二人三脚のパートナー
「ところで姐さん、一つ聞きたいんですけど、質問してもいいでしょうか?」
「なんだ、それは私がお前に説教をすることよりも重要なことか?」
「…、俺としては、それなり以上に重要なこと。もちろん、姐さんがこうして俺に説教をしてくれるっていうのはうれしいっていうか、うん、もちろん一番重要なことは姐さんが俺のために説教してくれてることだよ」
「そうか、それならば聞かなくていいな、そのようなこと。お前にとってより重要なことである私からの説教を優先的に行なっていくことにしようではないか。お前も、それがうれしいだろう、この変態めが!!」
「あれっ!? 変態にされた!?」
「黙れ!! お前が変態でないならば誰が変態だというのだ!!」
「変態は、世にはびこってるよ、姐さん」
「…、確かに、それはそうかもしれない。訂正しよう、お前は世にはびこる変態、もといクズの一人だ。この、変態っ!!」
今は一時間目と二時間目の間の休み時間。俺は今朝の失態(と思われる悪ふざけ)の代償として姐さんのアグレッシブな説教をこの身一身に受けていた。具体的には、椅子の上に立っている姐さん(上履きは脱いでいる)の前で頭を垂れて粛々と正座している俺という構図なのだが、実はこれ、いつもよりも若干厳しい体勢だったりする。いや、厳しいといってももちろん、姐さんはただお説教をしているだけであって拷問吏のようなことはしないわけで、こう、精神的に圧迫されてる感じ?
特にきつく感じるのは、俺が正座して姐さんが椅子の上に立っていることで生じる圧倒的な視線の高さの違いである。おそらく一メートル近く上から見下ろされているわけで、正直今までこんなに見下されたことはないため若干戸惑っている。そしてわずかに目を伏せている俺の目の前にちょうど姐さんの黒ソックスがあり、おそらくこのまま顔を上げ目線を上向きにしてやれば姐さんのスカートの中を覗き込む形になるだろうことは高確率で明らかだった。
いや、そんなことしないんだけどね。女子のスカートの中に興味があるかと言われれば、そりゃ俺だって健全な高校生男子だから否定はしないけど、でも今そんなことをしてしまえば、というかそんなことをする予備動作を見せただけでも姐さんの黒ソックスに包まれた御々足が俺の顔面に突き刺さることだろう。俺としては、興味はあっても痛いのはイヤなので、ここは何もしないを選択するのが正解だろう。
「まぁ、しかし、どうしても聞きたいというのであれば聞いてもいいぞ。寛容の心で聞いてやろう」
そして姐さんは椅子の上で立つのをやめてそのままその椅子に腰かけ脚を組むと、傍らの机に肘を突いてあごを乗せて、物憂げな表情で俺のことを軽く見下ろすのだった。普通はこんな座り方をしたら、床に正座している俺にはスカートの中のものが余裕で見えてしまうんだろうが、しかしそこは姐さん、絶妙な脚の組み具合で見えそうで見えない演出を忘れない。というか、それは逆にエロいのではなかろうか。
それから姐さんはその黒ソックスの足を俺に向かってスッと伸ばすと、俺の頭部がその射程内にあることを明示するためか、フワリと優しく微笑んでから俺の顎先に二三度ペチペチと軽く打ち、そして器用に頬を撫でるのだった。もしその脚が思い切り繰り出されたとしたら、おそらく俺は数分の間床を転がって悶絶することになるだろうことは明らかだった。
というか、その優しい表情が、俺としてはむしろ怖かった。でもどうしてだろう、怖いと感じているのに、なんかドキドキしてる俺がいる。何この気持ち、痛みへの恐怖とかじゃないんだけど。もしかして、いつの間にか俺、足フェチに目覚めたのか……? それは、ほんとに変態じゃないか……? …、あぁ、でも姐さんの足、ソックススベスベしてるし、筋肉と脂肪のバランスが絶妙にやわくて、なんか気持ちいいかも……。
「っ!? 三木!! 脚にほおずりするな!!」
「…、はっ!? ごめん、姐さん…、血迷った……」
「ま、まぁ、いい…、私も、ついな……。そ、それで、聞きたいこととは、何だ……?」
「あっ、うん、すまんかった、姐さん。あのさ、体育祭で俺、二人三脚に出ることになってたと思うんだけど、誰とペアになってるかとか覚えてる? 俺、出場種目決めるとき不貞寝してたから見てなくて」
「むっ、そうだったのか。しかし三木、分かっていると思うが、いくらお前が参加することのできない話し合いだったとしても、それは寝てもいいということではないのだぞ。いかにお前が参加できないとしても、それが授業時間中に行なわれていることは確かなのだから、真面目に参加していなくてはならないのだ。今こうして、自分の参加種目について分からないことが出てきてしまうのも、それが原因ではないか」
「反論の余地もないほどに正論なんだけど、でもあのときは拗ねたかったんだよ。分かってくれとは言わないけど、見逃してください」
「…、そうだな、過ぎたことをぐちぐちと言っても始まらない。それよりも今は、より着目すべき現在を見据えることにしよう」
「そうしてくれると助かるよ、姐さん」
「それで、二人三脚のペアが誰だったかだったな」
「そうそう、あっ、もしかしてペアって姐さん?」
「いや、私ではない。二人三脚が行なわれる時間はちょうど私の小隊が風紀の場内巡視担当になっているからな、時間的に参加することは出来ないんだ。下に仕事を押し付けて、上が競技に参加するというわけにもいかないだろうからな」
「まぁ、そうだよな…、それは仕方ないか。でも、そっかぁ、姐さんとペアだったら、きっと楽だったろうにねぇ……」
「それは、どうしてだ?」
「だって姐さん、きっと俺と息が合うやつの中では一番ちょうどいいじゃん。霧子は背が近いからやりやすいけど運動神経切れてるし、志穂はめっちゃ脚早いけど背ちっこいし。そう考えると、少し背の高さは同じくらいってわけにはいかないけど、運動神経よくてきっちり息合わせられてってなると姐さんが一番いい。でもお仕事あるっていうなら仕方ないか」
「そうか、三木は二人三脚は私と組むのが良かったのか。うん、そうか、うんうん、私とて、出来ることならばそうしてやりたかった。しかし私にも仕事というものがあるからな、仕方ない。ここは涙をのんで諦めてくれ、三木」
「あぁ、そういうことにするわ。まぁ、ムリなもんはムリだよな」
「…、待て、どうしてそんなにあっさりと諦める。お前は、私と組むのが一番いいのだろう。それならばもう少し粘り強い交渉をしてみようとは思わないのか」
「いや、確かにそうすることができたらいいかもしれないけどさ、でもムリなもんはムリでしょ? 姐さんにムリさせるっていうわけにもいかないし、そんな俺の事情で姐さんに迷惑かけるのもダメじゃん」
「ま、まぁ、そうだな。それが一般的に見て正しい選択だろうな」
「だからさ、残念だけど姐さんに迷惑はかけられないから、ここは涙をのむことにするよ。決められたスケジュールを変更させるのも大変だろうし、姐さんの部下の人に迷惑かけることにもなりかねないからさ」
「そう…、だな……」
「? 姐さん、どうかしたの?」
「…、まぁ、私と組みたいというのは…、嘘ではあるまい……。今はそれだけでいい……」
「…、姐さん……?」
「…、期待させるだけ期待させて……。いや、なんでもない。三木、お前とペアになっているのは真田だ」
「真田? あぁ、真田、幸村か。あの、戦国武将の」
俺のペアは真田幸村らしい。真田幸村というのは、実は俺の隣の席――通路を挟んで隣なので、ちょうどメイの逆側の席に当たる――だったりする。背は姐さんとそう変わらないほどで女子の平均身長くらい。髪は耳に軽くかかるくらいのセミロングで、前髪を全部持ちあげるヘアバンドをいつも身につけている。一番の特徴は右の目尻のところにある泣きぼくろだ。
高名な戦国武将である真田幸村と同姓同名だが、しかし外見や性格はあくまで女子っぽい女子で、名前の持つ雄々しさにはそれほど近くない。またどこかの運動部に所属しているらしく、運動部連中とよくおしゃべりをしているのを目にする。俺はあまり運動部方面に知り合いが多くないので、その話の輪に入っていくことがなかなか出来ず隣の席でありながら未だまともな会話を果たしていなかったりする。
まぁ、それはご近所との会話というと無難にメイをチョイスしてしまう俺の怠慢が招いた事態かもしれないが、なに、これを機会に交友を広げていけばいいじゃないか。なにごともポジティブに考えないといかんよな。
「三木、本人の前でそれを言うんじゃないぞ。本人もかなり気にしているんだからな」
「えっ、気にしてるの? なんでよ、かっこいいじゃん、真田幸村。俺も、そういう見るからにかっけぇ名前がよかったよなぁ」
「女子が、そんなに雄々しい名前を喜ぶと思うのか。とにかく、本人に戦国武将がどうのと言うんじゃないぞ。傷つけることにもなりかねないからな」
「わ、分かったわ、気をつける。しかし、真田かぁ…、あんまりしゃべったことないんだよなぁ……」
「む、そうだったのか? お前は女と見れば見境なく話しかけるのかと思っていたが、そんなことはなかったのだな。意外だ」
「姐さん、それはちょっと、認識としてひどすぎません? 俺、そんな見境なくないよ? 女子がそこにいるから話しかけるなんて、むしろそんなことあんまりしてないはずだよ」
「私は、そうは思わないが。まぁ、いい。とにかく、お前は真田と二人三脚のペアになっているからな。きちんと覚えていろよ」
「…、了解」
「さぁ、それでは説教の続きをしようか」
「いや、姐さん、悪いんだけどお説教はちょっと待ってくれ。俺は出来るだけ早めに、真田によろしくお願いしに行かないといけないんだ。決まったのが昨日だから今さら感しかないかもしれないけど、でもそういうところはきちんとしといたほうがいいと、姐さんは思わんかい?」
「ふむ…、なるほど、道理だ。いいだろう、三木、今すぐ真田によろしくお願いしてこい。きちんと、遅くなって悪かったと謝るのだぞ」
「もちろん、分かってるぜ、姐さん。任せといてくれ、そういう気づかいとか思いやりとかは、俺の得意分野だからな!」
「不用意なことを言って真田を傷つけるなよ、分かっているな」
「ばっちりだぜ、姐さん!」
それではいざ行かんと立ち上がり、そして振り返った俺だったのだが、
「三木くん、なにか呼びましたか?」
真田は俺の後ろに立っていた。しかしこれは別に不思議なことではなく、真田の席は俺が正座しているところから机三つも離れていないところにあるわけで、ぶっちゃけていうならば今の話も全部真田に聞こえていたとしてもおかしくはないのである。
「なんだか、真田って言われた気がしたんですけど、気のせいでしたか?」
「気のせいなんかじゃないぜ、真田。俺と真田、体育祭で二人三脚のペアになったって今姐さんに聞いてな、これはよろしくお願いしないといけないと思ってな、今ちょっと真田のところに行こうとしてたんだ」
「そうだったんですか、それはちょうどよかったみたいですね。あたし、今少しお手洗いに行ってたんです」
「あぁ、そうだったのか、それは本当に、ちょうどいいタイミングで戻ってきてくれたんだな。というわけで、体育祭はよろしくな、真田」
「こちらこそ、よろしくお願いします、三木くん。二人三脚だって、一位になればその分の点数がもらえるんですからね、がんばりましょうね」
「あぁ、それでな、練習とかするか? 俺としてはどっちでもいいんだけど、真田がやった方がいいと思うんならやろうと思うんだ。実は二人三脚ってやったことないからさ、練習した方がいいのか分からないんだよ」
「あ~…、実はあたしもやったことはなくてですね……。でもやっぱり、二人の息を合わせないといけないから練習はした方がいいと思うんですよ。たぶんあの動き、簡単そうに見えて難しいでしょうから」
「そっか…、じゃあやった方がいいかもな。それじゃさ、放課後にでもどうだ? ちょっとだけ試しにやってみる感じで」
「あっ、ごめんなさい、放課後はすぐに部活が始まっちゃうんです。だからやるなら始業前に朝練をするようにしてほしいんですけど、ダメですか?」
「あぁ、それでいいぜ。朝連は、何時からがいい?」
「あたしは何時からでも平気ですよ。朝はどちらかというと早起きな方ですから」
「そうか…、じゃあ七時からでいいか? それくらいからやれば、休みを挟み挟みいってもそこそこ練習できると思うんだ」
「分かりました、それじゃあ明日の朝七時ですね。その時間で待ち合わせですよ、三木くん?」
「おっけ、了解。それじゃ、そういうことで」
「はい。あっ、もう二時間目が始まっちゃいますね」
「おぉ、ほんとだ…、そんじゃな。姐さんも、また次の休み時間に」
「あぁ、そうだな、また次の休み時間に、説教の続きをすることにしよう」
「お手柔らかに、よろしくお願いします」
とりあえず、今この場でのお説教は免れたが、しかしどうやら根本的にゆるされたというわけではないようだった。まぁ、自業自得なんだから甘んじて受けよう。