昼飯をつまみつつ
「いただきます」
俺とゆり先生と綾先生の三人は、それぞれ自分の分の昼飯を目の前に広げて声を合わせて食事を開始したのだった。ここは家庭科準備室、俺は体育祭のことで軽く呼び出されて先生たちを訪ねてきたのだが、今はどうしてかいっしょに昼飯を食うことになっている。
まぁ、俺が五時間目に遅刻してはいけないから、というゆり先生の言葉によってこの状況は生じているのだが、実際のところ、おそらくだが遅刻の憂き目にあうことはないのではないだろうか、と俺は思っている。いくら家庭科準備室が、俺たちの教室がある校舎から離れているといっても歩いて10分とかかかるわけではないのだ。本当にギリギリまでかからない限り遅刻などということにはならないだろう。
というか、綾先生はあと5分もかからないと言っていたのだから、その言葉を信じるとするならばもう間もなく話は終わっていたはずであり、昼飯に尋常ならざる時間を割かない限りはちこくなんてことにはなりようがないと言っても過言ではないのである。
「へぇ、お二人のお弁当の中身はだいたい同じなんですね」
まぁ、ゆり先生がどういう意図を持って俺をここで食事させようとあんなことを言ったのかは分からないが、とにかく俺は結果的にここで弁当を開いているわけであり、今日の俺の昼飯の相手は先生二人ということだ。あぁ、しかし、ゆり先生と食事するっていうのは家庭科の授業みたいでなんだな……。実習と同様に、つくった料理の提出を求められそうでなんとなく怖いぞ……。
「このお弁当は、先生がつくっている故~、中身は同じなのですよ~。まぁ~、先輩は好き嫌いが多いので、全部同じというわけには参りませんが~」
「なによ、別にいいじゃない。少し嫌いなものがあるだけなんだから、そんなこと言われたくないわね。っていうか、ゆりだって嫌いなものあるじゃない、人のこと言えないわよ」
「先生が嫌いなのは、ジャンクな食べ物全般ですので~、先輩の好き嫌いとは一線を画するものではないかと~。先生は~、基本的に健康志向ですので~」
「…、いや、それが何に対してであっても、好き嫌いというのはよくないと思うわ」
「先生は~、嫌いなのではなく避けているのです~。健康によろしくないものは食べないようにしているのですよ~。食べられるものを、食べないようにしているだけですので~、やはり先輩のそれとは異なるものかと~」
「…、ジャンクフード以外にも食べないものあるじゃない。コーヒーとか、炭酸飲料とか」
「そういうものは~、少し先生には刺激が強すぎるものですので~。そもそも先生は~、コーヒーのカフェインに含まれている覚醒作用に頼らなくてもお仕事をすることができるのですよ~、先輩と違って」
「ぅ、うるさいわね! あたしだってコーヒー飲まなくても仕事くらいできるわよ! でもなんか、コーヒー飲むと頭がすっきりした気がして、仕事がいつもより出来る気がして、あと…、あと……」
「先輩、そんなにカフェインがほしいなら、先生としては緑茶がおすすめですよ~? カフェイン含有量的には~、コーヒーよりも緑茶の方が多いと聞いたことがあります故~」
「いや、でも、緑茶にはあのパンチがないから…、コーヒーじゃなきゃダメなのよ……。ブラックコーヒーをガバッと飲んだときの、あのガツン! っていうのがないとダメなのよ……」
「難儀ですね~、まぁ、先生はあんな苦いものはいりませんですけどね~。先生は、お茶とおまんじゅうがあればお仕事出来ますので~」
「お茶にはカフェインが多いんじゃなかったの?」
「誰もが先輩のようにカフェイン目当てで行動していると思ったら、大間違いなのですよ~。先生はただ喉を潤すためにお茶を飲むだけですので~。あと~、頭を使ったら甘いものが食べたくなるので、おまんじゅうですね~。ですが、今は先輩の好き嫌いのお話ですよ~、先輩の嫌いなものは~、ピーマンやたまねぎ等々のお子様がお嫌いなお野菜全般ですよ~。まったく~、コーヒーが飲めるからって大人ぶっても~、所詮は子ども舌ですね~、うふふ~、情けないですね~」
「や、止めなさい! そういうことはばらさないの!!」
「好きなものはジャンクフードですね~。先生が見てないと三食ファストフードのハンバーグとかしやがりますからね~。絶対許せないですね~。というかそもそも、食物アレルギーでもないのに好き嫌い言って食べないなんて、大人のすることではないですよ~。そんな人間が教師として学生を指導するだなんて、ちゃんちゃらおかしいといいますか~、笑わせますね~」
「た、食べるもん! あたしだって野菜くらい食べられるもん! べ、別に情けなくなんてないもん! 先生なんだもん!!」
「先輩先輩、口調が恥ずかしい感じですよ~。素に戻ってますよ~」
「はっ!? ゆ、ゆり! あたしのことからかってるんじゃないわよ! そんなことより、早くご飯食べるわよ!! あっ、話もするわよ!!」
「あらあら~、自分に都合の悪い話になったら先生のせいにして終わらせようとするなんて~、外道ですね~。ですが~、三木ちゃんを遅刻させないためにもお話はさっさとする必要がありますので~、今回は先輩の考えに賛成です~。でもその前に、三木ちゃんのお弁当を見せていただきましょうかね~。特別授業ですよ~」
「えっ? あっ、えぇとですね……」
「はい、包みを開きましょうね~」
「あれ!? いつの間に!?」
この部屋に入って席に座ってからずっと手元においていたはずの弁当の包みが、どうしてか今この瞬間、いつの間にかゆり先生の手の中にあった。もちろん、先生の行動の一挙一動をつぶさに観察していたわけではないから見落としはあるかもしれないが、しかし自分の手元から弁当の包みを持っていくような動きは、さすがに見落とさない。見落とすわけがない。
いったい先生はどんな動きをもってして俺の手元から弁当の包みを奪取したというのだろうか。というか、それも気になるのだがそれよりも、あの弁当は俺のつくったものではないのだ。おそらくだが、先生はそのことに弁当箱の中身をパッと見ただけで気付くだろう。いや、別に俺の弁当が俺製じゃないというのは大した問題じゃないし、先生に怒られるようなことでもないだろうけど、でもなんとなく微妙な気分だった。
なんというか、サボってるのがバレて気まずいというか、俺がつくったと信じて疑わない先生の期待を裏切るのが辛いというか……。先生、気付かないでくれないかなぁ…、いや、それは無理だろうけどさ……。
「あら~? これ、三木ちゃんって感じじゃないですね~? 誰かにつくってもらったですか~?」
「あっ、いえ、あのですね……」
「三木ちゃんは~、自分のお弁当は自分でつくる派でしたよね~? 今日はたまたまですか~? それとも、どなたかいい方でも、できたですか~?」
ここで先生に、「ゴールデンウィークに旅行に行ったら許嫁がいることが発覚しまして、その人と今いっしょに住んでます」なんてことを説明し出したら、俺の平和な日常生活が大変なことになってしまいかねない。というかそんなこと、俺の口からは上手く説明できる気がしない。そもそも俺自身、まだ自分の中でその事実を消化しきれていないんだ。どうしてそれだというのにしっかりと説明することができるというのだ。
ここは迷うことなく誤魔化そう。きっちり誤魔化せば、察しのいいゆり先生のことだ、それが誤魔化しだということを看破しても俺が誤魔化そうとしているという事実から「俺がこのことについて話したくない」と考えていることを読み取ってくれるに違いない。上手く話せないことを無理に説明しようとすれば、それは何らか話を破たんさせかねない齟齬を発生させることと同義である。なに、こんなところで罪悪感を感じる必要はない。これはただ、変化球で先生に俺の真意を伝えるだけなのだから。
「た、たまたまです」
「ん~…、ウソですね~」
「う、ウソじゃ、ないですよ~?」
やっぱり一瞬で察知された。これは俺のウソの吐き方が決定的に下手なのか、それともあるいは、先生の察知能力自体が異常なのか。どちらにしても、ここから先は俺の思った通りになることだろう。つまり、先生が俺の苦境を察して質問を遠慮してくれ
「それでは~、たまたまどなたにつくっていただいたのですか~?」
なかった。
「…………」
「三木ちゃんがそれについて言いたくないってことは~、わざわざ誤魔化すようなことを言ったので分かります~。ですが~、それであっても聞かなくてはならないことというのはあるのですね~。そしてこれが、まさしくそれなのですよ~。さぁ、どなたにつくっていただいたのですか~?」
「…、母です」
「三木ちゃんの御母堂様は~、三木ちゃんが物ごころつく前に亡くなられたと聞いております~。その『母』というのは~、三木ちゃんの育ての親の『母』ということで、よろしいですか~?」
「…、くわしいですね、細かい設定に」
「えぇ、まぁ~、三木ちゃんのことですから~。天方ちゃんからいろいろ聞きだした甲斐あって~、今では一端の三木ちゃん博士ですよ~」
「…、霧子め…、ペラペラ何でもかんでもしゃべりやがって…、あとでお仕置きだな……!」
「ちなみに~、三木ちゃんがその育ての御両親と別の家に住んでいるということも、存じております~。つくってくださったのは御母堂様というのは、少々苦しい逃げでしたねぇ~。まぁ、三木ちゃんが話したくないことを無理に聞きだそうとは思いませんので~、ご安心を~」
「助かります……」
「ゆり、あんまり立ち入ったことをしちゃダメよ。いくら教師だって、学生のプライベートを荒らす権利はないんだからね」
「分かっていますよ~、先輩は心配性ちゃんなんですから~」
「あんまり信用ならないのよねぇ、あんたのそういう関連の言葉は。あんたの恋愛って、いつも偏執的じゃない」
「あらまぁ、失礼な~。先生は三木ちゃんのことを縛るつもりなどありませんよ~。両者合意の上での、健全な関係を望んでおりますので~」
「あんた、いつもそう言うのよね」
「あらあら、そのようなこと~、恋人の一人もできたことのない先輩に言われたくはないですね~」
「一人もいなかったわけじゃないわよ!」
「知っていると思いますが~、お試しでデートしただけの同性は、恋人にカウントしませんからね~?」
「そんなこと分かってるわよ! いくらなんでもそんなことを言いたいわけじゃないわ! って、そんな話をしてるときじゃないのよ、今は」
「えぇ、その通りですね~。先輩、早く必要なお話をしてしまってくださいね~」
「分かってるわよ。あっ、ゆり、お茶入れといて」
「はいはい~、分かってますよ~」
「それでね、三木くん、分かってると思うけど、もう三木くんとの一日デート券が体育祭の景品になったってことは動かない事実として受け入れてね。それで、そのデートのときに三木くんに負担がないようにあたしたちで金銭的なフォローはするわ。とりあえず一万円ずつ、二万円は出すし、足が出た分は言ってくれれば出すって思っておいて。でも、あんまりお高いことばっかりするのは止めてね。あと、ウソ吐いてお金だけもらうのとかも止めてちょうだい。まぁ、三木くんはそう言うこと出来ない子だと思うから、心配はしてないけどね」
「分かりました」
「あと、もし三木くんが一位になったときは、二位の子に景品が繰り下げになるわ。もちろん、そのときはなにか景品を用意させてもらうから安心して活躍してね。期待してるわよ、クラスで唯一の男の子なんだから、ぜひ一番得点を稼いでちょうだい」
「はい、分かりました」
「なにか分からないこととか聞きたいこととかが出てきたら遠慮しないで聞いてね。あと、最後にひとつ言っとくけど、あたしたちはなにも三木くんに罰ゲームをさせたくてこういうことしてるんじゃないからね。出来ることなら三木くんもデートを楽しんでくれれば、って思ってるの。そのことだけは忘れないで」
「それは、あの、分かってるつもりです。…、あっ、さっそく一つ聞きたいんですけど、いいですか?」
「? なにかしら?」
「先生たちは、どうしてそんなに最下位になりたくないんですか? こんな、わざわざ俺たちへの餌まで用意して」
「あぁ、そっか、学生は知らないのよね。ゆり、教えてあげなさい」
「はい~、うちの学園では、体育祭の教職員打ち上げで最下位クラスの担任副担任が~、支払いを持つという悪しき因習が蔓延っているのですよ~」
「…、あぁ、なるほどです……」
「分かってくれたわね、三木くん! 何も、あたしたちのためにがんばれとは言わないわ! ただ、景品のために! お願いだから、がんばってちょうだい!!」
「精いっぱい、がんばらせてもらいます」
「さすがは三木くん! 頼りになるわ!」
「やっぱり先生の見込んだ子ですね~、は~い、いい子いい子ですよ~」
先生たちの置かれている危機的状況を知ってしまった俺は、事態を収拾することが出来ないのは明らかなのだが、なんとか体育祭で活躍することによって間接的にでもそれを回避する一因になることを目指すしかなくなってしまった。もう、俺のデート券がどうとかじゃない。ピンチの先生を、いかにその状況の中から救いだすかということが重要なのである。