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妹に聖女の座を奪われたので、私は辺境で治癒院を開きます。なぜか隣国の騎士団長が毎日通ってくるのですが?

作者: 月宮 かすみ
掲載日:2026/05/27


 聖女の冠は、妹の頭上で白く輝いていた。


 神殿の大広間に集まった貴族たちが、一斉に息を呑む。


 祝福の鐘が鳴り、花びらが舞い落ちる。誰もが跪き、誰もが微笑み、誰もが新しい聖女の誕生を讃えていた。


 ただひとり、エルシアだけが立ち尽くしていた。


 今日まで十七年間、聖女候補として育てられてきたのはエルシアだった。


 朝は祈り、昼は治癒魔法の訓練、夜は聖典の暗唱。舞踏会より施療院、宝石より薬草。華やかな令嬢らしい時間など、ほとんど持たなかった。


 それでも、嫌ではなかった。


 自分の手で誰かの痛みが消える。


 泣いていた人が、ほっと息をつく。


 その瞬間だけは、自分が生まれてきた意味を信じられた。


 けれど選ばれたのは、妹のリリアだった。


「姉さま」


 純白の聖女衣をまとったリリアが、こちらを見た。淡い金髪に冠がよく似合っている。潤んだ瞳も、震える声も、いかにも神に愛された少女らしかった。


「ごめんなさい。でも、これが神のお望みなのです」


 リリアの指が、エルシアの胸元を示した。


 そこにあったはずの聖痕は、もうない。


 昨夜まで確かに淡く光っていた花の紋章は、肌の上から跡形もなく消えていた。


 代わりに、リリアの白い手の甲で同じ紋章が輝いている。


 父が苦々しく言った。


「エルシア。お前には失望した。聖女の器でないなら、王太子殿下との婚約も白紙となる」


 広間の奥で、王太子が目を伏せた。助け舟はない。


 神官長も、貴族たちも、すでにエルシアを見ていなかった。


 失ったのは冠だけではない。


 家の期待。婚約。居場所。


 そして、十七年間の努力の意味だった。


 それでもエルシアは泣かなかった。


 泣けば、リリアが可哀想な顔をする。


 父がますます眉をひそめる。


 周囲が「ああ、やはり器ではなかった」と納得する。


 そんな役を、自分から引き受けてやる気はなかった。


「承知いたしました」


 エルシアは背筋を伸ばした。


「では、私は神殿を下がります」


「姉さま、待って。わたし、姉さまの分まで頑張るから」


 リリアが駆け寄ろうとした。


 エルシアは一歩だけ退いた。


 妹の瞳が揺れる。


「……わたくしの分まで、ですか」


 その言葉だけが、胸の奥に小さく刺さった。


 怒鳴りたかった。


 奪ったのはあなたでしょう、と。


 その聖痕がなぜ移ったのか、本当に何も知らないのか、と。


 けれど、問い詰めたところで誰も聞かない。


 今この場で敗者の言葉に耳を傾ける者などいない。


「どうぞ、ご立派な聖女に」


 エルシアは礼をした。


 深く、正しく、完璧に。


 そのまま振り返らず、神殿を出た。


 扉が閉まった瞬間、祝福の鐘の音が背中を打った。


 悔しさで膝が崩れそうだった。


 けれどエルシアは歩いた。


 泣くなら、自分の足で立ったあとだ。



 ***



 王都から遠く離れた辺境の町リベルには、王族の噂も神殿の権威も届きにくい。


 代わりに届くのは、怪我人と病人だった。


 国境沿いの町であるため兵士は多く、山に入れば魔獣も出る。春先は熱病、冬は凍傷。農夫は腰を痛め、子供は転び、旅人は荷馬車から落ちる。


 エルシアは町外れの空き家を借り、小さな看板を出した。


『治癒院 エルシア』


 聖女の名はない。


 伯爵令嬢の肩書きもない。


 ただ自分の名前だけ。


 最初の患者は、薪割りで指を切った少年だった。


 母親に背中を押されて入ってきた少年は、エルシアを見るなり不安そうに唇を噛んだ。


「ほんとに治せるの?」


「痛いのは嫌でしょう」


「うん」


「なら、治します」


 エルシアが手をかざすと、淡い光が傷口を包んだ。


 血は止まり、裂けた皮膚が静かに閉じていく。


 少年は目を丸くした。


「すげえ」


 その一言で、エルシアは少しだけ息ができた。


 自分は、まだ誰かの役に立てる。


 聖女でなくても。


 冠がなくても。


 神殿に選ばれなくても。


 その日から、治癒院には少しずつ人が来るようになった。


 忙しかった。


 薬草を煎じ、包帯を洗い、夜中に呼び出され、朝方にようやく椅子で眠る。王都にいた頃より、ずっと泥臭く、ずっと身分の区別がなかった。


 そして、ずっと心が軽かった。


 そんなある日の夕暮れだった。


 扉の鈴が鳴った。


「まだ診療中か」


 低い声に顔を上げると、黒い外套をまとった男が立っていた。


 背が高い。


 扉の枠が窮屈に見えるほどだった。


 短く整えた銀灰色の髪、鋭い青灰の目。腰には剣。動きに無駄がなく、立っているだけで場の空気が引き締まる。


 明らかにただの兵士ではない。


「怪我ですか」


「ああ」


 男は右手を差し出した。


 手袋を外すと、指の付け根に細い切り傷があった。


 血はもうほとんど止まっている。


 エルシアは無言で傷を見た。


「……これを?」


「傷だ」


「放っておいても明日には塞がります」


「悪化するかもしれない」


「しません」


 男は少しだけ黙った。


 表情は変わらない。


 けれど、わずかに視線が泳いだ。


 エルシアは息を吐き、治癒の光を手のひらに灯した。傷は一瞬で消えた。


「はい。終わりました」


「助かった」


「次からは井戸水で洗って布を巻いてください」


「覚えておく」


 男は代金を机に置いた。銀貨だった。


 かすり傷には多すぎる。


「お釣りを」


「いらない」


「困ります」


「なら薬草代にしろ」


 彼はそう言って、扉へ向かった。


「お名前は」


 エルシアが尋ねると、男は振り返った。


「ルシアン・ヴァルク。隣国グランツの騎士団長だ」


 エルシアの手が止まった。


 隣国の騎士団長。


 そんな人物が、なぜ辺境の小さな治癒院にかすり傷で来るのか。


 問い返す前に、彼は出ていった。


 翌日、ルシアンはまた来た。


「肩を打った」


「どこで」


「訓練で」


「動かせますか」


「動く」


「痛みは」


「少し」


 エルシアは彼の肩に触れた。確かに軽い打撲はある。だが騎士団長がわざわざ診せに来るほどではない。


 その翌日も来た。


「足首を捻った」


「普通に歩いていますが」


「鍛えている」


「捻っていませんね」


「……少し違和感がある」


 さらに翌日も来た。


「指を」


「また指ですか」


「今度は左だ」


 エルシアは治癒魔法をかけながら、思わず睨んだ。


「ルシアン様」


「何だ」


「あなた、通う理由を作っていますね」


 彼の目がわずかに細くなった。


 図星だった。


「治癒院に来るのは、怪我人と病人だけにしてください」


「俺は怪我をしている」


「毎日都合よく小さな怪我をする騎士団長がいてたまるものですか」


 ルシアンは口を閉じた。


 整った顔に無表情を貼りつけているのに、どこか気まずそうだった。


 その不器用さが、少しだけ可笑しい。


「……迷惑か」


 低い声だった。


 予想外にまっすぐな問いに、エルシアは言葉に詰まった。


 迷惑ではない。


 彼は余計なことを聞かない。


 王都の話も、聖女の座の話も、婚約破棄の話も。


 ただ患者が多い日は黙って椅子を並べ、薬棚の高い瓶を取ってくれる。夜遅くまで診療が続けば、外に立って灯りを持っている。


 ありがたいと思っている。


 けれど、そう認めるのは少し悔しかった。


「……怪我を作ってまで来るのは、やめてください」


「では、怪我がなければ来てもいいのか」


「そういう話では」


「薬草を運ぶ。薪も割れる。護衛もできる」


「騎士団長を雑用係にする治癒院がどこにありますか」


「ここに作ればいい」


 あまりにも真顔で言われ、エルシアはつい笑ってしまった。


 笑ったあとで、自分でも驚いた。


 王都を出てから、人前でこんなふうに笑ったのは初めてだった。


 ルシアンが静かに見ていた。


 その視線に気づき、エルシアは慌てて顔を伏せる。


「……とにかく、無理に怪我をしないでください」


「分かった」


 翌日、ルシアンは傷ひとつない姿で現れた。


「薬草を運びに来た」


 背後には、山ほどの薬草を積んだ馬車があった。


「限度というものを知ってください」


「次は減らす」


 そう言いながら、彼は少しも反省していない顔をしていた。



 ***



 ルシアンが毎日来るようになってから、治癒院は少し変わった。


 夜遅くに酔った男が押しかけることはなくなった。


 代金をごまかそうとする者もいなくなった。


 隣国の騎士団長が出入りしているというだけで、治癒院に近づく悪意は自然と遠ざかった。


 それが彼の目的だと、エルシアはすぐに気づいた。


 気づいても、問い詰めなかった。


 彼がそれを恩着せがましく言わないからだ。


 守っていると口にしない。


 ただ、必要なときにそこにいる。


 その距離感が、怖いほど心地よかった。


 ある雨の夜、重傷の兵士が運び込まれた。


 腹部を魔獣の爪に裂かれている。血の量が多い。普通なら助からない傷だった。


 エルシアは袖をまくり、傷口に両手をかざした。


「湯を。布をできるだけ多く。灯りを増やして」


 指示を飛ばす声は震えなかった。


 治癒の光を深く流し込む。裂けた肉を繋ぎ、破れた血管を塞ぎ、呼吸を戻す。魔力が一気に削られていく。


 視界の端が白く滲んだ。


「エルシア」


 ルシアンの声がした。


「やめろ。倒れる」


「まだ息があります」


「君が倒れたら次の患者を診られない」


「この人は今しか助けられません」


 言い切った瞬間、ルシアンが黙った。


 止められると思った。


 だが彼は、エルシアの背後に立っただけだった。


「必要なものを言え」


 その言葉で、胸の奥が熱くなった。


 止めるのではなく、支える。


 無茶を許すのではなく、最後まで立たせる。


 エルシアは歯を食いしばり、治癒を続けた。


 やがて兵士の呼吸が安定した。


 傷は完全ではないが、命は繋いだ。


 その瞬間、膝から力が抜けた。


 床に倒れる前に、ルシアンの腕が支えた。


「だから言った」


「……助かりました」


「患者がか」


「私も、です」


 ルシアンの腕が、一瞬だけ強くなった。


 すぐに離されると思った。


 けれど彼は、離さなかった。


「君はいつも、助けた相手の顔しか見ていない」


「治癒師ですから」


「自分の顔も見ろ。今にも消えそうだ」


 低く叱る声なのに、そこには怒りより恐れがあった。


 エルシアは初めて、彼の余裕のなさを見た気がした。


「ルシアン様」


「何だ」


「どうして、そんなに私を気にするのですか」


 雨音が強くなった。


 ルシアンは答えなかった。


 代わりに、エルシアを椅子へ座らせ、濡れた外套を肩にかけた。


「昔、国境で魔獣に襲われたことがある」


 彼はゆっくり言った。


「まだ騎士団長ではなかった。部下も守れず、自分も死にかけた。そこへ王国の聖女候補が来た」


 エルシアは息を止めた。


 覚えている。


 五年前、視察先の国境で魔獣の襲撃があった。


 神官たちは危険だと止めた。けれどエルシアは、血の匂いのする方へ走った。


 そこで、重傷の若い騎士を治した。


 顔までは覚えていない。


 必死だったから。


「まさか、あの時の」


「ああ」


 ルシアンは静かに頷いた。


「君は俺に言った『生きているなら、まだ立てます』と」


「そんな厳しいことを言いましたか」


「言った。ひどい女だと思った」


「申し訳ありません」


「おかげで立てた」


 ルシアンの視線が、まっすぐエルシアに向いた。


「だから今度は、君が立てなくなりそうな時にそばにいると決めた」


 胸の奥が、静かに震えた。


 優しい言葉ではない。


 甘い囁きでもない。


 けれど、逃げ場がないほどまっすぐだった。


「それで、毎日かすり傷を?」


「最初は様子を見るだけのつもりだった」


「最初は?」


「顔を見たら、帰りづらくなった」


 無表情で言うには、あまりにも不意打ちだった。


 エルシアは外套の端を握りしめた。


「……そういうことを、平然と言わないでください」


「平然とはしていない」


 ルシアンは少し目を逸らした。


「かなり、困っている」


 その耳が、わずかに赤かった。



 ***



 数日後、王都から使者が来た。


 神殿の紋章をつけた馬車が治癒院の前に止まり、町の人々が不安げに遠巻きに見る。


 降りてきたのは、神官長の側近だった。


「エルシア様。王都へお戻りください」


 開口一番の言葉に、エルシアは表情を変えなかった。


「私はもう神殿の者ではありません」


「緊急事態です。王都で熱病が広がっています。聖女リリア様のお力では、病の進行を止めきれません」


 胸が冷えた。


 リリアでは救えない。


 だから、捨てた姉を呼び戻す。


 あまりにも都合がいい。


「私は聖女ではありません」


「ですが治癒魔法は使えるでしょう」


「聖女の器ではないと判断されたはずです」


 使者は唇を引き結んだ。


「過去の行き違いは、あとで神殿より正式に」


「行き違い?」


 エルシアの声が、思ったより低くなった。


 治癒院の中が静まり返る。


「十七年積み上げたものを奪われ、婚約を破棄され、家からも神殿からも追われました。それを行き違いと呼ぶのですか」


 使者の顔が強張った。


 以前のエルシアなら、飲み込んでいた。


 人を救うためなら、自分の痛みは後回しにした。


 けれど今は違う。


 ここには、彼女を必要としてくれる人がいる。


 名前で呼んでくれる患者がいる。


 そして、黙って背後に立ってくれる人がいる。


 ルシアンが一歩前に出た。


「王国の神殿が、隣国との国境治療協定区域から治癒師を連れ去るつもりか」


 使者が青ざめる。


「グランツの騎士団長殿……これは王国内の問題です」


「この治癒院は、我が国境騎士団も救護拠点として正式に保護している。彼女を連れていくなら、協定違反として扱う」


 初耳だった。


 エルシアは思わずルシアンを見る。


「いつの間に」


「昨日」


「昨日?」


「急いだ」


 使者が困惑している間に、ルシアンは淡々と続けた。


「戻るかどうかは彼女が決める。命令では動かない」


 その言葉に、エルシアの胸の奥で何かがほどけた。


 誰かの娘。


 誰かの婚約者。


 誰かの代わり。


 誰かの都合のいい治癒師。


 もう、そのどれでもない。


 エルシアは使者に向き直った。


「王都の患者は診ます」


 使者の顔が明るくなる。


「では」


「ただし、私は王都へ戻りません。薬と治療法をこちらから送ります。重症者は辺境まで移送してください。必要なら私が国境まで出向きます」


「そんな、聖女でもない者が条件を」


「聖女でもない者に頼みに来たのは、そちらでしょう」


 静かに言い返すと、使者は言葉を失った。


「私は、私を捨てた場所に戻るために人を救うのではありません。救いたい人がいるから救います」


 声は震えなかった。


 ルシアンの視線を感じた。


 こちらを見る彼の目が、いつもより少しだけ柔らかい。


「お引き取りください。処方と治療手順は今夜中に書きます」


 使者は悔しげに頭を下げ、馬車へ戻っていった。


 町の人々が小さく歓声を上げる。


 誰かが「先生」と呼んだ。


 その声に、エルシアはようやく肩の力を抜いた。


 すると、隣から低い声が落ちた。


「強くなったな」


「もともと弱いつもりはありませんでした」


「そうか」


「でも、少しだけ強がっていました」


 エルシアは正直に言った。


 ルシアンが黙る。


「あなたがいてくださったから、言えました」


 彼の手が、わずかに動いた。


 触れようとして、止まる。


 そのためらいが、彼らしかった。


 エルシアは少しだけ笑った。


「今日は怪我をしていないのですね」


「していない」


「では、患者ではありませんね」


「ああ」


「それでも明日、来ますか」


 ルシアンの目が見開かれた。


 ほんの一瞬。


 すぐにいつもの無表情に戻ったが、遅かった。


 エルシアはその変化を見逃さなかった。


「来てください。薬草の整理が残っています」


「雑用係としてか」


「いいえ」


 エルシアは彼を見上げた。


「あなたにいてほしいので」


 沈黙が落ちた。


 雨上がりの空から、薄い光が差し込む。


 ルシアンはしばらく何も言わなかった。けれど、その沈黙は冷たくなかった。


「エルシア」


 初めて、彼が敬称なしで呼んだ。


 それだけで、胸がひどく鳴った。


「明日だけでは済まない」


「え?」


「毎日来る。怪我がなくても、薬草がなくても、君が迷惑だと言うまで」


「迷惑だと言ったら?」


「言われないよう努力する」


 真剣すぎる顔に、エルシアはまた笑ってしまった。


 その笑みを見たルシアンが、少し困ったように息を吐く。


「……やはり、困る」


「何がですか」


「君が笑うと、帰れなくなる」


 今度こそ、エルシアは何も言えなかった。


 聖女の冠は、もうない。


 王都の広間で浴びた拍手も、祝福の鐘も、遠い。


 けれどここには、傷ついた人が来る扉がある。


 薬草の匂いがする部屋がある。


 自分の名前を呼ぶ声がある。


 そして、かすり傷を口実に毎日通ってきた、不器用な騎士団長がいる。


 エルシアはそっと手を伸ばし、ルシアンの袖を掴んだ。


「では、今日は帰らないでください」


 ルシアンの喉が、小さく動いた。


「……治癒院に泊まれという意味か」


「薬草の仕分けが終わるまでです」


「分かっている」


「本当に?」


「分かっている。たぶん」


 曖昧な返事に、エルシアは眉を上げた。


 ルシアンはわずかに目を逸らす。


 その横顔が、ひどく人間らしく見えた。


 強くて、冷静で、不器用で。


 誰かを守ることには慣れているのに、自分の想いを扱うことだけは下手な人。


 エルシアは袖を掴む指に、少しだけ力を込めた。


 もう、奪われたものだけを数えない。


 ここで得たものを、手放さない。


 治癒院の扉の外で、町の子供たちが笑っている。


 遠くで馬車の車輪が軋み、薬草を干した棚から淡い香りが流れてきた。


 ルシアンが低く言う。


「明日も来る」


「はい」


「明後日も」


「はい」


「その先も」


 エルシアは顔を上げた。


 彼の目は、冗談を言う人のものではなかった。


 だからエルシアも、逃げずに答えた。


「では、毎日お茶を用意します」


「怪我の手当ては」


「怪我をしてきたら怒ります」


「厳しいな」


「治癒師ですから」


 ルシアンが、ほんの少し笑った。


 それは剣よりも不意打ちで、どんな祝福の鐘より胸を騒がせるものだった。


 エルシアは思った。


 聖女の座は奪われた。


 けれど、救う手までは奪わせない。


 そして、自分がどこで誰の隣に立つかは、もう誰にも決めさせない。


 辺境の小さな治癒院に、今日も扉の鈴が鳴る。


 その音を聞くたび、エルシアは少しだけ期待してしまう。


 患者だろうか。


 町の子供だろうか。


 それとも、怪我をしていない騎士団長だろうか。


 扉が開く。


 銀灰色の髪が、朝の光を受けて淡く輝いた。


「来た」


 短すぎる挨拶に、エルシアは笑う。


「はい。お待ちしていました」


 その言葉に、ルシアンはまた少しだけ困った顔をした。


 そして今日も、彼は治癒院の隅で薬草を選り分ける。


 まるでそこが、最初から彼の居場所だったかのように。


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