二人がかりで説得
「幸久様、ただいま食材調達より戻りました。買って来たものはすぐに冷蔵庫にしまってしまってよろしいでしょうか。それともすぐにお使いになられるということでしたら、冷蔵庫にはしまわず調理台の上に置いておきますが、どうなさいましょう」
「おぉ、帰ってきたか、広太。買ってきたのは冷蔵庫にしまわないでキッチンに置いといてくれ。どれもすぐに使うものだからな」
「あら、広太くん、おかえりなさ~い。幸久くんはもうすぐにお料理始めるの~?」
「はい、そうですね、すぐに始めちゃおうと思います。広太が急いでくれたんで時間的には余裕ありますけど、でも晴子さんがいつ帰ってくるかは分からないですからね。出来れば晴子さんが戻ってくるまでには完成させておきたいですから」
というわけで、買い物に出ていた広太がこうして戻ってきた以上、俺は晩飯づくりに取り掛からないといけないのである。いや、もちろんそれがイヤというわけではないのだ。料理は楽しいし、晴子さんに食べてもらうのもうれしいことだ。しかしそれでも、晴子さんからの評価を受けるというか、採点を受けるというか、酷評を受けるというかは、若干憂鬱だったりする。
もちろん晴子さんのことは疑いようもなく大好きで、晴子さんのために食事をつくるのはこの上ない喜びだけど、でもやっぱり評価されるのは複雑だ。まぁ、それもいつものことだ、と言ってしまえばそうでしかなく、それ以上の何ものでもないのかもしれないが、しかしやはり晴子さんの言葉の刃は非常に鋭く、この上ないほどにキツいエッジを描いているのだ。それに刺されてうれしいなんてこと…、いや、決してなくはないのだが、でも心のどこかではそれがイヤだと思わないでもないのだ。
「とりあえず、俺は晩飯つくり始めますよ。広太、雪美さんのお相手、任せたぞ」
「はい、承りました」
「うし、ほんじゃ、いっちょ飯つくりますか!」
「あっ…、ゆ、幸久様!」
「? どうしたの、かりんさん。なにか困ったことでもあった?」
「ぃ、いえ、そうではなく…、これから、お夕飯をつくられるのでしょうか?」
「うん、そうだよ。足りてなかった食材は広太がいま買い足しに行ってくれたし、下準備は整ったからね。すぐにつくっちゃうから、もう少しだけ待っててね」
「そうではなく、幸久様、よろしければそのお夕飯、私につくらせていただくことは出来ないでしょうか……」
「いや、いいっていいって、そんなこと気にしないでよ。かりんさんはもっと霧子と仲良くなっててくれて全然構わないからさ、ゆっくりしててよ。うちじゃなかなかのんびり出来ないんだから、外に出たときくらいは羽伸ばしてね」
「…、幸久様、可能ならば、今夜ここでお夕飯をつくる役を、お譲りいただきたいのです。本日は、私のことを幸久様のお師匠様にご紹介いただくためにこちらまで来たのですから、私も自分にできることをさせていただきたいのです」
「いやぁ、でも料理は俺がつくるって晴子さんに言っちゃったからなぁ……。ちゃんと俺がつくった方がいいだろうし…、それにもしつくったとして、晴子さん、けっこうきついことも言いますよ?」
「厳しいことを言われるのには慣れています。それに、これからよろしくお願いしますという気持ちを込めて、お料理をおつくりしたいんです。私が、そうしたいんです」
「…、まぁ、そういうことなら、かりんさんがしたいようにしてくれて構わないんだけど……」
「それでは、幸久様はお座りになってごゆっくりなさってください。霧子ちゃん、少しすいません、私はお夕飯をつくってまいります」
「にゅ、うん、えと、がんばってね」
「はい、がんばって美味しいものをつくりますから、楽しみにしていてくださいね」
「にゅん、待ってる」
「幸久様、本日はなにをおつくりになる予定だったのでしょうか。よろしければ教えてくださいませ」
「えっと、いちおう豚のしょうが焼きと、それにサラダみたいな付け合わせでもつくろうかなって思ってた。食材もそれをつくるために揃えさせたし。でもまぁ、かりんさんがつくりやすいのをつくればいいと思うよ」
「いえ、それでは、私も豚の生姜焼きをつくらせていただきます。さぁさぁ、ここは私にお任せになって、幸久様は霧子ちゃんと遊んでらしてください」
「う~ん…、まぁ、かりんさんのことだから料理に関して俺が心配するようなことはないと思うけど、でも、困ったことがあったらすぐに言ってね」
「はい、そうさせていただきます。お気づかい、ありがとうございます」
「あっ、あと、かりんさん、霧子と仲良くできた?」
「はい、霧子ちゃんはとってもいい子で、私が思っていたよりもずっと素敵なお方でした。初めは少し戸惑っておいででしたけど、少しお話したらすぐに心を開いてくださいました」
「そっか、それはよかった。あいつけっこうビビりなとこあるからさ、難しいんじゃないかと思ったけど、そういうことなら俺も安心だよ。よかったらこれからも仲良くしてやって、友だちとして、ね」
「はい、それこそ、こちらこそです。あんな素敵なお友だちができるなんて、とてもうれしいことですから」
「そういってくれるとうれしいよ、自慢の妹だからね。じゃあ、晩飯はお願いしちゃうね、かりんさん。俺はリビングにいるからさ、なんか手伝うこととかあったら声かけてね」
「はい、そのときはすぐに声をおかけいたします」
「調理器具の場所が分からないとか、調味料の場所が分からないとか、そういうことでも全然声かけていいからね。勝手が分からなくてムリだったっていうなら、すぐにでも交換するからね」
「はい、もしそういうことがありましたら、すぐにでも声をおかけします。ですが、声をおかけしない限りは大丈夫ですので、御心配にならずにゆったりとお待ちください」
「ぅ、うん、しつこく言って、ごめん……」
「いえ、そのようなことはお気になさらないでください。それよりも、霧子ちゃんが暇そうにしていらっしゃいますよ、幸久様。女の子を退屈な気持ちにさせるものではありません」
「…、やっぱり俺がつくる! かりんさんは霧子と遊んでていいから、俺につくらせて! 晴子さんに食べてもらうんだから、俺がつくらないといけないんだ! かりんさんに代わりにつくってもらったら、そんなの晴子さんに食べてもらう意味がないよ!」
「ダメです、もう私がお台所に入ってしまいました。これからここでは、少なくとも私が料理長です」
「あぁ、ズルい!? 俺だって料理長になりたいのに!? っていうか、最近なんだかんだ言ってかりんさんが料理することが多くなってきてない!? 前に決めたように俺にも料理するチャンスをくれないと困るよ!?」
「そのようなことは、決してありません。私は幸久様といっしょに決めたルールを守っていますし、どうしてもというとき以外は幸久様からお料理の順番を取ってしまうようなことはしたりしません」
「だから、最近そのどうしてものハードルがどんどん下がってきてるんだって。前はどんなことがあっても俺がつくる番は俺がつくってたのに、でも最近はけっこうかりんさんがつくっちゃってること、あるよね。いや、あれはかりんさんが俺のことを、学校で一日勉強してきて疲れてるんじゃないかなとかって思いやってくれていてその結果として俺の代わりに晩飯つくってくれてるっていうのはよく分かってるつもりなんだけど、でもその頻度が最近かなり多くなってきてない?」
「そのようなことはありません、幸久様、それは思いすごしです」
「そうかなぁ…、なんか俺、先週は朝飯をつくるのも合わせて三四回しか料理してないような気がするんだけど……。朝飯は弁当つくるついでにかりんさんがほぼ毎日つくっちゃうし、晩飯もいつの間にかつくっちゃってるし、このままじゃ俺、うちにいたら料理出来なくなるんじゃね……?」
「幸久様、一家の主は忙しく動き回ったりしないものです。料理を趣味になさるのはとても素敵なことだとは思いますが、でも日々の食材の繰りまわしなどの細かいことに忙しなくなさるのは、あまり堂々とした振る舞いではありません。ですから、日々のお料理は私が引き受けますので、幸久様は気が向いたときに好きなようにお料理をなさるのがいいのではないかと思うのです。ですから、私は幸久様からお料理を取り上げたりはしませんが、でも日々の煩わしさからはお救いしたいと思っているんです。なので、その毎日毎食料理をしなくてはならないという義務感から脱するところから始めるべきかと思います」
「…、やべぇ…、このままじゃうちが乗っ取られるわ……。広太、俺はどうしたらいい……?」
「私としましては、かりん様のおっしゃることは正論であると存じます。幸久様は主夫ではないのですから、可能ならばその義務的なお料理から解放してさしあげたいと思っていたのです」
「まぁ、お前は料理できないからな。俺とお前の二人暮らしで、俺が料理しないってなったらお前がするしかないわけだし」
「申し訳ございません、幸久様。私が至らぬばかりにご苦労をおかけいたします……」
「いや、別にそんなことどうでもいいんだけどさ、料理は俺が好きでやってることなんだし。っていうか、お前が料理できるようになったら、俺が家でやれることが何もなくなるだろ。それはちょっと、なんつぅか、何もしてない人みたいでイヤなんだけど。っていうかさ、おじさんとかはお前に料理できるようになれみたいなことはいわないのか? いつもだったらなんか、庄司の執事に出来ないことがあっちゃいけないんだ! とかいってくるじゃん」
「…、執事長は、幸久様がなさりたくてなさっていることを邪魔してはいけないとおっしゃっていました。ですので、私としては日々のお料理を幸久様から取り上げてはならないと考えています」
「ふぅん、そうなんだ……。おじさんも一応、俺に気を使ってくれてるのか……? でもまぁ、俺もお前のつくったもん食うのは正直勘弁だし、ムリに料理の練習とかはしなくてもいいけどな」
「幸久様がそう仰るならば、私もそうさせていただこうと思います」
「何事も助け合いだろ、助け合い。適材適所でそれぞれが出来ることをやるのが共同生活ってもんだ。…、いや、そういう話じゃなくてだな、かりんさんに俺の役目が全部取られちゃってどうしようって話なんだよ」
「かりん様は、決して幸久様からお料理を取り上げようと考えていらっしゃるわけではございません。幸久様の今現在のお料理への取り組みは、趣味の域を超えて義務的なものになってしまっています。それでは幸久様が本来感じていらっしゃった、お料理の楽しさのようなものが感じられないのではありませんか。ですからかりん様は、そのような義務的な要素を引き受けてくださると仰っていらっしゃるのです。幸久様はお料理をしたい、と思われたときだけお料理をしてくださればいいのです。そうすれば、以前より言ってらした部活動に所属することもできるでしょうし、何でもお好きなことに時間をご利用いただくことができるようになります」
「まぁ、それはさ…、そう言ってくれてるんだってことは分かるし、理解もするけど、でも俺だって家の仕事をしたいっていうかさ、俺一人だけ何もしないでのうのうと暮らしてるわけにはいかないっていうかさぁ……」
「幸久様、家周りの仕事は、使用人の仕事でございます。主様には主様の、為すべき仕事というものがあります。幸久様の場合は、それは学校に通われてお勉強をなさり、それから限られた学生生活を楽しまれることなのです。それをバックアップするのが我々使用人の役目なのですから、幸久様がそうしてくださらないと私たちは己の役を為していないということになってしまうのです」
「…、それを言われると、弱る……」
「幸久様のお仕事は、学生としての本分を全うすることです。幸久様が家のことは顧みずとも、我々が守ります。家のことなどお気になさらず、学生としての生活を全うしてくださいませ」
「…、分かった…、とりあえず今は、そういうことにしとく。でも、俺は納得したわけじゃないからな! また今度話し合いだからな!」
「はい、それで結構でございます。いずれ、存分に話し合いをさせていただきます」
「じゃあ、かりんさん、晩飯よろしく」
「はい! お任せください!」
正直、俺の頭のつくりでは広太を言い負かすことは出来なかったりする。あいつは本当に正論を吐かせたら一級というか、理詰めで来られると俺では対処できない。
くそ…、学生の本分は勉強とか、分かってるんだよ、そんなこと! ここでそれを持ってくるとか、卑怯以外の何ものでもないぞ!