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Prism Hearts  作者: 霧原真
第九章
106/222

知っていること、知らないこと

「どうぞ、お茶になります」

「あっ、ありがとうございます」

くつを脱いで、これから二泊三日の間俺の住まいになる部屋へと足を踏み入れて、荷物はとりあえず部屋の端の方に置いておいて、何はともあれお茶でも飲んで一服入れることにした。そして、そのためにもお茶の用意でもしよう、と思っていろいろ入ってる容器に手を伸ばしたのだが、一歩早く三枝さんに奪い取られてしまい、今まさにお茶を入れてもらい、やや苦い気分で飲んでいるのである。

しかし、苦い気分で飲んでいると言ってもお茶自体が苦いとか渋いとかそういうことはなく、ぶっちゃけ美味しい。緑茶なんて、いかに適正温度とかなんとか言ったって、入れちゃえばそんなこと関係あるまい、と思っていたのだが、やはり何かが違うように感じる。紅茶については、広太が毎日のように美味しいものを入れてくれるから何か違うんだろうなぁ、と思っていたが、しかしどうやらそれは緑茶にも当てはまるらしい。

まぁ、広太はあんまり緑茶はいれてくれないからなぁ。三木家は基本的に昔から西洋かぶれだったらしく、その名残として庄司の家は使用人・女中ではなく執事・メイドのスタイルを昔からとっているらしいし、庄司の家は三木の遺産――庄司の人々は、遺産とは決して呼ばない。名残という――として西洋のクラシック家具とか食器とかが満ち溢れているし、日本生まれ日本育ち、白米の炊きあがりの香りと出来たてのみそ汁の香りを愛し、風呂といえば湯船につかること、を信条とする純和風青年(過言である)の俺としては、もう少しくらい和に傾倒してもいいんじゃないのかなぁ、とかたまに思う。

だってほら、けっきょく俺たちは日本人でしかないわけだし、いかに西洋かぶれたとしても西洋人にはなれないしさ。西洋風の生活っていうのは、ヨーロッパで生きていくのにふさわしい生活であり、日本の風土にはどうしたってそぐわないところが出てきてしまうのが必然ではないか。

いや、まぁ、そんなにそぐわないなぁ、とか思ったことはないんだけどさ。俺もベッドで寝てるし、フローリングで生活してるし、和とは遠い生活をしてるんだけどさ。俺の中で和の部分なんて、日本人だってことと白米が好きってことくらいしかないんだけどさ。

「はぁ…、すごいおいしいです。ありがとうございました」

「いえ、ご満足いただけたなら、光栄です」

「それで、じいさんが気に入った景色っていうのは、あっちのでっかい窓の景色ですか? 確かにキレイだけど、別にそこまでじゃないように思うんですけど……。なんて言うか、ちょっと色合いが物足りないっていうか…、山の緑の色しか見えなくって、感動が足りないですね。あぁ、もしかして、季節かな? 秋になると、紅葉がすごくきれい、とか?」

「いえ、そちらの大窓は、あとになって大きなものを張りなおしたものらしいので、おじい様がご覧になった景色はそちらではございません。こちらの、丸窓の方です」

「こっち? えっ、でも、これってふつう障子がはめ込み式になってて、開かないようになってるんじゃ……?」

そう言って三枝さんが指さしたのは、部屋の北側の違い棚と天袋の間の小さな丸窓だった。北向きってことは、明り取りのための窓ではないことは明らかで、つまりこれは内装としての窓であり、開く必要のない窓なのではないだろうか。

それに、なんか、天袋の襖に描かれている絵、すごい中途半端でひどく違和感を覚える。どうやら滝の落ち始めの部分が描かれているようなのだが、落ちている途中も落ちた先も描かれていなくて、とても半端だ。これならむしろ描かない方がいいのではないか、と思ってしまうほどに物足りない。

というか、そもそもこういう窓は開く構造になっていないんじゃないのか? いや、詳しいことは知らないんだけどさ、なんか、配置的にそんな感じが。

「この窓の周りの違い棚と天袋は、おじい様のご指示で増設されたのだそうです。あと、こちらの床の間もそうだそうで、この部屋はもともととても簡素な造りをしていたそうです」

「そうなんですか…、でもこの窓から見える景色って、かなり狭いんじゃ……」

「ご覧になれば、分かります。とても素敵な風景ですから」

そして三枝さんは、スッと立ち上がるとその丸窓にはめられた障子に手をかける。すると障子は、一般的なそれと変わらずシュッと敷居に乗って、横向きに加えられた力に従って横へと滑っていく。

「さぁ、三木様、こちらからご覧ください」

「こっち、ですか?」

それから三枝さんは、俺の手を取って立たせると窓の真正面へと導いた。こうしてみると、この光景は丸窓を中心にして書院造のキレイな構図を取っている。なんというか、違い棚に飾られている漆器や床の間に飾られている梅花空木の小さな鉢、山水を描いた水墨の掛け軸も詫び寂びっとしてていい感じのように思える。そしてそこにほのかに光をともすのがその丸窓であり、それはある意味で、障子をかけられたままでこそ完成というか、障子を外してしまうのは蛇足というか、バランスを崩す行為なんじゃないかなぁ、とか、素人ながら思ってしまうのだった。

いや、でも、それ以前に、この書院造的な部屋構造そのものが後付けで造られたって言ってたか。ということは、逆なのだろうか。あの窓は障子が外れていることが前提で、外れていなかった今までよりもさらに素敵なものが立ち現われるということなのかもしれない。

「うゎ…、すご……」

「素晴らしいでしょう、とても。この眺めは、当館の至宝です。三木様のおじい様も、すべてこの景観のためだけに莫大な私財を投じてくださったのです。だからこそ、半世紀前と同じ眺めが、こうしてここに切り取られているのです」

そこに切り取られていたのは、俺が今まで観たこともない眺めだった。それこそまるで、完成された一幅の絵画のようで、俺は知らずゴクリと喉を鳴らしていた。

「確かにこれは、素晴らしいですね……。金でこれが手に入るならば、それに必要なだけの額を持っているならば、出してしまうかもしれない……。これを、自分のものに出来るなら、あるいは……」

「大変、お気に入りいただけたようでなによりです」

それは、滝の流れ落ちる風景だった。しかしそれでありながら、どこか幻想的だった。少なくとも、どこに行っても見られるような、そんな安い景色ではなかった。

ほんの小さな丸窓に切り取られているというのに、それを感じさせないほどの無限の広がりがそこにある。いや、切り取られているからこそその範囲の外に広がる景色が想像の中で無限に広がるのかもしれない。

「ですが、ご安心ください。この風景は、もうあなた様のものです。おじい様が築きあげられた、三木の遺産なのですから」

「…、はは…、俺、今初めて、俺であることに感謝したかもしれない……。三木の家なんて、面倒なことばっかりでろくなことないと思ってたけど、そればっかりじゃ、ないのかも……」

「三木の遺産は莫大です。三木様がご存じないものも、あるいは何らか残されているかもしれません」

「遺産の管理は親族に任せてるから、俺はぜんぜん、なにが残されてるかなんて知りませんよ。俺が知ってるのは、少なくとも俺たちが細々と生きていくことができるだけの金と、それと家族だけですから」

「三木は、先代当主がすでに亡くなられていらっしゃるそうですね。ですから、三木様がすでに当主を継いでらっしゃると、聞き及んでいます」

「俺を生んだ両親が、っていうか肉親が全員まとめて死んだのは、自動車事故のせいらしいですよ。俺は生まれたばっかりだったんで、何にも知らないんですけどね」

「ご両親は、『三ツ木』でいらっしゃったんですか?」

「? えぇ、まぁ、俺の親ですから、三木ですよ。確か父が母を嫁に向かえたって聞いてますから、間違いないと思います」

「…、そうですか…、…、ご存じない、のですか?」

「なにが、でしょうか? 知らないことはありすぎて、何について言われているのか分からないんですが」

「いえ、申し訳ございません。今の言葉、お忘れください。それより、お茶のおかわりはいかがですか?」

「あっ、はい…、じゃあお願いします」

おそらく、おじさんたちだけは知っているけど俺が知らないこと、というのがいろいろあるんだろう。もしかしたら、俺には知らないことが多すぎる、のかもしれない。三木という家の、しかも当主という立場にいるにも関わらず、もしかしたら、それではいけないのかもしれない。

でも、おじさんたちが俺にそれを教えないのは、別に意地悪をするためとか、俺に対する嫌がらせとかではないんだと思う。どのようなことであっても、おじさんたちが俺に害を為すということはない、と俺は信じている。おじさんたちが何か隠し事をしているならば、それはおじさんたちが俺の耳には入れない方がいいと判断しているからか、あるいは耳に入れるにはまだ早いと思っているからなのだ。そして、そういうときの庄司の人たちの判断は、おおむね正しいのである。

俺の両親についての話も、きちんと俺がその事実を受け入れられるように成長するまで打ち明けるのを待ってくれたし、三木の家の話も、俺が理解することができる年齢になるまで説明するのを控えてくれた。だから俺は、おじさんたちが何か隠し事をしているにしても、その話を庄司の側からしてくれるまで待つのが正しいんだと思う。

間違いなく言うことができるのは、庄司の人間はいつでも三木の味方でいてくれる、ということだけだ。たとえどのような状況になってしまったとしても、おじさんも、おばさんも、広太も、美佳ちゃんも、みんないつでも俺の味方でいてくれる。それが家族というものだ、と俺に教えてくれたのは庄司の人たちで、その言葉は偽らざるものだと、俺は信じている。

「まぁ、細かいことは、気にしない方向で、ってことかなぁ……」

「なにか、おっしゃいましたか、三木様? はい、お茶をどうぞ」

「あ~、いえ、何でもありません。それにしても、なんだかいろいろと詳しそうですね、三枝さん」

「そのようなこと、ありません。当館のことについてでしたら、少し歴史を学ばせていただいただけですし、それ以外のことについてはわずかに聞きかじっただけですから」

「そうですか…、あっ、お茶、いただきます」

「はい、どうぞ召し上がってくださいませ」

「それより、こうして引きとめてるのは俺かもしれないけど、いつまでもここにいていいんですか? ほら、なんていうか、他に仕事もあるんじゃないですかね? 一人の客に付きっ切りってわけにもいかないでしょ?」

「いえ、私は三木様に付きっ切りでいいのです」

「いや、でも他の仕事」

「ありません、他に仕事は。今日から三日間、私の仕事は三木様に付きっ切りでお世話をすることですので。もちろん、もしご迷惑でしたら、お呼びいただいたときにすぐ応えられるよう別室で控えさせていただきます」

「…、それは、仕事は全部サボる、ってことでは、ないんですよね?」

「はい、もちろん。番頭より、そのように申し付かっておりますし、私も可能な限り三木様のお傍でお世話をさせていただきたいと思っています。もちろん、三木様のお連れの方々も同様のおもてなしをするように、と」

「人手は、足りているのですか? ほら、一人足りなくなっちゃうわけだし、みんな困るんじゃないですか?」

「私のような若輩者、一人いないくらいで皆様にご迷惑はかかりません。ですから、そのようなことはご心配なさらないでください」

「三枝さんは、嫌でしょう。ほら、よく知らない男の世話をずっとするなんて息も詰まるだろうし、疲れるだろうし。ほら、それならどうしても必要なときだけ呼ぶって方が、合理的、っていうか?」

「そのようなこと、ありません。三木様のお世話を、こうしてさせていただけるなんて、それこそ夢のようなことです。こうして…、目の前で、お話をさせていただいているだけで…、ぅ、な、泣きません! 平気です!」

「ど…、どうして、そこまで? 俺は、失礼ですけど、今まであなたにお会いしたことはない。まったくの初対面だ。それだから、そんな風に、意味深なことを言われても、どう返したらいいか分かりません」

「困らせてしまっているのは、分かっています。ご迷惑だということも、分かっています。でも…、今は、まだ何も聞かないで…、お願いです……」

「…、そんなこと…、言われても……」

そのように切に願われてしまっては、俺はこれ以上質問を重ねることはできなかった。

正直、俺は戸惑っている。この人は、おそらく、俺のことをずっと前から知っている。始めましてと言っていたが、俺のことを知っているんだろう。

でも俺は、この人のことを知らない。今まで出会った人間の顔を全て正確に覚えているということは流石にないが、でも会ったことはないと思う。

そしてこの人は、何らか事情を抱えている。それは、その様子を見ていればなんとなくわかる。この旅館に飛び込みで、なにも言わずに働かせてくれなどといったのも、おそらくその事情に関わっている。

その事情が何なのか、俺には知る術がない。残念ながら、それについてはこの人が話してくれるまでまったく分からず、また見当もつかない。そして、聞かないでくれなどと言われてしまっては、あえて問うこともできなくなってしまう。

「…、二つだけ、教えてください。あなたは、過去に俺と会ったことは、本当にありませんか?」

「…、ありません。この名に誓って、真実です」

「もう一つだけ。あなたがここで働くことを番頭に認めさせた縁者っていうのは、どなたですか。これは、一つ目と違って番頭に問いただせば嘘かどうかわかりますので、正直に答えてください」

「…、二見…、二見、啓蔵氏、です」

「ありがとう、ございます。…、すいません、10分だけ、外してもらっていいですか。10分だけでいいので」

「はい、承りました……。失礼いたします……」

三枝さんは、俺のお願いを聞いてくれたようで、スッと立ち上がって部屋を出ると、戸口で深く礼をして去っていった。彼女には悪いが、少し調べさせてもらうことにしようと思う。まぁ、こんなところで調べると言っても、おじさんに電話して話を聞くくらいしか出来ないだろうけど。

それにしても、二見啓蔵……? どこかで聞き覚えのある名前だけど…、いったいどこで? もしかして有名人か? だとしたら、知っていてもおかしくはないけど……。…、それについても、一応聞いてみた方がいいかもしれない。

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