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Prism Hearts  作者: 霧原真
第十章
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ゴールデンウィークの過ごし方 高階都の場合②

「冷蔵庫の中空っぽかと思ってましたけど、意外と食材はありましたね。まぁ、俺は中に入ってるのはほとんど使わなかったんで、きっちり使ってやってくださいね、賞味期限とかいろいろ気をつけて」

とりあえず、急速に腹痛を伴うほどの空腹に襲われて幽鬼のようになっている都さんに温泉まんじゅうを渡してリビングルームの方に押し込んでしまうと、俺はキッチンに立って都さんの六日ぶりの食事をこしらえることにしたのだった。都さんは、見て分からないかもしれないが、そんなに胃腸が強い方ではないので、これだけの間飲まず食わずでいたあとにいきなりガバッとお腹に物を入れたら大変なことになってしまう。

いや、まぁ、普通の胃腸をしている普通の人間でもそうなるか。六日間の絶食絶飲なんて、普通の人間はやらないことだろうからな。でも都さんのお腹が弱いのはほんとだ、脂っこいものを受け付けないんだから、そのこと自体は嘘じゃない。

とにかく、俺はぼろぼろになっている都さんが食べても平気なものをつくらないといけないわけであり、しかも油とかをあまり使わないという食材使用の制限までついているのだから面倒なことこのうえない。でもこれ、俺が「そんなことやりたくないんだぁっ!!」と都さんを放置して帰ってしまったとして、その後都さんが自分で料理をするかといえば、それこそありえなさそうではないか。

きっと都さんにはそんな気力はない。なんといっても、今回の絶食はマジらしいのだ。以前のように、携帯食とか食パンとかをもそもそかじっていただけで、まともな食事をしていないから絶食していたも同然、とかいう生ぬるいものではなく、本当に何も食べていないらしい。つまり、都さんが最後に口にしたものは、六日前に広太が「都さんがなんかヤバいっぽい」と言っているのを聞いて差し入れた晩飯(うちでつくったものの余りものをパパッと弁当箱に詰めて持っていった。見栄えよりも量)なのだそうだ。だから、エネルギーが本当に足りていないようなのだ。生きているだけで精いっぱいの人に、どうして料理をしろなんて言うことができるだろうか。それってきっと、かなり酷なことを言っているに違いないのだ。いいよ、俺がつくるよ、飯は俺がつくるから。

「まんじゅう、ゆっくり食べてくださいね。急いで食ったら吐きますよ」

「分かってるわ、長らく空っぽのお腹に物を淹れることに関しては、間違いなく三木くんよりも一家言あるわ」

「それ、ぜんぜん自慢になってないですよね? 別に自慢してるわけじゃないですよね?」

「それに自分の身体だしね、そういうことをしたらどうなっちゃうか、少なくとも分かってるわ」

「そうですか、それならいいんですけど。っていうか、自分の身体の事だから分かってる、という前にその身体のために食事を取ってください」

「大人にはね、食事よりもしないといけないことが、しばしばあるものなのよ、三木くん。空腹でお腹痛くても、やらなきゃいけないことがあるの」

「それは人間として最低限の営みである食事を差し置いてもやらなきゃいけないことなんですか? っていうか、それ仕事ですよね? 俺は仕事も大事だと思いますけど、人間として人間らしく生理活動を行なうことも、大事だと思いますけど」

「正直に言うとね、そういう常識的にしないといけないことをしている暇がないくらい、先月の進行はヤバかったってことなのよ。間違いなく先月末の24日が原因なんだけど」

「あぁ、やっぱりあの日、酒飲んでたんですね。だから何度も言ったじゃないですか、都さんお酒飲んでますよね、って」

「うん、そもそもそのこと自体をはっきりとは覚えてないわ。間違いないのは、あの日三木くんのおうちでお食事会をする予定になっていたことだけだもの」

「それって、ほぼ何も覚えてないってことですよね」

「そんなことないわ。頭の中に画像イメージとしてやよちゃんが三木くんを押し倒してキスを迫っている映像とかいろいろが焼き付いているもの」

「あぁ、それは覚えてたんですね。身体張らされた甲斐がありましたよ」

「まぁ、その代わりなのか分からないけど、なんとか編集のチェックを通した完成ネームと下描き20ページがどこかに消えてたんだけどね。ネームは編集部にコピーがあったからいいけど、下描きが消えたのはどうにもならないのよねぇ……。こういうときデジタルで創ってる人なら何とかできるのかもしれないけど、私はアナログ派だからねぇ…、物がなくなっちゃうと、文字通り一から描き直しだから」

「それで、けっきょくそれ見つかったんですか?」

「えぇ、おかげさまでなんとか見つかったわ。八つ裂きになって、ゴミ箱の中に……」

「や…、八つ裂き……?」

「そうなのよ、きれいに八つに破かれてたわ」

「だ、誰がそんなひどいことを……?」

「私、らしいわ。やよちゃんの部屋で飲んでいたわたしが、おもむろに『こんなんじゃダメだわ!』とか言って部屋まで走って行って、机の上に広げてた下描きとネームを八つに裁断し始めたらしいの。全然覚えてないんだけど……」

「…、都さんは、もうお酒飲んじゃダメですよ」

「分かってる、分かってるの。私はお酒飲んじゃダメなのよ、それは分かってるの。でもやよちゃんが! やよちゃんがあるときは巧みに、あるときは姑息に、あらゆる手段を用いて私にお酒を飲まそうとしてくるの!! 私は飲みたくないって言ってるのに!!」

「きっと、下手に飲めちゃうのがいけないんでしょうね。俺なんかだと、一口飲んだだけで意識と記憶飛んで、ノックアウトですから」

「三木くん、お酒飲んだことあるの?」

「えぇ、まぁ、経験って言われて飲んだのと、事故みたいに飲まされたのの二回だけですけど」

「っていうことは、やよちゃんには飲まされてないの? すごいわね、三木くん……」

「いや、まだ未成年ですから、弥生さんも俺にはそんな飲ませようとしませんって。まぁ、弥生さんにしてみたら愛情表現みたいなものなんでしょうけどね、きっと都さんのことを大好きだからお酒を飲ませるんですよ」

「そうだとしても、お酒を飲まされるのは困るわ! 私には描かなきゃいけない原稿があって、お酒を飲まされたらちゃんと描けないんだから!」

「その点については、自分で折り合いをつけていただくしか……。流石に俺の力でどうにか出来ることじゃないんで……。っていうか、弥生さんが言うにはお酒飲んでてもかなり上手いらしいんですけど、それはやっぱり素人目ってことなんですか?」

「確かに、私はお酒を飲んでもそんなに線はブレないし、上手に描くだけだったらお酒を飲んでいてもそんなに問題はないのよね。なんて言ったら三木くんみたいに馴染みの薄い人にも分かってもらえるかは分からないけど、線が腕に染み込んでるのよ。こういうところでこういう線を、っていう思想が身体に染みついてるから、もう本能レベルでマンガを描くことはできるってこと。きっと普通の人が見たらこれでいいって思うくらいには描けるはずだわ」

「普通の人は、ってことは、都さんが見たらダメってことですか? 上手に描けてるっていうのは大事なことだって、俺なんかだと安易に思っちゃいますけど、そういうわけではないと?」

「う~ん、そのあたりはひとそれぞれの感性だから一概には言えないのよね。他の作家さんがどう考えてるかは分からないし、それでいいって思う編集さんもいるとは思うのよ。でも、私はそうじゃないわ」

「と、いいますと?」

「私は絵描きじゃない、ってこと。えっとね、私はマンガ家であって、絵描きじゃないの。私が描いているのはマンガであって絵画じゃない。私が受けたいのは絵が上手いっていう評価じゃなくて、マンガが面白いっていう評価なのよ。分かりにくい話で悪いんだけど、絵を描くときに込める魂とマンガを描くときに込める魂って、私は違うものだと思ってるの。だからね、マンガを描くぞ! って全身全霊を傾けたものしか、私のマンガだとは認めたくないのよ。そんな風に考えちゃう人間だからね、お酒を飲んだときに想いを込めずに描いたものも、当然認められないってことだわ」

「はぁ…、すごいんですね、よく分からないですけど……。なんというか、プロって感じですよね……」

「まさにプロってところなのよね、一応。まぁ、自分が有名なマンガ家になれているのかどうかは、全然分かってないんだけど、とにかくなんとか生きていくくらいは出来てるわ」

「まぁ、そうですよね。俺、都さんが他の仕事してるところ見たことありませんもん」

「本当に、駆け出しのころはひどかったわ。なかなか芽が出なくてね、諦めた方がいいって思ったのも、一度や二度じゃなかったわ。でも三年前に初めて連載物を描かせてもらってね、あのときはうれしかったなぁ。今でも封を切らずにとってあるのよ、勢い余って本屋さんで買っちゃった自分の本。買わなくても何冊か献本でもらえるっていうのに、ほんとにうれしかったのね」

「まぁ、いろいろ興味深い過去があるんでしょうけど、こんなところでペラペラっと簡単に話しちゃうんじゃもったいないですから、またの機会にってことで。それよりも出来ましたよ、食べるもの。まずは鶏のささ身と大根の雑炊です。卵でとじずに汁を多めにしたからサラッと食べられるんで、けっこう食べやすいと思います。あとはもう一品、絹ごし豆腐の卵とじです。卵と豆腐でたんぱく質取ってください。あと少ないですけど上から三つ葉散らしてるんで、緑物も取れますよ。夕食も野菜中心でつくってくださいね、変に偏ったエネルギーの取り方するのはよくないですから」

「あら、もう出来たの? ご飯なんて炊いてなかったと思ったけど」

「冷凍庫にご飯があったんで使わせてもらいました。軽めの食事なんで、夕飯でまたしっかり食べてくださいよ。それで明日からはちゃんと規則正しく食事を取る。それは約束ですからね」

「そうね、そうすることにするわ。明日からはまた違う原稿に取り掛かり始めないといけないけど、生活のテンポを戻して行かないとダメだからね」

「そうしてください、本当に。身体壊したら、マンガも描けなくなっちゃうんですから。あ、そういえば、都さんはなんていうペンネームでマンガ描いてるんですか? 俺はそんなにマンガとか買わないんですけど、もしかしたら友だちが知ってるかもしれないんで」

「ペンネーム? あぁ、そういえば言ったことなかったかもしれないわね。私のペンネームはmiyakoっていうのよ。名前そのままをローマ字表記にして、miyako。分かりやすいでしょ?」

「なるほど、今度友だちに聞いてみますね。それでそいつが本を持ってたら借りてみます」

「サインくらいだったらさせてもらうわ、もし持ってたらその子を連れて来てね。できるだけ小綺麗にしてサインさせてもらうわ」

「マンガとか好きな奴なんで、きっと持ってますよ。おもしろかったら俺も買いますよ」

「そうね、義理で買ってもらってもうれしくないわ。本当に面白かって思って、お金出してもいいって思ってくれるなら買ってほしいわ」

「う~ん、どうですかねぇ……。俺はあんまりマンガ読まないんで、しっかりした評価とかはできませんよ」

「いいのよ評価なんてどうでも。けっきくマンガって、読者がどれだけ楽しんでくれたかってことしかないもん。だから三木くんが面白いと思ってくれれば、それは三木くんにとって面白いものなんだから」

「つまり、とりあえず読んでみろってことことですね。読んでみれば分かる、と」

「まぁ、言っちゃえばそういうことね。…、この雑炊、美味しいわね。すごい食べやすいし、というか美味しいわ。なんて表現したらいいか分からないけど、とにかくおいしい」

「そうですか、それはよかったです。ゆっくり食べてください、おかわりはまだつくれますからね」

「これくらいの量で平気よ。一度にいっぱい食べすぎるとお腹壊すから」

「あとは、片づけはしっかりしてくださいね。これくらいきれいなキッチンを保っていてください」

「掃除は嫌いじゃないわ。ただやる時間の確保が難しいだけよ」

「それだったらいいんですけど」

「あっ、そういえばやよちゃんが三木くんがなかなか帰って来ないってぶつくさ言ってたわよ。私なんていいから早く会いに行ってあげなさい。やよちゃん、三木くんのことすごい気に入ってるみたいだから、二泊三日ぽっちでもいないのが寂しかったのよ」

「弥生さんのところにも、この後に行きますと。とりあえずお土産だけ先に渡しちゃおうと思いまして、一階から廻らせてもらってるんですよ」

「あぁ、そうだったの。じゃあうちが一番最初ってことね、101号だし」

「えぇ、そうですよ。弥生さんは201だから最後ですけどね」

「三木くんも意地悪ねぇ。早く会いに行ってあげればいいのに、焦らすんだから」

「いや、別にそういうつもりはないんですけどね……。まぁいいや、それじゃ、俺は次に行きます」

「そう? それじゃまた今度ね。またご飯御馳走してね、三木くん」

「それは、本当にまた今度で」

というわけで、都さんの食事も出来あがったことだし、次の家に脚を伸ばすことにしようではないか。次は、同じ一階の歌子さんの家だな。どうだろう、旅行とかに行ってなければいると思うんだけど……。

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