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Prism Hearts  作者: 霧原真
第十四章
177/222

歌子さんの介入

「…、みなさん、いったいこのようなところで、なにをなさっているのでしょうか。いえ、どことなくなにをしているかということは分かるのですが、どうしてこのようなところでそのような面子で、そんなことをしているのか、よろしければ教えていただきたいのですが、それはよもや何らか差し支えるでしょうか」

「ぅ、歌子さん! たす、た、助けて、ください!!」

背中に負ぶさった弥生さんに右の耳を責められ、未来ちゃんに上半身体幹部全体をくすぐられ、霧子に左の耳を責められている俺、三木幸久は、そのとき偶然にも買い物から帰ってきたらしいアパート一階の住人であるところの五島歌子さんに恥も外聞もなく助けを求めたのだった。

もちろん、出来れば自分でなんとか対処したかったというか、他人の手を煩わせることなく状況を解決したかったのだが、しかしながらそんなことが出来る状況は既に超えてしまっていたため、これはもはや致し方なしといったところだろう。だってもう、俺一人じゃどうにもならないというか、もうとっくにダメになっているというか、そろそろ脚腰が立たなくなってきそうな感じすらあるのである。

いや、別にやろうと思えば一人で状況をなんとか出来ないこともないのだ。しかしそのためには弥生さんを背中から俺の手で叩き落とし、それから縦横無尽にくすぐりまわしてくる未来ちゃんを説得し、俺の左耳に息を吹きかけ続けている霧子にチョップしなくてはならない。そんなこと、まぁ、できなくはないけど、時間がかかるじゃないか。

「三木さん、あのですね、そうしたことを複数人数で行なうというのはですね、少々倒錯が過ぎるのではないでしょうか。いえ、もちろん、皆の同意と了解があるのならば問題はないのかもしれませんが、しかし一人の年長者としては見過ごし難いというのも現実です。ですので一つだけ言わせていただいてもよろしいでしょうか。せめてそういったことは、部屋の中でするべきではないでしょうか?」

「歌子さん、と、とりあえず…、たす、助けてください! 俺は身動き取れないんで弥生さんを、こう、倒してください!!」

「倒すのですか? それは構いませんが…、あぁ、その前に、買ってきた物を冷蔵庫にしまってきても構わないでしょうか。生の魚を買ってきたところなので、鮮度を落とさないうちにしまってしまいたのですが」

「あ~、それは~…、未来ちゃん、おかあさんのお手伝いするチャンスだよ!!」

「ふぁ!? はい!! お手伝いしないとです!!」

俺の言葉を聞いた瞬間、それまではとっても楽しそうに俺をくすぐりまわしていた未来ちゃんはびくんと反応すると、不意に我に返ったかのような仕草で一二度周囲を見回すと、『おかあさんのお手伝い』のためにくすぐる手を止めたのだった。これは、未来ちゃんももう小学五年生であり、いつも大変なお母さんのお手伝いを出来るだけしたいぞ、という想いの表れなのではないかと思う。

事実、未来ちゃんはいつでもがんばって『おかあさんのお手伝い』をしようとしているわけであり、そのためには楽しい遊びを放棄して駆けつけることも辞さない覚悟を持っているのである。もう、なんと立派な子どもさんだろうと思う。

「おや、なんです、未来、そのようなところでなにをしていたのです。もしや、三木さんに遊んでもらっていたのですか? それならばきちんとお礼を言いなさい。そしてこの買い物かごの中身をすべて冷蔵庫の中に適切に収めてきなさい。私は、少し三木さんに頼まれごとをしてしまいましたので」

「は~い。おかあさん、今日のごはんはなんですか?」

てってってと歌子さんがその存在を視認することが出来るところまで駆けていった未来ちゃんは、歌子さんから買い物かごを受け取りながら、さっきまでの俺への容赦ないくすぐり攻撃などなかったと言わんばかりの雰囲気でそう訊ねた。いや、別に俺としては、未来ちゃんに対しては遊び感覚だったわけだし、構わないのだけれども。

弥生さんは、絶対に許さんが。

「今日は、焼き魚と揚げ出し豆腐です。これから仕度するので、いつもと同じ時間まで待ちなさい」

「はいです、それじゃあ未来は、お荷物を部屋に持っていきます。三木のおにいちゃん、よく分からなかったですが、遊んでくれてありがとうございました」

そして未来ちゃんは、よっぽど俺をくすぐる遊びが楽しかったのか、よく分からないと言いながらも満足そうな顔でぴょこんと頭を下げてお礼を言うと、歌子さんから受け取った買い物かごを両手で提げて部屋に急いでいくのだった。これで俺は三つの責め苦のうち一つから解放されたわけであり、身体的精神的負担はかなり減ったといっていいだろう。もちろん、小さい子にくすぐられているという状況は俺にとっては問題ではなかったわけだが。あぁ、俺が小さい子にくすぐられたからといってなんだというのだ、まったく。

「あぁ~、みくちゃんってば、まだゆきを責めてる最中なのに~」

「さて、三木さん、倒すと言われましても、どの程度まですればよろしいでしょうか。とりあえず、背中からはぎ取ればよろしいのですか?」

「そうですね、それでお願いします。あっ、こっちのかわいいのはいじめないであげてください。ただ巻き込まれただけのかわいそうな娘なので」

「承知しました。それでは坂倉さん、少し痛いですが、我慢してくださいね。大丈夫、出産の苦しみに比べれば、なんということはありません」

「歌ちゃんの例えが生々しすぎてちょっと困るので。おねえさん、降参するよ、むりむり。というわけで、降ろしてちょうだい、ゆき」

「最初から素直にこうして降りてくれれば、何の問題も起きなかったと思うんですよね、俺は。まぁ、今となってはなにも言いませんけど。ほら、霧子ももうやめなさい、俺の耳に息を吹きかけるのは」

「ふぁ…、ふ~☆」

「ぁはぁあああ…、やめろって言ってるじゃない!」

「にゅんっ!? にゅ~…、痛いよぉ……」

「もう、止めろっていってるのに、話を聞かないのが悪いんだぞ、まったく。あぁ、ったく、三人が悪ふざけしたせいで危なかったじゃないですか、何がとは言いませんけど」

「そうだね、おねえさんの脚捌きが加わったら、きっとダメだったね。まぁ、脚は終始ゆきに抑え込まれてて、なにも出来なかったわけだけど」

「いや、脚を抑えてたから手が他のところに回せなくて、ピンチに追い込まれてたんですけどね。本当に、歌子さんが来てくれなかったら危なかったです、ありがとうございました、歌子さん」

「いえ、どうということはありませんので、お気になさらず、三木さん。恩というものは、少しずつであっても機を見て返していくことが大切なのですから、これからもいつでも頼ってくださっていいのです」

「恩、ですか? いやぁ、俺は別に歌子さんに恩に思われるようなことは何にもしてないですって。ご近所づきあいですよ、ご近所づきあい。情けは人のためならずっていうじゃないですか」

「いえ、三木さんはそう思っていなくとも、私たちにとっては大きな恩なのです。ですから、三木さんこそ気にせず私を頼ってください。三木さんも年頃ですし、二見さんがいっしょに暮らすようになっていろいろとお困りでしょう。私で我慢していただけるならば、なんでもお手伝いしますよ。まぁ、おばさんの私に出来ることなど、なにもないかもしれませんが」

「いや、そんな、年齢とか関係ないっていうか、歌子さんきれいですし、大人の魅力でいっしょにいるとけっこうドキドキするというか…、いや、そうじゃなくて、歌子さんはすごい頼れると俺は思ってて、頼れるから頼っちゃうと依存しちゃうっていうか、すごい迷惑かけどおしになっちゃうと思うんです。だから、あの、ほどほどに頼ります」

「えぇ、ほどほどでもいいのです。私と未来は三木さんに救われたも同然なのですから、三木さんが好きなようにしてくださってかまわないのですよ」

「いや、救ったなんて、そんな…、いや、俺はなにもしてないですよね? 俺は人助けはしても人を救うようなことはしてないと思うんですけど」

「そう三木さんがおっしゃるならば、それはきっと三木さんにとっては大したことではなかったのでしょう。ですが、私たちにとってはもう、命を助けられたも同然のことと思えるのです。私が恩と感じている以上、それを返さないというのは道理に反しますので」

「それは、まぁ、道理が通るの通らないの言ったら、歌子さんの言う通りなんでしょうけど…、いや、歌子さんがしたいように、してください。俺は、なんというか、くれるものはもらう主義なんで」

「そうですか、それではこれは私たちの部屋の鍵です。私はたいてい部屋で内職をしていますので、いつでも好きな時にいらしてください。朝でも昼でも夜でも、遠慮なさることはありません、三木さんはお若いのですから、欲が尽きるということはないでしょうからね」

「…、ん? あれ? いや、あのですね、歌子さん。なんかよく分からないんですけど、もしかして青少年の健全な発育によろしくない方向に話が転がってません? というか、部屋の鍵はもらえないというか、もらっても困るというか、歌子さんはどういう意図でその鍵を俺に渡そうとしているか、教えてもらっても構いませんか?」

「妾として扱ってもらって、構わないということです。私には三木さんに差し上げることが出来るものは、なにもありません。家を捨て、後ろ盾を捨て、私が持っているものは私自身と、そして未来だけなのです。それならばこそ、私自身を差し上げるのが道理というものではありませんか。もちろん、三木さんが私のようなおばさんは気に入らないというならば、捨て置いてくださってもかまいませんが、とにかくこの鍵は三木さんに差し上げます。如何様にも、好きなようにしてくださって構いませんので」

「いや、でも」

「もちろんその程度で、三木さんに恩を返すことが出来るとは思っていません。これは、ほんの気持ちです。私の意志だと思ってください。言うならば、約束のような、ものでしょうか。あるいは、契約と言った方が、しっくりくるかもしれませんね。私は、三木さんに、恩を返すことを、間違いなくお約束します。鍵を差し上げるのは、約束の証だとお考えください」

「…、この鍵、一気に返しづらくなった……。いえ、分かりました、そういうことなら、この鍵はいただきます。ですが、もらいはしますが」

「私は、三木さんにならばなにをされても構わないと思っています。それだけの恩を感じていると、覚えておいてください。あと、私は、こうして鍵を差し上げ妾となった以上、三日に一度は会いに来てくださらないと、寂しくて泣きます」

「な、泣くんですか!?」

「えぇ、泣きます。もちろん、来てくださるも来てくださらないも三木さんが決めることではありますが、それであってもそうして抜き差しならぬ関係となった以上、あまり会いに来てくださらないと寂しくなってしまうのもまた道理です。まったく気にする必要はありませんので、三木さんはいらっしゃりたいときにいらっしゃってください」

「な、泣かれるのは…、ちょっと困るというか…、や、やっぱりこの鍵返すっていうのは」

「その鍵は、約束の証です。出来れば持っていてくださるとうれしいです」

「ゆきってば、おねえさんというものがありながら、他に妾をつくるなんて豪気だねぇ。まぁ、本妻はりんちゃんで間違いないから、他にとなるとどうしても妾だよね、仕方ないよね。あれ、ということは、おねえさんも妾じゃね?」

「弥生さんは、黙っててください。話がややこしくなりますから」

「ゅ、幸久君…、えと、なんだか、難しい話になってきたから、あたし帰る、ね?」

「あ、ちょっと待て、霧子。お前がこないだ言ってた好きなマンガ家のサインが、そろそろ手に入りそうなんだ、ちょっと待ってろ」

「にゅ? 好きなマンガ家って、どの作家さん?」

「あ~、えと、高階都っていう人なんだけど、ペンネームが、ちょっと、ど忘れして……。とりあえず、待ってろ、すぐにサインしてくるって言ってたから」

「すぐにサインしてくるって…、もしかしてこの辺に住んでる人なの? え~、ほんと? このあたりに作家さんが住んでるなんて、知らなかったよぉ」

「うちのアパートの一階に住んでるんだ。じきに出てくるから、帰るのはちょっと待て」

「ふぅ、三木君、お待たせ。サイン、三回くらい失敗しちゃって、時間かかっちゃったわ」

「あっ、きた。都さん、このかわいいのがファンの女の子です」

「は、はじめまして……? ファンの、天方霧子、です……?」

「ひっ!? な、なんで、ここにいるの!? 三木君、話が違うわよ?!」

「あ~、まぁ、都さんがさっさとサインしてこないから、来ちゃったんですよ。とりあえず、そのサインしたやつは俺がもらうんで、都さんはすぐに部屋に逃げ帰ってください」

「そ、そうさせてもらうわ。それじゃあ、あなた、悪いけど失礼するわね。私、重度のコミュ障なの」

「あっ、えと、サイン、ありがとうございます?」

「それじゃあ、三木君、後はよろしく」

「はい、なんとかしときます。よし、帰ったな…、ほれ、霧子、サインの入った単行本だ」

「あ、りがとう……? ふぁ!? ここここれ、miyako先生の最新刊!?」

「あ? …、あぁ、そうそう、miyakoさんな、そうだペンネームな。好きだって、言ってたろ、前に」

「すすす好きっていうか、もう愛? ここここんなところに住んでたなんて、知らな、知らなかった……。さ、サイン会とか、ほんとにしない作家さんで、サインとかすっごい希少なんだよ!!」

「へぇ、そうなんだ…、住んでるのは一階のあの部屋だから、ファンレターとか直接ポストに入れにくればいいんじゃないか? 近いんだし」

「え、あ、えと…、とりあえずサインにイラスト添えてもらってくる!!」

「うぉ…、なんてアグレッシブな動きだ、霧子……。近年稀に見る動きだぞ、あれは」

「それでは三木さん、鍵は確かに渡しましたので、よろしければいらしてください。こういう関係になった以上、一日千秋の思いで待っていますので」

「あっ、歌子さん、まだ話は……!」

「それでは、失礼します」

「さぁて、歌ちゃんも帰っちゃったし、あたしも帰ろうっと。ゆきも帰るでしょ?」

「…、そう、ですね。鍵を返すのは、また今度でいいです……」

「とか言いながら、結局押し込まれて返せないに、一票いれるし」

「不吉な予言はやめてください。ほんとにそうなりそうな気がしてくるじゃないですか……」

あぁ、どうしてこんなことに……。こんなになったら、明日から歌子さんと顔を合わせづらいじゃないか……。

それに、そもそもこれからうちに帰って広太とかりんさんに部活の話をしないといけないんだから、変なところで精神エネルギーを消費させないでほしい。いや、歌子さんのことが、迷惑ってわけじゃないんだけどね?

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