霧子とおしゃべる
「にゅ? 幸久君、晩ごはんつくるんじゃなかったの?」
さて、晩飯でもつくるかな、と腕まくりしつつ思ったところ、どうしてかかりんさんと広太の二人がかりでインターセプトされてしまった俺は、料理に向けるはずだったそのやる気をどこに向けたらいいのか分からないまま、やる方ない熱を心に秘めてリビングに戻ってきたのだった。
そしてリビングにはもちろん雪美さんと霧子がいるわけであり、それからついでに広太が食器棚の陰になるところで消えている。しかし、消えている広太をわざわざ突っつきまわすのもなんだし、雪美さんはまた何だかよく分からないことを始めてしまっているし、仕方ない、ここは喜び勇んで霧子とおしゃべりでもしていることにしよう。
っていうか、広太め、消えるのはほどほどにしろって言ったところなのに、俺の話を聞く気があまりないと見える。まぁ、あいつが家の中で恒常的に消えるようになったのは中学生のころからずっとなわけだし、いくら俺に注意されたからといってすぐにどうにかなるとは思ってないけどな。
いや、そんなことよりも、今は霧子とのおしゃべりに集中しよう。…、霧子とのおしゃべりは、集中しなくていいからいいんだよ。うん、霧子とのんびりおしゃべりでもしようかな、集中しないで。
「…、まぁ、いろいろあって、俺は今日はつくらないことになりました」
「そうなんだ。幸久君のご飯、久しぶりに食べたかったのになぁ、残念かも」
「飯はまた今度つくってやるからな、今日のところはかりんさんのご飯だ。大丈夫、かりんさんのご飯も俺のと比べても遜色ないくらい美味いから」
「そうなの? にゅ~、それじゃそれも楽しみだよ」
「あぁ…、今日はせっかく晴子さんに食べてもらえる日だったのに…、俺も残念だ……」
「幸久君、おねえちゃんにご飯食べてもらうの、うれしいの?」
「うれしいに決まってるだろ。そもそも俺が料理つくってるのは、基本的には晴子さんのためなんだから、晴子さんに食べてもらわないと意味ないだろ」
「そうだったんだ…、知らなかったよ……。で、でも、じゃあ、今日は幸久君がつくらないとダメなんじゃないの?」
「ダメなんだよ。でも、ダメだけど、いかんせん一回論破されちゃったからなぁ……。ほら、負けたやつは潔く引かないとダメだろ?」
「それは、うん、そうだと思う」
「俺はそういうところについてはさっぱりした男だ、と自負しているからな。負けたときは潔く負けを認めて、もしやるなら再戦は後日だ」
「にゅぅ、たしかに幸久君は、そういうとこけっこう気にするよねぇ。でもたまにけっこうあがいてるよね。りこちゃんに言い負かされたときとか」
「それは、あれだ、姐さんに言い負かされたときって、たいていの場合はそのあとに肉体的なダメージが続いてくるじゃん。俺、痛いの嫌いだからさ」
「にゅ、あたしも痛いのはキライだよ」
「あぁ、それに俺は女の子に手を上げることができないからな。もし姐さんから大きなダメージを与えられたとして、報復攻撃できないんだよな。やり返せればそれなりに心が晴れるから、少し痛いくらいは許容できるんだけど、こう姐さんにやられると全部を飲み込まないといけないからあがきたくもなるってことだ」
「そっかぁ、幸久君も大変だね……」
「ほんとだよ、大変だよ。あんまり大変だから膝枕して、膝枕」
「ひ、膝枕? べ、別にいいけど、どうして?」
「どうしてもこうしてもないよ! 俺は霧子との約束で誰とも喧嘩しないんだから、これくらいの労いはあってもいいでしょ! 霧子が誰とも喧嘩しちゃダメとか言わなかったら、俺は今頃学園のてっぺんにいて気侭な生活を送ってるはずだったんだよ!」
「幸久君は、けんかしちゃダメなんだもん。不良はダメなんだもん」
「まぁ、不良がダメっていうのには賛成だけどな。でも、最近はあんまりないけど、街とかで不良に絡まれたときとか、大変なんだぜ?」
「にゅ…、幸久君、まだ街で不良に絡まれるの? 不良やめたらそういうことなくなると思ったのに……」
「まぁ、なんだかんだいって伝説だったからな、俺と広太は。喧嘩やらないって公言しても絡まれるっていうのも迷惑な話だけど」
「にゅぅ、不良やめれば危ないことなくなると思ったのに……」
「仕方ないって、俺と広太が強すぎたんだ。潰せば名があがると思ってる屑がまだいるってことだよ。平気だって、もうしばらくすれば俺たちが喧嘩しないっていうのがほんとのことだって広まるだろうから。喧嘩ふっかけても逃げ回るだけのやつなんて、潰しても名があがるわけないって、じきに気付くだろ」
「でも、それまでは幸久君、不良に絡まれるってことだよね……? ケガしたりしない? 危なくない?」
「別に危ないことなんてねぇって。余裕で逃げ切れる」
「そうなんだ…、だったらいいけど……。あっ、ねぇ、幸久君、もしもなんだけどね」
「? もしも? もしも、なんだよ?」
「うん、もしもね、幸久君が今でも喧嘩とかするとしてね、学校で一番強くなってね、中学のときみたいに手下がいっぱいいるようになったとしてね」
「うん」
「そんなことになったら、りこちゃんが幸久君をやっつけに来るんじゃないの?」
「…、あぁ…、そうか……。うちの学校には、姐さんがいるのか……。う~ん…、姐さんとガチでやりあったことないから確かなこと言えないけど、とりあえず試合じゃ絶対に勝てないことは間違いないんだよな……。でも姐さんってけっこう型にハマってて不器用なとこあるし、ストリートならなんとかなるかもしれないな…、いや、でもやっぱりキツいことに代わりはないか……」
「にゅぅ、幸久君、喧嘩しちゃダメだからね」
「喧嘩はしないっつぅの。っていうか、今はちょっとどうやって戦えば姐さんに勝てるか考えてみてるだけだよ。ほんとにやるわけじゃないし、間違いなく楽な戦いにはならないから、ぶっちゃけやりたくない」
「幸久君もりこちゃんもあたしの大事なお友だちなんだから、喧嘩なんてしちゃダメなんだよ。ちゃんと仲良くしてね?」
「なに言ってるんだよ、めっちゃ仲良くしてるじゃん。俺が姐さんと仲たがいなんてするわけないだろ。でもやっぱり姐さんは強いからな、なんでもありの喧嘩なら少しくらいは抵抗できるかもしれないけど、真正面からルールありでやったら俺なんかじゃ試合にならねぇ。あ~、でも、志穂だったら少しくらい戦いになるんじゃないか? あいつもアホみたいに強いだろ」
「しぃちゃんもすごいんだよね…、にゅ、なんか、あたしのまわりってすごい人が集まってるかも……」
「そういわれれば、そうかもな。しかし、これだけ強いやつが集まってるなら霧子は安心だな」
「あ、安心じゃないよ…、お友だちには危ないことして欲しくないもん。りこちゃんが風紀委員でお仕事してるのだって、あたしはあんまり賛成じゃないよ……」
「いや、霧子に反対されたって姐さんは風紀辞めないだろ。っていうか、なんだよそのおかあさんみたいな心配の仕方。霧子はむしろ心配される側だろ、俺に」
「そ、それはそうかもしれないけど、でも心配なのは心配なんだもん。うちの学園、あんまり不良って感じの人はいないけど、でもやっぱり問題が全然起きないってわけじゃないし、りこちゃんだっていつ危ない目に会うか分からないんだよ?」
「姐さんは志願兵なんだから、そこらへんの覚悟はちゃんと出来てるんじゃないのか? っていうか、姐さんが危ない目にあってるっていう状況が俺にはピンとこないんだけど、それってどんな感じだよ」
「えと、んと…、たとえば、悪い人たちに囲まれちゃったりとか、あと、暗い所で急に襲われちゃったりとか、あと…、風紀委員の人たちがりこちゃんのことを裏切ったりとか」
「…、霧子は、ほんとにドラマ脳だな。そんなことほんとに起こるわけないだろ。っていうか、姐さんならそれくらい普通に対処できるって。姐さんは霧子が思ってるよりも弱くないんだぞ。二年で小隊長やってるのなんて、姐さんくらいのもんらしいぜ? そう易々となれるもんじゃないらしいぜ、小隊長っていうのは」
「それは分かってるもん……。にゅ、そうなんだよね、りこちゃんはすごいんだよね……」
「分かってるのかよ、分かってるんなら心配なんか何にもないじゃねぇかよ。いったい姐さんが、なににやられるっていうんだよ。っていうか、何だったら姐さんのことを倒せるっていうんだよ。悪いけど、俺にはそもそも、誰かにやられる誰にやられるかっていう想像がつかねぇよ」
「でも、いくら強くってもりこちゃんだって女の子なんだよ。幸久君は心配じゃないの?」
「バカ、そりゃ内心では心配に決まってんだろ。女の子が危ないことしてたら心配でたまらなくなるに決まってるじゃねぇか。でも、それってさ、つまりは弱い俺が強い姐さんのことを心配してるってことだし、なんか転倒してるよな」
「そ、そんなことないよ、幸久君。りこちゃんだって、きっと幸久君に心配してもらってうれしいと思うし、もしも幸久君が辞めてって言ったら風紀委員だって辞めてくれるかもしれないよ。女の子が危ないことしちゃダメなんだよ、って言えば、分かってくれるよ」
「いや、そんなこと言わないって。風紀の仕事っていうのは姐さんがやりたくてやってることなんだしさ、それを俺が辞めろなんて言うのは間違ってる。それがちょっと危ないことだとしてもさ、まっすぐにやる気もってる人間を俺が止めることは出来ないんだよ。もしそういう人に対して俺が出来ることがあるとしたら、それってつまりそいつが本当にヤバい目にあってるとき、すぐに助けてやれるように心構えだけしとくことなんだよな。っていうか、第三者にはそれくらいしか出来ることなんてないんだよ」
「にゅぅ、じゃあ、幸久君はりこちゃんがピンチになったら助けに行くの?」
「あぁ、行く。それが友だちってもんだ」
「りこちゃんがどんなピンチでも?」
「まぁ、姐さんがひとりじゃどうしようもないピンチのときだけだな。そうじゃないときに助けに行くと、姐さんの場合は助けに行ったはずの俺が邪魔することになりかねないからな」
「りこちゃんが十人くらいの不良に囲まれたりしたときとか?」
「そうだな、十人となるとさすがの姐さんもキツいだろうから急いで助けに行くぜ」
「りこちゃんが風紀委員の人たちみんなに裏切られて、その中で孤立しちゃっても?」
「それはもう、すぐに飛んでいかないといけないな。まぁ、そもそものところで、そんなこと起こらないだろうけどな」
「りこちゃんが偶然、悪の組織に狙われることになっちゃっても?」
「…、なんか、急に想定がファンタジーになっちゃったな……。分かってると思うけど、悪の組織なんて存在しないんだよ、霧子ちゃん。分かるよね?」
「ぁ、悪の組織はいるんだよ、幸久君。確かにあたしたちの見えるところにはいないかもしれないけど、でも見えないところにはいるんだよ。現代になっても行方不明になったまま消息不明になっちゃう人っているでしょ。そういう人たちはね、実は神隠しにあって別の世界にいっちゃったり、悪の組織に殺されちゃって始末されちゃってたり、タイムスリップしてたりするんだよ、実は」
「霧子、それは小説の中だけの話だぞ。確かに消息不明になっちゃってふっと消えちまう人もいるかもしれないけど、でもだからってそれが悪の組織の仕業ってわけじゃないだろ。きっと大自然の猛威に呑まれたとか、世を儚んで樹海とかで自ら命を絶ったとかであって、そういうファンタジーの餌食になったわけじゃないと、俺は思うんだよな、うん。まぁ、でも、霧子がそう思うんならそうなのかもしれないな、霧子の中では」
「にゅ、あたしの中ではじゃなくて、ほんとにいるんだよ、悪の組織は」
「うんうん、そうだな、いるよ、悪の組織は。それにほら、悪の組織がいるんだから正義の味方もいるよな。そういうのがいないと、世界はあっという間に悪の組織に滅ぼされてるだろうしな。日夜戦ってるんだよな、うんうん」
「にゅん、幸久君は分かってくれると思ってたよ。だからね、風紀委員とかの正義の味方に入ってると狙われやすいと思うの。りこちゃんだって、きっと正義の味方の一人だと思われて、影ながら狙われてると思うんだよ」
「あぁ、そうだな、今度姐さんに気をつけてって言っとかないとダメだな。俺が責任もって言っとくから、霧子はなにも言うんじゃないぞ?」
「にゅん、分かったかも。幸久君にお願いするね」
「あぁ、任せろ」
とりあえず、霧子ちゃんはいつまでも子どもの心を失わないところとかかわいいと思います。いや、霧子があるっていったら、きっとあるんだよな。悪の組織も神隠しも、うん、あるある。
あぁ、世界はファンタジーに満ち溢れているに違いない。霧子がそう主張するんだから、きっとそうに違いないんだ。