2-3
道中、魔獣との遭遇を危惧して、なるべく草木の生い茂る道を掻きわけるようにして進んでいった。
そこで古谷が目にしたのは、異世界の食物連鎖の一端だった。
まずは目の前を拳サイズの虫が掠め飛ぶ。
「うおっ」
あまり見慣れないでかさに思わず小さな悲鳴を上げていると、その隙をつくようにさらに目の前を何かが擦過した。
視線を追っていけば、木の幹に小ぶりの岩ほどあるサイズのヤシガニみたいな生物が貼りついていた。どうもそいつは先ほどの拳大の虫の捕食者らしく、両手で挟み込むようにして、もがくそれを抑え込んでいる。
「ま、魔獣か?」
思わず声を上げると、先を歩いていた二人の少女が反射的に振り返る。が、その正体を見るにつけ安堵の表情に変わった。
「ただの野生生物」と、イヴ
「そ、そうなのか」
頭上で古谷たちを警戒するようにしていたヤシガニは、やがて害をなさないと判断したのだろう、安全に食事ができる場所へと移動するかのように木をカサカサと下り始める。背の高い草にその身を隠そうとした。
がその直前で、木に巻き付いていた太い蔦が待ちかねていたかのように唐突に動き出し、絡みつく。たちまち無数の蔦でヤシガニを覆いつくすと、そのままスルスルと地面の方へと引きずり込んでいった。中でもぞもぞと抵抗しているのを、意にも介さない力強さだった。
あまりにも突然の出来事に、全てを見届けてからようやく口が利けるようになる。
「えっと、今のは?」
尋ねる古谷に、今度はエトが答える。
「ヴォラスという食虫植物ですよ。この変じゃ珍しくないです」
「そ、そうなのか」
古谷は、異世界の食物連鎖は魔獣を差し置いてもスケール感が大きいことを知った。
「本当に旅人だったんですか?」エトが呆れた様子で言う。
「お兄ちゃん、何者なの?」イヴが追随して問う。
古谷は苦笑いしか浮かべられなかった。ただ一人、大の男だけがてんやわんやしていることを気恥ずかしく感じたからだ。
(というか虫だったのか、あのカニ)と、ついでのように思う。
一方、イヴとエトは。
「エルフの間じゃインスーファと呼んでいる」
「そうなんだ」
「多肉植物で、瑞々しくて、おいしい」
「へぇ、今度食べてみよっかな」
「運が良ければ消化中の虫も取れて、たんぱく源になる」
「そっか」エトは朗らかに言った。「やっぱやめとこっと」
すっかり打ち解けた様子。古谷は自然と、先を歩く二人を追いかける形となった。
そうして進んでいくうちに、荒れた場所に出る。周囲の木がいくつもなぎ倒されており、てんでばらばらに積み重なっている。倒木はどれも幹が太く、所によっては何本も折り重なっており、見通しを悪くしていた。
「ここが魔獣の墜落地点か?」古谷は試しに口にしてみた。
確かにこの荒れ具合は人間業ではない。落ちて早々、魔獣が暴れまわったのなら説明がつく。が、違和感が拭えない。
「おそらく違うでしょう」エトはそれを見事に解消してくれた。「見てください」
彼女の指差した先は一本の折れた木だった。中ほどで折れているそれは、片側に樹皮が残りささくれのように立っている。
「それから、あっち」今度は隣の木を指差す。
そちらは先ほどの一本とは、真逆の側に樹皮が残っている。
「魔獣は投げ飛ばされたので墜落には指向性があったはずです」
「なるほど」古谷が後を引き継ぐ。「木は一方向に折れてないとおかしいってことか」
それが感じていた違和感の正体だった。
「その通りです」と、エト。
「見て」今度はイヴが言う。
いつの間にやら積み重なった倒木の上にあがっており、そこから彼方を指差している。さすがに視界が高く、古谷たちも登らざるを得なかった。
ちょうど高さは古谷の腰辺りなので、一本分よじ登り、それからエトへ手を返して引き上げる。それを二度ほど繰り返して、イヴと同じ視界に立てた。
彼女は待ちかねたように何度も指を突き出す。その先には一際大きい木が一本立っており、根本近くに空洞が空いている。そして、そこには黄色く濁った結晶体が重力を無視して浮かんでいる。
(あれは、まるで)古谷は思った。
エトも同じことを考えていたようで、さらには口にさえした。
「ゴーレムの胸にあったものに似ていますね」
(この力って、いったい)
古谷は無意識のうちに、自らの胸の辺りを服に上から握りしめていた。
と、その時。微かに地面が揺れたかと思うと、徐々に振動が大きくなってくる。次いで木々が折れる乾いた音が断続的に響いてきたかと思うと、自らの存在を主張するように一鳴きした。
そいつは、いくつもの木々を強引になぎ倒して現れた。蛇腹模様の体表面に、ずんぐりとした図体。腕や足、尻尾も相応に太く、体色は地層を思わせる黄土色。そんな力強さを感じさせる体なのに、頭部にはトカゲのような顔が乗っていた。下手くそなコラージュ画像のように感じられた。
「一応聞いておくが」古谷が問う。「あれは?」
「魔獣だよ!」エトが敬語も忘れて叫ぶ。
(だよな)
三人は倒木を渡るようにして逃げ出した。しかし直線的に連なっているわけではないので、蹴散らすようにして歩く魔獣とはどんどんと距離が詰められていく。歩幅も違うので追いつくのは時間の問題だ。
(ゴーレムの力を使うべきか)古谷は踵を返す。
そうして、手を掲げかけた時。
「総員、射て!」
どこからともなくそんな号令が響いた。同時に無数の矢が魔獣へと向かっていく。が、魔獣の固い表皮はそれらを受け付けない。ことごとく跳ね返される中で、その合間を潜り抜けるように一本が眼球へと飛んでいった。
命中すると、さしもの魔獣も叫び声をあげる。暴れん坊らしいそいつは、痛みに悶えると同時に腕を振り回し、周囲の木を何本もなぎ倒す。
そうしているうちに今度は、放たれるものが矢から水の球へと変わった。おそらく魔法だろうが、所詮はただの水なのでやはり何の外傷も与えられない。しかし、構わず何度も打ち付けられては飛沫をあげている。
それにより魔獣はすっかりと頭が冷えたのか、暴れるのをやめて再び歩き出そうとする。だが度重なる打ち水により地面はぬかるんでおり、また体重が重いことも相俟ってすぐさま足を取られた。
何本もの木を伴って、前のめりに倒れる魔獣。その振動に一時的に体勢を崩しかけた古谷たちだが、何とか持ち堪える。
それから果たして誰の仕業かを見極め始めた。視線を向けると樹上に、弓矢を手にしている幾人ものエルフの存在を認められた。
「アイフ!」イヴが叫ぶ。
その名を呼ばれたエルフは返す。
「随分と探したぞ、イヴ」
何人ものエルフたちの先頭に立つ彼は、どうも部隊長らしい。陶磁器のような白い肌に、長い耳。髪は金色のロングで中性的な顔立ちだが、声色から男だと判断できた。年のほどはおそらく青年くらい。少なくとも見かけ上は。
「ごめんなさい……」
イヴが珍しく感情をあらわにして謝罪を口にすると、アイフと呼ばれたエルフは言い返す。
「話を後だ」と、魔獣へと視線を向けた。「この先に川辺がある。そこで落ち合おう」
見れば黄土色の魔獣は今にも起き上がろうとしていた。うまくバランスが取れないのか難儀している様子だが、いつ立て直すともしれない。逃げるなら今しかないだろう。
「わかった!」
イヴは言い返すよりも早く、エルフの部隊は枝を飛び移るようにして去っていった。古谷たちはその後を追うようにして、陸路を行くのだった。
*
やがてアイフの言う通り、川辺が見えてきた。既に到着していたエルフ一行は、古谷たちを出迎えるようにして並んで立っている。
「アイフ」イヴは言う。「ごめん、心配かけて。実は」
「事情は後で聞く」種族柄なのか、彼もまた極めて淡々と調子で話した。「何にせよ、無事でよかった」
「危ないところを助けていただいてありがとうございます」エトが、一歩踏み出して言った。
すると、アイフは顔を顰める。「人間まで連れてこいとは言わなかったはずだが」
礼を無視して、イヴに言っているようだ。彼女はしどろもどろに答える。
「その、エトは悪い人間じゃないの」
アイフは増々顔を顰めた。「例えどんな人間であろうと里へと入ることは許されない」
「あー、勘違いしているところ悪いが」古谷が口を挟む。「俺たちはただイヴを送り届けただけで、何もあんたらのところにお邪魔しようなんて考えていなくてな」
言い終えるや彼はエトへと視線を投げかけて無言の内で「もう行こう」と踵を返す。が、呼び止められてしまう。
「待て、男」
(やべっ、挑発し過ぎたか)
果たして何を言われるか、恐る恐る振り返ってみると、こう告げられた。
「貴様は来い」
一瞬何を言われているのか理解できなかった。「人間は入れないんじゃなかったのか?」
「本気で言っているのか?」と、言い返される。
古谷は悟った。彼もまた一目で正体を見破ったのだと。
イヴもそうだった。彼女一人ならば、まだ子供特有の勘と言えただろう。だが二人目、それもこんな堅物そうな青年がとなると、種族全体として何かを掴んでいるということになりはしないだろうか。
(何を知っているんだ)古谷はまたも無意識に胸の辺りを握りしめた。(この力の、いったい何を)
知りたい気持ちは多分にある。
「わかった。その代わり条件がある」が、何を差し置いてもというほどではない。「エトも一緒だ」
「え?」
蚊帳の外に置かれているとばかり思っていたのか、唐突に名前の挙がった彼女が頓狂な声を出す。
「駄目だ」アイフは言う。「人間は里に入れない決まりだ」
「この森に彼女一人置いて行けるわけがない」古谷も言い返す。「ましてや魔獣が出たばかりなんだ」
「人間のことなど知ったことか」
「なら、ここでお別れだな。そして二度と会うことはない」
「貴様……」アイフは敵意をむき出しにする。
どうやら、どうしても連れていきたい様子だ。
「アイフ。私からもお願い」イヴが説得に加わった。「エトは私を助けてくれた恩人なの」
「イヴちゃん……」エトが感慨深げに呟く。
二対一では分が悪いと思ったのか、それとも同胞の意見は無碍にできないのか。アイフはしばらく考え込むように目をつむると、投げやりに告げる。
「好きにしろ」
踵を返すと、歩きだす。ついてこいという合図だと察し、三人はついていった。
ぞろぞろと歩くエルフの部隊を先頭に、イヴが続き、古谷とエトは僅かに遅れてついていく。エルフの部隊員がちらちらとこちらを見ては、何やら耳打ちをしあっている。何とも感じが悪い。
「フルヤさん」エトは不安げに言う。「私……」
途中で遮るようにして古谷は言う。「大丈夫だから」
「……うん」
一向は川沿いに歩いていく。やがて折れて再び森の中を歩いていたかと思うと、次第に立ち並ぶ木々の合間から見えてきた。
それは自然と調和した里だった。木をベースに、樹洞や樹上に家屋が建っている。空は枝葉でおおわれているものの薄暗いというわけでもなく、木漏れ日が里一帯を照らされている。木や家屋に絡まる蔦も繁茂しているというほどではないので、手を入れているのだろうと思われた。
「これが、エルフの住処」
エトが言葉にならないとばかりに呟く。それを聞き取ったらしいイヴは、振り返って言った。
「ようこそ。エルフの里、リグモンスーンへ」
が、そう思っているのは彼女一人のようだ。里のエルフは皆、異物を見るような目でこちらを遠巻きに窺っている。
(あまり歓迎ムードとは言えないな)古谷は思った。