足りない食材をチェックしよう
「…、食材が、全然足りねぇ!!」
かりんさんと俺の今のところの関係、ならびにこれからのことについての説明を一通り終えた俺は、とりあえずかりんさんと霧子のきゃっきゃうふふ――まだそこまでは打ち解けていないかもしれない――は置いておいて、冷蔵庫の中身のチェックと洒落こんだのであった。霧子と雪美さんの理解を得られたかどうかといえば、まぁ、よくても半々くらいではないかと思うのだが、しかしだからといってまったく理解してもらえなかったというわけではないので、霧子と雪美さん相手なら及第点くらいなんじゃないかと自分では思っている。
そもそもからして、俺自身がよくよく理解していないことについて他人に説明を行なうということは非常に難しいわけであって、しかもそれが自分で納得することのできていないことならばなおさらであろう。まぁ、相手が霧子と雪美さんなんだから、完全に理解してもらえることはあんまり期待してなかったけどな。
「左様でございますか、幸久様」
「あぁ、どう見積もっても三人分しかねぇ!!」
「それは、この家には三人の方がお住まいだからではないでしょうか」
「その通りだろうな。とりあえず、買い物行かねぇと二進も三進もいかないな……」
「それでは幸久様、必要な食材のピックアップをお願いいたします。それをいただきましたら、私が可及的速やかに食材調達に向かいます」
「おし、ちょっと待ってろ。今メニュー考えて、なにが足りないか考えるから。とりあえず、五分したら戻ってこい」
「了解いたしました。それではしばらく消えています」
「いや、別に消えなくていいから、あっちに混ざってこいよ。なんか霧子とかりんさんが化学反応起こしてめっちゃ面白い感じになってるじゃねぇか。っていうか、さっき自分で『俺が見てます』みたいなこと言ってただろ」
「はい、ですから、介入の必要は徹頭徹尾ないとの仰せでしたので、消えつつ見守ろうかと考えました。ただ見守るだけでしたら、私の気配はない方がいいかと存じます」
「それは、確かにいいかもしれないけど、でもだからってそうぽんぽん消えられても困るんだよな。急に気配がすると、お前だって分かっててもめっちゃびっくりするからさ」
「そうでしたか…、それは失礼いたしました。それでは今後は一切消えることはしないように致します」
「…、いや、だからな、別に俺は一切消えるなって言ってるわけじゃないのな。わかる? そうやっていちいち両極端なのはお前の悪い癖だからな?」
「それでは、私はどのようなときに消えればいいのでしょうか。よろしければそれを教えていただけると幸いなのですが」
「どんなときに消えればいいっていうか、少なくとも俺がいるときは消えるな。っていうか、だれかがいっしょにいるときは消えるな。消えないで、出来るだけコミュニケーションを取れ。仲良くしろ。その消えるのって、つまり逃げてるんだろ」
「…、そのような一面が、まったくないとは言いませんが、ですがただそのためだけにしているというわけでもございません」
「知ってるよ。まぁ、別にすぐに消えるのを全部やめろとは言わないから、ちょっとずつ止めてみろ。中学までの孤高気取ってる感じは、普通の人間社会では通用しないからな」
「幸久様が、そう仰られるならば」
「よし、それでいい。あっ、そうだ、広太、そういえばお前っていつもどうやって消えてるんだ? なんか難しい技だったりするのか?」
「いえ、難しいというほどのものではございません。ただ全身を脱力し呼吸を深いものにしてその速度を落とし、その上で周囲に満ちる大気と同化するのです。慣れてしまえば、難しいというほどのことではございません」
「そうか、難しいな、それ。俺はたぶんできないわ。大気と同化とか言われても全然ピンとこないし、呼吸のコントロールとか出来るほど修行積んでないから全然出来ないと思う」
「いえ、幸久様でしたらすぐに出来るようになるかと思います。幸久様はお器用ですし、気脈の流れも安定していらっしゃいますので、すぐにでも」
「別に、俺は消えられるようにならなくていいんだけどな。なんつぅか、そうやって逃げてばっかじゃダメだぞ、広太」
「幸久様が、そう仰られるならば、努力いたします」
「俺が言ったからじゃなくて、自分で思ったからで動けるようになれよ。いつまでも俺によっかかってたら、いつまで経っても大人になれねぇぞ。もっとこう…、自立しねぇとさ、ダメだろ、やっぱ。まずは友だちつくれ、俺絡みじゃない友だち。一人でも二人でも友だちつくって、それを俺に紹介する。宿題な、期限はないけど」
「いえ、私は幸久様がいらっしゃればそれだけで十分でございます」
「またそうやってお前はぁ……。まぁ、他のやつはお前のことあんまわかってくれないかもしれないけどさ、でもまず分かり合おうって気持ちをもたないと分かり合えるもんも分かり合えないんだって。お前ってさ、いろいろ完璧だし苦手なことないみたいに見えるけど、でも実は知らない人と話すのとか苦手なんだよな。俺は付き合い長いから知ってるよ。でもだからって、いつまでも俺とその周りだけの関係で完結するなって。もっと自分から友達つくってみろよ、な? そしたら、いろいろ分かってくるんだよ、何がとは言わないけど」
「…、そういうものでしょうか……?」
「まぁ、お前がどれだけがんばろうとしてもなかなか友だちできないっていうのは、中学までの感じで分かってることだ。じっくりやれ、とりあえず。まずは、友だち一人だ」
「…………」
「んだよ、ビビってんなよ、それくらいのことで! そんじゃ、俺はお前の連れてくる友だちがどんなのか、楽しみにしてるからな!」
「は、はい、了解いたしました」
「うし、じゃあちょっと向こう行ってろ。俺は足りない食材のピックアップをする」
「はい、承りました」
実際のところ、広太は友だちが少ない。あいつは基本的にイケメンだし、どことなくクールっぽい雰囲気もあって女子からの人気とか高かったし、いろんな能力が一般的な秤では計れないほどに振り切れてたから、もう嫉妬とかいう次元からは一周回って男子からの憧れ的なものもすごいあったように思う。だからあいつは、俺なんかよりもよっぽど人気があって、人望があって、信頼があって、でも友だちはほぼいなかった。
あいつが言うには、俺の世話をするためには友だちなんてつくってる場合じゃありません、とか主張するのだが、しかしそれはただ広太の言い訳、というか自己弁護、いや現実逃避でしかなく、事の本質はそんなところにはないのだ。
「あいつは、隠れヘタれだからな、うん。下手すると霧子よりもよっぽど俺に依存的だし、まったく困ったやつだ」
広太は、友だちをつくろうとしない。断固として自分からつくろうとしない。でもそれは、やっぱり友だちをつくることに対してビビっているだけなわけで、俺のことを言い訳にして為すべきことから逃亡していることに他ならないのだ。
それに、あいつが中学のときに山ほどあった女子からの告白をすべて断ったのも、それに準ずるところがないわけではない。いや、むしろそれは、まさにその象徴のようなことだったのかもしれない。まったく、友だちをつくることの何に対してビビってるのか分からんこと極まりない。そしてそれ以上に、けっこうかわいい娘から告白されることもあったっていうのに、どうしてそれを全部断ってしまうのか理解できない。いや、かわいいっていっても間違いなく霧子の方がかわいいわけで、そういう意味では霧子と比較してしまったと考えれば全ての告白を断ったことについても説明がつ…、く……?
「まさか広太、霧子のことが好きなのか……? だから今まで全部の告白を断っていたのか……?」
しかしそうなると、俺は広太を殺さなくてはならない。いや、そのことは広太もよくよく知っているはずだし…、知っているからこそ言いだせないのか……? ふむ、しかし俺は、広太だからと言って霧子をくれてやるつもりはないわけであり、もし広太がそのような行為に及ぼうというのならば、他の男と同様に須らく抹殺しなくてはならないのである。
広太のことは弟も同然に思っているが、だからこそけじめはきっちりとつけなくてはならない。霧子をその毒牙にかけようなどと、そのようなことは考えるだけでも罪であり、広太だからといって恩赦が認められるようなものでもないのだ。一言で言うならば、許されざるなのだ。
「ま、まぁ、まだ広太が直接的な行動に出たわけじゃないからな…、まだそれは推測の域を出ないことじゃないか……。落ち着け俺、この手を血に染めるな……」
「幸久様、首尾はいかがでしょうか?」
「ぉ、おう、問題ないぜ。豚肉と玉ねぎとジャガイモともやしが足りない。肉は豚バラで、三人分だから300グラムくらいだ」
「了解いたしました、それではそれだけ買ってまいりますので、少々お待ちくださいませ。商店街まで向かいますので、少々時間がかかってしまいますが、よろしいでしょうか」
「あぁ、構わない。まだ時間はあるから、そんなに急がなくていいからな」
「はい、了解いたしました。それでは行って参ります」
「…、広太、ちょっと待て、その前にひとつ聞いておく必要があることがあるんだが」
「はい、なんでしょうか。なんなりとお申し付けくださいませ」
「お前、霧子のこと、好きか?」
「はい、実の兄妹のよう思っております」
「…、それじゃあ、俺と霧子だったら、どっちが好きだ?」
「? それはもちろん、幸久様ですが、それがどうかなさいましたか? 私が幸久様以上にお慕い申し上げている方はいらっしゃいません」
「だ、だよなぁ、そうだと思ったよ」
「幸久様、よろしければ、どうしてそのようなことをお尋ねになられたのか、教えていただいてもよろしいでしょうか。今まであまり言われたことのない内容ですので、少し気になってしまいまして」
「いや、別に大したことじゃないんだけどさ、お前って今まで何人もの女の子の告白を断ってきてるじゃん。でさ、その中には、霧子には及ばないまでもかわいい娘はいたわけじゃん。だからな、どうしてお前がそうも執拗に女の子の告白を拒んだのかと考えて、もしやお前が霧子のことを好きなのではという仮説に至ったんだ」
「私が、異性からの交際の申し出をお断りさせていただいていたのは、ひとえに幸久様のお世話の妨げになると考えていたからにほかなりません」
「まぁ、それは建前だろ。もうぶっちゃけろよ、誰にもバラさないなら」
「…、御婦人のおもてなしの仕方は、執事長やメイド長から教え込まれていますので、完璧にすることができる自信はあります。ですが、それはホスト側とゲスト側という立場に二人を当てはめた際の立ち居振る舞いです。ということは、私はそれ以外の場合における、もっと砕けた間柄での女性との接し方が分かりません。ですので、私の何気ない振る舞いが、知らず相手の御婦人を傷つけてしまう可能性もなくはありません。そういった行動は、私の中で体系化されていない行動体系だからです。ですから、そうして傷つけてしまうことがある可能性があるならば、私は異性と交際などしない方がいいと考え、いつもそれをしっかりとご説明して、お断りさせていただいておりました」
「…、なんだそれ、意味分からん。人付き合いの仕方がマニュアル化出来てないから友だちも恋人もつくれませんって、意味分からんぞ、お前。しかもそれを説明されたやつは、フラれたことをきちんと納得してんのか?」
「大抵の方は、軽く首を傾げながらあまり納得しない顔で帰って行きました」
「だろうな、そうに決まってるよ。だって、誰よりお前のことを理解しているはずの俺が納得できなかったんだもんな。いくらお前でも、その理屈はどうかと思うぞ。っていうか、お前のことだからこれまでそんなよく分からん理由みたいなものを何回も説明してきたんだろうけど、一人くらいお前のこと殴ったやついないの? それは、交際を断る理由としてはあんまりだぜ」
「そう、なのでしょうか?」
「そうだよ、別にお前と付き合いたいって思った娘はさ、お前にマニュアルで対応してほしくてそんなこと言ってるんじゃないんだぜ? 男と女が付き合うって、きっとそういうことじゃないと俺は思うんだけどさ、違うか? 俺だったら、勇気出して付き合ってくださいって告白して、それでそんな答えが返ってきたら相手のこと殴るぞ、絶対に。その答えは、目の前の娘のことを何も見てないし、見ようともしてない。見ようともしてないどころか、視界に入れようとすらしてない。確かに俺もお前がどんなふうに女の子の告白断ってるか聞こうとしなかったし、修正してやろうともしなかったよ。俺も悪かった、かもしれない。でもお前は、もう少し自発的に動けるようにならないとダメだよ」
「この説明は、そんなによくなかったのでしょうか?」
「ん~、まぁ、確かにお前なりに誠意を込めて断ってるのかもしれないけど、でも誠意の込めどころを間違ってると思う。とりあえず、これからはもう少しその目の前の娘のことを考えてあげなさい、それしか言えない」
「はい、それでは、そのように気をつけてみることにします」
「はい、そうしなさい。で、いってらっしゃい」
「行って参ります、幸久様」
…、まぁ、あいつは大抵のことに対してはおおむね器用なんだけど、でも人間づきあいに関してだけは不器用なんだ。もしかしたらあいつが女の子からモテるのって、そういうギャップが時折見えたりするからなのかもしれない。俺も、ギャップとか狙っていったらモテたりするのかなぁ……。