ゴールデンウィークの過ごし方 坂下弥生の場合②
「つまりね、おねえさんは二日間もゆきがいなくてさみしかったということなんだよ、分かるかい?」
酔い覚ましのため、水道水に氷を浮かべただけの冷水を弥生さんに何杯も飲ませている最中、ふと思いついたかのように弥生さんはそう呟いた。
「はぁ、そうでしたか。そんなこといわれても、俺にはどうしようもないんですけど」
俺が二日間旅行に出掛けてしまっていたから寂しかったんだぞ、などと言われても、確かに少なからずうれしいと思うことはあるかもしれないが、だからといっていったい俺にどうしろというのだ。俺は俺個人として思うままに生きていこうと志向しているわけであり、そりゃ、気が向いたら旅行にだって行くさ。それだというのに、そんな「勝手にされたら困るぞ」みたいな目を向けられても対処のしようがないというものではないか。
「というか、別に俺がいなくなったっていっても、それは二泊三日の旅行が終わったら帰ってくるって分かってたことなんですから、深刻に考えるほどのことでもないじゃないですか。ただ二日、その間だけ俺がいないっていうだけのことなんですから」
とりあえず、どういうわけか人間としての尊厳を放棄して全裸で睡眠していた弥生さんには、今一度衣服をまとっていただいたのである。今はきちんと下着を身につけ――とはいってもノーブラなのだが――、黒のハーフパンツにノースリーブシャツという極めて軽装ながら、少なくともその獣性を和らげることには成功したのではないか、と思っている。
まぁ、やおら目を覚ましたと思ったらそのまま、生まれた姿のままで俺の脚にすがりついてベーベー泣きだしてしまった弥生さんに服を着せるのは並大抵の労苦ではなかったのだが、しかしそれはまたこことは関係のない別のお話である。
「とりあえず、俺がいない二日間で極めて自堕落な生活を送っていたのは分かりますから、今この瞬間にそのサイクルから脱してください。まずは、そうですね、部屋の換気から始めましょうか。あとその布団、まだ太陽が出てますし、少しの間だけでも陽に当てておいたほうがいいですね。あっ、干す前にシーツはがしてください、洗たくしちゃいますから」
「やっぱりおねえさんは、ゆきがいてくれた方がうれしいな。だって、こうやっておねえさんのお世話を焼いてくれるからねぇ」
「は? なに言ってるんですか、全部自分でやるんですよ。ほら、さっさと立ち上がってください、まずは全部の部屋の窓を開けてきてください。その間に俺は部屋の中に散らかってるいろんなゴミをまとめておきますから。それからシーツをはがして布団を干してください。台所の洗いものは俺がしておきますから。最後にたまってる洗たく物を、シーツも含めて洗たく機に入れて回しちゃってください」
「洗たく物はとくにないよ」
「あぁ、洗たくだけはちゃんとしてたんですか?」
「いや、この二日はずっと裸だったから、洗たくするべき服を着てないのだ」
「…、服は着てくださいね」
人外め…、と心中で吐き捨てるように毒づきながら、しかし俺はにこやかな笑顔を張りつけたままでなんとか穏やかを装ってそう言った。風邪をひいてこじらせて肺炎になって死ね! と思ったが、しかし当然そんなことを口に出したりはしないわけで、そうやって適度に本心を隠していくのが正しい人付き合いの形なんだろう、と俺はしみじみ思ったのだった。
「まぁ、見られて恥ずかしい、締まりのない身体をしているつもりはないから、別に構わないんだけどねぇ」
「いや、そういう話をしてるんじゃないですよ?」
「え~? でもおねえさん、おっぱいもおっきいし形いいし、ウェストもけっこうくびれてるし、脚もスッとしてるし、情けない身体はしてないよ?」
「知りませんよ、そんなこと」
「ゆきだって、おねえさんに迫られたらグッとくるでしょ? 下半身の一部分が、こう、ね? 若さ的なものが、せり上がってくるよね?」
「…、きません」
「ほんとに~? おねえさんがこうして、おっぱいを強調するようなポーズをしても? 左右から上腕に押されたおっぱいが、せめぎあって隆起するように谷間をつくっていても、ぜんぜん?」
「…、ぜんぜん、ですね」
「触ってもいいよ? 顔をうずめたいなら、してもいいよ? 谷間に手を差し入れたいとか、マニアックな要求にも応えてあげるけど? あっ、もちろん、手じゃなくてゆきの大事な村雨蘭丸でもいいんだけどね?」
「…、全体的に、謹んで辞退させていただきます」
「知っているかい、ゆき。本来ならば赤ん坊への授乳を為すための器官でしかないおっぱいは、女性の性感帯の一つなんだから、それを刺激することによって女性が自らの性欲を解放するために用いるっていうのは普通のことだと思うけど、でもそれを、逆転の発想で男性の発散のために用いようと考えたのは、長い人類の歴史上でも、比較的最近のことなんだっていう説があってね。考えてみれば単純なことでしかないのかもしれないし、今となってはそんなの別に特別なことっていうほどでもないのかもしれないけど、でも当時はきっと驚異的な発想だったに違いないよ、それはあたかも卵を立てて見せたコロンブスのような、あるいは天動説から地動説への転換を果たしたコペルニクスのような、大転回だったに違いないんだ。そもそもこの、おっぱいの間に男性のソレをナニするという単純極まりない構図を発明したのはルイ15世の愛人であるポンパドゥール夫人であると言われているんだよね。彼女が生きたのは1700年代なんだから、つまりそれが発明されたのはたったの300年ちょっと前ってことになるんだよ。通常の性行為が人類誕生の時点から行なわれていたとすると、それはとても新しい技術なんだ」
「それ、聞かないといけない話ですか?」
「いや、別に。それにしてもさ、ノースリーブのシャツって女の子が着るとやたらにえっちぃと思わないかい? ほら、横からは横乳が揺れてるのが楽しめるし、も前からはギュッと押し込められたおっぱいと見えるか見えないかの先っぽと強調された谷間が楽しめるし、おっぱいに押し上げられておへそがちらっと見える感じまで楽しめるよね?」
「普通に考えてそうだよね? みたいな問いかけは止めてくださいよ。返答しにくいじゃないですか、いろんな意味で」
「ちなみに、このハーフパンツの下はなにもはいてません」
「バカなっ!? さっきはいてたじゃないですか!! 横目でちらっとですけど、はいてるところは見ましたからね!?」
「え~、見てたの~? ゆきのえっち~」
「エッチは弥生さんの方ですよ! 存在がエッチじゃないですか!」
「否定はしないよ。でも、はいてるかはいてないか、それは現状のゆきでは確かめようがないよ。それこそ、おねえさんを押し倒してこれを脱がせる以外に術はないもの。さぁ、ゆき、おねえさんでエッチな妄想をして、むらむらっとくるがいいよ! 別にこれくらいの妄想、男の子なら当然のことだし、気にしなくていいよ!! おねえさんは、ゆきの妄想の中で強姦凌辱されようと、性奴隷にされようと、あんまり気にしないからね!!」
「そ、そんなことしませんよ! ほ、ほら、さっさと部屋を片づけちゃいますよ!」
「…、ゆき、つまんなぁ~いの」
「っ、つまんなくて、おおいにけっこう! 弥生さんなんて、ただの酔っ払いなんですから、意識することなんて絶対ありません!」
「もぅ、強がっちゃって~、か~わいいんだから~。別に、おねえさんがいいって言ってるんだから、ラッキーって思っておっぱい触るくらいしちゃえばいいのに。据え膳食わぬはなんとやら、っていうんだしさ」
「そういう、無責任なことは出来ない性分なんです」
「む~…、じゃあ今度襲っちゃうから、いいも~んだ」
「勘弁してくださいよ、そういうのは。広太が黙ってませんし、ほんとに実行されたらさすがに俺だって抗いますからね」
「も~、ゆきったら貞操観念ガチガチに堅いんだから、おねえさんつまんな~い」
「誰かとそういう爛れた関係になりたいんなら、俺はその相手としては不向きですよ。頭の堅い、堅物ですからね」
「ま、ゆきのそういうところも、かわいいっていえばかわいいんだけどね。ん~…、ほんじゃ、いつまでもゆきをかわいがってても話が進まないから、お片付け始めちゃおうかなぁ」
「そうしてください。そうしてくれた方が俺も楽です」
「窓開けて~、お布団干して~」
「ちゃんと片づけできたらお土産あげますからね」
「やった、やっぱゆきはおみやげ買ってきてくれたんだね。ありがと、ゆき~」
「ついでですよ、みんなに買ってくるついで」
「ウソだ~、ついでなんかじゃないよね~。みんなにちゃんと買ってきてくれたんだよね~」
「そんなわけないじゃないですか、ついでです」
「んふふ~、ま、なんでもいいけど~。んじゃ、せっかくゆきがついでに買ってきてくれたおみやげもほしいし、お片付けしようっかな」
そして弥生さんは、よっこらしょと立ち上がると家中の窓――まぁ、二つか三つかしかないのだが――を開くためにようやく動き出してくれたのだった。さて、それじゃあ俺も出来る範囲の片づけを手伝うとするか。
「しかし…、どうしてたったの二日でこれだけ汚すことができるんだ。いや、まぁ、ゴミの大半が酒の缶だから片づけ自体は楽なんだけど、でも、こんなに酒ばっかり飲んでたら、誰かとの人間関係の前に胃粘膜が爛れるぞ……。弥生さん、酒ばっかり飲んでると消化器系が死にますよ」
「え~? おねえさんの胃粘膜は強い子だから、お酒なんかに負けないのだ~」
「酒を飲むな、と言いたいところなんですけど、それは無理でしょうからせめて、酒といっしょに何か食べてください。そうするだけで消化器系への負担が減るらしいですから」
「へぇ~、じゃあゆき、今日はひさしぶりに何かおつまみつくって~」
「…、まぁ、それくらいだったら、いいですけど」
「ん~、そういってくれるから、ゆき好き~」
「弥生さんの『好き』は、安っちぃからそんなにうれしくないです」
「むむっ、おねえさんの『好き』は安っちくなんてないのだ。5500円くらいなのだ」
「リアルな値段設定来ましたね……」
「ちなみに、シチュエーション課金がいろいろあるよ」
「商売でもやってるんですか?」
「さらにちなみに、デートは三万、手をつないでデートは四万、らぶらぶデートは六万、ちゅーは七万、それ以上は…、お金じゃ売れないなぁ」
「ということはつまり、キスまでは売ってるってことじゃないですか。本来非売品であるものに値がついてる時点で安いですよ
「ゆきにだったら、どれもタダだよ?」
「うわ、別にうれしくねぇ……」
「なんで~! おねえさんがなんでもしてあげるっていってるのに~!」
「でも弥生さん、なんか全体的に酒くさそうで……」
「…、否定はしない!」
「してくださいよ」
「ゆきが大人になったら、いっしょにお酒飲もうね~。大人になってなくてもいいけどね~」
「よくないですよ。っていうか、俺は酒は飲まないって言ってるでしょ。どうなっても知りませんよ」
「それはつまり、ゆきにお酒飲ませたらおねえさんの貞操の保証は出来ない、と」
「俺が意識を保てる保証がないんですよ。弥生さんがどうなるかなんて、知りません」
「それじゃあ、ゆきにお酒飲ませておねえさんがその貞操をいただいちゃうのだ。いただきます」
「だから、酒なんて飲みませんって。っていうか、それ、立証されたら警察沙汰ですからね?」
「ゆきはそんなことしないよ~。そんなことしたら、えっちしてるときの写真をばらまいちゃうからね~。恥ずかしくて、警察にいうなんて出来ないでしょ?」
「それは、少女をレイプする強姦魔の発想ですよ、弥生さん。ダメですよ、そんなところに留まっちゃ」
「そもそもおねえさんは和姦主義者だから、そういうことはしないのだ!」
「別に自慢げに語るところじゃねぇ!?」
そうやって、アホなことを言い合っているうちに、あまりにあんまりだった坂下家は多少なりとももとの姿を取り戻し、まぁ足の踏み場くらいはあるかな、というくらいにはキレイになったのだった。とりあえず、最初にやろうとしていたことは出来たはずなので、最低限ではあるが掃除は終わりということにしてもいいのではないだろうか。
まだ掃除機をかけたり拭き掃除をしたりしないといけないのだろうが、それはまた今度、広太の気が向いたときにでもしてくれるのではないかと思う。基本的に広太も俺と同じ世話焼きで、そして俺以上に部屋の清潔というモノに対してこだわりを持っている。おそらく俺が妥協したこの部屋を見ても、まだダメだなと思うところがあるに違いないのだ。
「はい、弥生さん、お土産です」
「きゃっほ~ぃ、温泉まんじゅうだ~」
そして土産物の贈呈も無事に済んだことだし、さて、今度こそ部屋に帰るとするか。広太も美佳ちゃんも、おそらく首を長くして待っているだろうしな。そもそも掃除を終わらせるまでの時間稼ぎと思っていたのだが、しかし、あんまり長く待たせるのも悪いよな。
さぁ、帰ろう。二泊三日ぶりの帰宅だ。