お説教も放課後まで
「なんか、姐さん、説教しているのに機嫌よくね?」
「そんなことはないぞ。説教というのはだな、そう楽しいことではないのだからな」
「ふ~ん…、それならそれでいいんだけど」
休み時間の度に説教を受け続けること四度、俺は今現在、放課後の教室で姐さんからの本日ラストになると思われる説教を受けている真っ最中だった。しかし、お説教といってももはやただのおしゃべりになってしまっているわけで、なんかあんまり責められている感じはしなかったりする。
いや、むしろ、今日まともにされたお説教は朝一のと朝のホームルームと一時間目の間にされたのだけで、それ以降はなんだかんだと鋭さのないイージーモードだったような気もする。はて、姐さんは「今日はみっちりお説教だ!」みたいなことを言っていたというのに、いったいこれはどういう心変わりなのだろうか。
そもそものところ、今日のお説教は俺がバカみたいなことを言ったことに端を発するわけであり、姐さんにしてみれば恰好の獲物というか、絶好の相手というか、説教する内容には事欠かないと思うのだが、どうしてか姐さんは普通に何もない暇な放課後の時間を楽しんでいるようだった。
もしかして、よく分からないうちに機嫌が直ったのだろうか? でも別に不機嫌だったわけじゃないし、どういう心境の変化なんだろうか。まぁ、俺としては別に姐さんにお説教されるのはご褒美って感じでイヤではないのだけど、でもだからって積極的にされたいわけではないのだ。姐さんがお説教しないというのならば、それに越したことはないのである。
「ときに姐さん、今日は風紀のお仕事はないのかい?」
「風紀の仕事か? あぁ、今日の放課後は非番だ。今日はこれ以上することもないからな、このまま帰るだけの予定だぞ」
「そっか、今日は非番なんだ。っていうか、せっかくたまの暇なのに、帰らなくていいの?」
「なんだ、三木、私に説教されるのはイヤなのか。私に、今すぐにここから去れとでも言いたいのか」
「いや、そういうわけじゃねぇって。むしろ、姐さんとこうしてゆっくり話すの久しぶりだし、うれしいんだけど」
「ぅ、うれしいのか、私と話しをすることが出来て」
「あぁ、それはもちろん。別に話しをできないからって友だちじゃなくなるわけじゃないけど、でもやっぱりこうしてしゃべってるとうれしいじゃん?」
「そ、そうかそうか、私もこうして話しをすることができるのは、うれしいぞ」
「あっ、やっぱ姐さんも? やっぱこう、楽しく喋れる相手って、うれしいよな」
「あぁ、それには同意する。友というのは、喜ばしいものだ」
「そう思ってくれてるなら、よかった。姐さん、二年になってから一年のときよりもずっと忙しそうにしてるからさ、なかなか時間取れないじゃん。休み時間とか放課後とか、いつも風紀で出ちゃってて」
「むっ、確かにそれはそうだな。私も二年になって小隊長に任命され、以前よりもそちらに時間を取られることが多くなった。しかしそれは、私にしてはうれしい忙しさでもある」
「…、しかしほんと、姐さんはいつでも輝いてるよなぁ。なんかこう、やりがいをもって生きてるぞって感じ、すげぇよ」
「? それではお前は人生にやりがいなどないとでもいうのか」
「いや、そうは言わないけど、でも姐さんはエネルギーが違うっていうかさ。姐さんが太陽くらいのエネルギー持ってるとしたら、俺なんてアルコールランプくらいだろ」
実際のところ、姐さんの言った通り、俺にだって人生のやりがいがないというわけではない。それでも、やはり姐さんの熱量には遠く及ばないと思う。俺は部活も委員会もやっていないし、日々を生きていくだけでかなりいっぱいいっぱいだったりするわけで、学生的な熱意はけっこう薄いと思う。
やっぱり、俺も高校生なわけだし、なにか部活とかするといいのかなぁ……。一年のときは広太との慣れない二人暮らしでそんな余裕はなかったけど、でも今は意外と余裕があったりする。それはアパート暮らしに慣れたというのが最も大きな理由だろうけど、それに加えてさらに、かりんさんが来たということもある。かりんさんがうちに来たことで、我が家の中における俺の受け持つべき仕事は八割方かりんさんに持っていかれてしまっているわけで、実のところ家での俺はかなり暇だったりする。
だからこそ、やろうと思えば部活を始めることには何の障害もなかったりする。あとはただ、俺が始めようと決断するだけであり、俺の一存によって俺の学校生活にもやりがいの炎をともすことが可能なのである。
「部活とか、どうかねぇ……」
「むっ、部活動を始めるのか、三木」
おっと、考えていたことが、どうやら口からもれてしまったらしい。これは自己完結させるつもりだったのに、しまったな……。
「あっ、いや、始めるって決めたわけじゃないけど、そういうのもいいかなぁって。部活とか委員会してるやつが、案外楽しそうにしてるから、ちょっと中てられた」
「別にいいではないか、今からでも始めれば。三木は料理が好きなのだから、家政部に入るのはどうだ。このクラスでは弓倉がそうだし、副担任の八坂先生が顧問をしているのは知っているだろう」
「あぁ、知ってはいる」
「それならば今からでも見学に行ってきてはどうだ。一人で行くのが恥ずかしいならば、私が付き添ってやってもいいぞ。家政部に男子部員はいなかったからな、そう思うのも無理はない」
「…、クラスでも男一人、部活でも男一人……。改めて、すげぇ状況だな…、女子高に一人だけ男子がいるみたいだ……」
「だからこそ、三木、お前はそういう状況に置かれているのだということを噛み締め、常々その行動には気を配るべきなのだぞ」
「ん~…、分かってる、つもり」
「それで、どうするのだ、家政部の見学にはいくのか? 行くならばすぐに行くぞ、もう活動は始まってしまっているだろうからな」
「…、姐さん、実はですね、俺、今まで部活動というものに参加したことがないのですよ」
「? それがどうかしたのか?」
「委員会とかも、一度もやったことなくてですね」
「そうなのか、それは珍しいな」
「そういった場で、どう振る舞えばいいか、全然分からないのですが、そんな俺でも行って平気でしょうか?」
「問題ない、そのために私が同行するのだ。それとも私の同行は不要か」
「滅相もないです。ぜひぜひ、いっしょに来てください」
「それでは、これから家政部の見学に行くということで構わないな。それでは行くぞ」
「ちょちょっちょ! ちょっと待って! とにかく、あの、ちょっと待って!」
「むっ? 待つのか」
見学に行くのはいい。姐さんがいっしょに行ってくれるのはとても心強いし、すげぇ助かる。でもちょっと待ってくれ、今すぐにいくとなると心の準備が出来ていない。部活を始めるというのは俺にとっては一大決心なわけであって、あんまりぱっぱと話しを進められては困るのである。
せめてもう少し時間をくれるか、状況の展開を俺のスピードに合わせてくれ。姐さんは自分のことでも他人のことでも決断の速度が速すぎるんだ。俺はそんなに強くないんだから、ペースは俺に合わせて落としてほしい。
「そ、そうそう…、急に見学に行ったらさ、部員の人もびっくりするだろうし、まずは弓倉に連絡してみて行ってもいいかを聞いてみないとだ」
「ふむ、それはそうだな。まさしくその通りだ。それでは電話をしてみることにしよう」
「お、俺がするから!!」
「それならば、頼むぞ」
「ぉ、おぉ、任せとけって!」
「…、かけないのか、電話」
「か、かけるって……」
「三木、分かっていると思うが電話をするには携帯電話を取りださなくてはならないのだぞ。見たところ、お前は携帯電話を携行してはいないようだが、かばんの中にでも入っているのか」
「えっ、なんで俺のポケットにケイタイ入ってないってわかるの? 透視術でも使えるの、姐さん」
「? そんなもの、ポケットの膨らみ方を見れば一目瞭然だろう」
「…、うん、姐さんには、当然なのかもね」
「その通りだ」
「あっ、そういえば姐さん、一つ聞きたいんだけど」
「弓倉に電話を済ませてからにしろ」
「いや、これはとっても重要なことでね」
「一刻一秒を争う話でもあるまい、まずはするべきことを済ませてしまえ。それからでも決して遅くはあるまい。それとも、一秒話すのが遅れると事故でも発生するような話しか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……」
「それならば、用事を先に済ませてしまえ」
「…………」
姐さんの言うことは正しい。まさしく正論だ。
反論の余地はなく、俺は黙るしかない。こんなことでビビってるなんて、思われたくはなかったから。
「…、三木、見学に行くのが、実はイヤなのか?」
「いや…、そういうわけじゃないんだけど……」
「それならば、どうして電話をしようとしない。そうして時間を引き延ばすことに、いったいどういう意味があるというのだ」
「それは、そうだけど……」
「イヤなら行かなくてもいい。私もそれを強要するつもりはないし、見学に行くのが今日でなくてはならないという決まりごともないのだからな」
「いや、行くのがイヤってわけでも……」
「それならば、三木はどうしたのだ。素直に今想っていることを言ってみろ」
「…、あの、えと…、ちょっと、心の準備をする時間が、ほしいです……」
「…、そうか、そういうことならば、待とう。心の準備ができるまで、話しでもしていればいい」
「ぁ、姐さん、男らしくないって言わないの……?」
「別に言わん。人間だれしも、初めてことに取り組むときは心の準備をするものだ。そのようなところに男らしいもらしくないもない。そういうときだって、あるものだからな」
「そう言ってくれると、助かる……」
「私もな、お前の性格も、少しは分かっているつもりだ。三木は、少し保守的なところがある。新しく踏み出すというのは誰しも不安になるものなのだから、お前は人一倍不安になるだろう。それならば心が落ち着くまで私が付き合ってやる。なに、友人のよしみだ、これくらいのこと、気にするな」
「姐さんには…、敵わねぇわ……」
「それでは話しでもして気を紛らわすのがいいだろう」
「べ、別に、お説教でもいいよ……?」
「なんだ、説教をしてほしいのか?」
「いや、してほしいってほどじゃないけど、さっきからずっとしてるし?」
「説教は、もういい。今日は十分にしたからな、これ以上は必要ないと判断した」
「そっか、それなら、いいんだけど。それじゃあ、普通におしゃべりしようぜ?」
「あぁ、それがいいだろう。そういえば、明日から体育祭の朝練を始めるそうだな」
「あぁ、そうそう。二人三脚ってやったことないからさ、練習しないとって」
「そうか、…、私も、朝練をした方がいいだろうな。やはりこういうクラスだ、高得点を取ることが可能な者が可能な限り稼がなくてはいけない」
「いや、姐さん、これ以上やること増やしたら死んじゃうよ?」
「なに、問題はない。少し睡眠時間を削ればいいだけの話し。鍛錬の一環だと考えればいい」
「…、姐さん、あのね、人間っていうのはしっかり睡眠時間を確保しないとどんどん活動できなくなってしまうという悲しい性質を持っていて、睡眠時間を削ってしまってはいけないのだよ。っていうか、姐さん、今もけっこう睡眠時間削ってるよね? きっと、俺が思っている以上に無茶な生活送ってるよね? それなら、ダメだよ、これ以上無理しちゃ。姐さんは朝練なんかしなくても日常の鍛錬だけで十分に鍛えられてるから、体育祭も楽勝だよ」
「なにを言う。鍛錬はすることに意味があるのであって、十分などというものはない」
「じゃあ、朝練は何時からするの?」
「むっ? 朝は風紀の活動の前に個人的にしている早朝鍛錬があるからな、その前にするとなると、朝の四時頃になる」
「早っ!? 姐さん、睡眠時間とれてないよ、それ、絶対。ダメダメ!! そんなことしたら身体の内面からぼろぼろになっていくよ!!」
「むっ…、そんなにダメなのか、私が朝練をするのは」
「当然だって。無理して怪我でもしたらどうするんだよ。俺は、友だちが怪我するなんてイヤだぜ」
「私の身体を、気遣ってくれるのか?」
「そりゃそうだって、友だちだろ、俺ら」
「心配、なのか?」
「もちろん」
「…、ふふっ、そうか…、そういうことならば、やめておくことにしよう。私とて、お前に心配をかけてしまうことは本意ではないからな」
「分かってくれてうれしいよ、姐さん」
とりあえず俺の説得により、姐さんは無謀にも日常鍛錬のメニューの中に朝練を加えようというバカげた考えを取り下げてくれたようだった。
常日頃、それこそ冗談みたいに身体を鍛えている姐さんなのだ、これ以上無茶をすればさすがに身体がもたないかもしれないではないか。女の子が、しかも友だちが怪我をするなんて、俺には到底耐えられそうにない心的負担だからな、そんなことが起こらないように全力を尽くさなくてはならないのだ。
いや、あるいは、姐さんのことだ、それをしても案外けろっとしているかもしれないけれど。