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Prism Hearts  作者: 霧原真
第一章
17/222

じゃんけんをしようよ!(2)

そして俺は、一度はポケットにしまってしまったそれをすばやく取り出して、本来の持ち主である志穂に向かって投げ返すのだった。

「早く穿きなさい! それから、もう少し無難なところから脱ぎなさいよ!」

「ダメだよ、いちどぬいだのはもう着ちゃいけないルールでしょ?」

「それじゃあ、少なくともそれは自分で持ってろ!」

「は~い」

志穂はそれを受け取ると、穿き直すようなことはなく、足元にぺすっ、と打ち捨てる。何度も言うが、自分を追い詰める方向性が間違っている。

確かに野球拳というゲームにおいて、どこから脱いでいくかということについては明確な規定はされていないことだろう。しかしだからといって一発目から、最後まで残すべきところを脱いでしまうのは、どうかと思うのだ。

あるいは、もしかして、最初からありえない選択をすることによって、俺に精神的な動揺を与えようとしていたのかもしれない。そうだとすれば、それは試みとして大成功だったといえよう。少なくとも、俺はその行為によって姐さんから正拳突きを受けることになったのだから。

「次は負けないんだから!」

「くっ…、まだやるのか……。仕方ない、次も俺が勝つからな!」

「よ~し、負けないぞ~!」

姐さんはまだ、この野球拳自体を止めようとはしていない。もしかしたら、「勝負」というワードの魔力に負けているのかもしれない。

なんだかんだと真面目で堅物なところのある姐さんだが、勝負とか決闘とか、そういう熱血ワードには弱いところがあるからな。本当にギリギリ、風紀委員として見過ごせない領域に到達するまでは止めてくれないだろう。

「次はもうちょっと無難なところを脱げよ! 上着とかな!」

「わかった~」

そうして第二戦である。いや、霧子がしたという一回目を加えれば、三戦目ということになるのだろうか。

負けられない戦いというよりも、負けたくない戦いである。姐さんからの鉄拳制裁を今しがた受けたばかりであることを考えれば、負けによって下される制裁までは、正直なところ受けたくない。

一日に二度もそんなこと、されたくないに決まっているのだ。

「はい! や~きゅぅ~、す~るなら! こういう感じにしなしゃんせっ! アウト! セーフ!」

じゃんけんとは、当然だが、グーチョキパーの三つの出し手で勝敗を決める遊びであり、その三つはいわゆる三竦みの状態である。グーはチョキに勝つ、チョキはパーに勝つ、パーはグーに勝つ、といったように。

何か一つの手、たとえばグーを選択したとき、単純に見て勝つ確率は三割強。しかし両者が同じ手を出したときにあいこになることを考えれば、一つの手で負けない確率は六割半ばを超える。つまり、じゃんけんとは、勝つより負けないようにする方が楽なゲームと考えることもできる。

そして仮にだが、相手の出し手を一つ可能性から消すことができたならば、負けない確率は十割である。たとえばチョキを封じたならばパーを出しておけば負けない、といった具合にだ。勝ちの確率を十割にすることは出来なくても、負ける可能性を無くしてしまうことはできる、それがじゃんけんというものである。

普通は二人の人間が思考の限りを尽くして、相手の癖などから逆算して、手を読み尽くして自らの手を決めるので、なかなかそういうことにはならない。自分でも気づいていない癖や、出し方の傾向を見極められてしまうと、もはや確率の通りにことは進まないのだ。

あるいは逆に、読み切ったと思っていてもそれが勘違いである可能性は否めないわけであり、底の浅い深読みでしかないことも往々にしてありうる。そのような思い込みもまた、事象を確率概念から乖離させる

機械が意思を差し挟まずに試行を繰り返したとしても必然として生じる、確立という思考理論の持つ性質である現実事象との乖離性が、人間二人による試行という不確実性を強めた場ではより顕著なものとなるのである。

「よよいの……」

そして俺と志穂のじゃんけん勝負は、概ね確率に依らないのである。俺は、志穂の癖を知っている。それも八割九割当てはまるほぼ確実なものを、である。

志穂は、連続でじゃんけんをするとき、前に出した手を連続で出すことを避ける傾向にある。同じ手を出したら負けると思っているのか、あるいは連続で同じ手を出すのが反則だと思っているのかは知らないが、その傾向はほぼ確実なものだ。

もし一回目にグーを出したとき、二回目にも連続してグーを出す確率が、志穂の場合は極端に低い。連続で同じ手を出してくる確率は、もしかしたら一割にも満たないかもしれない。

それゆえに俺は、志穂とのじゃんけんの勝敗をある程度操作することができるのだ。勝ち過ぎては自分に何か癖があるのではないか、と疑われてしまうから、適度に負けてやることが重要なのであるが、それも癖から逆算してやれば容易なことである。

あと、一発目の勝負にはそれを使うことはできない。あくまでも連続で勝負したとき、というパターンにおける癖でしかないからな。

「よいっ!」

さっきの勝負、志穂はグーを出したので出す確率が高いのはチョキとパー。故に俺はチョキを選択。チョキを出しておけば、負けない確率が非常に高くなる。

何度も言うが、この戦いは、出来るだけ負けたくないのだ。

振り下ろされた手は、人差し指と中指を立てた、チョキ。両者ともにチョキ、あいこ。

「よよいの、よいっ!」

チョキの次はパー。迷わず俺はそれを選択する。

「っし! 勝ったぁ!!」

志穂の選択はグー。グーとパーならば当然グーの負けである。

「脱~げ、脱~げ!」

「うぅ~……、負けた~……!」

今度こそ、志穂は上着を脱ぎ捨てた。できれば一枚目からそこを選択してほしかったが、今さらである。

「よ~し、そろそろギブアップしてもいいんだぞ?」

「しないもん!」

「えっ、しないの? ま、まぁ、まだくつ下とかタイとかも残ってるし、そうか……」

くそっ、ギブアップしないのならば仕方ない。ギブアップするしかないところまで追い込んでやるぜ。

「ギブアップしたくなったら、いつでもしていいんだぞ?」

「次は勝つからいいの! みんな勝つもん!」

「そうか、がんばれよ」

志穂が俺に一勝すること自体は、そう出来ないことではない。パターンが崩れれば、たしかに一回や二回負けることはあるだろう。しかし連戦連勝することができるかといえば、それは無理だ。

志穂はまだ、自分の手の出し方の方向性と傾向に気づいていない。そんな中で、十回に一度程度見せるパターンのブレくらいで、俺を打倒することはできないのだ。

俺に連戦連勝して完膚なきまでにやっつけたいんだったら、その自分の癖を利用して俺を翻弄するくらいでないといけない。手なりでじゃんけんしているだけでは、絶対、間違いなく、俺から連戦連勝することなど出来ないのだ。俺たちの戦いは、すでに確率に左右される段階を超越しているのだから。

仕方ない、あと二回くらい勝ったら、一回くらい負けてやるとするか。あんまり勝ちすぎると流石に怪しまれるかもしれないからな。

「ゆっきぃ、つぎまけたら五枚ね! 五枚ぬぐの!」

「はっ? 五枚? なんで?」

ここで、志穂からありえない提案が投げつけられる。まさかのレートアップ。しかも倍ならまだしも、一気に五倍。負けたら五枚脱ぐ、五倍勝負を突きつけてきた。

それは、五回分の勝負を一度に凝縮すること。勝負の濃度を一気に高めること。

「なんでも! じぶんをおいこまないとダメなの!」

「まぁ、別にい……」

いや、待て、少し待て。受けるのか、この勝負。

いいだろう、と言いかけて、無意識にその思考に制止がかかる。五枚といえば、それは俺の全ライフポイントであると同時に、志穂も上半身か下半身のどちらかを衆目にさらさざるを得ない枚数だった。

待て待て、冷静に考えろ。ここから五枚というと、まずタイだろ、くつ下左右だろ、シャツで四枚だから…、そうだ、間違いない、残っているのはスカートと上の下着だけだから、そこから一枚脱ぐとアウトだ。

くそ、この小娘、なんて追い込み方しやがる……。一般常識から考えて、女の子の肌を徒に衆目にさらすことはよしとされない。当然俺も、そんなことが目の前で行なわれるのは看過できない。

しかもそれが、俺のかかわっている状況の下で行なわれているのならば、なおさらそうである。

五枚はダメだ。四枚ならまだしも、五枚はダメ。こいつは、勝負事で負けたとなったら、何としてもその罰ゲームは実行する。それは自他を問わず、問答無用で実行するのだ。故に、脱ぐ。負けたとなれば、全裸になろうがなんだろうが、絶対に脱ぐのだ。

それはいけない。ここで求められるのは、平穏な解決でしかない。そもそもこの勝負に持ち込んだのだって、霧子と志穂の対決という構図では後半になればなるほど俺が介入できる余地が狭まってくると見込んで、早々に勝負自体を肩代わりしたというだけなのだ。

別に志穂を全裸にしたいとか、そういう目的で霧子から勝負の場を奪い取ったわけではないのである。八方丸く収めるために、まぁ、あったとしても俺以外のどこにも痛みがないように、状況を収拾するために俺はこの場に昇ったのだ。

こんなチキンレースみたいなこと、認めるわけにはいかない。しかし志穂が言いだしたことだ、その意思の強さを考えると無下に突っぱねるということもできない。となると説得するよりも妥協させるしかない。

妥協ラインは、四枚。四枚ならば、ギブアップするだけの猶予を与えることができる。流石の志穂も、上の下着とスカート(下は穿いてない)という状況になれば勝負自体から身を引くはず。ギブアップだって、仕方なしにすることだろう。

「ご、五枚は、ダメだ! 賭けるのは四枚までにしろ!」

「? なんで?」

「五枚だと、俺が一回でパンクする。そんな賭けは、受けられない。四枚なら、まだ一枚残るだろ?」

「でも、ぎゃんぶるはそういうものだってししょ~がいってたよ」

「いや、それは、そうかもしれないけど……」

「やるときはとことんやりなさいって」

「くっ……、それも、そうだな……」

「やるならごまい、だよ!」

マズい、正論だ。言い返せない。

ギャンブルというのは、本来そういうもの。

厚く張るべきときというのは、存在する。ギリギリまで自分を追い込むことによって、初めて見えてくるものというのは、絶対に存在しているのだ。

それは、神憑り。ありえない確率をその身に引き込む、言ってしまえば奇跡のようなもの。

しかし負ければおしまい。厚く張っても、負けてしまえばおしまい。神憑り的に何かを為したとしても、それでも敗北し得る。それがギャンブル。

そういう不確定的なものに身を任せる、それがギャンブルの本質。

死ぬときは、無為に死ぬ。それこそがギャンブルなのである。

そんなギャンブルの気配を読み解くとしたら、厚く張るべきは、今。それが今、このときであろう。

このままやっていてもジリ貧だと、本能的に察知したのだろうか。俺を倒すには神憑りの一撃を通すしかない、と判断したのだろうか。

その一撃は、今しかない。自分は限界まで追い詰められるが、しかし勝てば相手が死ぬ、その状況に挑める最後の瞬間こそが今なのだ。

確かに、二連敗している今、客観的に見て流れはよくない。よくない流れのまま、そこにいずれかが死ぬギャンブルを持ち込めば、死ぬのは間違いなく自分。高確率、いや、ほぼ間違いなく、自分なのだ。

しかしその無茶が、断崖の縁まで自分を追い込むめちゃくちゃが、何かを呼び込む。その狂気が、全てをフラットまで平均化するのだ。

「……、っく……!」

そういう意味で、これはやっていること自体はお遊びの野球拳でしかないが、この無茶によって本質的な、ギャンブルそのものへと昇華した。そしてここまで己を追い込む志穂に、次の勝負、なにが起こるか分からない。下手をすると、わけも分からないうちに俺が負かされる可能性も、なくはない。

さっき志穂が出したのはグー。故に、俺はチョキを出しておけば安定して戦いを行なうことができる。しかし、それでも何かの間違いで負けてしまうことも十分にあり得る。

それならば行くべき。迷うことなど、必要ない。

しかしここから先は、確率も可能性も、法則すらもねじ曲がりかねない意志の世界。志穂ならば、裂帛の気合だけで全てをかき消してしまいかねない。

勝ちたい、負けたくない、という強い思いが、決して絶対ではないが、常識を捻じ曲げる世界。

「五枚でしょうぶ! しよ!」

しかし勝ってしまえば、志穂は全裸にほど近い状況まで追い込まれることになる。それはそれで、よくない。

そもそもからして、俺はそれを望んでいないのだ。

くっ…、俺はどうすればいい。

というか、そろそろ姐さんが止めてくれないか…、いい加減に、校内風紀的にまずいところまで話が展開してきてるぞ?

「…………」

しかし姐さんは、俺と志穂の様子を固唾をのんで見守っていた。話に割って入るとか、そういう発想自体がそこには存在していないようだった。外からの助力は、あまり期待できそうもない。

「どうするの、ゆっきぃ!」

「俺は、その勝負……」

俺は選択する。選択するしかない。

それが、種々選択した結果としてそこにあるならば。

拒むは理性。受けるは漢気。

提案を拒み、薄まったギャンブルを続けて勝ち逃げするのは理性。

しかし、勝ち波に乗っている今、少しムチャに思える提案も聞いてやるのが漢気。

どちらを選択すれば正解かと言えば、それは間違いなく前者である。状況的にレートで妥協させることができないならば、勝負そのものに乗らないのが賢い選択なのだ。しかしそれでいいのか、と問われれば、俺は沈黙せざるを得ない。少しのムチャにも乗ってやれないというのは、これがあくまでお遊びでしかないということを考えれば、己の狭量を晒すことになるのだ。

それは自分の器の小ささを露呈させることで、気風の悪いところを見せることにほかならない。それでいいのか、という自分が、確かに心の中にはいるのだ。そんなことをするのが、気持ちのいい漢の生き様とは思えない。危ない橋の一本や二本、渡れずして漢と言えるのだろうか。

拒むは理性。受けるは漢気。

俺の選択は……。

(2)でも終わらなかった。(3)へ

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