁ、誰もやらないっていうなら、けっきょく俺がやるんだけどさ。考えてみれば霧子の交友関係も志穂の交友関係もメイの交友関係も、どうも木元には微妙に絡んでいない感じだし、そういう微妙な関係の相手に対して攻めていけるようなやつらでもないしな。こういう場合はうだうだ言ってるのがそもそも無駄なのであって、何も言わずに黙って為すべきことをすればいいんだ。そうするのが、俺らしいやり方ってもんだろ、たぶん。

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