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輝く光を胸に抱いて  作者: 吉永 久
第四章:第十三話 月下の記憶
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13-2

 しばらく必死に駆け続けたが、もう誰も追ってきていないのを見て取ると歩調を緩めた。


 それでも警戒まで緩めることはせず、後ろを気にしながら入り組んだ道を進んでいく。やがて一本の細い路地へと入っていった。その道を半ばほど塞いでしまっている大きな木箱の影に頭を突っ込むように屈みこむ。


 そこには小さな先客がいた。


「お待たせ。大人しくできたか?」


 ローブに身を包んだ少年はそう告げると、彼よりもさらに小さなものを抱きかかえる。少年と同じく身をすっぽりと覆っており、露出しているのは顔のみ。毛むくじゃらで、鼻口部が突出している。


 体毛は灰色。突き出た口から覗く犬歯の連なりと、頭頂部と側頭部との間から生えている三角形の耳が特徴的だ。くりくりとした目で、無邪気な笑みを浮かべている。それは紛れもなくワーウルフの赤ん坊だった。


 まだ生まれたばかりの赤ん坊はろくに言葉も喋ること叶わず、主張は専ら表情と拙い動きだけ。おくるみの中から必死に腕を伸ばそうとしていた。そのおかげで、留め具代わりの花のブローチが外れかけた。


 それを慌てて直しながら尋ねる。「お腹、空いたか?」


 もちろん、そんなこと言ってみたって理解できるわけない。だけれど言う度に返ってくる言葉ならぬ声がいちいち愛らしく、彼の孤独を慰めた。


「ほら、食べちゃダメだぞ。しゃぶるだけだ」


 そう言って、今しがた盗んできた串焼きを差し出す。赤ん坊はその先端に口をつけると、ミルクでも吸うようにちゅぱちゅぱと音を立てた。


「うまいか?」


 問いかけると、やはり言葉ならぬ声での返事。


「よかった」


 嬉しそうな赤ん坊の笑みを見て、彼もまた安堵の笑みを浮かべた。


 数日ぶりの食事だった。匂いだけで食欲が刺激され、そうでなくとも空腹なのだから余計にお腹が鳴る。かといって赤ん坊の食事を焦らせることはなく、ゆっくりと見守っていた。


 同時に申し訳なさも感じていたからだ。こんなにも小さいのに満足に食事を耐えられない。その事実が自らに対しての情けなさと、世間の冷たさに対する怒りとを覚えさせた。


 複雑な胸中。だが、赤ん坊はどこ吹く風で一心不乱に肉をしゃぶっている。その実に満たされたような笑顔に、くさくさした気持ちが洗われる心地だった。


 ほどなくして満足したようで、赤ん坊は口を離す。ついでウトウトとし始めた。重くなってきた瞼を、瞬きのように閉じては開く。背中を優しく叩きながらあやすと、やがて限界が訪れたのか目を閉じて、寝息を立て始めた。


「おやすみ」


 小声でそう告げると、赤ん坊を地面に横たえた。


 それから自らの食事に取り掛かる。と言ってもあっという間だ。串焼きを二口で食べきると、咀嚼もそこそこに嚥下する。


 そのようにしてあっけなく腹に収めると、細く長く息を吐いた。当然、満腹とは言い難いが久方ぶりの食事に体が喜んでいるのが分かる。手足がしびれるような多幸感に包まれた。


 木箱にもたれて、空を見上げる。路地の細い隙間から眩しい青空が覗けた。しばし、流れゆく雲を目で追うようにしながらぼんやりとする。


(いつまで、こんな生活を続けるのだろう)


 一時的にでも満たされたからかもしれない。おかげというべきか、あるいはそのせいというべきか、ともあれ先のことを考える余裕が生まれた。


 そして未来には不安がつきものだ。


 すぐ横で寝息を立てている赤ん坊に視線をやって思う。


(せめて、弟だけは守らなきゃ)


 まだ生まれて間もない兄弟のあどけない姿を見て、兄は改めて胸に誓うのだった。


          *


 到底、無理だろうと思った。


 あの小ささで、目にも止まらぬ速さで串焼きをかっさらった身のこなし。それに人の合間をするするとすり抜けていくすばしっこさ。並外れた身体能力を持っているのは明らかだ。


 半分くらいは野生児と言えなくもないエトだが、身体能力に関しては平均程度なので、とてもじゃないがまっとうにやって追いつけるわけがない。なので、古谷に対して保証はできないという約束を取り付けたうえで単独での追跡を試みたのだが。


(まさか、こうもあっさり見つかるとは)エトは路地を覗くようにしながら思う。


 そこからでも、辛うじてだが会話が聞こえた。漏れ聞こえた分だけでもよほど困窮していると推察するのにはあまりある。


(……そっとしとこう)


 手を差し伸べるべきなのはわかっているが、生憎とそんな余裕は持ち合わせていない。せめてもの情けとして、ここは見逃してあげようと考えた。古谷には事情を説明して、諦めてもらうことにする。


(それにしても)身体能力の高さから、あるいは程度に考えていた可能性。(もしやと思っていたが亜人種とは)


 その予想が当たった形となる。赤ん坊の声に犬のような鳴き声が混じっていることから、ワーウルフであろうと推察された。


 最善は彼らを保護することだろう。個人で無理ならば、然るべき機関で。


 だが、種族間での交流の断絶したこの世界で他種族の子供を保護する機関があるわけがなかった。


(カーさんに預けようかな)と、ドラゴニュートの知り合いの顔を思い浮かべる。


 見事に人任せだが、それ以外にいい方法がない。彼以外にも有志で行っているものはいるかもしれないが、少なくとも知り合いにはいなかった。


 だけど、それでも懸念は残る。


(大人しく、ついてきてくれるかな)


 あの幼さで路上生活だ。よほど虐げられてきたことは想像に容易い。警戒心は強いことだろう。


(でも、強引に連れて行くのは何だか違う気がするし……)一人、懊悩していると。


「エト!」と、彼女を呼びかける声があった。「見つかったか!」


 古谷が約束通り駆けつけてきていた。が、今はいい迷惑だ。憚ることない大声は隠れていたのを台無しにさせる。


 エトは身振り手振りだけで何とか落ち着くよう促そうとするが、あまりの慌てっぷりにむしろ彼女自身が落ち着くべきだった。


「何してるんだ?」しかも、古谷にも伝わらないというダブルパンチ。「こんなところで」


 案の定というべきか、ワーウルフの子供に察知される結果となった。赤ん坊を片手で抱えたまま木箱を飛び出すようにすると、憎しみの籠った視線を二人に投げかける。


「ちょ、ちょっと待って。私たち、別にあなたに危害を……」


 最後まで言い切れなかった。ワーウルフの子供は踵を返すと、駆けだす。


「待て!」古谷はすかさずその後を追おうとしたが。


「フルヤ」と、エトが引き留めた。「そっとしておこう。あの子も、別に悪気があったわけじゃあ……」


「そういうわけにはいかない」答える古谷。


「そ、そんなに」エトは愕然としながら言う。「食べ物が大事?」


 確かに生きていくうえで必要不可欠だ。しかし余裕ある自分たちと引き換え、彼らは飢えで苦しんでいる。明日をも知れない命だ。


 例え、それを踏みにじってでも食欲満たすことが大事だろうか。そうまでしてする食事は果たして本当においしいと思っているのだろうか。


(そんな人だとは思わなかった)どこか裏切られた心持でいると。


「違う。それはもういい」古谷は彼女の早とちりを否定する。


「え? じゃあ、いったい?」問いかけると。


 彼は険しい顔を浮かべた。「あの赤ん坊……」


 その表情からエトは察する。「もしかして」


「ああ」古谷は答えた。「純血種だ」


           *


 さすがというべきか、いくら子供と言えどワーウルフだ。その俊足は、例え大の大人でも追いつけそうにない。


 瞬く間に彼らを見失ってしまった古谷たちだったが、それでもしつこく逃げた方向へ走っていると、やがて町から出てしまう。そのまま行くと森の手前までくる。


「もう、駄目か……」古谷が荒く息を吐きながら言った。


 もし森の中に逃げ込まれたならば、もう追う手立てはない。あの身のこなしでは、とてもではないが人間に勝ち目はなかった。


 かといって、町中でも捕まえられる自信もないが。


「どうしよっか」エトは言う。


「仕方がない」古谷は答えた。「引き返そう」


 やろうと思えば追跡を続けることはできた。当然困難は伴うし、続行できることと遂行することは別問題だ。が、元より諦めるという選択肢は彼らにはない。純血種を放っておけばいずれ覚醒する。その際に出る被害は計り知れない。


 しかし、それを未然に食い止めるということの意味は深く考えずともわかった。詰まるところ、あの赤ん坊を殺すことに他ならない。同時にそれは、あのワーウルフの少年からもその存在を奪う行為でもあるわけで。


「……そうだね」とエト。「それしかないよね」


 自然と気が重くなる。追跡が困難という事実が都合良く不可能に取って代わり、二人の間に諦念を許容する空気が流れた。ひとえに追跡事態がおざなりだったのもそれが由来だった。


 ともあれ、甘んじて町へ戻ろうとしかけた二人だったが。


 森の奥から響くかのような地鳴り。ついで爆発にも似た土砂の巻き上がる音。それらがそれを許さなかった。


 足を止め、振り返りかけた中途半端な姿勢のまま無言のうちで視線を交わす古谷たち。あるいは聞き間違いだったのではないかと思われたが、一斉に飛び立っていった鳥たちが紛れもない事実であることを物語っていた。


 古谷はエトにすら聞かれまいとするかのように静かに嘆息をすると、森に向かって歩き出した。エトがその後に続く。


 おおよその位置も、何があったのかも検討はついた。鳥たちが飛び立っていったのは巨大な生物から逃れるためだろう。こんな森の中で不意に現れる巨大生物なんて、魔獣以外をおいて他にはなかった。


 もちろん、違う可能性もある。何なら、例のワーウルフの子供が襲われているのかもわからない。何の理由もなく魔獣が現れただけかもしれない。


(だったら、よかったんだがな……)


 そんなわけで二人は尤も可能性が高く、同時に最悪でもある状況に遭遇した。先ほどのワーウルフの少年が、深緑色の体毛に覆われた大地の魔獣に襲われていた。


 ワーウルフの少年は器用にも赤ん坊を腕に抱えたまま樹上へと避難したようだ。大地の魔獣は、体こそ大きいものの四つん這いなのでそこまで登られてしまっては手も足も出ない様子で、木の下から見上げるようにしている。


 だったらさっさと諦めてくれればいいものをそうしないのは、魔獣という生き物が種族同士の交流を断絶するために存在するからだろう。その役目を全うするべく、今や遅しとワーウルフの子供の落ちてくるのを待ち構えている。


「フルヤ……」木の影からその様子を見ていたエトが言う。


 問いかけるような視線。逡巡を滲ませたそれは、どうしたらいいのかを言外に尋ねてきている。


 答えなど明白だ。助ける。他にやることがあったら言ってみろ。


 だが、未だ様子見に徹しているのが現状だった。


 そうこうしている間にも状況は刻一刻と変わっていくもので、大地の魔獣はついに木を揺らし始めていた。揺り落とそうというつもりらしい。


「行ってくる」古谷は決意したようにそう告げると。


「私も」エトが言い出す。


「いや、魔獣なら一人で十分だ」断りを入れた。


 最悪、そのまま赤ん坊を殺すことも視野に入れてのことだ。彼女にまで余計な罪を背負わせる必要はない。古谷はそう考えた。


 エトはまだ何か言いたそうだったが、一人で飛び出して身を晒す。手を頭上に掲げて、光を現出させようとしたが。


 その前に目も眩むような光が辺りを包み込んだ。古谷はもちろん、魔獣すらも腕で目を庇った。


 やがて瞼越しに光が消えるのを感じると、目を開ける。そこにはゴーレムが立っていた。


 レンでもなければ、アルドでもジュンでもない。緑っぽい体色で、左右が非対称。違いは片腕が不自然に肥大化しているのに対して、もう一方の腕は細く、丸みを帯びたなだらかな表皮をしていたという点だ。


 カンラン岩を体表の持つゴーレムが、そこにはいた。


(悪いけど、その子は傷つけさせない。もしあくまでも続けるつもりなら)新たなゴーレムは好青年らしい声で告げる。(ここで倒させてもらうよ)


 そして体を横向きにし、身を屈めた。太い方の腕を肘から曲げるとぴったりと合わさって一枚の盾のようになる。それが彼の臨戦態勢のようだ。


 魔獣も戦闘の気配を感じ取り、咆哮を上げる。一歩も退く気のない様子。元より言葉を介さないが、ゴーレムの声が聞こえていたとしても同じ結論だったろう。


 それでも心のどこかでは通じると思っていたのか、はたまた願望か。ゴーレムは憐みの籠った声で言った。(……残念だよ)

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