突撃!隣の花見ご飯!
みんなといっしょに二着の班に割り当てられたシートに向かおうとしたところ、先生に呼びとめられてしまった俺は、しばらく先生とのおしゃべりに付き合っていたわけなのだが、しかし調理の制限時間が終わりに近づくにつれて先生の仕事が激化したこともあって、俺はその邪魔にならないようにおとなしく、手元に戻ってきた大きな箱を手に提げて自分のいるべき場所に帰ることにした。
ここから見る限り、四人はもう飲み物を開けて飲んでいるらしく、俺抜きで楽しそうにおしゃべりをしているようだった。なんだろう、この言い知れない疎外感は。
「別に寂しいんじゃないし。何でもないし」
無性に手に持った荷物をぶんぶんと振りまわしたい衝動に駆られるが、そんなことをしては中の料理が攪拌されて凄まじいことになってしまうので、当然そんなことはできない。そんな俺に出来ることといったら、少し地面を蹴って、他人の迷惑にならない程度に砂煙を立てることくらいしかない。
「やぁ、三木君。お疲れ様」
俺がいないのに楽しんでいるなんて、と拗ねているわけではないが、上の空で歩いていた俺に声がかけられたことに、ふと気がついた。すわ何事か、とあたりを見渡すと、ちょうど俺たちよりも先に先生のチェックを通った一着の班が座っているシート、つまりは弓倉チームということなのだが、の真横を通り過ぎるところだった。
「あぁ、高見、お疲れさん。トップだったんだってな、すげぇな」
「いや、そんなことはないよ。弓倉さんが大半やってくれたようなものさ。僕なんて、たいして役には立たなかったさ」
背筋の伸びたきれいな正座のままで俺に声をかけたのは、高見順<タカミ ジュン>。
身長が高くショートカットでスレンダーな彼女は、しっかりと男っぽい格好をしてしまえば、あるいは美少年で通るのではないか、というほど中性的な風貌をしており、初対面でその性別を即断することは難しいかもしれない。俺も最初に見たときは、女物の制服を着ているというのに、異性なのか同性なのか少しだけ迷った。
しかし、動きとか仕草とかは誰よりも女の子らしいのかもしれない、と、よく観察していた甲斐あって最近は分かってきた。ちなみにクラスの中でも、うちの班の面々以外で、一番俺と話をしてくれるやつだったりもする。
「そんなことはないわ、高見さんだってきちんと割り振られた役割は果たしていたでしょう。そうやって変に引くのは感心しないわ」
「そうかい? はは、弓倉さんは手厳しいな」
「わたしは本当のことを言っただけよ。確かにわたしの方がみんなよりも少しだけ多く料理をしたかもしれないけれど、それはただそうだったというだけで、特別わたしが役を為したというわけではないわ」
「弓倉は家政部だしな、自分の割り当てが早く終わったんだろ?」
「えぇ、そうよ。家政部だからというのは理由にならないけれど、少し早く済んだというだけのことだわ」
高見のちょうど横のあたりで、つんとして紙コップを傾けているのは、弓倉楓<ユミクラ カエデ>。
中背でほっそりとしている外見、軽くブラウンが入ってふわっとしたワンレングスのショートボブ、目元は少しきつい感じ。教室では俺の後ろに座っていることもあり、たまにおしゃべりするが、少し取っつきにくい感じもあって、今までそんなに深く話したことはない。
家庭科専攻クラスで家政部という、ある意味ではクラスの中で一番料理をつくることに対して真剣な彼女は、おそらくクラスの中でもトップクラスの調理スキルを持っているだろう。いつか、料理の話とかしてみたいなぁ、と思うが、それはいつのことになるだろうか。
「三木君も、料理は得意なんでしょう? それくらいのことは、見ていれば分かるわ」
「いや、得意ってほどでもないって。家で必要に駆られてやってるけど、趣味程度だ」
「そう、それならいいんだけど。せっかく料理が好きなんだったら家政部に入ればいいのに、と思っただけよ。別段人数が足りなくて廃部の危機ということはないけれど、料理が好きな人はいつでも歓迎だから」
「部活か…、今はちょっとな……」
「まぁ、そうよね。入るなら一年の最初に入ってるわ。別に無理強いしているわけではないから、そんなに気にしないでちょうだい」
「あぁ、興味はあるから、余裕ができたら入るかもしれない。まぁ、今はとにかくそれどころじゃないから無理なんだけどさ」
「もし入りたくなったらゆり先生に言ってちょうだい。顧問をやってくださっているから」
「分かった、そのときはそうさせてもらうよ」
「三木君は、お料理得意なんやなぁ。うちは、もう大ざっぱにしかつくれへんから、あかんわぁ」
どこの方言かは分からないが、おそらく西側の言葉で気さくに口をはさんだのは、榎木浩子<エノキ ヒロコ>。
背は平均くらい。背中まで垂れている明るめの色の長髪に毛先のあたりでリボンを縛って、まるで提灯のような形に整えている。太っているという感じではないが、要所要所がふくよかで全体的に女性的な、ふんわりとした印象を受けるクラスメイト。
話を聞くところによると、ご両親が共働きの上に家には小さな弟やら妹がたくさんいて、その世話で毎日大変なんだそうだ。俺は、一度にたくさんの小さい子たちを世話する、というのはしたことがないからよくわからないが、それはたいそう大変なことだろう。志穂一人の面倒を見るだけでいっぱいいっぱいの俺には、そんなことはできないに違いない。
「大ざっぱにつくれるのって、俺はある意味特技だと思うけどな。細かいことにばっかりこだわって失敗するくらいなら、少し適当でもいいから成功させることの方が大事だと思うし」
「そっかぁ? なんやいつもごちゃごちゃってつくってもうて、見栄えとかあかんねんで? エラいがんばらんと、きれいにつくれへんねん」
「美味ければ、少しくらい見栄えが悪くてもいいと思うけどなぁ……」
「そのあたりは、わたしとは違うわね。見解の相違だわ。料理の見栄えは、その料理を引きたてる一つの重要なファクターよ。食べられればいいなんて考え、よくないと思っているわ」
「せやろなぁ、うちもせやわぁ。お店とかで見栄え悪いのとか出てきたら、感じ悪いやん?」
「でも家でつくるんなら別に問題ないんじゃないか? 家で食べるんだったら、見栄えがよくて普通の味っていうよりも、見栄え悪くても美味いのの方じゃないか」
「そういう話をしているんじゃないの。見栄えの良し悪しが感じる味にも影響してくる、という話をしているのよ。おいしい料理をつくるのは前提として、そこに付加条件として料理の見栄えがどう関わるか、ということよ」
「うちは、やっぱきれいな方がえぇなぁ。チビさんたちもな、おべんとさんかわいくつくったげると、ようさん喜んでくれるんよ」
「あと、最初から見栄えが多少悪くてもいいと思ってつくると、最終的につくり自体も雑になってしまうわ。そうなってしまえば、いかに美味しくつくろうと思っていても本末転倒になる。完璧なものをつくろうとする結果として、一つの料理が出来上がるの。それの不出来は、あくまでも自分自身の力量不足であるべきだわ」
「ふむ、そうか、全力を尽くすことこそが求めるわけで、一つの妥協によって料理全体に妥協が感染するってことだな。なるほど、力量不足の結果として見栄えが悪かったり味がよくなかったりするのと、最初からある程度諦めていてそうなるのとはまったく別物ってことだ」
「あら、物分かりがいいのね。賢い人は好きよ」
「それはどうも。俺も比較的賢いやつは好きだぜ。バカが嫌いってわけじゃないけどな」
まぁ、そもそも頭のいい悪いで人付き合いはしていないわけで。もしバカが嫌いなら、志穂などといっしょに過ごすことには耐えられないだろう。
「せやけどほんま、お料理ってむずかしいわなぁ」
「えぇ、難しいわ。ほんの一瞬、一挙動でその良し悪しがすっかり変わってしまうんですから」
「弓倉は、なんというか、志しが高いな」
「楓ちゃんはなぁ、将来お料理つくる人になるんよ」
「調理師よ。高校を出たら専門学校に入って、それからイタリアに修業に行くの」
「はぁ、そりゃすげぇな……。ビジョンがあるんだな、ちゃんと」
「ただの夢よ。具体的なプランではないわ」
「俺なんか、今が精いっぱいで将来のことなんて全然見えないよ。夢があるって、いいことじゃん」
「うちはな、幼稚園の先生になるんや。それが昔からの夢なんよ」
「なんだ、みんな夢があるのか。俺だけ夢も希望もない人間みたいじゃん」
「三木君、僕も同じだ。今のところはとりあえず進学、としか考えていないよ」
「なんだ高見もか。夢も希望もない仲間だな」
「はは、そうだね」
「いや~、そないなくくり方はどないやろ……。夢も希望も、心の中にはあるんちゃうん?」
「あぁ~…、ある、かもしれない」
「それに、夢や希望を持っていればいいというものでもないでしょう。ただの夢は、夢想でしかないわ。それをいかに実現するか、ということを視野に入れなければ、そんなもの持ってもあまり意味はないわ」
「必要なのは、夢ではなく目標ということだね。となると、僕の今の目的は大学に合格して将来したいことを探すこと、になるのかな?」
「えぇ、それでもいいと思うわ。漠然とした御大層な夢を持って未来に足を進めても、それに伴う意思がなければいずれ潰れてしまうわ。分不相応な夢に向かうには、それだけ覚悟と意思がいるということ。一歩ずつ、段階的に目の前の目標を超えて行くことで、夢に向かって進んでいく方が、わたしはいいと思うわ。そうしていれば、夢想でしかなかった夢が、目標に変わる日が来るかもしれないじゃない」
「弓倉は、難しいこと言うなぁ……」
「確かにそうかもしれないわね。現に私も、そうしたらいいとは思っているけれど、実際にそうすることはできていないもの」
「でも、そんなこと考えてるなんて、進んでるな」
「そうかしら? これくらいのこと、みんな、潜在的に考えているんじゃない?」
「少なくとも俺は、そこまで詳しくは考えてなかったな。将来のこともそうだし、夢っていうものついても」
「そう。それならば、今から考えて行けばいいわ」
「あぁ、とりあえずはそうしてみるよ」
実際、昔思っていた将来の夢は何だっただろうか。今となってはすっかり忘れてしまったが、確かに何かしら思っていたような気はする。夢も希望もないのではなく、夢も希望も、思い出せなくなってしまっただけなのかもしれない。
あるいは、本当に思い出す価値もないくらいしょうもないことを思っていたのだろうか。帰ったら、小学校の卒業アルバムでも探ってみよう。
「何にしても、今はとりあえず花見でいいんじゃないか? とりあえず目の前の目標はクリアしたわけだし、その先について考えるのは、少し休憩したあとでもいいと思うぞ」
「そうだね。せっかくつくった料理が食べないうちに冷めてしまうというのも、もったいない話だよ。さぁ、僕たちも食べようか」
「せやなぁ、桜もこないきれいに咲いとるし、おしゃべりばっかりしとっても失礼やろ。うちら、お花見に来てるんやさかい、お花、見んとあかんで」
「そうかもしれないわね。満開に咲いた桜を見ながら楽しく過ごすのが、お花見だもの」
「あっ、せや。あんなぁ、うち、せんせに割りばしもろたで。これ使って食べ、て」
「ほら、遠藤さんもいっしょに食べよう」
「ぅ、うん……」
高見の後ろに、まるで俺の目から隠れるように、と言ったら言い過ぎかもしれないが、座っていてそこからそろそろと顔を出したのは、遠藤涼<エンドウ スズ>。
志穂やメイと大して変わらない、ちんまりとした上背に、座敷わらしのようと言ったら失礼だろうか、耳まで隠れるおかっぱを乗せ、伏し目がちな彼女だが、しかし俺は残念ながらほとんど会話をしたことがない。
図書委員に所属していること。とても静かで本を読むのが好きらしいこと。いつも昼休みはお弁当を持ってどこか、おそらく図書室、に出かけていくということ。彼女についてはそれくらいしか知らない。話をしてみたいが、驚かせてしまうのも悪いので、とりあえずあちらから話しかけてくれるまで待つことにしている。
「三木君、どうかしら、せっかくだから一口くらい食べていかない? 評価する視点ではない見方で食べてくれる、料理の上手な人の意見を聞いてみたいの」
「えっ、いいの?」
「みんな、それでいいかしら? それとも嫌なら、わたしのつくったものだけということでもいいけれど」
「えぇよ~、うちは。ぜんぜん気にならへんから」
「僕もかまわないよ。もっとも、三木君の口に合うかは分からないけれど」
「あ、あたし、も…、平気、です……」
「じゃ、じゃあ、一口だけもらっちゃおう、かな?」
手に提げた荷物をシートの上に置かせてもらって、俺は靴を脱いで高見の横に失礼することにした。こうして快く迎えてくれるようないい奴らが相手なら、クラスで唯一の男子、という壁を超えることも、そんなに難しいことではないのかもしれない、と思えてきた。
しかし八坂先生が直々に、一年もの間技術を授けてきた、いわば先生の弟子ともいえる弓倉のつくった料理は、正直に言ってかなり楽しみだった。学ぶところも、いろいろあるだろう。
自分の班に戻るのは、ここで少し料理を食べさせてもらってからでも遅くはないし、しばらくの間ゆっくりさせてもらうとするか。