ゴールデンウィークの過ごし方 高階都の場合①
「おぉ、二日ぶりの我が家か…、なんかちょっと、ようやく帰ってきたって感じになったな……」
霧子とはついさっき別れを告げ、ようやく本当にお開きとなった俺の今回の旅行は、今こうして我が家であるところのサクラ荘へとたどり着いたことによって、文字通り終着と相成った。しかし、こうして帰ってくるだけでなんとなくホッとするっていうのは、この場所が俺にとってホームになっているということなのだろう。そういうのって、なんかうれしいよな。
「ま、一年も住んでれば馴染むよな、やっぱ。さってと、さっさと帰って広太のことでも安心させてやるか。どうせなかなか帰ってこないとか言ってヤキモキしてるんだろうし」
駅からここまでの帰り道にある庄司の家をちら見したところ、雨戸とカーテンが開いていたみたいだしどうやらすでに本家から帰ってきているみたいだったし、ほぼ間違いなく広太もいっしょに帰ってきているだろう。そして帰ってきているということは、庄司の家に長居することができない以上、広太はサクラ荘の部屋に戻っているのである。
しかし、まったく、おばさんもおじさんも筋金入りの頑固者だよな、とこういう状況になると毎度毎度思わずにはいられない。我が子が久しぶりに実家にやってきたというのに、どうしても上がらせようとしないのだからな。
「っていうか、なんでこれだけ近くにある自分の実家を、不審者よろしく外から垣根越しにちら見しないといけないんだ、って話だよ」
そもそも何がその原因かといえば、俺たちが家を出てサクラ荘に越してくる羽目になったあたりの、俺とおじさんのやりとりがそれにあたるだろう。まぁ、細かく思い出していると時間がかかってしまうので割愛して今度に譲るが、とりあえず庄司の家的には俺の家はもはやこのサクラ荘の部屋なのであり、自立と自律の精神をもって一国一城の主としての心意気を学んでください、みたいなよく分からない理由なのである。
今思い出してみても、けっきょくよく分からないな。どうして一国一城の主は実家に戻ってはいけないんだろう……。いや、まぁ、きっと俺がふんわりとしか理解していないのが問題なのであって、しっかりした理由みたいなものが、おそらくあったに違いないのだ。とにかく、俺と広太は庄司の家に入ることが基本的に許されておらず、天変地異か何かでサクラ荘が焼失、あるいは消失でもしない限りは戻ってきてはいけないと厳命されているのだ。
「まぁ、だからこそ広太がどこにいるかが特定されるんだし、今だけはラッキーなのかもしれないけどな。でもあいつ、今はきっと二日分の掃除を俺が帰ってくるまでに済ませないとって躍起になって掃除してるんだろうなぁ……」
となると、だ、ここはもしかするとまっすぐに帰らない方がいいのかもしれないな。広太がいつ帰ってかは分からないが、もしもそんなに時間が経っていなくて掃除が終わっていなかったら、俺が帰ってくることによって広太はエラい焦るだろう。それはちょっとかわいそうというか、大変なんじゃないか?
ほら、きっと昼飯をおじさんたちといっしょに食って帰ってきたんだろうし、時間的に考えると、今は二時少し前なんだから昼の時間から二時間も経っていない。ということは掃除を始めてから一時間と経っていない可能性すらあるのだ。いくらあいつが有能とはいえ、あの家の二日分の汚れを一時間足らずで片づけきれるかどうかは疑問だ。
それだったら、少し帰りが遅くなってあいつを心配させるかもしれないが、二時間くらい潰してから帰るのが適策なのかもしれない。たとえば、旅行みやげを渡したついでに少し上がり込んで話し込んで、それを二軒も三軒もやってしまった、とかいうのはどうだろうか。いや、っていうかそれがいい、それでいこう。かなり妥当な理由だし、実際のところ、どうせあとでやらなくちゃいけないことでもあるんだからな。
「それじゃ、まぁ、とりあえず一階から行くか……」
というわけで、俺は広太が掃除を終わらせるための時間稼ぎのためにサクラ荘の住人たちをそれぞれ訪ねていくことにしたのだった。ここにはうちを除いて三戸あるから、一軒ごとに40分くらい長居すれば済むわけだ。うん、迷惑だろうな、きっと。でもだいじょぶだって、みんな優しいし、きっと少しくらいだらだらと長居されたって大目に見て許してくれるよ。
「まずは都さんか。一番最初からさっさと追い出されそうな感じするなぁ……。まぁ、修羅場じゃなかったらだいじょぶだろうけど……」
とりあえず、何はともあれ、勇気を出してピンポンするしかないのである。ピンポンしないうちは都さんが修羅場っているかどうかは観測不可能なわけで、未確定だということができるかもしれず、だからこそ今この段階で俺がお部屋に上がり込むことができるかどうかは不確定だと言えるだろう。いや、本当に、だからどうっていう話ではないんだけどな。
いつまでもドアの前でだらだらとしているのはやっぱりおかしいな。ここはさっさとピンポンして、さっさと上がってもいいかを確認するのが俺のあるべき正しい姿だ。躊躇とかしている場面じゃないんだから、ガッといかないとな、ガッと。
「み~や~こ~さ~ん! あ~そび~ましょ~!」
ピンポ~ン、と101号室のドアベルを鳴らしつつ、俺は大きな声で元気よく――それはもちろん中で都さんがヘッドホンをして作業をしているかもしれないという可能性を考慮しての行動選択であり、あるいは都さんが部屋の中で感覚器官が弱るまでに衰弱しきってしまっているという可能性までおもんぱかった思慮に満ちた行動選択である――声をかける。しかし中から返事はない。もしかしてヘッドホンの音量を大きくして作業しているか、あるいは本当に衰弱して客人の応対に出ることすらできない状況になっているというのだろうか。
いや、さすがに俺が目を離したほんの二泊三日のうちにぼろぼろになるまで衰弱するなんてことはないと思うんだけど、でもそれがまったくありえないことである、と断言できないのが都さんであり、それこそが都さんが非常にめんどくさい人である所以の一つなのである。
逆に言ってしまえば、ここですっきりと『はいは~い』と威勢よく応対に出てきてしまっては、それは都さんではないのだ。いつもなんだか社会不適合気味で、常にジャージ女で、髪は自分カットでざんばらで、料理やらないし、家事やらないし、でもなんかマンガか何かを描いてるっぽくてがんばって生きてるっぽい。そういうのが都さんなんだよ、たぶん(自分でも何言ってるか分からなくなってきた)!
「でも、あんまり面倒なのも、ちょっとねぇ……」
言っておくが、俺は別に面倒な女性に対して特別な、強いて言うならばフェチ的な感情、というか嗜好を持っているわけではない。確かに霧子とか(一人で生きられそうな気がしない、面倒)志穂とか(常識という枠にとらわれない、面倒)メイとか(コミュニケーションが困難、面倒)、あと弥生さんとか(積極的に手間をかけてくる、面倒)都さんとか(面倒の一言では語りにくい)とか、あとまぁいろいろだけど、そういう面倒っぽい女性が俺の周りには多いかもしれないけど、でも俺は、世間一般の男性の持っている常識的な嗜好と同じように、しっかりしている女性の方が好みだったりする。
いや、そういう異性が好みっていう人もいるだろうしその嗜好を否定しようとも思わないよ、っていうかむしろその嗜好も分からないでもないよ。それが分からなかったら、霧子の世話とか十年も見続けられないからな。でも、でもな、俺はしっかりしてる子がいいんだよ。確かに霧子のこと大好きだし、志穂のことも可愛いと思うし、メイのこともすごい気になるし、弥生さんなんて俺がいないとダメなんじゃないかとすら思うし、都さんに至っては放っておいたら死ぬかもしれないと思ってるよ。でも、やっぱりしっかりしてる方がいい、いいんだよ。
ダメっ娘には、きっちりダメっ娘卒業してほしいと思ってるんだ。俺は、少しでもそのお手伝いができればいいと思ってるんだ。決して、ダメっ娘はいつまでもダメっ娘でいてほしいとか、そういうことは思ってないんだ。
「…、あれ? ほんとに出てこないな……。仕方ない、正攻法は諦めよう」
都さんがいつまで待っても出てこないので、仕方がないから俺は諦めてベランダの方に回ることにした。都さんは、生活リズムだけはきっちりしているので、昼はちゃんと起きている。なんでも、昔からの習慣で、何時に寝ても朝の八時に目が覚めてしまうんだそうで、朝の五時に寝てもその時間には目が覚めるらしいから驚きだ。
つまり、今も起きているはずなのだ。そして起きている都さんがすることといえば、仕事をしているか、あるいは何もしないでぼっとしているかのどちらかで、そのどちらにしても机に向かっている。都さんの部屋の中は、ベランダからしか見たことはないが、机が窓のすぐ近くにあるので窓越しに合図をすれば気付いてくれる可能性が高いのだ。
「むっ? カーテンが完全に閉まってる? おかしいな…、だいたいいつも明かり取りのためにほんの少しだけ開けてるのに……」
なんとなく、イヤな予感がする。この時間になるまでカーテンを開けてないなんて、もしかして何かあった? もしかして、これってヤバいんじゃね?
「ちょっと、待ってな、ちょっとタイム。とりあえず玄関に戻ろう。話はそれからだ」
そうだ、カーテンが閉まってるってだけで、中で都さんが死んでるなんて思うべきじゃない。そういうのは、考えるだけでも失礼ってものではないか。…、とりあえず、ドアが開くかどうかだけ確かめよう。開かなかったら、ちょっと大家さんに相談だ。
「っていうか、ドアが空いたら開いたで困るんだけどね」
とにかく、もう一度ピンポン。
「都さ~ん。三木です。幸久で~す」
「は~い?」
「あれ? 都さん?」
「? 都さんよ?」
「…、二日ぶりに、旅行から帰ってきました!」
「あぁ、へぇ…、二日…、ぶり……? 三木くんが旅行に行ったのは知ってたけど、…、二日? 一泊二日?」
「いえ、あの、二泊三日なんで、俺は二日間ここにいませんでしたけど……?」
「…、ゴールデンウィークって、今日で何日目?」
「…、三日目です」
「もう半分……?」
「そう、ですね」
「…、ほんとに……?」
「はい…、あの、もしかして都さん……」
「なんだかよく分からないうちに、二日も経ってしまったわ……。どうしましょう……」
「あの、どうかしたんですか? もしかして、何か困ったことでも……?」
「いや、あのね、実は三木くんが出掛けて行った日の早朝に脱稿してね、だから今まで何にもしないでぼんやりしてたのよ。本当に二日間、何にもしないで、ただぼぉっとしてたの」
「…、はぁ…、それで?」
「それでね、さっき、三木くんの声がしたじゃない。だからびっくりしちゃって」
「な、なるほど」
「それで、がんばって玄関まで行こうとしてるうちにもう一回三木くんの声がするんだもの、もう一回驚いちゃったわ」
…、つまり、都さんは俺からの一回目の呼びかけに気付いていて、でも玄関まで出てくるのにどうしてか難儀して、俺が玄関前とベランダを往復するくらいかかっちゃったってこと? そういうこと?
「ぼんやりと何もしないで、二日間も使っちゃったのねぇ……」
「とりあえず、何事もなかったんなら、よかったです」
「? どういうこと?」
「いや、あの、都さんがなかなか出てこないんでベランダの方まで回ってみたんですけど、カーテンしまってたから中で倒れてるんじゃないかって思って、ちょっと心配に思っちゃって」
「あぁ、カーテンね。ちょっと先月やってた月刊誌の原稿がどうしてもヤバくて、全然予定通りに終わらなかったから、だいたい90時間くらい連続でライトボックスの光を見続けてたのよ。だからしばらく光を見たくなくって閉めてたの」
「90時間も連続で仕事してたんですか? 不眠不休不食で? 死にますよ?」
「いやぁ…、本当に危なかったのよ。ほら、一週間前くらいから、編集さん、うちのドアの前に来てたでしょ? 待たせてたのよ、原稿」
「…、あぁ、確かにいましたね、入れ替わり立ち替わり何人か」
「というわけで、何ともないわ、心配しないでもいいわよ。まぁ、あえて問題を言うなら、今、思い出したように空腹が襲ってきたことくらいかしら。うん、おなか減り過ぎて、おなか痛いわ」
「…、90時間仕事して、二日間何もしないでいたってことは、えっと、六日? 六日間、一食も食ってないんですか? なんで死なないですか……?」
「あ~、きっと体重がすごい減ってるわよ。体重計乗るの怖いわ……。五キロとか減ってたら、どうしましょ……」
「とりあえず、あの、お土産に温泉まんじゅう買ってきたんで、お腹に入れてください。その間に俺、何かつくっちゃいますから」
「ほんと? 助かるわ。こんな状態で店屋物入れたら確実に戻すし、ブロック食も絶対に入ってくれないしで困ってたのよ」
「料理つくってくださいよ、自分で」
「そんなの無理よ、そんなに動けないわ。冷凍食品もないし、やるなら本気でつくらないといけないんだから。そんな気力と体力、今の私には残ってないわ」
「…、まぁ、そうですよね。分かりました、俺がつくります。これ温泉まんじゅうですんで、食っててください」
「ほんとにありがとう、三木くん。おかげで死なないで済んだわ」
「いえ、気にしないで…、気にしてください。仕事好きなのは分かりましたから、もう少し人間らしく生きてください」
「とりあえず、連載の本数が一本でも減ったら考えることにするわ。今の本数抱えてたら、そんなこと考えてる余裕ないもの」
「そう言われると思ってました」
とりあえず、こんな状態でこんなところで議論してもどうしようもないので、部屋にあげてもらうことにしよう。そういえば、都さんの部屋にあげてもらうのはいつ以来だろうか。いつもだいたい、都さんが弥生さんの部屋にいるか、あるいは都さんがうちの部屋に来るかだったから、ここに入る機会ってめったにないんだよな。
まぁ、今はとにかく、この部屋のキッチンがなんとか利用可能な状態であることを祈るのみなのだが。