キミの見ル、セカイ
「あのね、さっきしぃちゃんが湖の方に行きたいって言ったから、幸久君もいっしょに行かないかなぁって思って誘いに来たんだよ」
「あぁ、あったな、そんな話も。そうか、そうだな、志穂、湖に行くかい?」
「ん? ん~…、…、ほぁ!? いく!!」
「なぜ溜めた……。さては忘れてたな、こいつ。自分で行きたいって言ってたくせに、どんだけだよ……」
霧子たちが不意に女子部屋から押し寄せてきたから何かと思ったら、なんということはない、さっき俺の一身上の都合で中止してもらった湖行きの話だった。しかし、そうか、確かにそんな話もあったな、うん。霧子を教会から連れ出すお仕事がたいへんすぎてすっかり忘れ去っていたじゃないか。
「っていうか、一番行きたがってたのは志穂だってのに、当のお前が忘れちゃってるってどうなの?」
「わすれてないもん! いまは、えと、それよりだいじなことがあっただけ!」
「なんだお前、言い訳をするなんてことを覚えたのか。いつの間にそんな、こまっしゃくれたことをするようになっちゃったのかしら、この娘ってば」
「そんなことよりも、三木、お前はどうするんだ。私たちは湖まで足を伸ばすつもりだ。皆藤も、おそらく行くつもりだろうからいっしょに連れていくぞ。皆藤、お前は行くだろう」
「うん、いく~」
「天方と持田も行くということだ」
「あたしも、いっしょに行くよ」
『行く』
「お前はどうする。先ほどまで出ていたのだから、疲れているというならば無理強いすることでもないからな、無理に来いと言うつもりはないぞ」
「いや、行くよ、行く行く。みんな行くんだろ、俺も行くって」
みんなで行くと言っているというのに、あえてその流れに逆らって、一人で自室待機をしている意味も必要もないだろう。部屋で一人、のんびりゆっくり悠々と余暇を過ごすことも、個人的には嫌いじゃないけど、しかしわざわざそんなことをするために俺はこんなところまで遊びに来ているわけではないのだ。
ただ無為に時間を浪費することを楽しむんだったら、そんなもの自宅でやっていろ、というものだ。それこそベッドに寝転がって何をするでもなく一時間でも二時間でもいて、喉が乾いたら水を飲んで、腹が減ったら飯を食って、眠くなったら寝て、という退廃的な生活がしたいなら、こんなところまでわざわざ出てくることが、そもそもからして必要ないのである。
こうしてあえて家から出て、あえて旅行に来ているのだから、それこそ家にいては出来ないことを積極的にやっていくべきではないか。たとえば買い物とか、たとえば教会の見物だとか、たとえば湖で水遊びだとか。自宅にこもっていては出来ないことを、探してでもやらなくてはもったいないではないか。
まぁ、それも、「こんなところまで旅行に来たんだから何かをして遊ばなくては」とかいう、よく分からない貧乏性じみた使命感がこの身の内を渦巻いているからなのであって、けっきょくはこんなところに来てもせこせこと動いていて情けない、と言ってしまえばその通りなのだが。真のセレブであったならば、バカンスに出かけたら「何もしないをする」くらいの意気ごみでいるものらしいのだが、そういうわけにいかないのが日本人の日本人たるゆえんなのである。世界中を見渡しても、休暇でバカンスに来ているというのに、あそこまでせっせと観光やら何やらやっているのは日本人くらいなんだとか、昔どこかで聞いたことがあったような気が、しないでもない。正直、あんまり覚えてない。
「みんな行くんなら、俺も行くよ。いや、みんなが行くからっていうか、俺も行くって。遠まわしに置いてけぼりにしようとしないでくれよ、姐さん」
「何を言っている、私はそのようなことをしようとは思っていないぞ。だが、お前が疲れたような顔をしているように思ったからそういう選択もあるぞ、と示しただけではないか。私がお前のことを爪弾きにしようとしているように言うのは止めてくれ、心外だ」
「いや、あの、そこまで考えての発言じゃありませんでした…、ごめんなさい……。ぁ、姐さんが、そういうことしようとしてるなんて、思ってないからさ、なんていうか、ジョークだよ、うん、ジョーク。そうだよ、俺の知ってる姐さんは、そういうことをする人じゃないよ、あぁ、しないしない、するはずない」
「そう思っているならば、いいのだがな。しかし覚えておけ、私は友人を裏切るようなことはしないし、しようと思うこともない。裏切るのは、いつも友人の方だ」
「お、俺も裏切らないから! 俺も、姐さんのことは裏切らないから! 絶対! だからそういうこと悲しいことは、もう言わないで! っていうか、なに? なにが姐さんを不安にしたの? 俺たちに裏切られると思うようなことが、なにかあったの?」
「いや、そういうわけではない。ただ、経験則だ。私は今まで、友人のことを悪意から、裏切ろうと裏切ったことはないが、その逆は経験したことがあるというだけだ」
「そ、そっか…、びっくりしたよ、もう……」
姐さんは、けっこうこうやってなんでもマジで取っちゃうところがあるから、うかつにジョークじみたことを言うのも気をつけなくてはならない。でも俺は、基本的に口から出る言葉の半分くらいは軽口で出来ているから、細心の注意を払ってなお、こうしていらんことを言ってしまうことがあるのだ。
うぅむ…、今度もまたいらんことを言ってしまったか……。いかんな、気をつけなくては…、友人を不安な気持ちにさせるなんて、よくないことではないか。しかもそれが、裏切られるのではないか、なんていう悲しい気持ちを伴うんならなおさらだ。
「それでは、私たちはこれから着替えを済ませるために、部屋に戻ろうと思う。三木も行くなら、ここで着替えを済ませてしまうのがいいだろう。去年もそうしたからな、今年もそうするのがいい」
「あぁ、確かにそうだったな。そういえば水着に着替えて、それからその上に一枚羽織って行ったんだった。覚えてる覚えてる」
『幸久くんは、ここで着替える?』
「そうだな、うん、もちろんそうだ」
『あたしたちは、向こうで着替える?』
「そうだな、うん、もちろんそうだ」
『いっしょに、着替える?』
「そうだな、うん、それだけはしちゃいけないな」
『そう』
「メイ、そんな勢いだけの誘導には、さすがの俺でもノらないぞ?」
『なんの話か分からない』
「白々しいわよ、この娘ってば」
「それじゃ幸久君、着替え終わったらもう一回こっちに来るね。また後でね」
「あぁ、また後でな。っていうか、ほんとに俺にそのこと聞きに来ただけだったんだな。それくらいのことだったら、別にメール一本飛ばすだけでもよかったろうに、ご苦労なこって」
「にゅ、でも、そんなに部屋が離れてるわけじゃないし、メール打つ間にここまで来ちゃった方が早いかな、ってことになったから」
「メイが打ったら一瞬だろ、そんなの。メイはケイタイ・マエストロだよ、霧子」
「で、でも、メイちゃんがそうするのがいいって……」
「えっ? そうなのか?」
「にゅん」
『そうするのがいいと思った』
「…、まぁ、メイがそうするのがいいって言ったんなら、そうなのかもしれないけどさ。いや、でもメイならそれくらいの用件を伝えるだけのメール、打つのあっという間じゃん。いつもの調子でカタカタやったらマッハだろ、マッハ」
「三木、どうでもいいではないか、そんな方法など。それとも、私たちがこうしてここまで来ては不味いようなわけでもあるというのか? まさか、なにか見られたくないようなことでもしていたというのか?」
「し、してないしてない、してないよな、志穂?」
「んゅ? あたし、おまんじゅ~たべてたから」
「お前、そんなに集中してまんじゅう食ってたの!? 周りの状況が全部見えなくなるくらい集中してたなんてこと、さすがにないだろ!?」
「え~、でもおまんじゅ~もおちゃもおいしかったし~」
「それはそれ! これはこれ! 俺が何してたかくらいは分かるだろ!」
「ん~…、ゆっきぃが、ここにいたことくらいなら……」
「それは、ほぼ何も分からないっていうんだよ!! っていうか、俺がここにいなかったなんてこと、あるわけないだろ!! お前、さっきからずっと俺の肩の上に乗っかってたじゃねぇか!!」
『肩に乗って…、なにしてたの……?』
「なにその聞き方!? 肩に乗って、肩車してたんだよ!? メイもそれは見たよね!?」
『なにかあるのかと思った』
「ないよ!! 肩に乗っかられたままで起こる何か変なことなんて、俺には想像することもできないよ!! っていうか、さっきからメイ、話に割り込んでくる仕方が若干強引だよ!?」
『最近、あんまり出番なかったから。出来るだけ前に出ていかないと、忘れられちゃう』
「出番? 前に出る? な、何を言ってるのか分からないんだけど……? メイ、それは、どの視点からの発言なの……?」
『最近、あたし影薄い』
「そんなことないよ!? 影薄くないよ!? 俺はメイのこと忘れたりしないよ!? っていうかむしろキャラ濃いよ!! 常にケイタイで会話してるなんてキャラ濃すぎて印象に残りまくるよ!!」
『ほんと?』
「ほんとほんと。この中の誰よりもキャラ濃いよ。無口キャラとかいう次元は、すでに超えてるって」
『でも、どうしてかあたしのセリフ、少なかった』
「セリフ? いや、別に、しゃべってたと思うぞ? あっ、しゃべってはないけどさ、でも、会話には参加してたよ」
『それでも少なかった、その場面はカットされてる』
「カット……? そんな、テレビ番組じゃないんだから、カットなんてされてないよ。俺は確かに、間違いなくメイとおしゃべりしたよ。ほら、飯食ってるときもしただろ、おしゃべり。姐さんに、食事中はケイタイいじるなって怒られたじゃん」
『そこもカットされてる』
「ちょ…、メイの目には何が見えてるの……? 俺たちには見えてない何かが見えてるの……?」
『面白い展開にならないと、記録に残らないから』
「お笑い芸人じゃないんだから、そんなこと気にしながら生きなくてもいいのよ!? っていうか、記録ってなに!? 俺たちの生活が記録されてるの!? 誰によって!?」
『部屋に戻らないと』
「急! 話の転換が不自然な上に、急すぎる!! っていうか、変な疑惑だけ残してどこかに行かないで!? メイ! ちゃんと詳しく話してから部屋に戻って!!」
『早く着替えないと』
「そうだな、それではまたあとでな」
「あとでね、幸久君」
「んしょ…っと」
「皆藤、ここで脱ぎ始めるんじゃない。お前も向こうの部屋で着替えるんだ」
「え~、でもすぐきがえないと~」
「よく考えろ、ここにはお前の着替えはないぞ。それにそもそも、いくら相手が気を許している三木だからと言って、異性の前で易々と肌を晒すんじゃない。慎み深さを持っていなくては、女性として恥ずかしいぞ」
「つつしみぶかさ?」
「あとで、むこうの部屋で説明してやる。だから今は部屋に戻るぞ」
「う~」
「霧子!? 姐さん!? 二人はメイの話を聞いてもなにも感じなかったの!? 違和感はなにもないの!?」
「持田はそう思っているというだけだろう。生き方は人それぞれということだ」
「そういう流れじゃなかった! 絶対そういう流れじゃなかった!!」
「それでは、私たちはこれで失礼する」
「に~…、ゆっきぃ~……」
「ぅ、ウソや~ん……」
そうして、メイの謎の発言によって激しく心乱された俺だったのだが、しかしそうだったのはどうやら俺だけだったらしく霧子は特に何も思わなかったようでサクッと部屋に戻って行ってしまい、俺を激しく動揺させた当の本人であるメイはそんなことは知らんとばかりにプイッと踵を返してしまい、そして姐さんはおもむろに俺の目の前で着替えを始めようとした志穂の首根っこを掴むと独自の理論を展開するだけしてさっさと帰って行ってしまった。まるで、そんなことを気にしているお前の方がおかしいんだぞ、とでも言わんばかりの扱いだった。
しかしメイの発言、まるでこの世界を上から覗き込んでいると言わんばかりの不思議さを秘めていた。メイは、無口という自分の特性を強調するかのように、あまり必要でないことは表明しない。逆に、こうしておおっぴらに物を言うということは、何か思うところがあるのかもしれない。まぁ、それも、あくまでも、俺の見るメイの姿という一面的な認識でしかないのかもしれないけど。
そしてあとにはただ、状況に置いてけぼりにされてしまった三枝さんと、それから完全に放置プレイをぶちかまされた俺が残されるのみである。正直、なにも聞かなかったことにすることは難しい発言だったと思うのだが、どうやら俺の感性がこの場にそぐわなかった、というのが世界の選択らしい。