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Prism Hearts  作者: 霧原真
第十二章
148/222

さぁ、おでかけしよう

「というわけで、今日は俺の師匠にかりんさんを紹介するためにお出かけして、その先で晩ごはんも食べてこようっていう計画になってるんです」

「なるほど、そういうことだったのですね。突然外着に着替えるようにと言われて、驚いてしまいました」

制服から私服、さらに言うなら部屋着ではなく外着に着替えを済ませた俺は、同じくさっきまでの着物よりも少しだけしっかりとした着物――着物の分類には明るくないので、どれがどれなのか分からないが――に着替えたかりんさんとリビングの机で向かい合わせに座り、先ほど省略した諸々の連絡事項の伝達を行なったのだった。まぁ、当初の予測通り、かりんさんは一も二もなく俺の言うことを納得するべき事実として受け入れてくれたので、俺の貴重な弁論力を無駄遣いすることなく事を為すことができたのは重畳と言って然るべきだろう。

そしてどうしてか、弥生さんはまだ自分の部屋に戻っていない。さっき俺が『帰ってくださいね』と確かに言ったにもかかわらずいまだソファーに寝転がってぐてっとしているこの人は、本当に帰る気があるのだろうか、いや、ないのだろう。もうめんどくさいからこのまま放っておいて行ってしまってもいいかもしれない。だって、どうせこの人をここに放っていったとしても俺たちがここを出ているのはほんの四五時間であって――確かに盗人が部屋を荒らして金目のものを奪い去っていくには十分な時間かもしれないが、しかしここに寝転がっているのは弥生さんである――、特に問題はないのかもしれない。まぁ、かりんさんの貴重な甘味が食い荒らされたりするくらいの被害は出るかもしれないけど、でもそれくらいだったらまた今度買ってあげればいいだけのこと。なんつぅか、もう勝手にさせておけばいい気がしてきた。

「その、幸久様のお師匠様という方は、どちらにお住まいなのでしょうか? お夕飯を食べるというのにこの時間から出られるということはかなり遠くにお住まいなのでは……?」

しかしまぁ、いかにかりんさんが俺の言うことをそのまま受け入れてくれたとしても聞きたいことが何もない、というわけではないようで、ここからは俺の事実連絡タイミングではなくかりんさん主導の質疑応答タイミングになるのだった。だが、かりんさんが相手じゃなかったら高確率でその前に反論タイミングがやってくることを考えれば、事実の伝達効率だけを見れば非常に優秀というのが正しいだろう。

というか、なにか物を言ったらそれについての質問に受け応えるのは話者の義務なわけであって、当然の対応ではあるのだがな。

「師匠の家は、この部屋から徒歩五分圏内だよ」

「五分、で着くのですか……? それならば、もう少しお夕飯の時間に近い、遅い時間までお待ちしてからお伺いしたよろしいのではないでしょうか? お夕飯を召し上がりながらということでしたら、あまり早い時間に押しかけてしまうのはご迷惑にあたるのではないでしょうか?」

「夕飯は、俺がつくるんだよ。師匠は、今日はちょっと帰りが遅いらしいから、俺が用意しておくんだ」

「あぁ、なるほど、そういうことでしたか。それならばこの時間から行くのも納得です。ところで、そのお師匠様というのは、幸久様に何を教えてくださっているのでしょうか」

「なにを、教えてるか? えっと、基本的には料理、かな。あと、いろいろ生きていく上での振る舞い方とか、生き方そのものとか、じゃないかな……?」

「お料理のお師匠様だったのですね。それでは本日つくられるお料理は、幸久様がどれだけその教えを身につけられたかの確認も兼ねているということでしょうか」

「ん? あっ、いや、別にそういうのはないかな。今日は、師匠はちょっと他の用事があって自分で晩飯つくってる余裕がないっていうからさ、なんていうか、晩飯づくりの仕事を引き受けたというか、肩代わったというか、まぁ、そういう感じ」

しかし、実際のところ、別にテストと明言されていないとしても、晴子さんのために俺がつくる料理はいつだって採点されているのだ。つまり晴子さんが言いたいのは、料理の世界は常在戦場、いつでもどこでもどんなコンディションでも、常に己の持つ最高のポテンシャルを発揮することができてこその料理人である、ということなのだろうと思う。

とにかく、晴子さんにお出しする料理を適当につくるなんて、俺の持っているスキルレベルでは不可能なことなわけであり、いつでも全力であたらなければダメなのだ。というか、全力であたってもダメなときがある、…、いや、いつでもだいたいダメ出しされるのだから、俺なんてまだまだである。料理神、というか神であるところの晴子さんがただただ頷いて納得してくれる料理をつくることができるようになるまで、俺の修行は終わらないのである。

そもそも、俺ごとき弟子畜生が師匠神であるところの晴子さんの重厚にして深遠なる思慮を読み解こうということからして不敬にあたるのであって、俺はただ可能な限り命令に忠実に、神の箴言に従っていればいいのである。どうせ、晴子さんの言わんとすることはそうそう理解できることじゃないんだし、黙って従っているのが一番いい。低次の存在が高次の存在の思惑を、その前提とする世界の差異によって理解することができないように、晴子さんの高尚な思考は俺の卑賤な思考では理解不可能なのだ。まぁ、なんというか、『ベストキッド』みたいな感じで、ただのペンキ塗りだと思っていたんだけど実はカンフーの修行だったんだぞ! ほっほっほ、身体が動くじゃろう! みたいなアレなのだ、と思う。思いたい。

「とりあえず、今日はあっちで晩飯だからってことが言いたいわけ。分かってくれた?」

「はい、そのことでしたら、よく分かりました。しかし、幸久様のお師匠様にお会いするということでしたら、着ていく服はもう少し落ち着いた色の方がよろしかったですか?」

「別に気にしないでいいよ、かりんさんがいいと思うものを着てってくれれば。師匠はあんまり堅苦しいこととか言わないし、それにその服、言うほど派手じゃないと思うよ」

「そうでしょうか…、少し、この袖のあたりの刺繍が目立ちはしませんか?」

「平気平気、目立つっていうか、かわいいよ。よく似合ってると思うし、センスいいと思う」

「そ、そうですか……?」

「それを選んだのは、おねえさんだからね! おねえさんの功績ってことを忘れないでね!」

「はいはい、どうでもいいですね。それじゃあ、そういうことなんで、そろそろ出ましょうか。向こうで食材の感じを見て買い物にも行かないといけないわけだし、時間がもったいないし」

「幸久様、なにかお持ちするものはございますか。先日購入したばかりの、使い込むほど味が出るという鉄の中華鍋を持って行かれますか」

「あぁ、あれな、使うほどにいろいろ吸って味が出るっていう、あれな。あれは、別に持っていかなくていい。向こうのキッチンも、もう俺のキッチンみたいなもんだし、わざわざ持っていくほどのもんでもないだろ。っていうか、あれデカいんだよ。持ってくのダルい」

「左様でございますか、了解いたしました」

「ゆ、幸久様、私は、なにか持っていった方がいいでしょうか。お近づきの品に、なにか」

「あ~、気にしないでいいよ、そんなこと。師匠はそういうの借りだと思っちゃう人だから、むしろ持ってくとイヤな顔されると思うし」

「そ、そうですか…、そういうことならば、お気持ちだけさしあげることにします」

「うん、それがいいと思うよ。うし、じゃあ、そろそろ行くか。弥生さん、別にここにいてもいいですけど、いるんだったらきちんと留守番しててくださいよ。カギ開けっぱなしのままでどっかにでかけました、とかやめてくださいね」

「うぃ、まかせて~、おねえさんはノートパソコンを持ち込んでお仕事しつつお留守番してるからね~」

「わざわざそんなことするくらいだったら、自分の部屋に帰ればいいのに……」

「とりあえず、三人ともいってらっしゃ~い」

「はいはい、行ってきますよ」

「おねえさんは、ゆきが帰ってくるのを首を長くして待ってるよ。ゆきが帰ってきて、晩ご飯をつくってくれるのをね」

「はいはい、分かってますよ」

というわけで、俺たちはようやく目指す先であるところの天方家へと向かうために部屋を出ることができたのだった。実際問題、これから五分弱かけて天方家に赴き、それなりに時間をかけて雪美さんと霧子を説き伏せて、冷蔵庫の中身をチェックしてから晩飯のメニューを決めて不足分の買い物に行き、それからいっぱいまで時間を使って晩飯をつくり、おそらく晩飯を食う前に晴子さんにギリギリと絞られ、そしてぼろぼろの身体を持てあましながら晩飯を食べて、とこれからの予定を想像してみると、そこまで無茶苦茶な感じではないなぁ、と思ってしまう俺がいる。普通だったらキツいなぁ、と思うところなのかもしれないけど、これまでの人生的にこれ以上にキツかったことはいくらでもあるわけで、これくらいなんでもないぜ、と思ってしまうのだ。

あるいは俺がふつうの人よりも危機に鈍感なのかもしれないが、それはおそらくこれまでのハードな人生によって感覚がマヒしてしまっているからに違いない。だって、どうしてもこれまでの人生と比較して『あのときに比べればマシじゃね?』と考えてしまうのだからしょうがない。なんというか、俺は小中学生の時分にムリな時を送り過ぎていたのかもしれない。いや、かもしれないなんて言葉はそぐわない、確実にムリしすぎていたのだ。

「…、なぁ、広太、俺って、今は大人しくしてるか?」

「それは、どういった意味合いをもってしての御言葉でしょうか。一概にお答えすることができるご質問ではない、と愚考いたします」

「つまり、俺って、昔に比べたら丸くなったよな、ってこと」

「昔というのは、小学生の時分や中学生の時分のことを指すのでしょうか」

「あぁ、そのあたりの、俺が一番ハッちゃけてたって言われる頃と比較してな」

「そう、ですね…、私としては、幸久様はそうお変わりになっていないのではないかと存じます。もちろん年月を経ることで心身ともに成長はなさっておいでですが、しかし根本の性根といいますか、一番根元の部分でお持ちになっている考え方は、変わっていません。今も昔も、幸久様は幸久様です」

「それってつまり、どういうことだ? 根本的なところは何にも成長してないってことか?」

「幸久様が幼いころよりお持ちになっている素晴らしいところは、過ごされた年月によって色あせていないということです。ご心配なさらなくても、幸久様は今も昔も最高に輝いております」

「…、お前にそう言われると、なんかそんな気がしてくるから困るな。ダメだ、広太の意見は参考にならない。かりんさんはどう思う? …、いや、かりんさんはそんなこと聞かれても困るか」

「幸久様は、今も昔も変わらず素敵だと思います。だって私は、小学生のときの幸久様も、中学生のときの幸久様も、今の幸久様も、変わらず好きですもの」

「あれ、かりんさんは、昔の俺のことも知ってるの? 直接に会ったことはないって言ってたけど」

「直接に会ったことは、ありません。ですが、幸久様のことはずっと見ていました。三木のお家から、幸久様を映したビデオがよく届けられていましたから」

「なにそれ、俺そんなの知らないんだけど」

「私もそれについてはなにも知りません。おそらく隠し撮りでもしていたのではないでしょうか」

「隠し撮りって、怖いな、おい。でもおじさんとかがそんなことしてる感じしなかったし、誰が隠し撮りなんてしてたっていうんだよ」

「…、私には、申し訳ありませんが、よく分かりませんのでお答えすることは出来ません」

「そうか、まぁ、お前にも分からないことくらいあるよな。とりあえず、それはいいや、もう過ぎたことだ。それにしても、そっか、だからかりんさんは俺に会ったことなくても俺のこと知ってたんだ」

「はい、習い事ばかりで面白いこともない毎日を、幸久様だけが癒してくださいました。幸久様がいらっしゃらなかったら、私がここでこうしていることもなかったと思います。本当に、幸久様には感謝してもしきることができません」

「いや、それは、俺はなにもしてないっつぅか、ここでこうしてるのはかりんさんが自分でがんばったからっつぅか、…、俺なんかに感謝なんてしなくていいんだって」

「息が詰まってしまいそうな二見の後宮で、私の心を支えてくださったのは幸久様なのです。あなた様がそれを御存じなくても、でもそれは紛れもない事実なのです。ですから、幸久様にとってはおかしな話かもしれませんが、感謝だけでもさせてください」

「なんか、何にもしてないのに感謝されるなんて、変にくすぐったいな……。でもそれって、かりんさんにとっては大事なこと、ってことだよね。そういうことなら、まぁ、感謝されるくらいだったら、いくらでも」

「私は、これから一生かけて幸久様にご恩返ししていきたいと思います。ですから、末永く、よろしくお願いいたします」

「…、よろしく、って、気軽に言っていいのかどうか分からないけど…、言うよ。よろしくね、かりんさん」

「はい! 不束者ですが、よろしくお願いします!」

実際のところ、今の場合その言葉は気易く口にしてはいけないものだ。そのことはよく分かっている。でも俺は、ここではそう応えるべきだと思った。

もしかしたらそれは、ある意味で、かりんさんとのこれからのことについて本気で向き合っていこう、という決意の代わりだったのかもしれない。

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