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Prism Hearts  作者: 霧原真
第十一章
143/222

飛んで飛んで、地に落ちて

五時間目に行なわれた体育祭出場種目争奪戦の熱気冷めやらぬ教室で、しかしそれに参加することができずにふてくされて居眠りをしていた俺は、眠気にぼんやりとしている頭を抱えて軽く寝崩れた髪をかきかき自分の席に座っていたのだが、そんなふんわりした状態だったが故に、興奮状態がいまだ継続しているらしい志穂が爛々と目を輝かせながら俺の席に特攻をかけてきたことに対して満足に対処することもできず、その勢いに押されるように軽く吹き飛ばされた感じになっていた。具体的にどれくらい吹き飛ばされたかといえば、俺の後ろの席の弓倉楓の机をなぎ倒し、ゴロゴロと転がったついでに掃除用具入れのロッカーに派手な音をさせて叩きつけられるくらいだ。

『驚いた』というのがまず最初に来てしまって痛みがなかなか訪れてこないのだが、とりあえずその大きな音のせいですやすやと寝息を立てていたゆり先生を起こしてしまったので、そのことについてのひどい罪悪感が心へと大挙して訪れたのだが。

「…、三木君、大丈夫かしら?」

「…、なにがどうなってこうなったのか、というか今、何がどうなってるのか分からんのだが、とりあえず弓倉、机が大変なことになってしまっているぞ……。すまなかった……」

まず最初に、掃除用具入れにぐったりともたれかかっている俺に手を貸してくれたのは、俺がなぎ倒してしまった机のオーナーであるところの弓倉楓本人だった。教室の前方に設置されているゴミ箱になにかを捨てに行く、というわずかな時間の間に――その実、正味でも行って帰るのに一分もかからない――自分の机が思い切りなぎ倒され、その中に入れられていた教科書ノート筆箱等々の勉強用具から、その脇にかけられたかばんの中にしまわれていたエプロン三角巾レシピ帳等々の家政部の部活用品まで、ありとあらゆるものが周囲にまき散らされるという惨状の最中にあってなお、俺が立ち上がるために手を貸してくれるという選択をしてくれたと考えると、こいつはなんていい奴なんだろうか。あるいは、さっさと立ってこの状況を解決する手伝いをしろよお前が元凶なんだから、ということを暗に言いたいのかもしれない。というか、それが普通の感性か。

「別にいいわ、気にしないで。ちょっと机の中身が軒並み吹き飛んで、ちょっとかばんの中身が軒並み吹き飛んだだけじゃない。大した問題じゃないわ」

「…、とりあえず、片づけは手伝うわ……」

「そう? そうしてくれると助かるわ」

弓倉の手を借りてどうにか立ち上がった俺は、まず軽く体中に付着したちり的なものを払い、それから全身の関節駆動部に違和感がないかを軽く動かしてみて確かめ、ついでに拳をぐーぱーぐーぱーとにぎにぎして、最後にグッと握って固めると肩をぐるぐると回すのだった。

「志穂! そういうことはしちゃダメって、いつも言ってるだろうがぁ!!」

ドカドカと床を踏み鳴らし、俺は全身から怒っているぞオーラを噴出させながら志穂に向かって歩を進めると、その目の前でピタッと歩みを止める。ほんの目前に、小さな志穂の頭がある。俺と志穂の身長差によって、この距離まで近づいてしまうと志穂が見上げない限り、いくら俺が目線を下に向けたところで俺たちの目線は交わらない。そして今、俺と志穂の視線はまったくもって交わっていない。

「聞いてるなら俺の目を見ろ、志穂! 俺は久しぶりに怒ってるぞ!」

ちなみに言っておくが、怒っているといってもそれは志穂のあまりに唐突すぎる不意打ちによって全身くまなく痛めつけられたことに対する私憤などではなく、社会的な生物であるところの人間としてそういう行動を取っちゃうのはどうなのかなぁ、という教育的観点から見た公憤なのである。志穂にいろいろな学ぶべき事物を教えていく上で、絶対に外してはいけない叱りポイントというモノが存在しているということを忘れてはならず、今こそがその瞬間なのだ。

志穂は基本的に脳の構造が単純なので、悪いことをしたときは即座に叱り、自分が悪いことをしてしまったのだということを自覚させるところから始めなくてはならないのだ。後になって思い出したように怒ってしまうと、自分が何について怒られているのか分からないという状況をつくってしまうことになる。そうなってしまうと、自分はなにも悪いことをしていないのに、どうしてか分からないけど俺に叱られたと思ってしまうことになり、けっきょく悪いこととは何なのかという学びも生まれなければ、やっちゃいけないことをやってしまったという反省も生まれないのである。

「こら、志穂! こっち見なさいって言ってるぅあああああああああああああああああああっ!?」

しかしこの場合においては、そんなことはどうでもいいから黙って散乱してしまった弓倉の荷物の片づけを手伝っているべきだったのかもしれない。

俺がいくら言っても目線を上げようとしない志穂にいら立って拳骨を振りかぶった気配を感じ取ったのか、ターゲッティングされた頭を射程圏外へと逃がすべく小動物のように機敏な動きでしゃがんだ志穂だったが、しかしそれはとっさの予防的な回避行動などでは決してなく、むしろ攻撃の前動作だったらしい。そして、そんな志穂の動きを読み違えた俺は構わず一気に拳を振りおろしたのだが、もっと志穂の反撃を警戒して拳を止めて防御動作に移るべきだったなぁ、と今では軽く後悔している。

振り下ろされ頭頂部に迫る俺の拳を恐れることなく、勢いよく、まるで伸びあがるように立ち上がった志穂は、しかし紙一重のところで拳を回避すると、そのままカウンター気味のヘッドバッドを俺のみぞおちのあたりに叩きこんだ。志穂の脚のバネの強さを考えれば当然のことなのかもしれないが、斜め下からの強攻撃を見舞われた俺は再びかすかに宙を舞い、今度は弓倉の席の隣にある脇本結花<ワキモト ユイカ>の机を吹き飛ばし、教室の扉へと思い切り衝突したのだった。そして当然のことだが、吹き飛ばされた机からは先ほどの再現のように荷物が飛び散り、すでにまかれている弓倉の荷物の上に降りかかるようにまき散らされるのだった。

ちなみに、カウンターヘッドバッドをみぞおちにブチかまされた俺がどうなったかといえば、ひどい呼吸困難に陥りのたうち回ることしかできなくなっていて、志穂に対して怒っている場合ではなくなってしまっていた。人間、けっきょくは他人より自分であり、自分がこの上なく危機に陥っている状況では他人に対する怒りも消えうせるのだということを、俺は今、身をもって久しぶりに味わっていた。

いったいこの娘っ子、なんの恨みがあって俺にここまでの仕打ちをするというのだろうか。

「…、三木君、だいじょうぶかしら?」

「弓倉…、すまん……」

「別にいいわ。あなたも大変ね」

そして、俺は再び弓倉の手を借りて立ち上がると、折れかかった心をなんとか持ち直して、いまだ整わない呼吸を強引に整えると、三度志穂の前へと立ち、大魔王的悪と対峙するのだった。

「分かった、とりあえず話を聞こう。お前だって、別にやりたくてこんなことしてるわけじゃないんだよな。なにか言いたいこととか聞いてほしいこととか、そういうのがあって、それに加えてちょっとテンション上がっちゃったからこういう感じになっちゃってるだけなんだろ? 分かる分かる、お前の気持ちはよく分かるぞ。そういうときってやっぱあるよな、人間だもんしょうがない。でもそれだけじゃダメだ。いくらテンションが上がってても手を出す前に言葉で交流しないとダメなんだ。俺達は文明種族、人間だからな。なんでもかんでも拳で伝えあえると思ったら大間違いなんだ、肉体言語種族よ。分かったら、とりあえず言ってみろ。お前はいったい何が言いたくて、いったい何を伝えたいんだ。俺が聞いてやるから、安心して話してみっ……!? …、っかは……」

おそらく、志穂は獣に還ってしまったのだろう。野生のハンターの血が、別段流れてはいないだろうに、騒いでしまったに違いないのだ。だからもう、俺のことも分かっていないのだろう。ただ目の前にいる獲物を、ただただ狩っているだけなのだ。

だからいつもならしないようなこともできるし、実際にやる。志穂は、三度対峙した俺に対していささかの躊躇も感じられない勢いで拳を叩きこみ、そしてあまりのダメージに膝を突いた俺の腕を取ると、ガジガジと、それこそ捕らえた獲物のテイスティングをするようにカジカジと、何とも言えない表情でそれをかじり始めたのだった。

こいつが何をしたいのか、悪いがまったく分からなかった。なんというか、行動に論理性が感じられないというか――それはいつものことなのかもしれないが、いつも以上に意味不明である――、何の目的でそんなことをしているのかがまったく分からず、どうして俺が今、激しくせき込みながら腕を取られ、志穂の歯固めのための材木の代わりにされているのかなんて分かろうはずがなかった。

「し…、しぃちゃん! 目を覚まして!」

「はにゃ!? ほぁ…、あり? ゆっきぃどうしたの?」

「それは、俺のセリフだよ……?」

しかし、俺がいくら何を言っても反応しなかったというのに、どうやら霧子の一声で我に返ったらしい。もしかしてこいつ、俺のことなめてる? いや、かじってる?

『しほちゃん、幸久くんのこと食べようとしてた』

「え~、そんなことしないよ~」

「いや、してたよな? お前、してたよな? 俺の腕に、お前の歯型がくっきりついてるんだから、言い逃れとか出来ないからな?」

「え~?」

「そんな『なに言われてるか全然分かりません』みたいな顔するなよ。俺がおかしなこと言ってるみたいだろ。まぁ、クラス全体が証人だから逃げようはないんだけどな」

「そんなことより、ゆっきぃ」

「『そんなこと』じゃないよ!? なに上手い具合に話そらそうとしてるんだよ!」

「でも、ゆっきぃ、おいしかった」

「えっ? あぁ…、それは、なんというか、よかったな」

「それでね、ゆっきぃ」

「だからさ! なんで話そらそうとするんだって! 終わってないからな、今の話! っていうか、問題は俺のことをかじったことじゃねぇんだって! お前、その前に俺のこと二回ふっ飛ばして、一回膝突かせてるんだからな! 意味もなく勢いで暴力を振るうんじゃないの!」

「? そんなことしてないよ?」

「やっぱり無意識!? なにこの娘こわい!?」

「しぃちゃん、幸久君は確かに頑丈だけど、でもやっぱり痛いと思うんだ。もししぃちゃんが覚えてなくても、やっぱりごめんねってしないとダメだと思うよ」

『しほちゃんが幸久くんを吹き飛ばして、二人の机がこんなことに』

「そうだぞ、別に俺に謝らなくていいから、弓倉と脇本には謝っとけ。お前のせいで机ふっ飛ばされたんだからな」

「ほぁ~、にもつが、たいへんだ~……」

「お前が大変にしたんだからな? 分かってるよな?」

「えと…、はっ! そうだった! かえっち、ゆいにゃん、ごめんなさぃ~……」

「そうそう、悪いことしたときはちゃんとごめんなさいしないとダメなんだぞ。ほら、片付けの手伝いをして、なんとか許してもらえるように誠意を見せてくるんだ」

「別にいいわ、もう片付けも終わるし。それよりも、わたしは三木くんの身体の方が心配だけど?」

「俺の身体は、まぁ、頑丈だからだいじょうぶだ、心配ないぜ。でも、心配してくれてさんきゅな、弓倉」

「そう、心配ないっていうなら、別に心配しないわ」

「あぁ、そうしてくれ。とにかく身体が頑丈なのが、俺の数少ない取得みたいなもんだからな」

「そうなの。そういうことならなおさら心配することはなかったわね。変に心配なんてされて迷惑だったでしょう、ごめんなさいね」

「いや、心配してくれたっていうのは素直にうれしい。心配してくれるやつってのは、友だちだからな」

「わたしと友だちになったって、いいことなんて一つもないわよ、三木くん」

「見返りがほしいから友だちになるわけじゃないだろ」

「…、まぁ、別になんでもいいわ。とりあえず、これからこういうことがないように気をつけてくれるかしら。事あるごとに机の中身をひっくり返されたりしたらたまらないわ」

「あぁ、志穂もきっとよく分かってるはずだと思う。俺からもまたちゃんと言っとくからさ、今日のところは勘弁してやってくれ」

「次から気をつけてくれればいいわ。とりあえず、教室の中で暴れ回るのだけは、なんとしても止めさせて」

「それが一番難しいんだけど…、いや、分かった、何としても教育してみせる。大丈夫だ、俺が本気出せば志穂がしっかりした子どもになる日も遠くない、はずだ」

「うん、あたしもがんばるよ!」

「そうしてちょうだい。ほら、皆藤さん、席に戻るといいわ」

「は~い、じゃあゆっきぃ、あとでね~」

「あぁ、後でな」

そう言って、志穂はテクテクと自分の席に戻っていったのだった。いったい何をしに俺の席まで着たのかということは、残念ながらまったく分からなかったのだが。

まぁ、こうしてスパッと忘れられてしまうようなことなのだから、別に大事というわけではないのだろう。というか、また思い出したら言いに来るだろうし、そんなに俺が気にするほどのことではないか。

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