表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

好きな人が合法的にオレの生命を狙ってくる件について

作者: Resetter



 「映画って、好きですか?」


 昼下がりの一幕。


 社用車に、二人の男女。


 帰社する方向。


 その女子社員からの、間を持たすための世間話。


 それはきっと、ありふれた日常の光景だ。



 だが、オレの精神――いや、生命力は今。おろし金に当てられた大根の如く、ゴリゴリと削られている。



 彼女の発した台詞自体は、いたって普通だ。


 問題は音にある。


 

 それは少し細目で、甘味があり……それでいて、嫌味がない。


 柔らかさを含みつつ高さを備え……それは実に女の子らしい――いや、まさに天上界の美声、天使の声とでもいうべき代物なのだ。


 いつまでも余韻が残るような、煌びやかで艶やかな色彩感を奏でている。



 さすが、彩音というだけはある。


 名前通りに成長した人のようだ。



 ただの空気の振動であるはずのそれが、恐ろしいまでの威力……いや、圧縮空気砲すら及びもつかない破壊力だ。


 街一つくらいは余裕でいける。



 いつまでも聴いていたい、そんな世界の名曲にも勝る音色。


 脳がバグりそうだ。



 「映画? まぁ、一時期よく観てたよ。内容覚えてないのばっかだけど」


 鼓膜から伝わる情報は、脊髄に雷を落としたかのようで、オレは掻き回された脳味噌をフル回転し、社用車のハンドルを握り締めながら、揺れ動く感情を必死で処理しつつ答える。


 

 ……大丈夫。


 オレはまだまだ平静だ。うん。1+1=2だ。



 「昔、週末になるとゲオ行ってさー」


 ちらりと助手席に目線を向ける。



 視界には、ウェーブがかった檜皮色のロングヘアから覗く、日本人には珍しい、愛らしい黄褐色の大きな瞳が強く映る。


 それは、いつか見た沖縄の海よりも深く澄んでいて、真夏の陽射しにも勝る輝きを放っていた。目が痛い。



 「その少し前とかに話題になってたヤツとかで、観た事ない作品とかさ、気になったタイトルのとかさ、テキトーに何本か借りてさー」


 あまり自分語りに走ると、飽きられないかな? と少し心配しつつも、すっかり気持ちは舞い上がっている。



 だが、それは仕方ない。


 隣に居るのは陽光に包まれた――いや、神々しいまでの光を自ら放っているかのような、紛れも無い天使なのだ。



 うん。


 既にオレの心臓は時速140kmを超えている。

 高速走行だ。



 「トランスポーターとか、指輪物語とか、色々観たよー」


 その深い瞳に吸い込まれるように、薄れた記憶の引き出しを開け放つ。


 

 前方は赤信号。


 信号待ちでは止まれたが、どうやら心のブレーキは壊れたようだ。

 ノンストップ。160kmで突っ走る。

 


 「邦画は観ないんですか?」


 再び発せられる天使の声に、最早うっすらあったはずの記憶すらも奪われてしまったらしい。



 「なんか観たような気はするけど、全然覚えてないや」


 とても知能指数の低そうな返答をする始末。


 フェンスを突き破り大破炎上、盛大なクラッシュ。


 

 だが、ある意味結果オーライだったのかも知れない。


 彼女の事を少し知れたのだから。




 そして再び、少し薄めだが形のよい艶やかな唇が動いた。


 「私、お気に入りの映画があるんです。」

 


 笑顔の花が咲く、という表現がある。



 だが、彼女のそれは、そんな表現では足りなかった。


 恐らく、至近距離で太陽光を浴びた感覚だろう。



 それはそれは凄まじいエネルギーだ。


 眩しくて直視出来ないどころか、一瞬で骨まで溶けた。



 「へー。どんなの?」


 超高出力エネルギーの余波に拠り発生してしまった、グツグツ煮え滾るマグマのような、抱き締めたくなる衝動。


 徹夜明けの睡魔よりも抗いがたい。

 


 だがっ!


 全集中力を以て、ハンドルに添えている右手に集約し、首から上は平常運転を装い続ける。



 オレは意外と器用だったのかも知れない。


 ハンドルから、雑巾を固く絞ったような音がする。



 「今夜、世界からこの恋が消えてもっていう映画で、略してセカコイっていうんですけど、知ってます?」



 前方、信号が青く灯った。


 再びゆっくりとアクセルを踏む。


 

 だが、頭の中では、彼女から発せられる心地よい音に混じり、アラートが鳴り響いている。


 心のアクセルは外的要因により、止める事は不可能。


 オーバーヒートは不可避。最早目前というところ。



 「え、知らんなぁ。恋愛系?どんなやつ?」


 このままでは駄目だ。


 危険過ぎる。


 オレは殺られてしまうかも知れない。



 彼女の魅力という名の暴力に、抗える程の防御力が、圧倒的に足りていない。


 それなりに長く生きてきて、それなりの経験値を得ているはずだが、まるで太刀打ち出来る気がしない。


 例えるなら、四回戦ボクサー対統一世界王者とか、草野球対メジャーリーグというところか。


 勝負が成立するレベルではない。



 行われているのは、アメリカの空爆。


 一方的な殺戮のようなものだ。



 「なんていうか、恋愛系といえばそうなんですけど……心が綺麗になるんです」


 綺麗なのはあなたですよね!? と叫びたかったが、すんでのところで変更が効いた。


 オレの自制心は鋼の強度くらいはありそうだ。


 鍛えていて良かった。



 このギリギリ感、ブザーが鳴っている電車に飛び乗りが成功した気分……いや、空中ブランコ一回転宙返り片手掴みくらいかも知れない。



 「心が綺麗……って、なに? どゆこと?」


 下界は毒素が渦巻いている。


 天使でも、デトックスが必要なのだろうか。



 やはりこの地上、いや、この会社は、腐海とでもいうべき環境だったらしい。


 これは浄化作戦を決行しなくては。汚物は消毒だ。



 「登場人物達が、全員ピュアというか、良い人ばっかりで……」


 良い人代表であるはずの助手席の天使は、何故か言い淀む様子で言葉を区切る。


 そして、予想だにしない提案をした。



「んー……。せっかくなんで、今度貸しますね。先入観無しで観て欲しいんです」



 想定外な展開に不意を突かれ、素っ頓狂な声が出た。


 「え?! 貸してくれるの?」


 間抜けな醜態もいい所ではあるが、勢い余って心臓が口から出なくて良かった。


 どうやら生命は助かったようだ。



 だが、恐らくオレの細い目も、勢い良く巨大化を遂げ、タイヤかハンドルか、はたまた皿のようにでもなっていたことだろう。


 「なんていうか、心が綺麗そうというか、優しそうというか、解ってくれそうな人に観てみて欲しいんですよね」


 これは強烈だった。


 幼い頃、時速80kmの車に轢かれて20m飛ばされた時よりも、地上30mのバンジージャンプを飛んだ時よりも、バイク事故で50m路上を滑って骨折した時よりも、比較にならない程の衝撃力。


 オレの生命力(ライフポイント)は削り切られ、既に秋刀魚か何かに載せられて、レモン汁と醤油で美味しくいただかれる寸前というもの。



 「えー、ありがとー。期待しとくー」


 と、何とか空返事を肺の奥底辺りから搾り出した所で、腐海へと辿り着いた。


 もとい、帰社である。




 その腐海の入口、砂利すらケチられ凸凹だらけの、土埃が舞う駐車場すら、銀世界に踊るダイアモンドダストのように、キラキラと煌めいてしまっている。



 世界はこんなに美しいものに溢れているんだね……。



 

 ……じゃあないんだよ。


 もう、どうしようもないな。完全にバグったらしい。




 荷物を運ぶからという理由で、天使には先に魑魅魍魎の跋扈する社屋へと向かってもらった。


 心苦しくはあるが……これは、仕方のない判断なのだ。



 社用車のハッチバックを開けながら、少し遠目でその後姿を見送る。


 傾きかけた陽の中を、魔窟へと向かい歩いていく天使の背には、白く美しい羽根が生えている。


 頭には、輝く天使の輪。名画より絵になる。



 うん。


 今、二人仲良く並んで歩くなど、逆立ちして日本全国を歩きで制覇するよりも、泳いで太平洋を渡るよりも、裸でエベレストを登頂するよりも偉業に思える。


 ……仲が良いかはさて置いて。




 


 荷物を抱え、薄汚れた暗い階段を独り上りながら、先程までの出来事を反芻する。


 あれは、序曲だ。


 このままでは合法的に抹殺されてしまうという恐怖と、地上に天使が住んでいたという驚嘆と、抱いてしまった気持ちに戸惑い続ける日々の、序曲なのだ。


 

 狙っているのか、天然か。


 それは分からないが、とにかく今生最大となる生命の危機、未曾有の事態である。


 

 この先……生き延びるには、どうしたらいいのか。


 逡巡したとて、答えは出ない。


 既に脳はショートし、心臓はオーバーヒートしている。


 


 荷物を置き、デスクに戻る。


 デスクトップの画面はまだ暗い。


 立ち上がりを少し待つ間に映る姿。


 頭の中には、すっかり天使が住み着いていた。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
こんばんは!ここでは初めまして!(いつもこっそり読んでいるので……) まず、おろし金の大根辺りで、私の顔は崩壊しました(つまり爆笑)。 1+1は2。確かに正常ですよ! 高速走行どころかもうノンストップ…
ああっ、こんな風に思われたい! 目の前(助手席)に彼女がいるのが、文字情報だけで、生き生きとした生身の女性に感じる。 そこにしびれる!憧れる!! 焦るときは、素数を数えると良いとJOJOで学んだけど、…
一人の女性をここまで言葉で表現できるものなのかとビックリしたぜ......。特に、「幼い頃、時速80kmの車に轢かれて20m飛ばされた時よりも~」の字面のインパクトは物凄い。きっと、事前に情報を聞いて…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ