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Prism Hearts  作者: 霧原真
第十三章
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俺の関知しない会話

「弥生さん、買ってきた晩飯の食材って、この冷蔵庫の中のビニール袋でいいんですよね?」

「ん? あ~、そうそう、そのスーパーの袋に入ってるのがおねえさんの買ってきた食材たちだよ」

「豚肉と…、キャベツ、なす、にんじん、ピーマン、きゅうり。…、弥生さん、いったいなにが食べたくてのチョイスですか。なんか、とりあえず目についた野菜を買ってみたけど、物足りなさそうだから肉買ったみたいな感じの気がしてならないんですけど」

「うん、まさにそのとおりだよ、ゆき。まぁ、でも、それだけあれば野菜炒めくらいは出来るよね。おねえさんは野菜炒めがあればそれでいいよ」

「いや、別に野菜炒めに限らず、これだけあれば何かしらできますけど…、分かりました、別に何か食べたいものがあって買い物したわけじゃないんですね」

「うん、そうそう。なんていうか、ゆきにお任せするよ!」

「最初はいろいろ考えながら買い物してみようと思ってたけど、でも最終的にはめんどくさくなっただけでしょ、どうせ。まぁ、分かりました、そういうことなら、こっちで勝手に料理しちゃいます」

「ほんじゃゆき、よっろしくね~。だいじょぶだよ、おねえさんはゆきのつくってくれたものならなんでもおいしく食べれる自信あるから」

「…、俺の料理がおいしいっていう褒め言葉だと、思っておきますよ。まぁ、一時間もしないで出来ると思うんで、ちょっと待っててください。あっ、そういえば、ご飯はどうするんです、白い飯は」

「白いご飯は、ゆきが前に炊いてくれたのが冷凍庫の中に玉になって眠っているのだよ。それを一人一個解凍して食べちゃうのだ」

「そうですか、それじゃあ新しく炊かなくてもいいんですね。うし…、んじゃ、さっさとつくっちゃいますか」

「楽しみにしてるよ~、ゆき。まぁ、ないと思うけど、おねえさんにお手伝いできることがあったらなんでも言ってね」

「このキッチンだったら、俺一人で全部やっちゃった方が楽ですから、そっちで俺の邪魔しないようにのんびりしててください。それが間違いなく、一番のお手伝いですから」

「おっけ~、何もしないでのんびりしてるのは得意じゃないけど、がんばるよ~」

「…、テレビでも観ててください」

「あ~、確かに報道ステーションがもうじきはじまるね。観ないといかんですよ」

「へぇ、弥生さん、ニュース観るの好きなんですか? さすがは大学生ですね」

「ん~、ニュースって、昔っからなんとなく好きなんだよね~。家で観るのも大抵NHKだし」

「そうだったんですか、勉強熱心ですね」

「勉強熱心ってわけじゃないよ、ただぼんやり観てるだけだからね。ニュースを観て何か知りたいことがあるわけでもないし…、言っちゃえば情報を浴びてる感じなんじゃないかな~。まぁ、暇つぶしだけど」

「暇つぶしなら、別にエンタメでも観てればいいのに、物好きですね」

「ん~、でもおねえさんは昔からそんな感じだからね~。習慣みたいなもんだよ」

「それなら、まぁ、そもそも俺が口出すことでもないですし。とりあえず、すぐにつくっちゃいますんで、ちょっと待っててくださいね」

「ほいほ~い」

と、いうわけで。

「さて、飯つくるか……」

別にしなくてもよかった約束(晩飯を弥生さんにつくってあげるという、アレ)によって、俺はキッチンに立っていた。せっかく今日一日溜めていた料理力をこんな形で発散させることになるとは思わなかったが、仕方ない、事の成り行きに従って動くことにしようではないか。

まぁ、本来ならここは、晴子さんのために全ての料理力を振るい、その残りでもってして弥生さんと都さんに晩飯を振る舞うつもりだったのだが、しかし俺は晴子さんのために腕を振るうことが出来なかった。それならば仕方あるまい、この身に溜めこまれた一日分の料理力をここに集約させるしかあるまい。やっぱり一日に一回は料理しないとダメだよなぁとか、最近地味に料理する頻度が減ってきていて、しみじみ思うのだ。

「まぁ、これだと野菜炒めが一番無難だけど…、でもただ炒めるだけってのも……。ん~、味噌炒めにするか。あと、きゅうりは箸休めの浅漬けだ」

やることさえ決まってしまえば、料理というのは比較的シンプルな作業だ。料理という一連の作業の中でクリエイティブなのは最初と最後、つまりなにをつくろうと考えたりどう盛りつけようと考えたりするところだけで、他はすべて切るだの焼くだの煮るだのの作業が組み合わせられているだけなのだ。まぁ、その単純な作業をどのようにするかというところでもクリエイティブな感じがなくはないのかもしれないが。

「まずは浅漬けの処理からするか」

きゅうりはだいたい三ミリくらいの薄さで均等に輪切り。そしてそれをボールに移して塩と顆粒の昆布だしを振りかけて軽く揉む。少ししんなりしてきたら細切りにしたしそと合わせてビニール袋に入れて口を縛り、冷蔵庫に投入。料理が出来上がるころにはちょうどいいあっさりした箸休めが出来上がる。きゅうり二本分つくったから明日に半分くらいは明日に持ちこすことになるだろうけど、一日経ったとして、それはそれで味が染みてていい酒のつまみになることだろう。

「…、しまった、無意識で酒のつまみになりそうなものをつくってしまった……。弥生さん、断酒とか言ってたのに、マズいかなぁ……。…、まぁ、いらないって言われたら明日の朝飯だな」

弥生さんに何かをつくってあげるということは、それはすなわち弥生さんの酒のつまみを用意してあげることと直結することである。それに、本来だったら弥生さんの晩飯というのは晩酌と同じなのであって、酒メインの飯おまけみたいなところがあり、そんなわけで俺もむしろご飯的なものよりもつまみ的なものをつくることがほとんどだったのだ。

だからこそ、というとおかしいかもしれないが、今もぼんやりとつくっていたら飯の箸休めというよりも酒の箸休めに近いものをつくってしまったではないか。まぁ、別に飯の箸休めとしても問題はないのかもしれないけど、でも実際、弥生さんの酒のつまみの心配をしている俺がいるのも同様に確からしい。う~ん、俺は弥生さんのつまみをつくることにはあまり積極的ではないというか、正直言うと少しは酒の量を減らせよとか思っているわけで、この無意識的な反応は決して本意ではない。しかし習慣とは恐ろしいもので、頭の中で思っていることとは反することであっても、「弥生さんに料理をつくる=つまみをつくる」の公式が頭の中で出来あがっているということなのかもしれない。

「いや、酒のつまみをつくっちゃうっていうか、けっこういろんなものが酒のつまみとして通用するというか、ちょっと濃いめの味付けだったら酒のつまみになっちゃうのがいけないんだろ。うん、前に弥生さんも、厚揚げの煮付けとか茄子の煮びたしとか、そういう普通の和風っぽいおかずも酒のつまみになる、みたいなこと言ってたし、俺の思考が偏ってるんじゃなくて、酒飲みの嗜好が普遍すぎるに違いない」

…、うん、まぁ、なんでもいいか、そんなこと。俺は黙って好きなように好きな料理をつくることにしようじゃないか。多少野菜はキライかもしれないけど、それでもなんだかんだと残さずに食べてくれるところが弥生さんのいいところなのであって、それが生来の性格に因るのか酒のみであるところの性質に因るのかなんて、それこそ些細なことではないか。

そんなこと気にする必要など、ありはしないのだ。

「次は、なすと豚肉の味噌炒めだ」

というか、あんまり時間をかけるのも悪いよな。九時には帰ってくるって言ってたのに、実際には30分も過ぎちゃってるわけだし、これ以上待たせたらさすがに申し訳ない。というか、それ以上に、あんまり遅い時間までうちの中をうろうろされるのはあんまりうれしくない。出来るなら11時になる前には食事を終えて帰っていただきたいところだ。

「ちょっと、集中するか……」

本気で集中すれば、おそらく味噌炒めくらい30分もかからずにできあがる、はずだ。大丈夫、今日一日料理力を溜めに溜めた俺なのだ、一日分のパワーをすべて解放すればそれくらいのこと、わけないぜ。

「あっ、そういえば、都ちん」

リビングの方からニュースの声とか弥生さんたち話し声とかが聞こえてくるけど、でもそんなのは無視無視。別に俺に対して話しかけてるわけじゃないんだから、そんなところに注意を払う必要などないのだ。晴子さんに鍛えられた料理力、今ここでこそ発揮して見せようではないか。とりあえず、絶対にうまいって言わせてやる!

「どうしたの、やよちゃん。コミュニケーション取りたいなら、せめてテレビの画面から視線を外してくれないかしら?」

「そういう都ちんこそ、トレス台の上の原稿から視線を外そうよ。大丈夫だよ、そんなに穴が空くほど見つめなくっても、都ちんのひいた直線も曲線も、肉眼で見る限りはゆがんだりしてないよ」

「ダメよ、そんなこと言ったって騙されないんだから。きっとどこかが歪んでるはずよ。だって描いたのはあたしなのよ、どこも歪んでないなんてありえないことよ。絶対どこかしら、少なくとも一か所は歪んでるの」

「も~、そんなこと言ってるから、都ちんはいっつもギリギリライフなんだよ。もう少し妥協していかないとダメだよ、いろんなところで」

「ダメよ! どうして妥協した原稿なんて雑誌に掲載することができるかしら! だからあたしは、あんまりたくさん連載を抱えることができないのよ!」

「え~、でも月に六本も連載してるって多いんじゃないの? その辺の業界事情みたいなのは、あたしはちょっと分からないんだけど」

「確かにここ一年くらいで、だいぶ作業速度が上がってるわ。かなりいろんなところが楽になってるから、そのことは間違いないのよ。本当に、庄司くんには足を向けて寝られないわ」

「私など、ほんの少しだけ先生のお手伝いをさせていただいているに過ぎません。先生の作品は、すべて先生が考えられたものではありませんか。私はそのお手伝いをすることができることを、光栄なことだと思っています。感謝など、なさらないでください」

「いや、でも、本当に、庄司くんには感謝してるのよ。あたしが下書きとかトレス下絵を入れている間に部屋の掃除とかお茶の支度とかの家事全般してくれるし、買い物とかも頼めばあっという間にばっちりしてくれるし、あたしが人物のペン入れしてたら同時並行くらいで背景入れてくれるし、消しゴムもホワイトの修正もプロかと思うくらい上手いし、ここ半年くらいは仕上げ工程も八割以上受け持ってくれてるからあたしは人物のペン入れが終わったら次にやらなきゃいけない別の連載のプロットの構成に入れるし、もう庄司くん一人でアシスタント五人分くらいの働きをしてくれてるの。それでいてアシ代は一人分とちょっとしか受け取ってくれないで、ほんともう、結婚してほしいくらいよ」

「都様、申し訳ありませんが、結婚をすることはできません。ですが、お断りするお詫びとして、これからも一層都さまの力になることができますよう、精進させていただきます。つきましては、また都様のお時間をいただきまして、トーンワークとベタフラについて御指導をいただければ幸いです」

「庄司くんには、もうあたしから教えることなんて一つもないわ。もうね、他の先生のところにも胸を張って送り出すことができるくらい庄司くんの技量は上がってるのよ。現に、今やってる原稿の担当もね、背景アシとして他の先生のところに来てほしいから紹介してってしぶといのよ。まぁ、そんなこと庄司くんにさせるわけにはいかないからね、きっぱりお断りしてるけどね」

「へぇ、なんかひろも大変なんだねぇ。…、あれ、ってことはさ、都ちんは、けっこう余裕あるの? それにしてはいつもいっぱいいっぱいになってる感じがするんだけど?」

「余裕なんてないわよ、あるわけないじゃない」

「でもさ、作業効率が上がってるっていうんだったら、当然余裕は出てくるはずだよ。だって、単位時間当たりの仕事量が増えてるんだから、根本の仕事総量が変わってないなら単位時間が減るはずじゃん」

「? 作業効率が上がったら、当然新しい連載が入るでしょ? 庄司くんが手伝ってくれてるから、あたしは月刊連載を六本も抱えていられるのよ」

「…、そっか、都ちんはドMなんだね」

「ちょっと、やよちゃん、どうしてそんな結論が出てくるのよ! おかしいでしょ!」

「そこでピンとこないってことは、都ちんはかなり潜在的なMなんだよ。でもそっか…、都ちんを見てる限りマンガ家ってどっか自分を追い詰めるところがあるっぽいし、都ちんには似合いのお仕事なのかもしれないね……」

「やめて! あたしはMなんかじゃないのよ!」

「自分がMっぽい状況に置かれてるって、気付けないのが特にMっぽいんだよ」

「そんなことないわ! 撤回を要求するわよ!」

なんだかよく分からないが、リビングの方が騒がしい気がする。いかんいかん、集中するんだ、俺。外の音に惑わされるな。俺が今しなくちゃいないのは可及的速やかに今つくっている晩飯を仕上げることであって、それ以外の何ものでもないのだから!

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