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Prism Hearts  作者: 霧原真
第十五章
184/222

急いで起こしに行こう

「おかえりなさいませ、幸久様。ずいぶんお早いお帰りですが、一体全体どうなされたのですか?」

「霧子忘れた」

全力のダッシュで通学路を逆走した俺は、とりあえず直接天方さん家に向かうことはせず、まずは自宅に戻って着替えを済ませることにした。もちろん着替え以上のことをしている時間的余裕はないわけだって、説明すらしている時間が惜しいのである。

しかしそこは広太も分かっている。朝練に行ってしまって帰ってくるはずのない俺がなぜか息を切らせて帰って来たとしても、そこまで狼狽した様子もなく粛々と出迎えてくる。今はそうやって、すべてをあるがままに受け入れてくれるのが助かる。

「なるほど、体育祭の早朝練習に向かわれることに気を取られてしまい、霧子様を起こされるお仕事を忘れてしまわれたということですね。それでは、あまりお時間もないことですし、制服に着替えられたらすぐに霧子様を起こしに向かわれるのですか?」

「できればシャワーでも浴びたいけど、いまのところそんな余裕はない。だから今はジャージから制服に着替えるだけにしとく。シャワーは、もし霧子をすぐに起こせて時間に余裕があったら、あっちの風呂場を借りてする。というわけで俺は着替える、かりんさんをこっちに来させないように止めろ、広太」

「ご安心くださいませ、幸久様。かりん様はすでにご自分のお部屋へ、自主的に避難を済ませていらっしゃいます。ご安心なさってお着替えください」

「あぁ、分かった。かりんさ~ん、ごめんね、ちょっと待ってね~!」

『承知しております~。お気をつけて行ってらしてくださ~い』

玄関に一番近い部屋――もともとは客間であり、かりんさんが来るまでは霧子がお泊まり会をするときとか弥生さんが傍若無人にリビングで寝込んだときとか以外には使われていなかったお部屋。もちろん、今はかりんさんの私室として使われている――から、その扉が開けあれることこそないが、かりんさんのか細い返事が聞こえてくる。かりんさんのそういう、どうやって何を察知したのかは知らないけれど、そうやって言われる前に状況を察して動いてくれる機敏さと賢さは得難いものだ。

本当に、一も二もなく急いでいる今の状況において、この部屋の中にいたのが広太とかりんさんの二人だけでよかったなぁとしみじみ思う。これでもしもこの二人以外に誰かがいたとしたら、こう、何かきっと面倒くさいイベント的なことが起こっていたに違いない。

『おはようございます、失礼します、三木さん』

しかし、完全に安心してさっさと着替えを済ませるべく服を脱ぐ俺だったのだが、自分の背後にある扉――もちろん玄関の扉である――が開くものだということを忘れていたようだった。いや、忘れていたわけじゃない。こんな時間からうちにやってくる人なんているわけがないと思っていたのだ。っていうか、こんな時間からうちを訪れてくる人間がどうしているだろうか、まだ七時半前だよ。

でも俺のそんな想像を裏切って、こんこんという軽いノックの音が鳴った。かと思うと扉ががちゃりと開かれて、そこに立っていたのは一階の住人であるところの歌子さんだったわけである。

「おはようございます、三木さん。あら、もうお出かけになるところでしたか?」

ジャージを脱いでシャツを脱いでワイシャツを着てボタンを留めようとしたところで動きを止めている俺を見ても、まったく動じない様子の歌子さんである。むしろ見られている俺の方が恥ずかしいというか、もう少し歌子さんの方から恥ずかしがってくれないとリアクション取りづらいのである。

「…、歌子さん、あの、ちょっとすいません。ちょっと目を閉じてもらってもよろしいです?」

「はい? なぜでしょうか? それは、三木さんが玄関で半裸でいらっしゃることに関係のあることですか?」

「というか、むしろそれ以外のことはなにも関係ありませんね」

「あぁ、私のことでしたらお気になさらず。生娘でもあるまいし、男性の裸を見たからと取り乱すようなことはしませんよ」

「いや、あの、俺が恥ずかしいんです」

「三木のおにいちゃん、みくもいるですよ~」

「未来ちゃんも!? 未来ちゃんもいるの!?」

といって歌子さんの娘の未来ちゃんがその影からぴょこんと顔を出した。どうしてこんな時間から親子連れでうちに来たのかしら、歌子さんわ。じゃなくてなんで見る人が増えるの!? やめて!?

「ほゎ~、三木のおにいちゃん、腹筋が六つに割れてますよ! パンチしてもいいですか? パンチしてもいいですか?」

「え…、あ、うん、まぁ、少しくらいだったら?」

「ありがとうございます、おにいちゃん! えい! えい! うゎ~、かたいです~」

「ま、まぁ、鍛えてないけどね!」

とか言って、未来ちゃんもそんなに恥ずかしがってくれないわけであり、俺もすっげぇリアクション取りづらいのである。っていうか、女性の方が恥ずかしがってないのに男の俺の方が恥ずかしがるなんて女々しいじゃないか、出来ないだろ。

「未来、止しなさい。すいません、三木さん、さぁ、お着替えを続けてくださってけっこうですので」

「えっ、俺、ここからズボン脱いだりするんですけど、恥ずかしいから続けられないですよ?」

「あら、そうなのですか? ですが、私は気にしませんので。いないものとして扱ってくださって結構です。お話は三木さんが着替え終わるまで待ちますので」

「…、うん、ですよね。未来ちゃん、俺はこれから着替えるからちょっと外に出てもらってもいいかい?」

「は~い、おにいちゃんがそういうならそうします~。…、あっ、二階のおねえちゃんです! おはようございま~す! 早起きさんですね、おねえちゃん!」

「やっぱりみくちゃんだ…、ちょっと、みんなの声で起きちゃってね……。あっ、歌ちゃんも……。どしたの……? ここは二階で、おねえちゃんとゆきの愛の巣だよ……? どうしてこんな朝っぱらからみんなでそろってるの……?」

「はい、おかあさんが三木のおにいちゃんにお話があるからっていうので、みくもごいっしょしたのです。でも、みくはもうあんまり時間がないから、最後まではいられないかもしれません」

「へぇ…、っていうかそっか、時間的に、もうそろそろみんな学校に行く頃だよね……。そりゃ、みくちゃんもランドセル背負ってるわけだよ……」

「三木のおにいちゃんは、まだお部屋にいましたよ! それでですね、さっき、腹筋にパンチさせてもらいました! あのね、おねえちゃん、おにいちゃんの腹筋は六つに割れてるんですよ!」

「そうなんだよね、ゆきっていい身体してるんだよねぇ……。っていうか、なに、ゆきってばついにみくちゃんに自分の半裸を披露してるの? そういうことはしないみたいなこと言ってたはずなのに、ついに辛抱できなくなってやっちゃったの?」

「おねえちゃん、三木のおにいちゃんはお着替え中ですよ。見ちゃダメですって、三木のおにいちゃんが言ってました」

「えっ、でも歌ちゃんはめっちゃ観てるんじゃね? それならあたしも見てもいいんじゃね? だって歌ちゃんが見てるのにあたしが見ちゃダメっていうのは道理が通らないっていうか、論理的に破たんしてるよ」

「え~、でもみくはダメって言われました~」

「そうか、大人は観てもいいけど子どもは見ちゃいけないっていうことだ。つまりあたしは見てもいいってことだね、論理的にそうだ」

「え~、おねえちゃんも見るんですか~。みくだけ仲間はずれですよ~」

「そうだねぇ…、みくちゃんだけ仲間はずれっていうのはかわいそうだからなぁ…、うん、きっとゆきも許してくれるよ! みくちゃんもいっしょに見ようね! ほら、こっちこっち、ここ空いてるよ」

「はい! おねえちゃんがそういってくれるなら、みくもまぜてください!」

「なんでいるんですか、弥生さん! 見世物じゃないんですよ! 来ないでください! 目を潰しますよ、二本指で一個ずつ!!」

「お~、ほんとだ、ゆきが玄関でストリップしてる。踊り子さんにチップをあげないと。はい、ゆき、五千円。ズボンのぽっけにいれたげよう」

「いらねぇよ! 金なんていらないから、見るなよ!」

「いや~、でも見るからにはお金払わないとダメだと思わない?」

「みくもおこづかいがあります! はい、おにいちゃん、百円です!」

「未来ちゃん、お小遣いは大事に取っておこうね。それと、見ないでね、恥ずかしいから」

「え~…、わかりました、おにいちゃんがそういうなら取っておきます……」

「それでは三木さん、私は一万円を」

「いや、歌子さん、対抗して金出さないでください。っていうか、一万円なんてもらえるわけないじゃないですか! だから見ないでください!」

「それでは幸久様、私はこの通帳と印鑑を」

「広太ぁあああああああ!! それはお部屋の奥の戸棚にしまってこいぃいいいいいいいい!! っていうか、着替えさせてぇえええええええええええ!! 時間ないって、言ってるじゃないのぉおおおおおおおおおおおお!!」

「皆さま!! 幸久様がお困りになっておりますよ!! 幸久様は急いでおいでなのですから、着替えの邪魔はしてはいけません!! …、っきゃあああああああああああああああああああああ!!」

「っうゎああああああああああああああああああ!! 急に普通のリアクションだぁああああああああああ!!」

「ぬ~げ! ぬ~げ!!」

「坂倉さん、そうしてあおるのはよくありませんよ。三木さんが自分のタイミングで脱げばいいのですから、それを外野が乱すようなことはするべきではないのです。私たちはあるがままをあるように見ているのがいいのですからね」

「なるほど、深いね、歌ちゃん。それじゃああたしも脱げコールはしないことにしようかな」

「幸久様、御言葉ですが、すべて無視して今すぐに服を脱いで着てしまうのがよろしいかと存じます」

「おい、それは悪乗りしてきたやつの言葉じゃねぇぞ、広太。かりんさんもそんなところで目を覆ってないで、また部屋の中に入っててください、恥ずかしいから」

「は、はい……」

「…、かりんさん、目を覆ってる手が、目を隠せてないよ。そんなに指を開いたら、普通に見えてるんじゃないかと思うんだけど?」

「そ、そのようなことはありません……」

「それに部屋に入っていく気配がないなぁ……。どんどん状況が悪くなってるなぁ……。とりあえず、ボタンをとじよう」

「あ~、露出が減るよ、ゆき!」

「減らしてるんだよ!? 弥生さんは、ほんとに用事もないヤジ馬なんですから、部屋に帰ってください! 言っておきますけど、弥生さんにだけは暴力振るうことに躊躇ないですからね!」

「またまたぁ、そんなこといって女の子に手出せないんでしょ、ゆきってば。ほら、やれるもんならやってみなって。言っとくけどおねえさん、そう簡単な責めだったらびくともしないからね」

「坂倉さん、いけません。責めてみればいいではなく、責めていただくという気持ちをもたなくては。責められる側は基本的に与えられる側なのですから、謙虚でなくてはいけませんよ」

「あれ? 歌ちゃん、もしかしてM? 本物のM?」

「M、ですか? それは、どういった意味の隠語でしょう?」

「MはマゾヒストのM、日本語で言うと、被虐的傾向のことだよ。逆はSでサディストのS、日本語で言うと嗜虐的傾向のことだよ」

「なるほど、それならば私は坂倉さんのおっしゃるように、Mでしょう。自分の性癖には、自覚的な方です」

「あぁ、それを認めることはやぶさかじゃないのね、歌ちゃん。まぁ、いいんだけど、あたしはSもMも差別することはないからさ」

「おかあさんはMなんですか? じゃああたしはなんですか?」

「みくちゃんは、きっとMだよ、名前のイニシャルがMだし、きっとそう」

「それじゃあおかあさんとお揃いです! やったね、おかあさん、いっしょだよ!」

「そうですか、未来といっしょですか。それは、喜ばしいことですね」

「よし! 着替え終わった!!」

「あっ!? おねえさんがちょっと目を離したすきにゆきが着替え終わっちゃった!?」

「ふぅ…、なんとか見られずに済んだ……」

「ご心配なく、三木さん。私が見ていました」

「私も見ていました、幸久様」

「ゎ、私は、見ていませんよぉ……」

「歌子さん、見ないでって言ったじゃないですか!? もっと弥生さんとの会話に集中してくださいよ!?」

「いえ、三木さんを見ることの方が興味深く思えましたので、そちらに意識の重きを置かせていただきました」

「幸久様、言葉を挟んでしまい申し訳ございません。失礼ながら、霧子様を起こしに向かわれる件はよろしいのでございましょうか? 少し時間が過ぎてしまっておりますが?」

「うゎ!? 時間時間!! 霧子起こして準備させてってさせてたら遅刻するじゃん!! ちょっともう行ってくる!! 歌子さん、すいません、話って今じゃないとマズいですか!?」

「いえ、今でなくてはならないという話ではありません。三木さんに余裕のあるときで、一向に構いません」

「それじゃああの、せっかく来てもらって申し訳ないんですけど、また学校から帰ってきてからにしてもらってもいいですか? そのときは絶対聞きますんで」

「えぇ、それでは帰ってらっしゃるのを待っています。よろしかったら学校から出られるときに電話をいただけますか? お出迎えの準備をさせていただきますので」

「いえ、そんな、お構いなく。あぁ、やべぇ、行かないと…、えっと、とりあえず、帰ってきたら行きますんで、今は失礼します。ほら、そこどいてください、弥生さん通れないじゃないですか」

「はいはい、どうぞっと。ゆき、せっかくだから帰ってきたらおねえさんのところにも来てね」

「なんです、用事ですか?」

「いや、さみしいから、なんとなく」

「それじゃあ、俺もさみしくて弥生さんに会いたくなったら行きます。そうならなかったら行きません」

「それじゃ、あたしは先手を打ってこの部屋でゆきの帰りを待ってるよ、完璧!」

「お好きにどうぞ。それじゃ、行ってきます」

「いってらっしゃいませ、幸久様」

「お気をつけていってらっしゃいませ、幸久様」

「みくも行ってきます、おかあさん!」

「はい、気をつけるのですよ。三木さんも、くれぐれも車にはお気をつけて」

「はい、ありがとうございます。それじゃ、弥生さんも人間らしく生活してくださいね、今日一日」

「精いっぱい気をつけるよ、あたしなりに。とりあえず、二度寝するね」

「…、行ってきます」

そして、俺と未来ちゃんはそれぞれ各々の行くべき先へと駆けていくのだった。行き先は、未来ちゃんはもちろん小学校で、俺はもちろん三件隣の天方家だった。

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