部活動、やるややらざるや
「ただいま……」
いろいろあって、と一言で言ってしまうとひどく虚しくなってくるが、まぁ、いろいろあって疲労困憊の俺だったが、ようやくなんとか家に帰り着いたのだった。
「お帰りなさいませ、幸久様。お荷物をお預かりします」
「あぁ、広太、ただいまな……」
自宅の扉を開けるとまず正面に広太が待っており、俺はとりあえず言われるがままに手の中の荷物を手渡すと、俺の部屋へと去っていく広太の後ろ姿を力なく見送るのだった。
「幸久様、おかえりなさいませ。そろそろ戻られると広太さんに伺いましたので、リビングにお茶を用意してあります」
「ありがと、かりんさん……」
それからなんとかくつを脱ぐと、よろよろとリビングに向かって歩を進める。どうやら部屋に入ってさっきまでの蓄積された身体的精神的ダメージが解放されてしまったようで、不思議なくらいの疲労感に襲われるが、だからといってこんなところで倒れこむわけにもいかないわけであり、壁に軽く手を突いて支えにしながら進んでいくしかないのである。
「幸久様、今日は、とてもお疲れなのですね。先ほど霧子ちゃんに聞いたのですが、今日はお友だちの風間紀子さんに一日中お説教をされていたそうですけど、やはりそれが原因なのでしょうか……?」
「あっ、いや、それは、まぁ、そんなに原因じゃないんだけどね。だいじょぶだって、俺は元気だよ、かりんさんのお茶飲んだら、元気になったからさ。心配ないよ。っていうか、かりんさんこそ、どうかした? なんか顔色悪いような気がするんだけど?」
「ぃ、いえ、そのようなことは、ありませんので、ご心配していただくほどでは。ですが、そ、そうですか、それは、よかったです。…、あの、幸久様、一つお伺いしたいのですが、一日中お説教をされるというのは、一体全体、何をしてしまわれたのでしょうか……。一日中お説教をされるというのは、私が思いますに、相当のことをなさってしまったのではないでしょうか。それでしたら、私もお詫びに出向かなくてはならないのでは、ないでしょうか……? も、もちろん、私は幸久様の親ではありませんので、そうした必要は無いとも思うのですが、でも、やはり身内のものが他人さまにご迷惑をおかけしたならば、一言お詫びに出向くのが筋というもの、ではないかと思いまして……」
「…、あぁ、そうか、だからかりんさん、そんなやけに思いつめたような顔してたんだ。お詫びとかは、平気だからさ、全然気にしないでよ。お説教されたのは完全に俺の自業自得っていうか、いや、まぁ、なんでお説教されたのかは俺自身にもよく分かってないんだけどさ。とにかく、たまにあることだから、そんなに気にしないでいよ、かりんさん。あっ、それよりさ、ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど、いい?」
「聞いてほしいこと、ですか?」
「そうそう、ちょっとさ、いっしょに暮らしてる広太とかりんさんには聞いておいてほしいことなんだよね」
「それは、あの、どなたかお付き合いをする方が出来た、といったことでしょうか……? 私は、あの…、もう幸久様のおそばにいることは、叶わない…、のでしょうか……?」
「えっ? あっ、いや、そういうことじゃなくてね、別に俺に彼女が出来たとかじゃなくて。平気、平気だから。かりんさんにうちから出て行けとかいう話じゃないから、ね。落ち着いて、かりんさん、泣かないでってば」
「す、すいません…、少し、悪い想像をしてしまって……。お話、ですよね、はい、聞きます、聞けます。私は、大丈夫です」
「そっか、よかった…、それじゃあ、晩飯の仕度もあるわけだし、手短にしようかな。おい、広太! 広太! 戻って来い、話がある!」
「はい、幸久様、なんでしょうか」
「あぁ、来たか。ちょっと二人に話があるから、お前もそこに座って俺の話を聞け」
「了解いたしました。それではこちらに、失礼いたします。それで、お話というのは、いったい何についてのことでしょうか。今度行なわれます、体育祭についてのお話でしょうか?」
「? 体育祭について、なにかあるのか?」
「いえ、幸久様のお話がそれについてでないのだとすれば、私の考えたことなど問題にはなりません。どうぞ、幸久様がお話になろうと思われたことを、お話しくださいませ」
「んなこと言われたら、なんか気になるだろ。俺の話よりも先に、お前の話をしろ。そうしないと気になっちまって気持ち悪いだろうが」
「私には、幸久様がお話になられる内容の方が重要だと思われるため、幸久様が先にお話になられてくださいませ。私の考えたことなど、瑣末事ですので」
「俺が気になるって言ってるんだから、とりあえず言っとけよ。どうでもいいかどうかは俺が決めるから、お前はとにかく何を考えたか言っとけ」
「はい、それでは失礼いたします。私の考えておりました体育祭のことと言いますのは、かりん様を如何様にして体育祭の場にお連れするかということなのです。おそらく、幸久様はかりん様のことを体育祭にお招きになると思われますが、しかし、そう簡単に連れて行ってしまわれてよろしいのでしょうか?」
「? なぁ、広太、かりんさん、体育祭に連れて行っちゃいけないのか? せっかくのでっかい学校行事なんだし、かりんさんだけおいてけぼりなんて可哀そうすぎると思わないのか、お前は」
「もちろん、私もそのようなことをするべきではないと、重々承知いたしております。ですが、ここはあえて幸久様のために申し上げます、もしかりん様が体育祭に出向かれたとして、幸久様のご友人方にどのようにご説明なさるおつもりなのでしょうか?」
「…、ん? えっ、それ、どういう意味?」
「かりん様のことを、どのようにご紹介なさるおつもりなのでしょうか、ということでございます。もちろん、幸久様がかりん様をご自身の許嫁としてご紹介するつもりなのでしたら一切問題ございませんが、はたしてそうしてしまって、幸久様はよろしいのでしょうか、ということを申し上げました」
「…、あぁ、そういうことか。確かに、何にも考えてなかったわ。どうしよう、かりんさんのこと、なんて説明したらいいんだ、俺は」
「私一個人の意見を申すことをお許しいただけるならば、かりん様のことはしっかりと許嫁とご説明なさるのがよろしいかと思われます。そうすることが、本来的には正しいことであり、かりん様の意を最大限汲むという意味でも、幸久様の将来への向き合い方に関しましても、最も適切なやり方かと」
「…、それについては、うん、考えておく。すぐに解答は出せないから、今はあんまり突っ込んで聞くな」
「はい、承知いたしました。出過ぎたことを致しまして、失礼いたしました、幸久様」
「いや、ぜんぜん思いもしなかったことだから、言ってくれて助かったわ。うん、とにかく、がんばって考えとくから、かりんさんは心配しないでね。絶対、かりんさんが体育祭に来られるようにするからさ」
「は、はい、それでは私は、当日が来るのを楽しみにしています」
「よし、それじゃあ次は俺の話な。今日、ちょっと帰ってくるのが遅かっただろ。二人は霧子から、俺が姐さんにお説教されてるから遅くなってるって言われてると思うけど、それは少し違うんだよ。俺は今日、確かに姐さんにお説教されてたんだけど、でも実は放課後はもうお説教とかされてなかったんだ」
「そうなのですか。それでは、幸久様はどうしてお帰りがいつもよりも遅くなられたのでしょうか。霧子様といっしょに帰られなかったということは、やはり何らか用事があったということなのでは?」
「あぁ、そうなんだ。実はな、今日俺は、部活動の見学に行ってきた」
「部活動の、見学でございますか? それは、あの、部活動がどのように行なわれているかを試しに見学しに行くという、アレのことでしょうか?」
「あぁ、まさにその通りだ。とある事情で部活見学をすることになった俺は、姐さんといっしょに家政部に行ったんだ。あっ、家政部っていうのは、家庭科部みたいなもんで、料理とか裁縫とかするのな」
「そうでしたか、そのような、幸久様の興味関心に的確に合致する部活動があったのですね。それは喜ばしいことです」
「そうなんだ、なんか気づいたら最近はうちで料理することも少なくなっちゃってさ、なんかよくないなって思ったんだよ。それでな、家政部への入部のことは前から顧問の先生に打診されててさ、あっ、顧問の先生っていうのは、うちのクラスの副担任の先生な。八坂ゆり先生っていうんだけど、前に話したことなかったっけ?」
「はい、確かに以前に伺ったことがあります。いつも振り袖を着ていらっしゃる、不思議な先生と話されていたと記憶しております」
「そうそう、そうなんだよ。それでさ、見学に行ったのな。そしたら誰がいたと思う? 悠平だぜ、あのバカ、うちの学校に入学してたんだよ、知らなかったんだけど」
「悠平と言いますと、瀬戸氏でしょうか。中学時代に、幸久様の舎弟をしていらっしゃった」
「あぁ、そうそう、そいつ。あいつな、俺がいると思って家政部に入ったんだってよ。笑えるだろ、俺が入部してないのに、あいつが入部してるんだ、家政部に。逆だよなぁ、実際」
「そうですね、おそらくそうでしょう」
「でな、せっかくだからここは一念発起して、俺も家政部に入部するのがいいんじゃないかと思うんだ。広太とかりんさんは、どう思う?」
「そうですね…、個人的には、幸久様が部活動をなさるということに関しては賛成いたします。以前より申しておりますが、幸久様はもっと学生としての日常生活を満喫されるべきなのです。それこそ、これまでと同様に家事は私がすべて行ないますし、お料理はかりん様がお手伝いしてくださいますので、幸久様は今しかない瞬間を存分に大切になさってくださいませ」
「でもそうするといつもよりも少し帰りが遅くなると思うけど、だいじょぶか? まぁ、お前なら別に何の問題もないと思うけど、いちおう聞くわ」
「はい、仔細問題ございません。幸久様の帰りが遅くなるとしても、私は私に課された仕事を為すだけでございます。お家のことはお気になさらず、中学校の頃のように、存分に楽しんでらしてくださいませ」
「中学のは部活動じゃないけどな。まぁ、お前ならそう言うと思ってたよ。それじゃ、かりんさんはどうかな? 俺が部活するとかりんさんにけっこう負担かかっちゃうんじゃないかと思うんだけど、どう?」
「ゎ…、私は、ですね…、幸久様が学校での生活を楽しまれるということは、とてもすばらしいことだと思いまして…、あの、部活動に参加なさるということには、賛成、いたします……」
「…、かりんさん、あの、どうして終始俺から目を反らしながら賛成を? もしかして、俺が部活するの、イヤだったりするの? それなら、そう言ってほしいな。ほら、こうして二人に話をしてるのって、けっきょくいっしょに暮らしてる二人の率直な意見を聞きたいと思ってるからなんだしね」
「…、あの、私は、今心の中で思っていることを言ってしまってもよろしいのでしょうか……? 幸久様はそれを聞いて、私のことを欲深なはしたない女とは、お思いにならないでしょうか……?」
「ならないって、そんな風には。俺は、かりんさんがそういうのじゃないって知ってるからさ、たまには言いたいこと言ってよ。そうしてくれた方が、俺はうれしい」
「そ、それでは、あの…、私は、幸久様に部活動をしてほしくは、ありません。もちろん、幸久様が学校での生活を楽しまれるのはとても素敵なことだと思いますが、それでも…、部活動は、してほしくないのです……」
「どうして?」
「それは、あの…、絶対に、私に失望しないでくださいね…、幸久様が部活動を始められると、おかえりの時間が、今日よりも遅くなるということですよね? 今日は見学だけだったのですから、活動するとなると、やはりそうなってしまいますよね?」
「あ~、たぶんね。あと三十分か一時間は遅くなっちゃうと思う」
「そう、ですよね……。そうなりますと、私が幸久様と一緒に過ごすことのできる時間が、それだけ減ってしまうということ、ですよね……?」
「…、そうなるね」
「それは、私としては、あの…、とても…、さみしい、です……」
「…、分かった、俺、部活しないわ。かりんさんが寂しいんなら、俺は部活しない。それによく考えたら、俺が部活始めたら霧子といっしょに帰れなくなるわけだし、それもイヤだ。というわけで、間を取って、『俺は部活に入らないけど、たまに見学と称して家政部に遊びに行く』、でいこう」
「幸久様がそれでよろしいのならば、私はなにも申しません」
「ゅ、幸久様、無視してください、私の言っていることなど! ただの、女の我がままですので!」
「家族のわがままは、聞いてあげるもんでしょ、普通。他人じゃないんだから、ね?」
「ぁう…、そ、れは、ですね…、そう言ってくださると、うれしいのですが……」
「まぁ、部活に入らなかったからって、何か悪いことが起こるってわけでもないし、これまでと同じなんだからいいんじゃね? ほら、変わらない良さって、あるだろ、きっと」
「幸久様がそう仰るならば、おそらくそうなのでしょう。私は、そう思います」
「まぁ、部活見学に付き合わせちまった姐さんには、悪いことしたけどなぁ。まぁ、きっと許してくれるだろ」
というわけで、一念発起しての部活動見学は、結果としてはなんの成果も変化もなく幕を閉じることになるのだった。こういうのを無駄って言ってしまうと、俺の一生涯がおおむね無駄ということになってしまうから、そこは言わないお約束ということで。
とにかく、変化することだけがいいことではないということで、ここはひとつお納めいただいて、ね? とりあえず姐さんには、明日の朝一で謝っておこう。