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分かっている。僕ら。中指に約束をしたんだ(上)  作者: 佐藤不変


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第五章  強くて頑丈な人間

 第五章    強くて頑丈な人間


 リクライニングとテーブルは元の位置にお戻しいただき、電子機器は機内モードに設定してください。また、手荷物が足元にある場合は、前の座席の下へおしまいください。何かご不明な点がございましたら、お気軽にお知らせください。本便の機長は土井、私は客室乗務員を担当致します係池です。快適で安全な空の旅をお楽しみいただけるよう、乗務員一同、精一杯お手伝いさせていただきます。


「少子高齢化のせいね。飛行機も、コードシェア便が増えている。お互いの利害のために、仲良しこよしで助け合う時代がすぐそこまで来ているのね」

 宝くじは質の良さそうな茶色のブランケットを膝上から胸いっぱいまで被りながら、言った。宝くじが言うには、本便は少し古い型のビジネス・クラスだそうだ。最近のモデルは、もっとパーティションで仕切られていて、より個人の空間を楽しめる作りになっているとのことだった。確かに、たこ焼きと宝くじの距離は肘置きを挟んで、ほとんど真横にあった。彼女からはいい香りがした。上品な女の香りだ。

「飛行機に乗る時は、いつもビジネス・クラスに乗っているの?」

「飛行機に乗る時は、いつもビジネス・クラスに乗っているの」

 彼女は僕の言葉を繰り返して、上機嫌に笑った。初めて出来た彼氏を初めて揶揄った処女のように、無垢な笑顔だ。

 振り返れば、宝くじは今日、羽田空港で待ち合わせた時から、本当によく笑っていた。顔を崩してありのままに笑う宝くじは、僕からすればよっぽど一等宝くじだった。

「結局、殆どの予約とかを、宝くじがやることになってごめん」彼女は、ホテルや飛行機の手配はもちろん、ディナーを何処で食べて、何処を観光するかのスケジュールも立てた。結果的に、僕は、現地で何かをするときの代金を払うだけになっていた。

「宝くじがどういう恋愛をしてきたのか分からないけど、女性にとってね。たまに圧倒的に横にいる男性をリードすることは、花に水をやることくらいに欠かせないことなの。女性には、私が此処にいるってことを、叫ばないと駄目な時が来るの。理想はもちろん、隠れん坊の鬼のように男性から隅っこに隠れている私を見つけに来てくれることだけどね。でも、現実はそうじゃないでしょう? でも、世界の中心で愛を叫んだって、女のプライドが傷つくだけ。だから、女性はブラウン管を通してテレビを見るように、色々なイベントを通して、さりげなく叫ぶの。まだ私のこと愛してる?って」

「男性はそういう時、なんて言い返せばいい?」

「何も言い返さなくていい。ただ目を合わせて、手を握って、エアコンの冷媒回路のように、女性の冷と男性の温を交換しながらキスをするの。そうしたら、彼氏はハッと気がつくの。そんなに冷えていたんだって。そして彼女も気がつくの。こんなに暖かったんだって」

「恋愛は、エアコン?」さぁ?と宝くじは応えた。

 まもなくして、飛行機は離陸した。

 飛行機が巡航高度に達して、僕は持ってきた小説の続きを読むことにした。『永遠なる不変において』第三章だ。ノルウェイの森を読んでいたら、僕と真理の関係は何か変わっていたかもしれない。『永遠なる不変において』を読んで、宝くじとたこ焼きの関係が変わるかもしれないように。あるいは・・・




 ――――永遠なる不変より―――― episode3  知行合一  



「君には、がっかりしたよ。本当にがっかりした。がっかりだ。がっかり。がっかり。がっかりのさらにがっかりだよ。もう、消えてくれないかな? この世界に、君は要らないみたいなんだよ。だから、早く死んでくれないかな? ほら。飛べよ。ほら、早く。早く、飛べよ」


 飛行機のエンジンの音が、ふいに消えた。

 それはまるで、音のない静寂が機内に忍び込むようだった。わずかな違和感が小さな波紋

 となり、やがて乗客の表情を不安の色に染めていく。

 機体が、かすかに震えた。窓の外には、果ての見えない太平洋の蒼が広がる。機体が揺れるたびに、水平線は乱れ、景色が流れ、まるで海そのものが波立っているように錯覚する。スピーカーから、硬質な音が響いた。

「……お客様へご案内いたします。ただいま、機体に技術的な問題が発生しております。乗務員の指示に従い、落ち着いて行動してください……」

 声は冷静を装っていたが、その裏に滲む緊張が、乗客の胸に鉛のような重みを残した。

 誰かが短く息を飲む音が聞こえた。機体の傾斜がわずかに変わる。不自然な沈み込む感覚。重力がかすかにズレ、胃がふわりと浮く。酸素マスクが、無言のまま降りてくる。客室乗務員からの指示はない。

 眼下には、どこまでも続く海。どこまでも広がる空。その狭間で、飛行機は抗うように身をよじる。揺れが激しくなる。頭上の荷物が落ち、悲鳴が漏れる。窓の外の景色が回転し、機体は重力の網に絡め取られるように、徐々に、確実に、墜ちていく。冷たい風が機内を駆け抜ける。そこで、意識が途絶える……………かもしれないという可能性を孕みながら機内で小説を読んでいるように。

 この世の全ての出来事は、あらゆるかもしれないという可能性を孕んでいるのだ。僕は第三章の冒頭だけを読んで、栞を挟んで、目を瞑った。この世界に、君は要らないみたいなんだよ。佐藤さんと、僕は思う。佐藤さんとの大学での出来事を振り返る。向日葵の花が太陽に向けてゆっくりと開かれていくように、僕の心は自然体に微笑む。

 佐藤さん。僕は眠る。

 死ぬかもしれない想像の最後に浮かべた人は、佐藤さんであった事実一つを残して。



「どう? 気持ちいい?」

 宝くじは僕の上に跨っている。僕は宝くじの下に仰向けになっている。騎乗位が始まろうとしていた。

 彼女の肌は陶器のように滑らかで、真雪のように白い。二人とも裸だ。何一つ纏っていない。そのせいか。僕の心は伽藍堂に等しい。僕の瞳は、室内の冷房のせいか乾いている。

「分からない」

「分からない?」宝くじは戸惑った。

「気持ちは凄くいいんだけど。ホームアローンの母親のように、どこか大切なものを何処かに忘れている感覚があるんだ。そしてそのまま旅行に出掛けているような。僕らの場合は、それがセックスな訳だけど」

「一度やめる? 一度やめたら、ここには二度と戻れないとしても」一度やめたら、此処には二度と戻れないとしても。その通りだと、僕は思う。二度と、此処には戻れない。それでも、僕は止めなくては行けなかった。喩え、彼女の膣が奥深く濡れていようと。喩え、僕のペニスが朱い龍のように血潮を滾らせていようと。止めなくていけない時に、人は止めないといけないのだ。

 直観だ。八咫烏の声が懐かしい。そういえば、あのカァカァを最近は、聞いていない。

「やめよう」

 宝くじは何も言わずに、ホテルの白いスリッパだけを履いて、洗面所に向かった。僕は仰向けになったまま、小説の言葉を思い出す。一生仰向けで倒れ続けているのも、それはそれで辛いものだぞ。青空だけを見続けるわけだからな。

「分かってた」宝くじは洗面所からいつもより張った声で言った。

「誤魔化し続けてきたってこと、分かっているよ。分からないと思う? それでも、何かが変わると思ったの。何かが変わることに期待したの。もしかしたらって。でもそれじゃあやっぱり駄目だよね」

 洗面所から聞こえてくる宝くじの声は、鼻詰まりした幼い少女のような声だった。泣いているのかもしれないと思った。

 だが、あの宝くじが泣く訳も無いと思った。

 強く頑丈で・・・。強く頑丈で知恵に富んでいる・・・強く頑丈で? 知恵に富んでいる?果たして、そんな人間はこの世に存在しているのだろうか? 

「たこ焼きの本当の名前を聞きたいと思ったことも、たこ焼きの年齢を聞きたいと思ったことも、たこ焼きに好きな人はいるのかと聞きたいと思ったことも、私のことが好きってちゃんと答えを待とうとしたこともあった。でも、私には肝心な勇気がない。そうこうして、今。私は、木っ端微塵に振られちゃったってわけ」

 なるほど。僕らは気が付かないうちに崖のすぐそばまで来ていたのだ。そして今日この日、僕らは初めて崖の下から吹雪く潮風の香りに気がついたのだ。湿っていて塩っぽい涙の香りだ。そのまま一緒にここは崖じゃない。「大丈夫だ、一緒に飛ぼう」と、そのまま崖を飛び降りる恋もあるだろう。瀕死でも瀕死じゃないフリをして、振る舞う恋もあるだろう。

 でも僕らには、手遅れだ。

 もう向き合ってしまったのだ。一旦、此処が崖の手前だと認めたら、それから出来ることは二つだ。諦めて飛び降りることと、来た道を戻ることだ。どこで間違えたか。次はどこに向かうか。話し合うことだ。僕はベッドから起き上がる。

「最初は、何とも思ってなかった。ラウンジを体験しただけだった。でも話していたら、信じられないくらい気があった。宝くじとたこ焼き。二人だけの名前も出来た。好きだと思った。瓜二つくらい、似ている人がいたと思った。僕は孤独だった。宝くじは、きっともっと孤独だった。いつか聞こうと思っていた。ねぇ、宝くじ。君はいつかどこかで、誰にもばれない場所でひっそり首を吊って死のうと思っているんじゃないの?」

 宝くじはなにも言わなかった。それから、少しの時が流れた。十秒くらいだった。

「だったら? 死なせない代わりに、私のことを好きにでもなってくれるの?」

「好きだよ、初めから。もしかしたら、たこ焼きと宝くじは今日付き合っていたかもしれない。それくらい、今も好きだよ。でも、そうじゃなくて良かった。僕らは似すぎている。挫けた時に、一緒に挫ける。死にそうな時に、一緒に死ぬ。それも愛の形もかもしれない。でも、そこに未来はない。だけど、僕らは出会って良かった。キスをして良かった。そして、ここで一生涯の友達になって良かった。少なくとも、僕はそう思う」

「キスもして、セックスもして、一生涯の友達? 周りが聞いたら笑うよ」

「でも、そうだろう? 僕らは一生涯の友達だ。

 宝くじはたこ焼きを好きだったんじゃない。たこ焼きは宝くじを好きだったんじゃない。僕らは嬉しかったんだ。同じ人に出会えて。同じ孤独を分かち合えて。もう独りは嫌だと思った。2という数字を永遠のものにしたかった。でも、永遠にする方法を知らなかった。だから、キスもした。セックスもした。愛の表面だけをなぞって、永遠に仕立て上げようとした。でも、僕らはやっと僕らの言葉を見つけられた。ピエロとサーカス・ボール。宝くじとたこ焼き。僕らは、それくらい切っても切り離せない組み合わせだ」

 宝くじは、ひっくひっくと洗面所から泣いた。

 居ないのだ。

 この世には、強くて頑丈な人間なんてものは、はなから存在していないのだと、僕は知る。それから、しばらくの時が流れた。宝くじは相変わらず、洗面所から出てこなかった。「たい焼きと餡子あんこも負けていないわ」と言ったきり。

「私は、過去を語る趣味はない。だから、未来を語る。私、結婚するから。分かった? ずっとずっと好きな人と、結婚することにした。それともう一つ。私のような人を、一人にしない」

「結婚式、呼んでよ」

「祝儀、楽しみにしてる」

 それから、洗面所の方から、お風呂がジョボジョボと浴槽に溜まる音がした。

「お風呂、入るのか?」

「入る」と宝くじは言った。

「そうか」と僕は応えた。「招待状の宛名はさ、ユエルにしてほしい」

「ユエル。いい名前ね。でも招待状の宛名は、たこ焼きにするよ。私にとっては、あなたはたこ焼きだから」

「ああ」その通りだ。僕はたこ焼きで、彼女は宝くじ。それでいい。やがて僕の耳からジョボジョボの音が遠ざかっていき、僕の意識は途絶えた。


 ※


「ありがとう」私は、小さな声でぐっすり眠っている彼に告げる。たこ焼きが仰向けに眠っているところを、私は初めて見る。ピエロとサーカス・ボール。相変わらず面白い人だと、私は思う。その通りねと、私は思う。宝くじとたこ焼きは、切っても切り離せない組み合わせだ。

 私は彼のどこを好きになったのだろう? 今となっては、まるで分からない。枚挙に暇がないのだ。

 穏やかに眠っている耳だろうか? ボサッとしている、両眼だろうか。いざとなると逞しい彼の心臓だろうか? 多分きっと、私は彼の優しさを好きになったのだ。彼は私の心をいつだって、痛いくらい見通してきた。表面でどれほど着飾っても、たこ焼きの目は言う。本音でぶつかってこいと。たこ焼きは未来がないと言ったけど、私は本気でたこ焼きのことを好きになった。

 可愛いって言ってくれる人はいっぱいいた。気が利くと言ってくれる人もいっぱいいた。お金をくれる人もいた。

 でもたこ焼き。ありがとう。私に愛を教えてくれて。一生涯の友達。嬉しい。恋人より終わりが来なさそうで。心が暖かい。湯船のおかげだろうか。たこ焼きのお陰だろうか。私は人生で初めて、『楽しかった』のかもしれない。


 ※


 ドリアンを食べて、EVバスに乗って、ドリアン・パイを食べて、スイカ・ジュースを飲んで、肩を組んで二人で写真を撮って、私だけの写真を撮って、たこ焼きだけの写真を撮って、水餃子を食べて、白飯をおかわりして、背中合わせで寝て、飛行機に乗って日本に帰った。この旅で、私は、私も知らない21歳の私はこんな女の子だったことを、知った。それから八年後。私は結婚をした。結婚式への招待状の宛名は、たこ焼きで出した。





 ――――永遠なる不変より―――― episode3  知行合一  





「君には、がっかりしたよ。本当にがっかりした。がっかりだ。がっかり。がっかり。がっかりのさらにがっかりだよ。もう、消えてくれないかな? この世界に、君は要らないみたいなんだよ。だから、早く死んでくれないかな? ほら。飛べよ。ほら、早く。早く、飛べよ」

「飛ばないといけない理由は、なんですか? あなたががっかりしたから、それがなんですか? 僕はあなたより強い人間です。そして、僕は弱い人間には興味がないんです。だから、飛びもしませんし、急ぎもしません。分かりましたか? 私はあなたに興味がないんです。だから、あなたの言葉を聞いて、飛び降りる? 笑笑笑笑  貴方は犬に吠えられたら、自殺するんですね。じゃあ、よっぽど貴方の方がこの世界には、要らない畜生なようです」

 A君はそう言って、とことこと階段を降りていきました。それから十五分後に、警察がサイレンを鳴らして、高校に到着しました。A君はB先輩の言葉を録音していました。証拠があれば、警察はすぐに動くのです。虐めていた先輩はそのままパトカーに乗せられました。A君はずっと虐められていたようです。そのたびに思っていたそうです。お前は何様なんだ? 俺の人生に口出しするほど偉いのか? ウルセェな、ゴミクズ。お前こそ死ねよ、と。だが、先輩を前にすると、身体がブルブルと震えて言い返せなかったそうです。それが今日、遂にA君の精神と身体が一致しました。いわゆる、知行合一を果たしたようです。A君は言いました。王陽明さんには感謝をしています。知行合一。良い言葉です。最後に。僕以外にも陰に隠れて虐められている人がたくさんいると思います。その人達に伝えたいことがあります。僕が顔をこのように晒しているのは、そのためです。

 良いですか? 皆さんが知っているように、ゴミは臭いです。だから、適切に捨てましょう。貴方の前に立っている人間は、ゴミです。ゴミ処理業者に連絡して、彼らのリサイクルを頼みましょう。虐められている人は、大抵が賢いです。だから、そこの貴方にはもう分かっていると思います。この場合のゴミ処理業者は、警察や大衆や正義の味方です。すぐに連絡しましょう。投稿しても良いでしょう。あなたにどれくらいの味方がいるかを知れるでしょう。僕は願っています。あなたの告発のお陰で、今日も世界からゴミが一つ取り除かれ、リサイクルされることを。もし復讐されたらどうしようと、賢いあなたは最後に思うでしょう? そこの貴方。それはいくらなんでも失礼ですよ笑笑。ゴミもリサイクルされたら立派な製品に変わるんですから。以上、Aからでした。



 ゴミもリサイクルされたら、立派な製品に変わる。その通りだと、僕は思う。人は変わる。僕は変わっている。僕は今、良い方向に変われている。東京の青い空を見上げる。来週の授業が楽しみだ。佐藤さんに会える。

「またね、宝くじ」

「またね、たこ焼き」

 八年後、宝くじは結婚をしていた。その時、僕は・・・。






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