3-1
長老の家を出ると既にエルフの部隊は退却していたようだ。ただアイフ一人は残っており、古谷たちが出てくるや否や、呼ばれたので入れ替わるようにして中へと入る。
二人はしばらく外で待機していた。
すると家の中からいくつか声が漏れ聞こえる。「本気ですか」だとか、「私は嫌です」だとか。アイフが長老の命令に対して、異を唱えているらしい。
「だ、大丈夫ですかね」エトが心配する。
「さぁ?」と、すげなく答える古谷。
間もなく家から出てきたアイフは、さぞ不機嫌そうな顔を浮かべていた。見るからに言いくるめられたらしい。古谷の顔を苦々しそうに見たかと思うと、「行くぞ」と一言、ぶっきらぼうに告げる。返事も待たずに歩き出した。
古谷もその後に続こうとすると、エトが声を掛けてくる。
「じゃあ、私はここで」
「え? 一緒に来ないのか」
「はい」と、頷く彼女。それから少し言い辛そうに言葉を紡ぐ。「フルヤさんはきっと、特別なんですよね? だからきっと、私がいない方がいろいろと都合がいいのかなと」
「エト……」
これまでの言動の中で、古谷が普通の人間ではないことは繰り返し示唆されてきた。長老の少ないヒントでエルフの里、ひいては世界で起こっていることを見事看破した彼女が気づかないわけがない。
それゆえに、寂しそうな笑みを浮かべるエトに心が痛んだ。
「悪い」古谷は言う。「その、実はさ」
真実を言い出しかけたその時、背後から声が響く。
「おい! 来ないのか! 置いていくぞ!」
アイフだ。既に大分先を歩いており、苛立った声を出している。
「ああ、くそ」古谷は毒づく。「エト、実はさ」
無視して切り出そうとしたが遮られる。
「フルヤさん、行かなきゃ」
「いや、だが」
「おい! 早くしろ!」アイフが叫ぶ。
「わかったよ!」と叫び返して、それからエトへと向き直った。「悪い、戻ったら必ず説明する」
「はい、お待ちしてます」
その言葉を聞き届けてから、古谷は踵を返して駆けだした。アイフの後を追う。
しばらくはエルフの里かと思われたが、気が付いた時には森の中だった。
里は奥へ行けば行くほど、やけに植物が繁茂している印象を受けたが、まだちらほらとエルフの住んでいる気配があった。が、ほどなくして森の中へと足を踏み入れていた。どうも明確な境界線がないらしい。
ともあれ二人は進んでいく。立ち並ぶ木々はどれも背が高く、太い根っこが地面から浮き出している。古谷が時折それに足を取られかける傍らで、アイフは事もなげにさくさくと歩いて行った。
「さっさとしろ、愚図め」と、彼は嫌悪を隠そうともしない。
本来ならば人間であるエトのみを目の敵にしていた彼だが、それを許せなかった古谷が散々突っかかったので、すっかりいがみ合う仲となった。
(出会い方さえ違えば)古谷は苦笑を浮かべる。(別の関係も築けたのかもな)
間もなくするとアイフが立ち止まり言う。
「ここだ」
深い森の中で、ぽっかりと口を開けた洞窟がある。しかもそれは真四角で、自然にできたものとは思えない。蔦が絡まってよく見えなかったが、周囲には象形文字のようなものが描かれた壁があった。
「この奥に行け」アイフが言う。
「お前はこないのか?」
「俺はあくまでも案内役だ」
そっけなく答えているものの、決して機嫌を損ねているわけではなく、自分の役割に徹しようとする気真面目さのようなものが感じられる。
あるいは長老にここまでと言われているのかもしれなかった。エトの前では言葉を濁していた。アイフも、古谷が他の人とは違うことは見抜いているものの、その正体にまでは迫っていなさそうだった。
なるべくならば、真実を知るものは少なくしたいという意向なのだろう。
「ここで待っている」アイフは言った。「さっさと戻ってこい」
「善処する」
そう答えて、古谷は遺跡へと足を踏み入れた。一歩、二歩。先行きは真っ暗で、まるで見通せない。
「悪いが明かりをくれないか?」彼は一旦、引き返してきて言った。
「それくらい自分でやれ」
「頼むよ」
アイフはため息を一つ吐くと、落ちていた枝を拾う。指先からマッチほどの火を出すと、枝の先に移した。
「これでいいか」
「ありがとう。助かる」
松明を受け取って、古谷はいよいよ遺跡の奥へと入っていった。
中の空気は冷たく、松明の火が暖かく感じられるほどだった。通路の壁を照らすと、入り口同様象形文字のようなものが描かれている。連なっている様子から文章を成していると推察されるが、古谷には一文字たりとも読めなかった。
異世界の文字でもなければ、ゴーレムだから読めるというものでもないらしい。
(こんなところに一人で送りだされてどうしろって言うんだよ)古谷は思った。
ほどなくして、広い空間へとやってきた。四方を囲まれているようなので、遺跡の最奥部なのかと思われる。天井は高く、松明の光量では見通せない。
古谷が部屋の中ほどまでやってくると、彼を中心に唐突に光り出した。床に描かれている魔法陣のようなものをはじめ、壁に彫られている模様という模様が、青色に発光を始める。
たちまち辺り一帯は照らし出された。そうして見えたのは、実物とそう変わらないサイズの岩塊の巨人の姿だった。
(これが、本にあったゴーレムを模した石像)古谷は記憶を手繰り寄せた。
誰が何のために作ったのか。作るにしても、わざわざ等身大である必要はない。そこまでの労力を割くほど、この遺跡は重要なものなのだろうか。
そう思っていると、石像は突然動き出す。
「ええ!」
積もった土埃を落としながら、ゆっくりと首を動かして古谷を見下ろした。それだけに留まらず、あろうことか喋り出した。
(待ち侘びたぞ、若きゴーレム)
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ!」古谷は慌てて手で制した。「あんた、え? 生きているのか」
(我らは恒久の時を生きる。貴様も然り)
「……え?」
驚愕の事実だった。言葉を失いかけるも、何とか言葉を紡ぐ。
「それってつまり、俺は死なないってことか?」
(そう言っている)
「いや、そうだけど、え? 何で、そんなことに」
(我々に課された使命のためだ)
「使命? そんなの聞いてないぞ」
(この力を授かったということは、そういうことだ)
「別に望んだわけじゃあ」
(それでもだ)
「そんな、横暴な」
(いずれ来たる時のために備えなくてはならない。そして、その日は近い)
「いずれ来たる日って……」奇しくも同じ言い回しが、長老の家で聞いた話の呼び水となった。「もしかして」
ゴーレムが微かに頷くのが見える。(世界はあるべき形に戻ろうとする)
「それは聞いた。今いる混血種族の血が薄まりつつあるって」
(その通り。そして、我々はそれに備える)
「いったい、それの何に備えるって言うんだ」
(いずれ人間の血が入っていない純潔種族が現れることだろう。しかしそれは、元通りになるわけではない)
「謎かけか? 悪いがよくわからない」
(かつてこの世界には七つの神がいた。それらはこの世界に暮らすそれぞれの種族を生み出し、繁栄を見守った。だが人間はやがて他種族との間に子を設けるようになり、それが神々の怒りを買った)
「その話も聞いたばかりだ。その結果、魔獣を作り出して種族間の交流を断絶させたって」
(だが、仕組んだのはそれだけではなかった)
「どういう意味だ?」
(純血種が覚醒した時、それは人間の血を根絶やしにする。そのように遺伝子にプログラムされている)
「人間の血をって」
(恨みがある。種族全体で弱い人間は、遺伝子を強くすることで繁栄する道を選んだ。この世界に混血種で溢れかえったのも、人間の遺伝子の強さがそうさせた)ゴーレムは言う。(世代交代を繰り返すうちにどの種族も徐々に人間に近づいていっていた)
「それが恨み?」
(絶滅の危機を招いた恨みだ。断絶が遅ければ人間のみ世界に取って代わっていただろう。神々はこれを遺伝子レベルでの侵略と判断した)
「待ってくれ。それはただ生きていこうとした結果なんだろう? 咎められる謂れがあるか?」
(そのためだからと言って、他種族を滅ぼしていい理由にはならない)
「それは、そうかもしれないが……」
(いずれ純血種が生まれる。その時、必ずや人間に牙をむく。我々ゴーレムは、それに立ち向かわなくてならない)
「戦うってことか?」
(その通り。我々は人間を守る存在)
「だが、さっきの口ぶりじゃあ……」と、古谷は言葉を区切る。「なぁ、あんたはいったいどっちの味方なんだ」
(人間を守る。それが我々の使命だ)
「そういうことを聞いてるんじゃなくてだな、あんた自身はどう思ってるんだよ」
問いかけるも、返答がなかった。答えに窮しているのかと思い、何度か呼びかけたが沈黙を貫いたままだった。
気づけば僅かに下げていた首も、初め来た時のようにどこか彼方へと向いている。こうしていると石像と何ら変わるところが見当たらなかった。
他にも聞きたいことはまだ山ほどある。だけれど、どれだけ尋ねても、もう答えようとはしてくれなかった。機嫌を損ねたのか。それとも、ただ白昼夢を見ていただけなのか。
古谷は諦めて引き返すことにした。来た道を戻るようにして洞窟を進む。道中、様々なことを考えた。
神々の怒りを買って人間を滅ぼそうとしているならば、ゴーレムの力はどこから生まれたのか。この異世界へ転生する際に聞いた声。神を自称するティアという存在。彼女はいったい何者なのか。
何より、エルフの長老はここまで導いて何をしたかったのか。こんな話を聞かされてどうしろというのか。そもそも、あの老人はここまでの事情に通じていたのか。知っていて、古谷にも知る権利があると思ったのか。
真実を知りに来たはずなのに、逆にわからないことが増えてしまった。
やがて洞窟を抜けると、アイフが待っていた。浮かない顔色の古谷を見るにつけ、こう言う。
「何を一人で話していたんだ」
「いや、別に」咄嗟に言った。
彼は何も知らないのだから、余計なことは言わないでおこう。そう思ったのだった。
それから気づく。「……一人?」
「内容まではわからなかったが、ここまで聞こえていたぞ。お前の独り言」
ここでようやく、ゴーレムは発声していなかったことに気づく古谷。増々、自分が夢を見ていたのではないかという錯覚に囚われた。遺跡の神聖さに、都合の悪い妄想を抱いただけではないか。そんな気にさせられたのだった。
*
アイフの先導のもと、再びエルフの里に戻った二人。エトはどうしているかと、早速その姿を探した古谷だったが、彼女はイヴをはじめとしたエルフの子供に囲まれていた。
何をしているのかとしばらく様子を見てみる。エトは目の前にある小石に向かって掌を翳していた。念でも送っているようで、苦しそうに顔を赤らめる様はそれを増々感じさせる。
「むむむむむぅ」エトは唸り声をあげる。「後ちょっとな気がするぅ」
「全然だよ」イヴが辛辣な調子で言い放った。
「何してんだ?」
古谷が近づいて問いかけると、エトはそれまでのポーズをやめて、子供のように泣きべそをかき、両手を突き出して駆け寄ってきた。
「フルヤさぁん」
「な、なんだ?」
イヴが代わりに応える。「魔法使えないっていうから練習を見てあげてたの」
その後に続いて、他のエルフの子供たちがはやし立てるように言う。「でもどんだけ教えてもさぁ」「一向に使えるようにならないんだよねぇ」「コツとか聞かれてもわかないっての」「やーいやーい、魔法音痴」
「別にいいもん」エトは幼児退行したかのように、古谷に抱き着いている。「使えなくても生きていけるもん」
(使えないのか)古谷は思う。
てっきり苦手なだけかとばかり思っていた。誰もが基礎的な魔法は使えるこの世界で、全く使えないというのだから酷いコンプレックスを抱くのも無理はない。
古谷は触れずにそっとしておくことに決める。
それから、心配が杞憂に思ったことに安堵した。
エルフの里でただ一人、人間だからという理由だけで迫害されているのではないかと気が気でなかったからだ。イヴをはじめとした、里の子供たちが守ってくれたことを感謝する。
「ありがとう、イヴ」
そう告げると、エトが言った。
「なんで! 私、いじめられたんですけど!」
(んな、大げさな)古谷は苦笑を浮かべた。