16-2
「もう鈍感なふりをするのはやめろよ」
ゴーストは言いながら、ふらりふらりと近づいてきた。その不気味な動きはまさに怪異染みている。
「いくら必死に気づかない振りしていたって無駄だ」
古谷は金縛りにでもあったかのように動けなかった。恐怖のあまりではない。衝撃的な事実に、理解が追いつかなくなっていたのだった。呼吸すらもままならない。
なので、目の前に来ることさえあっさりと許してしまう。
「君の心はとっくに悲鳴を上げ、声を枯らしている」と、指先で古谷の胸を突く。「助けてくれと泣いている。身の丈に合わない状況に溺れてもがいている」
ただそれだけで彼は足の支えを失って尻餅をついてしまった。呆けた様子でゴーストを見上げることとなる。
「自分自身でそれを聞き届けなくて、いったい誰がお前を救う?」すっと手を差し伸べてきた。「さぁ、一緒に来いよ。全ての苦しみから解放してやる」
「俺は……」
「何の義理があって人類を救おうって言うんだよ。本来、俺たちはこの世界とは無関係なのに」
「それこそ」古谷は辛うじて言い返す。「関係ないだろ。世界は危機に瀕しているんだ」
「それが何だって言うんだい?」
「何?」
「だって考えてもみろよ。この世界のことは、この世界の住人たちが何とかするのが筋だろう? それを僕らが出しゃばって解決するなんて、おかしな話じゃないか」
「でも、俺たちには戦える力がある。なら」
「なら? なら、何だい?」
ゴーストは言葉を被せるようにして言った。
「もしかして力のないものは何もしなくていいなんて言い出さないよね? 他でもないそんな人間を救うために身も心もボロボロになっているっていうのに、ただ傍観を決め込むだけ。何も知ろうとせず、目の前のことすら他人事。そのくせして、いざ自分に火の粉が降りかかってから正義を振り翳すんだ。文句だけは美しいけれど」
「だから、嫌気が差したのか」問いかけると。
「まぁ」ゴーストの声音は冷めた調子になる。「有体にいれば、そういうことになるのかもねぇ」
「報われないから」
「見返りを求めることが悪いっていうつもりかい? だけどそれは諦めの裏返しだ。つまるところ称賛も好意も、他人からもらえるなんて期待していないわけだからね」
ゴーストは饒舌に続けた。一言われたら十返さないと気が済まない質だからだ。
「そうと知りながらも戦うことを選ぶ。私から言わせれば、それこそ異常者の所業だね。憑りつかれているとしか言えない。少なくとも、善意とは全く別のものに突き動かされている」
「……わかった」
古谷がそう告げると、ゴーストはほっとしたように息を吐いた。
「わかってくれてよかったよ」そして、再度手を差し伸べた。「さぁ、これで我々と一緒だ」
が、古谷はその手を勢いよく払った。雨の音すらも掻き消され、束の間の静寂が二人を包む。
「……何のつもりだい?」ややあってゴーストは問いかけた。
「お前の言葉が欺瞞に満ちているということがよくわかった。そう言ったんだ」古谷は立ち上がりながら言う。「お前も結局、形は違えど諦めた奴のうちの一人じゃないか。何のつもりかは知らんが、お前のやっていることも異常者の所業だ」
さらに言った。
「お前はオセを殺した。その血に汚れた手を、救済などと呼べない」
ゴーストはしばし冷めた表情で糾弾する彼を見つめていると、やがて溜め息を一つ吐く。
「残念だねぇ」それから、ゴーストは呆れたように言った。「でも、あなたは一つ大きな勘違いをしている」
「何だと?」
「あのワーウルフのガキを殺したのは俺じゃない」
「は? じゃあ、いったい誰が」
「だいたい、殺されたなんて誰の入れ知恵だい? 亜人種の追い出しと、彼の死。それが偶然重なっただけかもしれないのに」
「事故だったとでも言うつもりか」
「そうだ」
「はぁ?」
「正確に言うなら、全くの偶然ではない。でも本人たちに殺す意思はなかった」
「何を、言ってるんだ」
「真実を語っているんだよ。我らはどこにでもいる。この目で見てきた」ゴーストは言う。「大抵の亜人種はね、追い出しに応じたんだよ。他の町でも同じ目にあったんだろうね、いつかこうなるとでも言わんばかりにさっさと受け入れた」
でも、あのガキは違った。そうゴーストは続ける。
「抵抗したんだ、全力でね。それで仕方なく実力を行使した。その結果」と、あえてと言わんばかりにここで言葉を切った。それから再度切り出す。「未熟さがそうさせたのかもねぇ、若さゆえの反骨精神ってやつだ。でも、一番の原因は」
古谷は直感した。「フォレットか」
「その通り。彼がいたから、あのガキは抵抗を示した。あのエルフと再会できなくなることを嫌がったんだ。言い換えれば、その期待が彼を殺した」
全く皮肉なもんだよねぇ、とゴーストは笑う。
「諦めたものは生き永らえ、希望を抱いたものは死ぬ。あのエルフがいなければ、ワーウルフのガキは死ぬことはなかったんだよ」
「お前に……」
「うん? 何だい?」
「お前に、フォレットが非難されるいわれはない!」
「へぇえ? 随分と肩を持つんだねぇ。あいつが状況を引っ掻き回したんじゃなかったっけ?」
「あいつは自分の信念を貫き通そうとしたんだ!」
「だから潰れたんだよ!」叫びながら、下品な笑い声をあげた。「自分の身のほどを知らないから、その重さに耐え切れなかった! 奴もまた、希望を抱いて死んだ馬鹿の一人だよ!」
「黙れ! お前に笑う資格なんかない!」
「なら、お望み通りに黙らせてみろよ!」
「やってやる!」古谷は掌に光を顕現させる。「お前だけはここで!」
しかし、一向に握りしめる気配がなかった。ゴーストに見せつけるようにしながら、荒い呼吸を繰り返す。
「わかるぜ」ゴーストが言う。「怖いんだろ。その力が」
古谷は何も答えられなかった。図星だからだ。力を使えば使うほどゴーレムへと覚醒する。薄暗い遺跡の中で、ただ純血種を倒すためだけの人形と化す。
自分がこうやって変身できるのは後何回くらいなのだろうか。まだまだ先かもしれないし、これが最後かもしれない。そう思うと、中々変身できなかった。
「無理することはない。俺は別にどうしても戦いたってわけじゃあないからな。むしろ穏便にいきたいくらいだ」
「どの口が!」古谷は自らを鼓舞するように雄叫びを上げた。
それから光を握りこむ。隙間から強烈な光が漏れ出していき、やがて辺りを包み込む。
「いいぜ、遊んでやる!」ゴーストが言う。
どこからともなく、無数の霊体が飛んでくる。それが巨人を形作るように集まっていく。
不意に雨が止んだ。しかし依然として垂れこめる曇天の空が、二体の巨人に圧し掛かるように広がっていた。
片や、胸に青白い光を宿す岩塊の巨人。片や、体中に無数の白い仮面を張り付けた首のない黒い巨人。
古谷が雄叫びを上げて殴り掛かる。
*
その光景は当然ながら、エトたちからも見ることができた。
突如として町に立ち上がった二体の巨人。岩塊の巨人から仕掛けた攻撃は、上体を逸らされてあっさりと躱されてしまう。それだけに留まらず踏鞴を踏むこととなったところを、背中から蹴りつけられてしまう。
あえなく地面に投げだされたような恰好の古谷。ゴーストは追撃でも加えるつもりなのか何なのか、余裕の調子で歩いてくる。さながら煽るかのようで、古谷は挑発に乗せられたかのように起き上がり様に掴みかかる。タックルをするような低姿勢で、腰の辺りをめがけている。
もちろん、そんな直情的な攻撃が当たるわけもない。避けられるどころか、横合いから蹴り倒される。その振動が、こちらまで伝わってきた。
宿屋の窓から彼の戦いぶりを見ていたエト。
「フルヤ……」と、悲壮的にその名を呼んだ。
普段から無茶な戦い方をするが、いつにもまして荒々しい。何があったかはわからないが、かなり怒りに囚われていることだけはわかった。
「何やってんだよ、あいつ」レンがぼやくように言う。
その傍らで、エトが駆けだしていた。
「ちょいちょいちょい! どこ行くのさ」慌ててレンが尋ねると。
「行かなきゃ!」シンプルな答えが返ってくる。
「行って、どうするつもりなんだよ」
「それは……わかりませんが、とにかく行かなきゃ」
それ以上話している時間はないとばかりに、彼女は部屋を飛び出していった。取り残されたレンはしばし呆然としていたが。
「ああ! くそ!」と、頭を掻くとベッドから飛び起きた。
彼女の後に続くようにして駆けだす。
*
「現状が町民の総意だ!」ゴーストは、古谷を殴りつけながら言う。「僕はただ魔獣をおびき寄せただけ! ほんのちょっと後押ししただけだ!」
(ほざけ!)彼はよろめきながら答える。(お前が何もしなかったらこうはならなかった。全ては思惑通りなんだろ!)
「仮にそうだったとして、それにまんまと引っかかる連中にだって問題はあるんじゃないのか!」
古谷はやや言葉を詰まらせながらも、何とか言い返した。(違う! 集団ってのは絶妙な均衡の上に成り立っているんだ!)
それから殴り掛かる。
「それはつまり!」対するゴーストは距離が詰まって来ところで蹴りつけてきた。
古谷はその蹴りをまともに食らい、仰向けに倒される。すぐさま身を反転させて起き上がろうとするも、押さえつけるようにゴーストは足を乗せてくる。
それから言った。「俺が手を下さずとも、遅かれ早かれこうなっていたってことじゃないのか!」
(だから!)古谷はその重量に抗いながら返答する。(お互い支え合うようにして生きていかなきゃいけないんだろ! それが共存じゃないか!)
「物は言いようだな!」ゴーストはさらに足に力を込め、押し潰すようにした。「如何にもって感じだが、その実ただ相互監視状態を築いているだけじゃないか! 強きを挫き、弱きを支配する。それがお前らの言う共存の正体だ!」
(お前らだって、共生することを選んだ身だろ!)
「違う! 我々はそんな不完全なものじゃない! 意識を一つに統合した完璧な生命体、進化した上位存在なんだよ!」
*
今や二体の巨人は、純血種の襲来ですっかり空間が出来上がっている空き地で戦闘を繰り広げている。
そんなすぐ近くまで駆けつけてきたエト。息を切らしながらその行く末を見守っている。
「フルヤ……」
劣勢なのは誰の目にも明らかで、ただでさえ冷静さを欠いている彼に勝ち目は薄い。せめて一緒に変身していたら飛行能力で少しは優位に立てていただろうに。
(どうして)エトは歯噛みする。(いつも一人で戦おうとするの?)
かつてエッバグーサの町で一緒に戦うことを誓った。しかし、それは一方的な約束に過ぎなかったとでもいうのだろうか。
ともあれ、今からでも彼の助けになりたかった彼女だが、それには一度変身を解かなきゃいけない。しかし、今の彼はそれをすれば再変身には時間を置かなきゃならなくなる。ゴーストとの戦闘続行は不可能だ。
結局、二進も三進もいかなくなり無力さを感じていると、遅れてレンがやってきた。
「エトちゃん」彼も息を切らしていたが、エトよりも呼吸が激しい。まだ本調子ではないからだろう。「ここは危ないから」
「でも……」
「もどかしい気持ちはわかる。だが、戦闘に巻き込まれたって知ったらまた古谷の奴が取り乱す」
「そう、ですよね……」
その時だった。脇目も割らずにここまで来たが、いざ落ち着いてみるとちらほらとであるが町人たちの姿があるのに気づく。別に雨が上がったからではないだろう。エトと同じく、戦闘の行く末を見守るために現れたのだと思われた。
片や異形の巨人で、もう一方は純血種に襲われた際に助けてくれた岩塊の巨人。
ビジュアル面でもどちらが敵かはっきりしている中、なぜだかゴーストの言葉だけは思念という形ではなくはっきりと発声されている。巨大さも相俟って、彼の痛烈な皮肉は町中に響いていた。
誰もが願っていたのだった。あの黒い巨人を倒してくれることを。
この戦いでの敗北は、ただ負ける以上の意味を持っている。
それを察したレン。「エトちゃん」と呼びかけると、続けた。
「安全な場所に避難するんだ、いいね?」
「レンさんは、どうするつもりですか?」
「これ以上は、見過ごせないよな」そう言って、駆けだす。
そのまま彼は光に包まれた。中から翼のゴーレムが飛んでいく。
取り残された者たちは、エトたちを含めてただ見届けることしかできなかった。
誰も何もできないくせに、いっちょ前に行く末を案じていて、希望に縋っていた。




