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Prism Hearts  作者: 霧原真
第十二章
149/222

門扉の前で待ちぼうけ

「霧子、俺だ。開けてくれ」

『にゅ、うん、幸久君、今開けるから待っててね』

さぁ、おでかけだ! と勢い込んでみたところで、しかしながら結局のところも目的地はほんの徒歩五分未満のところにある天方家なのだから、そもそもからしてそんな『おでかけ』って感じになるわけではないのだ。まぁ、別に俺自身はおでかけ感を求めていたわけではないのだから、それがないからといって何の問題があるわけでもないのだが。

しかし、俺とか広太にしてみれば何のことはない五分弱だったかもしれないが、まさしく一ヶ月ぶりに外を出歩いたかりんさんにとってはちょっとした冒険のような感覚を味わっているのではないか、などと俺は勝手に思っていたりする。実際のところ、さすがに部屋に監禁していたわけではないから一ヶ月の間そこから一度も出ることがなかったとは言わないが、だがそれでもかりんさんは俺の、出来るだけ部屋から出ないようにしてください、というお願いによく聞いて守ってくれた――広太によると、かりんさんはこの一ヶ月の間ほとんどの時間を俺たちの部屋の中で過ごし、部屋の外に出るとしてもアパートの敷地の外には絶対に出なかったんだそうだ――らしい。

だから、こうして久しぶりに部屋の外で自由に歩き回るというのが、かりんさんにとっては俺が思っているよりもずっとうれしいことなのではないだろうか。まぁ、一ヶ月もの間そんな風に部屋に閉じ込めていたのは、ひとえに俺の覚悟と根性が足りなかったのが問題なのであり、責められるべきは俺一人であるということをここで明確にしておこうと思う。

懺悔の代わりに、いったいどういう事情だったのかということを説明すると、それはもしかりんさんが何の憂いもなくアパートの外をテクテクと歩いているとして、そのときに発生するリスクが俺のコントロール下に置き切れる大きさのものではなかったということなのである。そこで発生するリスク、つまり我が家から出てくる、あるいは我が家へと帰っていくかりんさんの姿を偶然目撃したどこかの奥様が御近所の噂ネットワークを介して晴子さんに情報を流してしまう危険性がそれにあたる。かりんさんのことが晴子さんに知られるというのは、偶然に起こってしまってはいけないことで、俺が自分で報告しなくてはいけないことなのだ。それは俺自身がきっちりとつけるべきけじめという意味でも、自分の知らないところで俺がよく分からんことになっているということを自分よりも先に知っている人がいたということに対して晴子さんの怒りが発生しないようにする未然の措置という意味でも、非常に重要な選択であるようにそのときは思われたし、今でもかりんさんにかけてしまった負担を度外視すれば正しかったと思っている。

「ここに来たときはあたりを見て回ることができませんでしたので、こうして少し歩いただけでもいろいろな発見があって楽しいものですね、幸久様」

「…、ごめんね、かりんさん、一ヶ月も家の外に出れないようにしちゃってさ。ほんとだったら俺もそんなことしたくなかったんだけど、ちょっと事情があったからね、結果的にはそうすることにしちゃったんだ。全然罪滅ぼしにならないと思うけどさ、もしなにかしてほしいこととかあったら言ってよ。俺に出来る範囲で叶えるようにするからさ」

「そんな、罪滅ぼしだなんて、滅相もありません。私はただ、今のように幸久様のおそばにいることができるだけで幸せなのです。むしろ私の方が、何も言わずにお部屋においてくださる幸久様にご恩返しをしなくてはならないと思うくらいで、幸久様が負い目を感じる必要などないのです。幸久様こそ、私にできることがあったらなんなりと言ってください。一個人の私に出来ることなどたかが知れていますが、それでも出来るだけのことをさせていただきたいと思っています」

「いや、けっきょくかりんさんのことを宙ぶらりんに扱っちゃってる俺が言うのもなんだけど、かりんさんはもう少しいろいろ要求してもいいと思うんだよね。だって、不便でしょ、生活がいろいろと」

「そのようなことはありません。幸久様と同じ時を過ごすことができるというだけで、どれほど私が幸福か。それがきっと、幸久様はまだよくお分かりになっていないのだと思います。私は幸久様と共にあることができるのならば、どのようなところでどのような生活を送ることになろうと問題ないのです。それをこのような素敵な生活を送ることができているのです、これで文句など言おうものならば、それは私がどれほど貪欲でさもしい人間なのかということをお見せすることになってしまいます」

「でもきっとさ、俺も広太も男だから、女の子のかりんさんが何を求めているのかってことを完全に理解することって出来ないと思うんだ。だから、いかにかりんさんが今の状況で満足です、って言うとしても、実は困ってることがあったりすると思うんだよ」

「そんな、困っていることなどありません。幸久様も広太さんもよくしてくださいますし、アパートの方々もやさしくしてくださいます。これ以上、望むことなどありません」

「そこまで言われちゃうと、まぁ、俺もこれ以上はいえないんだけどさ…、でも、困ったことがあったらいつでも言って。汗臭い男の後に湯船に浸かるのはイヤだから一番風呂がいいとか、そういうのでも何でもいいから、かりんさんが気持ちよく暮らせるようにしたいんだ」

「幸久様…、ありがとうございます。そうして気遣ってくださるだけで、感無量です。やっぱり、幸久様のことを好きになってよかった……」

「かりんさん……」

「お二人とも、あまり往来で盛り上がるのはよろしくないのではないか、と愚考いたします故、その旨進言させていただきます。ここはあくまでも公共の場所なのですから、そういったプライベートな用件を大きな声で話されるべきではないかと存じます。他人の目も、他人の耳も、まるでないというわけではないのですから、もしそういったことを話すのならばもう少々抑えた声で話されるべきなのではないでしょうか」

「え? そんなデカい声でしゃべってないって。俺もかりんさんも静かなもんだろ」

「いえ、幸久様のいつもの在り様から考えるに、これから声が大きくなると思われますので、勝手ながら先回りで注意をさしあげました。しかし、必ずしもそうならなかった場合もあると考えられますので、幸久様が罰を与える必要があるとお考えになられるのでしたら、存分に罰をお与えくださいませ。私は、その覚悟をした上でした進言ですので、どうぞ御遠慮などなさらずに」

「…、まぁ、お前がそう言うってことは、きっとそうなりそうだったんだろうな。心配すんな、そんなことくらいで罰なんてやらねぇっつぅの。お前の言うことは、たいていあってるから、きっと今回もほっといたらお前の言った通りになったに違いねぇ。あっ、そうだ、そんなことより、今から霧子が出てくるんだよな。急にかりんさんのこと見たら壊れるかもしれないな…、とりあえず、かりんさんは門柱の影に隠れててもらって」

「あの、幸久様、霧子、ちゃんが、いらっしゃるのですか? 幸久様のお師匠様のお宅というのは、霧子ちゃんのお宅なのですか?」

「ん? あぁ、そうそう、言ってなかったっけ。俺の料理の師匠は、霧子のねえちゃんの晴子さんだよ。だからここには霧子がいるんだよ」

「そうだったのですか……」

「あっ、そっか、かりんさん、昔の俺のこと、ビデオで観てたんだったよね。ってことは霧子のことも観てたんじゃない? 今も昔も、霧子はたいてい俺といっしょにいるから、俺のことビデオに撮ったら基本的に霧子も映り込んでるはずだよ」

「はい、実は私、霧子ちゃんのこともビデオで何度も観たことがあるんです。幸久様の一番のお友だちのようですし、よく映り込んでいました」

「へぇ、そっかぁ…、霧子のことも知ってたんだね、かりんさん。ってことは、この前のゴールデンウィークのときは、俺だけじゃなくて霧子のことも初めて生で見たってことだね」

「はい、そういうことになります」

「でもあんまり、霧子のことは気にしてなかったように思うんだけど、俺の気のせい? 俺のことはけっこう気にしてくれてたように思ったんだけど」

「そ、それは…、幸久様のことを気にしすぎてしまって、それ以外のことに意識を向ける余裕がなかったからであって、幸久様以外の方に向ける意識の猶予がなかったというだけです。霧子ちゃんのことだって、お会いすることができてとてもうれしかったんですよ。そのことに気づいたのはみなさんがお帰りになられて、少ししてからなのですけど」

「へぇ、そっか、そうだったんだ……。じゃあかりんさん、あのときはすっげぇ楽しかったんだろうね」

「はい、とても楽しかったです。いつもなら出来ないようなことも出来ましたし、仕事を任される責任感というのも意外と気持ちいいものでした」

「かりんさんは、意外と適応力高いっていうか、上手く順応できる人なんだろうね。旅館での仕事ぶりも、番台にほめられてたし、うちでの生活も一週間もしないで慣れてたみたいだし」

「そんな、私なんてただ一生懸命なだけです」

「何に対してでも、一生けんめいになることができる人は偉いんだよ。怠惰な人間ではないっていうのは、それだけで一つの人間としての価値だからね。まぁ、その先の成果までつなげて初めて意味があるっていう人もいるだろうけど」

そういう成果至上主義の人は、まぁ、俺とはちょっと価値観が違うわけなんだけど、でもその考え方もなんとなくわからなくもない。っていうか、その一番身近にいる成果至上主義の人っていうのが晴子さんなわけで、その考えを理解していないとついていくことができないし、その価値観に基づいた指示のされ方もしばしばされるのだから、その指示を通じて俺に何が求められているのかを考える基準がどうしても必要なのだ。

「とりあえず、俺はがんばってる人が好きだよ」

「はい、それならば、私は幸久様により一層気に入っていただけるように、いろいろなことをがんばろうと思います」

「うん、それがいいと思うよ。とりあえずがんばるっていうのは、きっとすげぇ大事だと思う。…、っていうか、霧子、遅くないか?」

「そうですね、いつもならばもっと早く扉を開けてくださると思うのですが、今日は少しゆっくりなさっているようですね」

「どうしたんだろ、あいつはカギだけ開けて戻っちまうようなやつじゃないし、絶対カギを開けたらドアも開けるのに。っていうか、まだカギが開いた音がしてないからな。ほんと、どうしたんだ?」

「もしかしましたら、晴子様が霧子様に、易々と扉を開けてはならないとお教えになったのかもしれません。霧子様は、昔から少々不用心なところがありますので、そういったことがないようにと晴子様が注意をなされたのではないでしょうか」

「あぁ、そうか、なるほど、そういう可能性もなくはないな。まぁ、ただちんたらしてるだけっていう可能性も、普通にあるけどな。とりあえず、もう一回鳴らしてみるか、チャイム」

「そうですね、本来ならばそのようなことをするのはマナーとしてよくないとは思いますが、しかしこうして霧子様が出ていらっしゃらないのですから、もう一度くらいでしたら」

「ったく、何やってるんだかな、あいつ。サンダルをつっかけるのに手間取る歳でもあるまいに……」

『は~い、どちらさまですか~』

「あっ、雪美さん、俺です、幸久です」

『あっ、幸久くん、いらっしゃ~い。あれ? さっききりこちゃんがいかなかった~?』

「いや、なんか分からないんですけど、霧子が全然ドア開けてくれないんですよ。すいません、雪美さん、開けてもらってもいいですか?」

『きりこちゃん、どうしたのかなぁ……? それじゃあ、今開けるから待っててね~』

「ありがとうございます、雪美さん」

『それじゃ、おかあさんがすぐ行くからね~』

そうして、雪美さんとの交渉はつつがなく終了し、ガチャンと通話が切られるのだった。なんというか、さっき霧子とも同じやりとりをしたわけで、すごく二度手間をしている感じがしてならない。まったくあの娘、来客に応対してドアのカギを開けることも満足にできないなんて、とんだ困ったちゃんだな。

最近は、主に心の成長が、早すぎる身体の成長に追い付きつつあるように見えたからしっかりしてきてると思ったんだけど、でもやっぱりまだところどころでダメだったりするのだろうか。うぅむ、難しいな…、この頃は霧子はもう平気だと思って志穂にばっかりかかりきりなってたから、ちょっと見落としていたのかも。そうか、霧子もまだ、もう少し俺が見守ってないといけないのかもしれないなぁ……。

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