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Prism Hearts  作者: 霧原真
第十三章
162/222

おうちに帰ってきて

「うぉ、カギ開いてるし!? …、あぁ、弥生さん、中にいるのか…、忘れてた……」

天方さん家にかりんさんを紹介するというミッションをなんとかクリアした俺は、少なくとも晴子さんにはなんとなく分かってもらえたんじゃないかという満足感を覚えながら家路についていた。しかし、俺の説明を聞いた晴子さんが諸々に対して納得してくれたかどうかわからないが――理解はしてくれたかもしれないけど、きっと納得はしてくれていないと思う――、とりあえず最後は上機嫌だったし風向きは悪くないような気がする。

そして、あんまり晴子さんに諸々説明するのに熱中していたからか今の今まで忘れていたのだが、俺はこの後に弥生さんのために晩飯をつくることになっていたんだった。確か、買い物くらいは済ましておいてくれるように頼んだはずだし、きっともうすぐに調理可能な状態が出来上がっているに違いない。

「そういうとこは、弥生さん、ちゃんとしてるからな。基本的にやるって言ったことはやってくれるわけだし、助かるっちゃ助かる」

「幸久様、お疲れでしたら弥生さんにご飯をおつくりする役は私が引き受けますが」

「いいよ、かりんさん、気にしないで。俺は全然元気でピンピンしてるから、もう余裕で料理出来るよ。マジ、もう、これほどまでに元気だったことはかつてないほどだから、料理は俺がめっちゃするよ」

「そ、そうでしたか…、余計な口を挟んでしまい、もうしわけありませんでした……」

「いいのいいの、そんなこと気にしないで。それより、かりんさんこそ疲れてるよね。すぐにお風呂の仕度させちゃうからさ、かりんさんが一番に入っちゃっていいからね」

「いえ、そのような、幸久様が一番に入ってください」

「いや、だってかりんさん、俺が風呂入ったとしたら、その間に弥生さんたちの晩ごはんつくっちゃうでしょ。ダメだよそんなの許さないよ」

「そ、そんなまさか…、そんなことしません」

「まぁ、実際にするかしないかはそんなに問題じゃないから、気にしないでいいよ。とにかく、かりんさんは先にお風呂入っちゃってね。今日は慣れないこといっぱいして疲れたと思うから、ゆっくり入ってきてね。っていうか、今日はお湯張ろう、久しぶりにゆっくりお湯に浸かってさ、疲れ取ってきてね」

「はい、お気遣いありがとうございます、幸久様」

「広太、俺は飯つくるから、風呂の支度任せたぞ」

「はい、承りました、幸久様」

「っていうか、弥生さ~ん、いるんなら顔くらい出したらどうですか~! …、あれ、くつあるのに、なんで出てこないの……?」

「弥生様は、先ほどパソコンをお持ちになって何かお仕事をなさっているとおっしゃっていましたので、集中して音が耳に入らないのではないでしょうか。以前に、集中なさると周りのことが認識から外れてしまうと仰ってらっしゃるのをうかがったことがございます」

「はぁ…、弥生さんがそんなこと言ってたのか……。集中なんて、あの人からだいぶ遠いもののように思えるけど、まぁ、あの人も集中することくらいあるってことなのか……」

まぁ、とりあえず、弥生さんがあまりにも集中している結果、ようやく帰宅した俺たちのことが認識の中に入っていないとして、しかし俺たちがここでこうして帰宅したことは事実として存在している。しかしそれならば、さっさとあがって認識してもらうことにしよう。というか、これから俺は晩飯の支度をするわけで、いつまでも机の上で大荷物を広げられているとテーブルのセッティングが出来ないから困るのだ。

「弥生さん、帰ってきましたから荷物片付けてくださいね。片づけてくれないと、晩飯つくりま…、せん、よ……?」

「…、んぁっ!? おぉ…、ゆき、おかえり~。今、何時?」

「えっと…、あの、九時半くらいです」

「はぁ…、もうそんな時間かぁ。いやぁ、集中してたら三時間とかあっという間だねぇ」

「いや、あの、弥生さんがパソコンやってるのはいいんですよ、なんとなくわかりますから、ノートパソコンだしここまで持ってこれたっていうのは分かるんです。でも、あの、都さんは、何をやってるんでしょうか……?」

「都ちんがなにやってるか? そりゃ、ゆき、あれだよ、トレスだよ、トレス」

「トレスってトレースですか? 一回書いたのを紙に写し取ってるってことですよね?」

「そうそう、あの光で下から照らして、下に敷いた紙の絵を上の原稿用紙に透かしてなぞるんだよ。なんかね、都ちんはあのきれいな原稿用紙にダイレクトで描くのは心が辛いからムリなんだって。だからね、文房具屋さんでわら半紙を買ってきてそれに描いて、あの光の出る箱で透かして写すんだって。別に、どうせ最後に消しゴムで消すんだから同じだろうに、難儀だよねぇ」

「いや、俺はマンガ家の人がどうやって描くのが一般的なのかはよく知らないんで、それがどうなのかってことは分からないんですけど、でもとりあえず教えてほしいんですよね。なんで都さんは、わざわざあのでっかい光の出る箱を俺の部屋まで持ちこんでそれをここでやってるんですか」

「いや~、それはおねえさんにもよく分からないね。おねえさんはただ都ちんに『ゆきが晩ごはん食べさせてくれる』って教えてあげただけで、気付いたら都ちんはそこでその箱を抱えて絵を描いてたよ」

「ちょっと弥生さん、どんだけ周り見えてないんですか。いろいろちゃんとしてくださいよ」

「おねえさんにもいろいろやることがあってね、集中しないとダメだったんだよ。まぁ、都ちんも片づけてっていったら片付けてくれると思うし、だいじょぶだよ。とりあえず、ちょっと待っててね、今都ちんを正気に戻すから。都ちん、ゆきが帰って来たよ~、都ちんも帰ってきてよ~」

「…………」

「あれ? 都ちん?」

「…………」

弥生さんのちょうど向かいでトレス台にかぶりつきで絵を描いている都さんだったが、しかしどうしたことか弥生さんがその肩を叩いても微動だにしない。いや、実際のところは微動だにしないというわけではなく、ものすごい速度でシャーペンを動かす都さんがそこにいるわけなのだが、しかし弥生さんの呼びかけには一切の反応を示さない。

一切休むことなくシャーペンを動かし続けているところから見ても、おそらく意識がないわけではない。まさか意識を失ってなお本能のままにペンを走らせ続ける、なんてウルテク発揮しているわけではないだろうし、いたいどうしたというんだろうか。

もしかして、弥生さんと同じ『集中すると周りが見えなくなる』っていう性質のさらなる上位互換みたいな感じだったりするのだろうか。しかし、仮に今周りが見えなくなっているにしても、こんなに外からの刺激に対して盲目になれるものなんだろうか。だって普通、肩叩かれたり声かけられてりしたら気付くものなんじゃないのか? だって、そんな状況だったら自分が声かけられてることなんて明らかじゃん。さすがに気づかないとおかしいって。

「ねぇ~、都ち~ん。お片付けしないとゆきがご飯つくってくれないよ~」

「…、あ~っ!! 線が曲がったっ!? 何事!? っていうか、誰っ!!」

「おぉ、都ちん、おかえり~」

「あれ…、やよちゃん……? …、あぁっ!? そうそう、あたし、三木くんの家でトレス作業してたのよね、忘れてたわ。どおりであんまり馴染みのない部屋にいると思った」

「も~、都ちんがなかなか自分の世界から帰ってきてくれないから、もう少しでゆきに晩ごはんつくってもらえなくなるところだったよぉ。ダメだぞ、都ちん、ほどほどにしないと!」

「…、あら、三木くん、おかえりなさい」

「気付いてもらえてうれしいです、都さん。ずいぶんのめり込んでお仕事なさってたみたいですけど、すごいですね。人間、そんなに一つのことに集中できるものなんですねぇ……」

「えっ、そうでもないわよ、あたしよりも集中力のある人なんてたくさんいるわ」

「そうなんですか? そうなると、マンガ家業界っていうのは、化け物みたいな集中力の持ち主の集まりみたいなものなんですね」

「そうなのよ、あたしなんてまだまだ」

「ところで都さん。一つ聞いていいですか?」

「? なにかしら?」

「今、トレスして何か描いてたましたよね? それで、線が歪んだって言ってましたけど、だいじょぶですか?」

「…、うわっ…、ほんと、すごい歪んでる……。もう、曲がったどころの話じゃないじゃない……。なにこれなにごと……?」

「たぶん、さっき弥生さんが都さんのこと呼びながら肩掴んでガタガタ揺すってたから、それのせいじゃないかと思いますよ」

「やよちゃん! トレス作業とペン入れ作業はとっても大事で繊細な行程だから邪魔しちゃダメって言ったじゃない! もぅ…、これじゃこの一ページ丸々ダメよ……。あ~…、原稿用紙一枚無駄にしちゃった……。20分の作業が無駄になっちゃったわ……」

「ごめんね、都ちん。あたしもお腹空いてて、ついカッとなってやっちゃったよ後悔はしていない。でも原稿用紙一枚よりも今日の晩御飯の方が大事だよね」

「そんなことないわよ、原稿用紙はとっても大切なものなの……。あたしにとってみれば、血の一滴とおなじものなのよ」

「なんだ、血が一滴垂れちゃったくらいなら、問題ないね。歯磨きしてるときとか、たまに歯茎から出たりするしね」

「やよちゃん、言葉尻だけとらえてうまく落とそうとしないでちょうだい! とっても大切ってことが言いたかったのよ、あたしは!」

「え~、でも別に問題ないっしょ。だって都ちん、使ってるのボールペンでもつけペンでもなくてシャーペンじゃん。ミスったとこ消せばいいっしょ、消しゴムで」

「いや、なかなかそうもいかないのよ。確かに消せばこの原稿用紙に描かれた線は消えるかもしれないけど、でもこの原稿用紙に線を引いたっていうあたしの記憶までは消せないの。分かるでしょう?」

「いや、分からないよ、都ちん。そのこだわり、あたしにはよく分からないって。っていうかさ、都ちん、マンガ家さんなんだから消しゴムかけも上手なんじゃないの? マンガ描くのには消しゴムいっぱいつかうって、友だちの同人作家が言ってたよ」

「確かにそうね、あたしなんて特にたくさん線引いちゃう方だから消しゴムもかなりかけるわ。でも、そこまで上手ってわけじゃないから、あんまり原稿用紙で消しゴムはかけたくないの。だから消しゴムかけは最低限で済むようにこうして、少し手間だけどわら半紙に一番最初の下書きしてトレスをするんだし、仮にシャーペンでも失敗したら一から描き直すようにしてるのよ」

「都ちん、それめんどくない?」

「面倒ではないわ、それがあたしのやり方だし、それで慣れちゃってるし。まぁ、最近は庄司くんが消しゴムかけすっごく上手くなってくれてて、間違えちゃったときで彼がいるときは消してくれるようにお願いしてるんだけどね」

「広太ですか? そこにいますけど」

「えっ、いるの? …、いるに、決まってるわよね、ここ三木くんのお部屋なわけだし。庄司くん! ちょっと消しお願い! ゴムで!!」

「はい、先生、どちらに消しゴムをおかけしましょうか」

「ここのコマの、この人物の胴の輪郭線のよたってるとこ全部消しちゃって。引き直したいの」

「はい、了解しました、先生」

「はぁ…、いつ見ても惚れ惚れする消しっぷりね。ほんとに、庄司くんがいれば他のアシなんて一人もいらないわ。まぁ、昔からアシスタントを使って描いてたことなんて一度もないんだけど」

「他になにか、お役にたてることはありますか、先生。なんなりとお申し付けください」

「平気よ、ありがとう。あっ、このあと三木くんがご飯をつくってくれるみたいなの。トレス台移動させたいから手伝ってもらってもいいかしら?」

「はい、お任せくださいませ」

「あと、なんか最近少し光量が少ないみたいで作業しづらいのよ。もしかしたら配線がへたっちゃってるのかもしれないからチェックしてもらってもいいかしら?」

「承りました。それでは、今からあちらにトレス台を移しがてら中を改めてみます。配線に問題がありましたら修理してしまいますが、よろしいでしょうか」

「ありがとうね、庄司くん。さすがに有能ね」

「お褒めに預かり、光栄にございます。先生は原稿作業に備えてお食事をしっかりなさって、栄養の補給と体調の調整に努めてください。今月の原稿は、いつもより余裕を持って納めることが出来るようにがんばりましょう」

「うん、今月はいつもよりネタの出がいいし、きっと〆切前に編集に渡せると思うわ。あたし、最近ちょっと調子いいみたいなのよ」

「広太、かりんさんは」

「はい、かりん様はお湯を張っているところですので少々お待ちくださいと申し上げたのですが、しかし問題ないとおっしゃられました。今はお風呂にちょうど入られたところです」

「そっか、おっけ、分かった。そんじゃ俺は二人分料理つくっちまうから、広太は二人のこと観ててあげてくれ。なにかやってあびげられることがあったらやってあげてくれ、屋飲んだ」

「はい、了解いたしました」

「それじゃ弥生さん、都さん、少し待ってくださいね。これから簡単につくっちゃいますから」

そういうわけで、俺はこれからやよいさんたちとした約束の通りに晩飯をつくることになったのだった。まぁ、時間も時間だし、少し簡素なものになるだろうけど二人から文句が出ることはないだろう。

とりあえず、弥生さんが買って来たはずの食材のチェックから始めるとしようかしら。

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