別れを切り出されてから焦ったって、もう遅い
伯爵家の嫡男、クレマン・ド・オービニエは婚約者フランシーヌ・ド・ミストラル伯爵令嬢を見下していた。
口数少なで消極的な少女。
どれだけ罵ろうと静かに受け入れるだけで反発一つしない小心者。
彼女の家族は優秀だと囁かれる反面、フランシーヌは何も持たない、ただの少女だと。
そうクレマンは考えていた。
だからこそ――
「フランシーヌ・ド・ミストラル! お前との婚約を破棄する!!」
ある日の事。
王立魔法学園の真ん中でクレマンはフランシーヌにそう言い放った。
彼はニネットという男爵令嬢と腕を絡ませ、フランシーヌと対峙していた。
「お前のような地味で、地位も名誉も他人から借りる事しかできないような女、俺の婚約者として相応しくない!」
ニネットはとても美しい女性だった。
そんな彼女に一目惚れしたクレマンは、ニネットへ何度も浮気をしたが、その噂を聞いてもフランシーヌは何も言わなかった。
彼女は自分を恐れて強く出られないのだと確信したクレマンの浮気はその後ヒートアップしていき……そうしていく内に気が付けばニネットを本当に愛するようになっていた。
「俺は彼女を本当に愛しているんだ。お前なんかとは違ってな!」
そう高らかに言い張るクレマンへ周囲の無関係の生徒は注目する。
ひそひそと囁き合う彼らがどんな顔をしており、どんな話をしているのかなど、クレマンはちっとも気にならなかった。
フランシーヌは自分に逆らえない。
よってこの婚約破棄も成立するだろう。
そう確信していたクレマンは
「……畏まりました」
フランシーヌのそんな言葉を聞き、自分の想い通りに事が運んだことに歓喜した。
やはりこの婚約に於いて、立場は自分の方が上だったのだと、それは間違っていなかったのだと。
彼は優越感に浸るのだった。
あまりに興奮していた為に、目の前の婚約者が満面の笑みを浮かべていた事など、彼は気付きもしなかった。
***
「フラれたんだってな」
学園の廊下を一人で歩くフランシーヌ。
数日前に起きた婚約破棄の騒動から、何となく生徒達に避けられていた彼女へ、そんな空気は気にも留めずに話しかける男子生徒がいた。
シルヴェストル・ロートレック。
公爵家の嫡男であり、この国の王太子の幼馴染でもある彼は学園の中でも有名な人物だ。
「ご機嫌よう、シルヴェストル様」
「ああ。フランシーヌ嬢」
先の言葉を聞き流して挨拶をすれば、シルヴェストルの方も気に留めていない様子で軽く答える。
それから勝手に、彼は話題を戻して。
「馬鹿な奴もいたもんだ。ミストラル伯爵家と言えば、今最も勢い付いていると言っても過言ではない家柄だというのに」
「自信過剰なだけでろくに教養を積まないようなお方が、社交界の噂の速度について行けるとお思いで?」
「手厳しいな」
シルヴェストルはくつくつと笑う。
そんな彼を無表情で一瞥したままフランシーヌは続ける。
「それに、優れているのはお父様や母、お兄様方……家族であって、私ではありませんから」
「へぇ」
この国はここ何年か、周辺の小国との紛争が続いている。
その戦で数々の功績を残し、また最近起きた一番大きな戦でも指揮した隊が最も戦いに貢献したとして、フランシーヌの父、ミストラル伯爵の名は社交界に大きく轟いた。
また父が不在の間、伯爵夫人である母と伯爵家の跡継ぎである長兄が領地経営を手掛けていたが、こちらも非常に上手く事が運び、家も領民の懐も潤うようになった。
また長兄に関してはそれに加えて王立魔法学園を首席で卒業している。
次兄は王宮の裏方役である諜報部隊で実績を認められ、現在は隊の指揮を任されるようになった。
こちらも王立魔法学園は次席で卒業という輝かしい功績を抱えている。
尚次兄は地頭がいい癖に長時間じっとしていなければならない座学を嫌う性格だった為、魔法の実技は常に満点を叩きだす癖に座学面の成績が足を引っ張り首席を取り損ねた結果が次席という順位だった。
そんなこんなで優秀で誇らしい家族に囲まれたフランシーヌ。
自分は優れてなどいないと言う彼女の言葉にシルヴェストルは意味深長な笑みを返した。
「俺としては……一度魔法の実技試験で首位を飾った生徒がそれ以降急に平均値を叩き続けている方が、ずっと得体が知れず――何か隠し持っているのでは、と勘繰ってしまうがな」
「何の事やら」
フランシーヌは入学して最初の試験で魔法の実技で一位を叩きだした。
それは事実だ。
「まぐれですよ」
しかし彼女はその件に触れられる度にそう答えている。
「どうだか。ミストラル伯爵家が魔法の潜在能力に於いてあまりに規格外の血筋である事は君の家族が証明済みだが?」
「ならば母の血を色濃く受けたのでしょう」
「夫人こそ魔法の最大出力に於いては右に出る者がいないと言われていないか?」
「そうですね。しかし制御能力に於いては褒められたものではありません。張り切っている母に魔法を使わせれば、毎度家の壁が一枚消え去りますから」
「それはそれで見てみたいんだが?」
シルヴェストルは銀色の長い睫毛を伏せてくっくと笑う。
そんな彼を尻目に、フランシーヌもまた、ほんの少しだけ口角を持ち上げた。
「それにしても、婚約者の父君の事すら聞いていないとは。君の家の素性を知らないのは仕方ないとして――」
「……シルヴェストル様」
フランシーヌはその先の言葉を悟り、遮る。
それから咎めるようにシルヴェストルを見据える。
「公に出来ないお話について、大っぴらに語ることはおやめください。父の事も――我が家の事も」
「ああ、悪かったよ。ただ、後者はさておき前者については……そろそろ公表される頃だろう」
シルヴェストルは不敵に笑うと、フランシーヌの髪を掬い上げて笑みを深めた。
「そうなった時のあれの反応は、聊か楽しみだけどな?」
フランシーヌは静かにシルヴェストルを見据えてからその手を振り払う。
「生憎、書面上ではまだ婚約が続いている身です。互いの家の体裁に関わる為、お止めください」
「おっと、まだ書面を交わしていなかったのか。そいつは失礼した」
シルヴェストルは言葉だけの謝罪をして両手を上げる。
それからフランシーヌにだけ聞こえるようにそっと囁いた。
「では……正式に白紙になれば、好きにしていいという事だな?」
三日月形に細められる目を見て、フランシーヌは長々と溜息を吐く。
「巷のロマンス小説に出て来るエロおやじのような事を言うのはやめてください」
「おい待て、仮にも伯爵令嬢がそんな言葉を使うな。というか仮にも公爵家の男相手に使うな」
「作中の役の呼び名ですよ。私の言葉ではありません」
「ならいいかとはならないよな?」
惚ける度にきちんと言葉を拾い上げた上で返答するシルヴェストルとのやり取りが、フランシーヌは好きだった。
シルヴェストル相手には特に素っ気なく見える言動が増える反面、フランシーヌは心の中に浮かれている自分がいる事に気付いていた。
だからこそ彼の前ではポーカーフェイスをする。
バレてしまえば、立場は一気にひっくり返ってしまうと知っていたから。
***
更に数日後。
フランシーヌの父が新たに侯爵位を授与された事が公表された。
これによってフランシーヌの家は侯爵家という新たな肩書きを得る事になった。
それからすぐの事。
「婚約破棄はしない」
婚約白紙の申し出がいつまで経っても届かない事をフランシーヌが報せに行くと、クレマンはそう言いだした。
彼の顔には焦りが滲んでいた。
見下していた婚約者が国中に称賛され、自分の家よりも高い地位に就く事になったのだから、当然の事だった。
「あれはお前の気持ちを試しただけだ。こ、婚約破棄はしない」
「左様ですか」
フランシーヌは小さく息をついてから、クレマンに背を向ける。
「では、我が家から書面をお送りいたしますね」
「ッ、ま、待て……! 何故だ!」
「何故、と言われましても。寧ろあれだけ堂々と浮気をし、果てには婚約破棄などと言い出しておきながら、見限られないとでも思ったのですか? 私への侮辱は我が家への侮辱。そうでしょう?」
「違う!」
「違いませんわ」
侯爵家の者に喧嘩を売り、敵視されるようになった男。
それがクレマンの今の肩書きだ。
「わ、我が家は絶対にサインしないからな!!」
「あれだけ侮辱をしておきながら、ご自身の家の利益の為に私を縛り付けると。畏まりました。どの道我が家を敵に回すことには変わりなさそうですが……貴方がそう発言なさったことに対しても、書面を送る際に添えさせていただきます」
「~~~ッ!! どうしてそうなる! っ、おい、待て、フランシーヌ!!」
クレマンは動揺していた。
これまでずっと大人しく振る舞っていたフランシーヌが急に強く反発し、あまつさえクレマンの立場を危ういものにする事をほのめかす発言をし始めたからだ。
彼は慌ててフランシーヌの肩を掴もうとした。
しかし、その瞬間。
フランシーヌは魔法で風を呼び起こし、強烈な風圧によってクレマンを床に押し潰した。
「グハァッ」
無詠唱魔法。それも非常に強い威力の魔法。
彼女が放った魔法が、如何に難しいものであるのか、周囲の生徒は一目見て分かった。
クレマンも同様だ。
彼は恐怖から顔を青くさせながらフランシーヌを見上げる。
フランシーヌは小さく息を吐く。
「これまで私が貴方に何も言わなかったのは、たださえずるだけで、私に直接的な被害がなかったから。そして――我が国に被害を齎す者でもなかったから。けれど残念ながら、貴方は国に不利益をもたらしました」
「ふ、不利益……? 一体何の事を――」
フランシーヌは微笑を貼り付ける。
婚約破棄を突き付けられた時と同じ、嘲るような目で。
「ニネット様とは早急にお別れする事を勧めます。まぁ……もう遅いかもしれませんが」
***
「……ミストラル家はそもそも、伯爵位に留まり続けていた事がおかしな話なんだ」
生徒会室で暇潰しにチェスをしているのは王太子である生徒会長と、副会長のシルヴェストルだ。
王太子は駒を指しながら、爵位授与と共に瞬く間に広まったミストラル家について話していた。
「先祖代々、ミストラルは我が国の為に暗躍し、敵や裏切り者の情報をいち早く届ける役目を担ってきた。時にはその手を汚す事すら厭わない……まぁ、且つてのロートレック公爵家と同じだ」
「何度か公爵位を授ける提案はされてたと思いますがね。我が家はそれを受け入れたけれど、ミストラルは断り続けた、と。何故なら肩書きが小さい方が暗躍しやすいから」
「結局今回も父とミストラルが内密に話し合ったけれど、公爵位だけは勘弁と突っぱねられたそうだ」
王太子は呆れと感心が入り混じった溜息を漏らす。
「先の戦で紛争の終わりもほぼ確約されたというのに。まだ自分達の力が必要となる可能性を拭いきれていないらしい」
「まあでも、侯爵位を受け取っただけでも充分かと。今は昔と違って諜報専門の隊が王宮内で結成されていますし、国の力に任せて、少しずつ身を引こうとしている前兆かと思いますよ、俺は」
「結局そちらも、現状はミストラルの力に頼りっきりなんだけれどなぁ」
「まぁまぁ。少なくとも……彼女の手を汚させるつもりは俺も毛頭ありませんが」
クレマンは低く呟き、窓の外へ視線を投げる。
そして何かを見つけるや否や、笑みを浮かべると
「はい、チェックメイト」
「……え!?」
次の一手でチェスの対戦を切り上げる。
「う、嘘だろう……」
「それでは、少し急ぎますので」
「急ぐって、どこに」
王太子の問いかけと共に、クレマンは窓を開ける。
そして振り返ると笑みだけを残して窓から飛び降りた。
「あ、おい……!」
三階から飛び降りた彼の姿を追い、王太子は慌てて窓から顔を覗かせる。
すると風魔法で着地の衝撃を和らげたシルヴェストルが一人の女子生徒へ声を掛ける姿があった。
「全く……彼がああも女性に夢中になるなんてな」
一人残された王太子は、苦笑混じりに小さく呟いたのだった。
***
後日。
フランシーヌとクレマンの婚約の解消が書面上でも確立した、一週間後。
ニネットが隣国へ母国の情報を流している事が明らかになった。
情報源は浮気相手であったクレマン。
彼は両親づてに聞いていた数少ない重要な情報を得意げに話してしまったという。
そしてその結果、紛争が頻発していた隣国の間者に利用されていたニネットがそれを伝えてしまう事に繋がった。
結果、二人とその家族は極刑に処される事となった。
ミストラルの家は代々、様々な情報ルートを握っている。
それに加えて優れた魔法技術も備えているお陰で、例え家族の中で未熟なフランシーヌだったとしても、情報漏洩の存在とその出先くらいは特定できるだけの耳を持っていた。
勿論、この件が公になる前から真相を知っていたフランシーヌは父や諜報部隊の次兄を通じて王宮に密告した。
そして調査が水面下に行われ始めた最中――婚約破棄の騒動が起きたのだった。
貴族女性にとって、政略的な婚約は良くある話。
フランシーヌは特に頓着のない方だったので、順当にいけばクレマンと婚姻していた事だろう。
しかし代々国に忠誠を誓っているミストラルの家は、些細な裏切りも許さない。
クレマンやニネットの過ちを知った時から、そもそもフランシーヌの中でクレマンと結婚する未来の可能性は完全に消え失せていたのだ。
例え彼が婚約破棄などという愚かな行いにでなかったとしても、それは変わらなかっただろう。
さて、こうして独り身になり、身軽になったフランシーヌだったのだが……
「ああ、フランシーヌ。婚約が決まったぞ」
久しぶりに返って来た父に呼び出されて顔を覗かせれば、何故か彼と向き合う形で座るシルヴェストルの姿が。
優雅に紅茶を飲んでいる彼の前で、父は涼しい顔で書類にサインしていた。
「…………なんですか、この状況は」
「君と婚約をしに来た」
この状況で婚約が決まったとなれば、十中八九そうなのだろうとはフランシーヌも思った。
だが聞きたいのはそこではない。
「何故、シルヴェストル様と私が?」
「国の裏の顔を知るロートレックとミストラルが組めば色々と都合が良い事もあるだろう。互いの事情も知っている訳だし、隠し事をする為に下手に気負う必要もない。それに」
シルヴェストルはソファから腰を上げると、フランシーヌへと距離を詰める。
それから彼女の耳元に顔を寄せて……
「愛する人と結ばれたいと思うのは、当然の事だとは思わないか?」
フランシーヌの鼓動が跳ねる。
しかしフランシーヌは自分に言い聞かせた。
シルヴェストルは飄々とした男だ。
簡単に都合の良い言葉を吐いてのらりくらり生きるような男であるとフランシーヌは考えていた。
だからこそ、これもまた彼のいつもの軽口に過ぎないだろう。
そう思い、ポーカーフェイスを保とうとしたのだが。
ゆっくり離れていくシルヴェストルの顔が正面から見えるようになって――
――その頬が僅かに赤らんでいる事に気付いた。
「そ、れは…………」
つられるようにして、自身の取り繕った表情が瓦解していくのをフランシーヌは感じる。
「…………ずるい、でしょう……?」
フランシーヌの顔はじわじわと、そして着実に、シルヴェストルよりも濃い赤色に染まっていく。
そんな頬をシルヴェストルは優しく触って笑みを深める。
「まぁ、君が断ろうとも俺は逃がさないが。その調子で翻弄され続ける事だな。国の道具ではなく――一人の年頃の女性として」
こうして、一風変わった貴族同士であるフランシーヌとシルヴェストルの婚約が決まった。
シルヴェストルが一応は政略を銘打っていたが、それがどれだけ真実であるのかは怪しい。
そう思わせる程に、この婚約生活が甘いものになる事を――フランシーヌはまだ知らなかった。
尚、最近妻が買ったロマンス小説にこっそり嵌っていたミストラル侯爵は、そんな甘い空気を漂わせる二人の姿を目をかっぴらいて見ていた訳だが。
すっかり二人のムードになってしまっているフランシーヌとシルヴェストルには、彼と使用人らが密かに親指を立てあっている事に気付く余裕もなかったのであった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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それでは、またご縁がありましたらどこかで!




