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Prism Hearts  作者: 霧原真
第九章
103/222

三木くんの家庭の事情

「先ほどは、本当にお騒がせしました……」

メイの目薬を借りて三枝さんにさしてあげると、間もなく流れる涙は収まったようで、三枝さんは目元を軽く拭いながら申し訳なさそうにそう言った。

「まぁ、仕方ないですよ、目にゴミが入ったら誰だって涙が出るものですから。それよりも、もう目はだいじょぶですか? 必要だったらもう一回目薬をさした方がいいですよ」

「いえ、もう平気です。ご迷惑をおかけいたしました」

「気にしないでください、困ったときはお互い様ですよ。っていうか、俺、女の人が涙流してるのを見るの苦手なんで、それを見ないで済むならなんでもしますよ」

「本当にお優しいのですね、三木様」

「いえ、ただの習慣ですよ。メイ、目薬さんきゅな」

『別にいい、平気』

「にゅ、仲居さん、目、痛くないですか……? 目にゴミ入ると、ほんとに痛いから……」

「えぇ、平気です。ご心配をおかけしまして、申し訳ございません」

「ほら霧子、ちゃんと前向いてないと気持ち悪くなるぞ。お前はただでさえ自動車にだけは弱いんだから」

「にゅぅ、平気だもん。ちょっと後ろ向いたくらいで気持ち悪くならないもん」

「こっちは見てないでいいから、志穂を見習って前に注目してなさいよ。あんまり見られたら恥ずかしいでしょ。あっ、キレイな教会があるぞ、霧子」

「えっ、ほんと? どこどこ?」

「前の、ほら向こうの、左側」

「ほんとだ~…、去年は気付かなかったなぁ……。ねぇねぇ、あとで見に来てもいいかな?」

「別にいいぞ。街の中をぶらぶらするときに、ついでに寄ればいいだろ。気に入ったんなら、ずっといてもいいからな、しばらくしたら迎えに来てやる」

「うん、幸久君、ありがと……」

「…、姐さん、シートベルトしてるのにそんな風に体をこっちに向けてると、具合悪くなるぜ?」

「心配するな、私の三半規管はそのようにやわではない。むしろこれくらいの方が鍛えられてちょうどいいくらいだ。三木こそ、気持ち悪くなってはいけない、黙って前を向いているべきだ」

「姐さん、さっきは俺が何かしたから泣いてしまったわけではないんですよ。つまり、俺が泣かしてしまったわけではないのです。ですので、そんな風に姐さんに監視をされていなくても、心配はないんです」

「私は、別にお前の様子を監視しているわけではない。ただ後ろの風景を眺めているだけだ、気にするな。しかし、見られているわけでもないのに見られている気がするとは、三木の方こそ自意識過剰なのではないか?」

「ウソだよ、姐さんめっちゃ見てるじゃん……。目が怖いよ、マジで……。完全にロックオンしてるよ、俺に……」

「なにか言ったか、三木。後ろめたいところがあるならば、お前こそ手を膝に置き、微動だにせず前を向いて座っていろ。車が急に揺れて舌を噛んでしまっては危険だ、口を開くのも可能な限り慎んだ方がいいと思うが」

「風間様、本当に目にゴミが入ってしまっただけで、三木様が何かをなさったというわけではないのです。お心配りをしてくださるのはとてもうれしいのですが、お友だちどうしてそのようにギスギスしてしまってはせっかくのご旅行が台無しになってしまいます。ここは、私に免じて仲直りをなさってくださいませ」

「…、まぁ、被害者がそういうならば、こちらとしてはこれ以上追及することはできないのですが……。ですが、本当に何かをされたときは声をあげてください。私の耳はそれを聴き逃しはしません」

「姐さん、俺はなにもしないよ……。信じてくれよ、ちょっと三枝さんに話を聞くだけなんだからさ……」

「私は、私自身がこの目で見たものしか信用しない。そして私はお前が何かをしたという場面を見てはいないが、しかし同じように何もしていないと確信することができるような場面も目にしていない。それならば悪い方を想定しておくのが適切な判断だ。ここは引き下がるが、しかしまた同じようなことが起こった場合は強硬手段に出るしかなくなるかもしれない。そこのところ、ゆめゆめ忘れるな、三木」

「姐さんの脅し文句、素直に怖いよ。論理的に追い詰められてる感じがすごいよ」

メイはそもそも俺が後ろの様子にそれほど興味を持っていないみたいだし、霧子はキレイな教会に目を奪われているし、姐さんには何とか納得してもらって前を向いてもらった。これで一応のところ、ようやく俺は三枝さんと落ち着いて話をすることができるというものだ。

まぁ、別にみんなに聞かれて困るようなことを聞こうとしているわけじゃないし、そもそも話に聞き耳を立てられていたら聞かれてしまう距離なわけで、こうして注目されるのを避けたのは単に俺の羞恥心によるところである。こんなことを気にしている、というか、警戒しているということを、みんなに知られてしまうのが恥ずかしいのである。やっぱり、身内の事情というか、お家の事情というか、そういうプライベートな部分の話というのはどうしても気になってしまうのだ。それに、昨日の夜におじさんからかかってきた電話も気になるし……。

「で、あのですね、三枝さん」

「はい、なんでしょうか? お伺いします」

「さっきは、あの、本当に大丈夫でしたか? 目にゴミが入るのは、ほんとにキツいですから」

「えぇ、平気です。三木様にはたいへんご迷惑を」

「それは、別にいいんですけど、まぁ、気にしないでください。なんとなく、あんまり痛がってる感じがしなかったんですけど、でも目にゴミが入ったんですよね?」

「…、はい、えぇ、目に、ゴミが」

「そうですか、分かりました」

とりあえず、ゴミが入ってしまったと言い張られてしまったらそれが本当かを確かめるすべはないわけで、俺はただその言葉を受け入れるしかないのだが。まぁ、流石の俺も、今まで一度も会ったことのない人のことを、ほんの一言二言で泣かせてしまう才能はなかったということだろうか。…、でも、やっぱりあんまり痛がってなかったよなぁ……。そんなこと疑ってかかっても意味はないんだけど、でもどうしても気になる。昨日のおじさんからの意味深な電話も、それに関連してやっぱり気になってくるし……。

ちなみに、昨日おじさんからかかってきた電話というのは、実際なんでもない内容のものでしかなかった。かかってきたのは夜の十時ごろで、おじさん的には電話をかけてくる時間ギリギリの滑り込みのような電話だった。その内容も、明日からの旅行を楽しんできてください、だとか、広太をつけられずご迷惑をおかけします、だとか、旅行前あるあるとでも言うべき、珍しくもない定番の内容だった。

しかし最後の一言、かすかに言い淀むようにしながら、わずかに間を置いて言った一言だけが、俺の心の奥でほんの少しだけ引っかかっていたのだった。それは『がんばってくださいませ』という、文脈もつながりも、すべてを無視した今までの話とは関連性ゼロの、謎の言葉。どうしてそのタイミングでそれが言われたのかも、どういう意図を持って言われたのかも、まったく分からない代物である。

おじさんは、基本的に誰に対してでもスパッと物を言う人で、物事を言い淀むようなことは滅多にない。きっと、ノープランのままで話し始めるということがないんだろうなぁ、と俺は思っているのだが、まぁ、とにかく頭の中で言いたいことを完全に整理しきっている、と考えていいのではないだろうか。そんなおじさんだというのに、しかしその日のその電話のその一言だけは、間違いなく言い淀んでいた。あるいは、言うことを躊躇していた。つまりその一言は、間違いなくおじさんを躊躇させるだけの何らか意味があったと考えるのが妥当なのだ。

その一言にいったい何の意味があるのか、それを俺が推測することは非常に難しいが、しかしある一点から逆算してアプローチを行なえば、なんとなく分からないでもない。

その一点とは、おじさんが唯一勝てない相手、おばさんの存在である。おばさんはおじさん以上に言葉を発することに躊躇のない人で、主である俺に対しても――まぁ、そんなことを振りかざすことはないのだが――一切の躊躇なく言葉の刃を振りかざし、一刀のもとに斬殺することも少なくない。というか、俺が言われたくないことを異常なほど正確に見つけ出し、それをもっとも言われたくない的確なタイミングで放り投げてくるのだ。おばさんの一言は日本刀の一振りと同じで切れ味であり、おばさんの説教は東京大空襲の絨毯爆撃と同じ殺傷力なのである。本気で説教された日には、俺の心にはペンペン草の一本生き残りはしないのである。

そんなおばさんの中で、今もっともホットな俺に対するお説教ポイントは、学校の成績のことでも、日々の暮らし向きのことでも、偏執的な調味料蒐集のことでも、三木の当主としてのあり方についてでも……、俺、おばさんに説教されすぎだろ……。あっ、いや、それはいいんだよ。おばさんの中で今もっともホットなお説教ポイントは、俺に彼女の一人もいないことについてだ。三木の当主として、当然求められる責務として世継ぎをつくることがあって、彼女の一人もいないと将来妻をめとることもできない→そうすると世継ぎをつくることができない→三木家滅亡、というおばさん的に最悪のシナリオが、もうすでにその頭の中にはある、らしいのだ。

別に彼女がいないのは俺に責任があるわけではない、と思いたいのだが、まぁ、事実なので反論のしようもなく唯々諾々とその紡がれるお説教を受け入れるしかないのである。っていうか、いくら俺に彼女がいないのが気になるからって、霧子とか志穂とか姐さんとか、俺の親友たちと結婚しなさいとか言ってくるのは止めてください、といいたい。霧子は可愛いけど妹だし、志穂はかわいいけどペットだし、姐さんはかわいいけど姐さんだし、そういう目で見ちゃダメなんだよ。

…、と、まぁ、そういう事情があるわけで、おじさんの一言も、深読みするとこの件に深くかかわっている可能性もあるのである。つまり、この旅行、おばさんが何か仕掛けてきているかもしれないということだ。もちろん、それが何かということは分からないし、そもそも何かを仕掛けているのではないか、という疑惑自体が俺の杞憂である可能性も大いにある。しかしそれを警戒するに越したことはない。俺はやっぱり恋愛結婚したいわけで、おばさんの思惑の通りにお見合い結婚なんてしてたまるかっていうんだ。いや、別にお見合い結婚自体がイヤとかではなく、そういうことを押しつけられるのがイヤなだけで、お見合い結婚自体を否定しようってわけじゃないんだけどさ。

「あの、もう一ついいですか?」

「はい、いくつでも」

「あの旅館、知る人ぞ知るみたいな、比較的有名なところなんですけど、そこに飛び込みで行って、働くことを了承させた三枝さんの縁者ってどなたですか? もしかして、すごい権力者とか…、ですか? それとも旧家のどこか、とか……?」

「えぇと…、遠縁の、本当に遠い親戚が、小さな旧家の出でして、そこから偶然に大きな旧家の方とつながりを持つことができまして、その方にお願いをしたところ後見人になってくださいまして……」

「やっぱり……。ということは、俺のことも、実は聞いたことくらいはある、とか……?」

「は、はい…、存じ上げております……」

「それもやっぱり、その大きな旧家の人から聞いて?」

「はい、そ、その通りです……」

「なるほどね……」

昔、三木を統べるものの基礎教養とかいっておじさんに聞かされたことがある。日の本の國には、神話の昔より続く神に連なる系譜が七つあるという、まるで冗談のような、おとぎ話のような話。それが、七天星家<しちてんせいけ>。その伝説を集めたものが、七天星家通史伝<しちてんせいけつうしでん>。その七つの家は、表から裏から日本をつくり、支え、守っていて、豪族、公家、華族とその存在形態を少しずつ変えながらも、間違いなく常にあり続けているのだとか。そして三木は、その三の星である、という。

俺もそんなに興味を持たなかったから詳しくは知らないのだが、正直、一笑に付されてもおかしくはないレベルのものだ。現に、それは非常に狭いコミュニティの中でしか通用しない地方伝承のようなものでしかなく、全国区的に受け入れられているものではない。

しかし、そのような伝承、というか伝説があるということは確からしいこと。そしてその伝説からつながって、本当に旧華族の中で、今でもつながりがあるというのも確からしい。(これは、美佳ちゃんがそのつながりで他家に修行に行けているので疑いようがない)だから、この人が旧華族のつながりの中に何らかの形で参入しているとしたら、その中から三木の家の情報を引き出すことも不可能ではなく、あるいはおばさんの工作員になっている可能性もありえないことではない。

つまり、この人、やはり要注意人物だ。おばさんの工作員である可能性を考慮すると、いくら気をつけて接したとしても警戒のしすぎということはあるまい。おばさんの策略による結婚の押しつけを回避するためにも、この人から注意を切らない方がいいだろう。

俺は、庄司の人たちには悪いが、家に縛られるのは、まっぴらごめんだ。

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