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Prism Hearts  作者: 霧原真
第一章
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じゃんけんをしようよ!(3)

「…、分かった、いいだろう。どうせ勝つのは俺だ」

「いいの? よ~し、勝つぞ~!」

俺は、その五枚勝負を受けることにした。

志穂のライフは六、俺のライフポイントは五。勝てば志穂をギブアップさせることができるだろうが、もし負ければ俺はその瞬間にパンクすることになる。さっきよりもなおさら負けられない勝負である。

「ゆっきぃ、四枚がいいって言ってたけど、五枚でいいの?」

「いい。四枚にするなんて、一歩引くようなこと、しなくていい」

志穂は、一気にレートを五倍まで釣り上げた。それは、もはや異常な事態だろう。その異常を引き起こすことで波を、ツキを引き込もうという考えなのは間違いない。それは、勝負を純粋に運と気合の領域にまで引きずりおろすためには最適に行為である。勝負はフラット、いや、勝負に対する気合の差で、おそらく志穂に分がある。

それならば、それ以上の賭けに出ることでしか、流れを取り返すことはできない。いや、おそらく志穂以上に何かを引き寄せることはできないだろうから、せめてフラットの位置にまで全てを戻す。少なくとも俺の勝利への理と、志穂の必勝の気合とが拮抗するフラットまで。

だからライフを残すことはしない。一撃で死ぬギャンブルを受けるというリスクならば、レートを五倍までぶち上げるというリスクとつり合うだろう。

フラットまで戻してしまえば、気合と理とでのぶつかりあいならば、それはさすがに理に軍配が上がる、いや、上がらなくてはならないのだ。理とは、そういうもの。一時の幸運や、気合などでくじかれてはいけない、絶対的な信仰の対象なのだ。

「負けた後でも、謝れば許してやるからな?」

「ゆるしてくれなくていいもん。負けたらゆっきぃもぬぐんだからね?」

「まぁ、負けたらな?」

負けてやるつもりは、当然ない。志穂は、ここにきてびびってギブアップするようなやつではない。ここまできてしまえば、躊躇なく一歩を踏み出すやつだ。

だから俺は勝ったらすぐにダッシュで逃げる。脱がれる前に逃げてしまえば、別に脱がれたとしても俺にとっては関係のないことである。野球拳で勝ったからといって、その一部始終を見守ってやらなければならないという取り決めも、またどこから脱ぐかという取り決めがないのと同様にないのだから。

「ゆっきぃ、つぎ、あたしがなに出すかわかる?」

「いや、分からんけど?」

「わかんないなら、ゆっきぃがぜったい勝つわけじゃないよね?」

「まぁ、そういうことになるな。じゃんけんっていうのは、そういうものだから」

「んふ~、まっけないぞ~!」

どうやらそれを確認しただけで志穂は満足したようで、今は握った拳をぶんぶんと回して準備にいそしんでいるようだった。そんなに肩を回していて、痛くなったりはしないのだろうか、とどうでもいいことが心配になってしまう。

まぁ、俺は嘘は吐いていない。志穂が次に何の手を出してくるのかということについては、確かに知っているわけではないのだから。俺が知っているのは志穂が次に何を出さないかであって、グーチョキパーのどれを選択してくることを直接知っているわけではないのだ。

志穂が言ったのはじゃんけんの出し手推測の表面でしかなく、俺のように裏面から、つまり消去法的な考え方から迫る方法もあるということにまったく思い至っていないのであろう。そのようでは、読み合いで俺を上回ることはできず、つまり自分の癖を逆用して俺の読みを裏目に落とすこともしてきそうにない、ということが分かる。

大丈夫、俺の理が崩れることはない。ごくまれな事象のブレが起こりそうな感じも、あまりしない。これは直感でしかないが、志穂は手なりで手を出し続けるだけで、何か必勝の策を持っているわけではないような気がする。志穂の中にあるのは、ただ絶対に勝ってやるという気合と、そして気概だけ。

それならば勝つ。理で勝つ。理詰めで勝ちおおせる。これが最後の一手、王を追い詰める詰みの一手。

俺の選択はチョキ、理によってチョキ。志穂がパーなら即決着、チョキならあいこでもう一戦。あいこになったら次はパー、もう一回あいこになったら、次もあいこなら。

そう、理によって一瞬で、まるで数式の変数に数字を代入するように、次に打つべき手は決まってくる。これが俺の方程式、志穂とのじゃんけんを支配する、絶対の方程式なのだ。

「よし、勝負!」

「いっくよ~!!」

しかし、あるいは、ここまできて理にすがるのは愚かに映るかもしれない。一発勝負、一瞬で死ぬ勝負なのだ、己の天運に賭けてみるのが正しいようにも思う。絶対の方程式といったが、すべての場合において正確ではないことは、何度も言っている通りだ。志穂がほんの気まぐれで滅多にしないことをしてしまえば、それだけで俺の負けは確定。穴はある、完全な理とはいえない、張り子の虎である。

しかし、仮に一発勝負で天運を信じるということが自分を信じることにつながるのならば、それは同じことでしかない。俺が信じるのは己が見出し、そして組みたてた理であり、それは俺にとっては自分自身の天運よりも重きを置くものである。これを信じることは、俺にとって、もはや天運を信じることよりも重い。

逆にそれを捨てて天運などという不確定極まりないものに走るというのならば、それこそ惑っている証拠である。俺には、信じるに足る理がある。ブレを含めても勝率九割の理は、六割を積み重ねていかなくてはならない天運よりも、少なくとも俺の中では強い。

「はい! や~きゅぅ~、す~るなら! こういう感じにしなしゃんせっ! アウト! セーフ!」

それを信用できなくなったら、俺は本格的におしまいだろう。理を信仰する者は、理に殉じなくてはならないのだ。たとえば武将が自らの刀に殉じ、戦場で散っていくのと同様に、軍師もまた同様に、自らの献策に殉じ、その策と理とともに死ぬのである。

だから、共に死ぬのならば刀ではなく策、天運ではなく理なのである。頭でっかちに、理想を抱いて溺死するのはいけないことではない。そうすることが、いや、そうせずにはいられない生き物が、理の信者なのである。

死ぬ? 否、死なない。俺は勝つ、勝つんだよ!

「よよいの……」

俺と志穂は、体が反るほど思い切り振りかぶり、お互い殴り合いでもするのではないか、という勢いでその握った拳を振り下ろす。

振り下ろされるまでのわずかな間に出し手が決定されるが、しかしそれを確認できるほど俺の動体視力は化物じみていない。志穂ならば、あるいはそれによって相手の出し手を判断することもできるかもしれないが、しかしその発想に至るだけの知力がない。

仮にできるとしたら、その方法は簡単だ。じゃんけんの手は開くか閉じるかのどちらかしかない。振り下ろすまでに開きそうな感じがしたらチョキかパーが来るからチョキを、閉じそうな感じがしたらグーで確定なのだからパーを出してやれば、勝率は十割にかぎりなく近づく。俺の持っている理よりも安定感があり、なおかつ確率も高い。勝敗のコントロールもより容易である。

しかし俺はそれを教えない。教えてしまうということは、俺が志穂にじゃんけんで勝てなくなるということを意味するからだ。

それはいけない。そんなことをしてしまえば、俺が志穂に対してたまに提案する「仕方ないからじゃんけんで決めるか、三回勝負な」、が出来なくなってしまうではないか。あれは公平感を装いながらも、俺の理を用いることでほぼ確実にこちらが決定権を取ることができる秘策なのである。

もし教えてしまえば志穂は、絶対に俺の教えてやった方法を実行するのだ。怪しまれるから毎回はやらないとか、そういう配慮は一切せず、躊躇なく毎回使う。そうなってしまえば、俺が志穂に対して取っているさまざまなアドバンテージのうちの一つが失われてしまうではないか。

その方法は相手の出し手に対応して自分の出し手を決める方法なので、俺の理も必然適応できなくなり、その使用そのものが不可能になってしまうので、そうなってしまえば俺が勝つ確率の方が零になってしまうのだ。

「よいっ!!」

そして出し手を決定。

俺は当然チョキ、理のほかに寄る辺などなし。これで勝てば、あと俺は走って逃げるだけ。

対して志穂はチョキ、俺とあいこのチョキ。

ここも理の導く解の通り。ブレはない。

「よよいの……」

あいこなので、もう一度出し手を選択。俺の理に則れば、志穂にとってはあいこと負けの確率は五分と五分。そうそう何度もあいこでかわし続けることはできない。

そして仮にかわし続けたとしても、けっきょく最後は敗北という現実が降りかかってくるのだ。あいこはただの延命でしかない。すっぱり負けないだけの、先延ばしでしかないのである。

「よい!!」

さっきよりも強く気合を込めて、志穂は拳を振り上げ、そして振り下ろす。拳を振り下ろしただけなのに、ひゅん! と軽く風切り音がして、くつ下で滑るのか、足元が少しだけずれたのが見えた。

危ないな…、こんなところですっ転んだりして、けがでもしたらどうするんだ。気をつけろよ、ほんとに……。

俺の選択はパー、迷うことはない。

しかし志穂の選択も、俺の出し手と同様にパー。再び、勝負決まらず。

確率的には四回に一回は起こることなので決して珍しいことではないが、二度続けてあいこである。

だが、問題はない。二度続けてあいこになったのならば、三度目で殺せばいい。この場合ならば、「二度あることは三度ある」よりも、「三度目の正直」の方が可能性としては大きい。三度続けてあいこになど、滅多になるものではないのだ。

あいこになったが故に、俺たちの動きは止まらない。そのまま続けて三度目の試行に移行する。一度目も二度目も、三度目も変わらない。やることは、ただじゃんけんである。

今度こそ、仕留める! そしてダッシュで逃げる!

「よよいの……」

志穂は、まるで野球の投手のように背をのけぞらせ、セットポジションで拳を振りかぶる。あんまり足を持ち上げられると、必然スカートがたくし上がり、なにも穿いていないスカートの中が見えてしまいそうになるので、出来ればそこらへんで自重していただきたいところだ。

当然だが、いかに振りかぶったからといってじゃんけんにおける勝率が変動することはあり得ないわけで、この動作には実質なんの意味もない。あるとしたら、自分の気分を高めるとか、その程度のものでしかないのだ。

「よいっ!!」

「ふんにゃっ!?」

「うぉあ!?」

これを決着にしようという意気は俺と志穂で一致していたようで、今までのじゃんけんとは比べ物にならないほどの気合を込めた勢いで志穂の拳は振り下ろされる。しかしその気合が思わぬ事態を引き起こした。いや、思わぬ、何ていう適当な言葉では俺の驚愕は伝わり切らない。

じゃんけんのときに発すべきでない珍妙な鳴き声を志穂と俺の両方が発してしまったのもそれのせいなのだが、そのことについて、詳細に説明をしてもおそらく理解は得られないだろう。しかしここは勇気を持って俺の目の前で発生した出来ごとについて説明してみよう。

まず、志穂が張り切りまくって大きく拳を振りかぶったところまではいい。ここまではおおむね理解可能。次に思い切り振り下ろした。それもいい、あれだけ振りかぶったのだから、当然振り下ろすのにもそれなり以上の勢いが必要である。

そして志穂は、その振り下ろした拳の勢いでくるり、と一回、拳に全身を引っ張られるように前方へと向かって転倒、というよりも回転した。バカなことをいうな、と言いたいだろうが、それこそ俺が言いたいセリフなのである。

現に、志穂が前方回転なぞしてくれやがったおかげで、俺は出所の見えない、縦回転のローリングソバットとしか言いようのない攻撃をこの身に受けかけたのだから。俺が奇跡的な反応で回避に成功したからいいものの、あんなものを、あんな冗談ではない勢いで首元に叩き込まれれば、少なくとも二時間は保健室のお世話になっていたことだろう。

どうして自分の振り下ろした拳骨に自分の体が翻弄されているのか、ということは、おそらく考えても無駄だろう。そうなってしまったのだから、そうなのだ。考えたところで理解することができないことは確かにあって、それはそういうものとして受け入れるしかない。だからこれも、そうなのだ。

問題は今、この様である志穂をどうするかということに他ならない。よく分からないが、とりあえずどこかを強打したということはなさそうでよかった。本当にキレイに一回転したようで、今はぺたんと尻もちを着いたような体勢で地面に座っている。

ちなみに、俺の目前で縦回転なんぞをしたことによって、非常に不本意ではあるのだが、というか申し訳ないのだが、見えてはならぬところが俺に見えてしまっていた。いや、俺だって出来ることならば目くらいはそらしたかったし、可能ならばそうしたに違いない。しかしあれは無理だ。俺は不意に襲いかかってきた攻撃の回避に精いっぱいでそんなところまで気を回している余裕はなかったのだ。

まぁ、あれだ、なんていうのかな……、こういうのも一つの得難い体験というやつなのかもしれないな。バカで強くてバカな志穂も、やっぱり女の子だったんだね!

しかし、見えてしまったものは仕方ない、などと開き直るつもりはない。まぁ、謝るくらいはしておくのが筋というものだ。とりあえず今は謝る前に立たせてやるのがいいだろう。目の前に立っているんだ、手くらい貸してやらないといけない。

っと、手をグーの形に握ったままではそんなことはできるはずないっつぅの。アホかって。

じゃんけん、次回決着

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