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Prism Hearts  作者: 霧原真
第十一章
144/222

俺が鈍い? そんなバカな

「で、霧子はどうしたんだ?」

「ふぇ?」

「いや、別にわざわざ志穂を止めるためだけにここまで来たって言うんなら、それはそれでいいんだけどさ」

けっきょくのところ何をしにきたのかまったくわからなかった志穂を、全身の疲労感とダメージと引き換えに追い払って、俺はとりあえずホッと一息ついていた。しかし、ホッと一息ついたところで席に座ろうかな、と思った俺を、世界が拒んだ。

さっき見事なタイミングで現状に介入し志穂に正気を取り戻させた霧子が、どうしてか俺の座るべき席を占拠していたのである。実際問題、別にこのまま素知らぬ顔で霧子の膝に座ってしまうこともできるかもしれないが、しかしそんなことをしたからといって何が解決されるわけでもあるまいし、ただいたずらに状況を混迷に落とすだけなのは明らかだった。

だからこそ、ここではどうしようもないことをするべきではないわけで、速やかに席を奪還するべく霧子の説得に乗り出すべきなのだ。というか、どうせなにか用があるけどなかなか言い出せなくて、でも言いだせないからって言わずに帰るわけにはいかなくて、二進も三進も行かなくて、とりあえずそこにある俺の席に座ってみて俺を困らせることによって俺の注意を自分に引き付け、俺の口から『どうしたんだい』と言わせて自分が話をするのに都合のいいフィールドをつくらせようという、まぁ、他力本願以外の何ものでもないのだろうが。

「えと…、用がないってわけじゃ、ないんだけど……」

「じゃあ言いなさいよ、そんなところでもじもじしてないで」

まぁ、霧子がこうやって遠回りに主張をしてくるのは昔からのことだし、別に今さら文句を言ったりするつもりはない。というか、今さら霧子の他力本願なやり方を更生させようと努力するのはいささかズレていると言わざるを得ないだろう。霧子のそれはもはや一つの個性といって過言でないほどに根付いてしまっており、直させるには人格の矯正までも行なう覚悟が必要になってくるだろう。

もしそれを本気で矯正したかったら、もっと幼少のころから手を打っていなければならなかったのだ。ぶっちゃけ、今さら更生させようなんて手遅れというか、大事な個性を潰してまですることではないだろう。

というか、霧子がこうまで他力本願な性格になってしまったことの一端には俺の極度の甘やかしがあったわけであり、ある意味でそれは俺の罪業ということもできるだろう。そう、霧子の他力本願を修正しようなどと、そうなるように仕向けた俺が言うのはまごうことなきエゴなのであり、どうして今になってそんなことをすることができるだろうか。俺に出来ることはそれを直させようと努力することなどでは決してなく、共にその十字架を背負い共に罪を負うことだけなのである。

いや、まぁ、別にそんな大層なことじゃないかもしれないけど。霧子が極度の他力本願なら、それをフォローするのが俺であり、カバーするのが俺なのだ。そうすることが、霧子をそんな風に育ててしまった俺の責任ということができるだろう。

「…、あのね、幸久君、残念なお知らせがあります……」

「残念なお知らせ?」

「うん…、とっても残念なお知らせ……」

「霧子から残念なお知らせを聞くのは慣れてる。そんなに言い淀まなくていいからサクッと言ってくれ」

しかし、霧子が誰かになにかを『言いなさい』と言われてすぐに『あのね』と話し始めてくれるようになったのは、信じられないかもしれないが、中学校に上がってしばらく経ってからだったりする。霧子は基本的に、口に出す言葉をよくよく頭の中で吟味してからでないと話しだすことのできない性質で、頭の回転速度があまり早くない霧子は一般的な人たちの会話速度になかなかついていくことができない娘だったのだ。

まぁ、別にだからといって俺がフォローするから何の問題もないのだが、いちおう霧子も一人の人間なのだから自分の言いたいことは自分で言いたいだろうし、こうして成長してくれる分には俺としてもうれしい限りなのだが。

「にゅ…、あのね、あたし、ぜんぜんジャンケン勝てなくて、あんまり競技に出れなかったの……」

「ふ~ん…、まぁ、霧子はあんまり運動得意じゃないからな。あんまりたくさん競技に出られるとクラス自体が勝てなくなるから、それはそれで自然な淘汰なんじゃないか? なんていうか…、神の配剤っていうか、世界の意思っていうか、まぁ、そういう風に出来てるってことだろ」

「にゅぅ…、そうかもしれないけどぉ……」

「別に一個も出れなかったってわけじゃないんだろ? それならいいじゃん、いっぱい競技に出ないといけないって法律があるわけでもあるまいし。体育祭の霧子っていうと、応援席で応援する姿が定番だろ」

「にゅぅ…、そうなんだけどぉ……」

「それともなにか? どうしてもいっぱい競技に出たい理由でもあるのか? もしかして景品か? 先生たちがくれるっていう景品がほしいのか? 止めとけ止めとけ、あぁいうのはな、運動が得意な奴がもらうもんって相場が決まってるんだって。霧子がいくらがんばったって、そうそうもらえるもんじゃない。っていうか、ほしいもんがあるなら俺が買ってやるから言えって。服でもアクセでも、買える範囲のなら買ってやるから」

「ほ、ほしいものは、自分で買うもん」

「そうか? まぁ、別にそういうことなら自分で買ってくれ。…、じゃあ、何のためにそんなにいっぱい競技に出たいんだよ。別になにか、分不相応なほしいものがあるってわけでもないみたいだし、競技なんていっぱい出る必要ないだろ」

「んにぃぅ……」

まぁ、確かに霧子はこういうみんなでがんばる系の行事が好きだ。でも、だからって自分がたくさん競技に出ちゃうぞ! みたいなことを言うことは今まで一度もなかった。霧子はときどき子どもっぽいところもあるけど、でもけっこう適材適所とかの考えを理解して受け入れる度量も持っていたりする。そんなわけで、運動の得意な人が競技をがんばって苦手な人は応援をがんばるっていうこと自体は、しっかり理解できているはずなのだ。

しかし、どうして今回に限ってはこんなことを言っているのだろうか。せっかく成長した思考回路が一気に退化してしまったということがないのであれば、そこには必ず何かしらの理由的なものがあって然るべきなのだが。

『幸久くん、にぶ』

「えっ? なにが?」

『ふつう、そこまでいったら気付くんじゃないの?』

「…、なにに?」

『にぶ過ぎるから、罰ゲーム!』

「罰ゲーム!? 六時間目もう始まっちゃうのに、罰ゲームするの!?」

『きりちゃんがなに言いたいか分かったら、罰ゲームなし』

「め、めいちゃん…、べ、別にそんなこと、しなくていいんだよ……?」

『きりちゃん、やるときはやらないと、ダメ。それに、あんまりにぶ過ぎるのはよくないと思うし』

「霧子が言いたいことを、考えるのか……? ま、まぁ、俺くらいの霧子博士になれば、それくらいのこと特に難しいということもないだろうけど……」

『でも今、分かってない。幸久くんは、大事なところが抜けてるから、ダメ』

「ダメって言われると、そこはかとなくへこむな……。い、いや、負けないぞ! 俺は霧子の言いたいことをここでばっちり思いついて、理不尽な罰ゲームなんて受けないんだ!」

『でも幸久くん、にぶいから。たぶんムリ。罰ゲームの準備しとくね』

「正解するんだから、準備なんていらないよ!」

『解答権は一回だけだから』

「急に難易度高くなったし……」

『正解すればいいだけ』

「…、よし、分かった。それじゃあちょっと考えるから、少し待ってくれ」

『ちなみに罰ゲームは、幸久くんがないしょにしてる今までにしちゃったえっちなことに、尾ひれをつけてのりちゃんに話す刑』

「それは俺に死ねってこと!?」

『幸久くんは正解するんだから問題ないかも。正解、するんでしょ?』

「ぉ、おう! もちろん正解するぜ! ちなみに、ヒントはもらえるのか? それとも、ノーヒントで頭を早く働かせて想像しないといけない的な?」

『自分で大丈夫って言ったんだから、ヒントなんてない。人生は、そんなに甘くないと思う』

「…、もしかしてメイ、怒ってる?」

『怒ってない、呆れてる。幸久くん、あんまりにぶすぎるから』

「え~…、俺、そんなににぶいかなぁ……」

『普通だったら、ピンとくるはず。それが全然なんだから、つまりにぶいってこと。自分のことは、自分が一番分かってないといけないと思う』

「ピンとくるって、霧子が何が言いたいかってこと?」

『そう』

「でもさ、ふつうの人だってさ、人がなに考えてるかわからなくなること、あるんじゃないか」

『幸久くんは、いつもはだいたい分かってるんだと思う。というか、むしろ分かってなくていいことまで分かってるなと思う』

「それだったら、別に俺ってにぶくないんじゃないか? どっちかというと、鋭いっていうかさ」

「確かに幸久君、すごい鋭いときもあるよね。なんにも言ってないのに、いろいろやっておいてくれたりすることもあったりするし」

「なるほどな、ふむ、そう言われてみれば、私も心当たりがなくもない」

「あれ、姐さん、どうしてここに?」

「む、いてはいけないのか?」

「いや、別にいちゃいけないってことはないけどさ、もう次の時間が始まりそうな時間だっていうのにこんなところに来て、珍しいなって思っただけ。姐さんは、授業が始まる三分前には席に座って授業の準備と最後の見直しやってる感じがあったから」

「確かにそうだな。そうするのが学生としてのあるべき姿だとも思っている」

「まぁ、俺もそれが学生のあるべき姿だとは思ってる。激しく実態には沿っていないけど」

『のりちゃんは、あたしが呼んできてもらいました』

「メイは、いったいいつの間に姐さんにメールを打ったんだろうねぇ……」

「つい今しがただ。一分も経ってはいない」

「姐さんも何気に、かなりフットワーク軽いよね。別に今に限った話じゃないけどさ、決めたら迷わない感じするわ」

「兵は神速を貴ぶというだろう、何事も動くと決めたらすぐに動くべきなのだ。考えて動くという結論に至ったのならば、その後に何を考える必要があるというのだ」

「おっしゃる通りです」

「にゅ…、でも、やるって決めたあとでも、悩んじゃうときとかあるよね……。テスト前に、勉強するぞ! って思っててもテレビ見ちゃったりするし……」

「それは、本当に心に決めることができていないからそうなってしまうのだろうな。あるいは、やらなくてはいけないと分かっていても出来ないというのは、頭では分かっていながら最適の選択をできないということであり、人間の持つ弱さのようなものなのかもしれない」

「最適の選択しか出来なかったら、そんなの人間じゃないぜ、姐さん。そういう不確定要素の何もない存在は、機械っていうんだ。一人殺すか五人殺すかっていう選択で、それじゃあ一人殺す方を選ぼうって出来るやつは、少なくとも人間的じゃない」

「まぁ、それはまた違う話だろうが、私だって当然、常に最善の選択を出来るわけではない。失敗をすることもあれば、勘違いをすることだってある」

「へぇ、そういうのは、あんまり想像つかないな。たとえば姐さんのする失敗って、どんな感じ?」

「そうだな…、テストで常に満点を取ることができないというのも、その一つだろう」

「…、もう少し、生活に密着した感じのがいいんだけど、他にはなんかないの?」

「他のものか? …、そ、そうだな…、たとえば、言葉にして伝えてしまうのが一番いいのは分かっているのだが、それをなかなか言うことができない、とかだな……」

「? ごめん、抽象的すぎて分からないんだけど、もう少し具体的に言ってくれない? 誰に何を伝えるの?」

「ば…、バカ者! そのようなことが言えるわけがないだろう! というか…、それを言うことができないから、私はだな……!!」

「? 姐さん?」

「黙れ、この痴れ者めが!! だからお前は鈍感だというのだ!! まったくもって持田の言うとおりだ!! これより貴様に制裁を加える!!」

「あれ!? なんでそんな結論が出てきたの!? た、タイム!! 俺はまだ霧子の考えていることが何なのかっていうことに応えてすらいない!!」

「一体何の話をしているのか分からん!! 私は私の正義によってのみ行動する!! 貴様の鈍感さはもはや、悪!! したがって制裁する!!」

「ちょ、め、メイ! 姐さんにぜんぶ説明して!!」

『うん、こうなると思った』

「さ、策士だぁああああ!?」

こうして俺は、なんだかよく分からない展開によって姐さんからの制裁を受けることになってしまったのだった。いったい何がどうなってこうなったのかは分からないが、まぁ、姐さんは意味もなくキレるような人じゃないわけで、きっと俺が悪いんだと思う。

しかし、状況を理解することができても納得できないときというのはやっぱりあるもので、それが今なんだと思う。つまりこういうのを、理不尽と呼ぶのではないだろうか。

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