2-1
「ゴーレム?」
「そう! ゴーレム!」
ラムーベの町中にある飲食店で二人は向かい合って座っている。休憩がてら、軽食をつまみながら話していた。話題は専ら先日の魔獣騒ぎについて。
エトはさながら名探偵のように、こめかみに人差し指を当てながら言う。
「通りで、どっかで見たことあると思ったんですよ」
「前にも見たことがあるのか?」古谷は問う。
するとエトは首を振った。
「いえ、本で読んだだけですが」
「そうか」
古谷はややがっかりした。もし他にも同じ目にあっている人間がいるならば、先駆者として是非会って話を聞いてみたいところだった。
言うに及ばず、魔獣騒ぎの際に現れた岩塊の巨人。その正体は古谷弘治だ。自分でも何が何だかわかっていない。子供を庇ったところまでは覚えている。だが次の瞬間にはあの姿になっていたのだった。
一つわかるのは、この力が神より与えられたものだということ。それ以外に考えられない。
(いったい、何だってこんなものを俺に)
その目論見は不明だ。
「本にはなんて書いてあったんだ?」
自分の身に何が起こったのか。探りたい気持ちは多分にあるのだが、なるべくさりげない態度を心掛ける。
自分がゴーレムに変身したということはなんとなく伏せていた。先日、魔獣を投げ飛ばし後も町人たちに囲まれてしまったが、彼はたちまち逃げ出した。というと語弊があるがその実、胸の疼きがひどく、吐き気さえ催してしまったのでどこか人気のないところに向かっていったに過ぎない。
が、今になってはそれでよかったと思う。目の前で正体を明かせば、質問攻めは免れないだろう。しかし彼には返せるだけの答えを持ち合わせていない。
聞きたいことが山々なのは古谷本人だったからだ。
「うーん……」
エトは腕を組み、首を傾げる。
「どうでしたかね。あまり詳しいことは書かれていなかったような」
「そうなのか?」
「ええ。解明が進んでいないんでしょう。各地に遺跡があるとだけだったような」
「そうなのか……」
落胆する気持ちを隠せないでいると、それを認めたエトが慌てて言い添える。
「あ、でも、まだまだ他の本はあるのでもしかしたらそっちに書いてあるかもしれません」
「他にもって、どこにあるんだ?」
「私の家にです」
二人が未だラムーベにいるのは、町に入り込んだ魔獣こそ退けたものの倒したわけではないので、まだ辺りをうろついている可能性を考慮してのことだ。当面は森の中を歩くのは避けようという話になった。
それに古谷の具合を、エトが気にしたからでもある。彼女は、彼が瓦礫の下敷きになったところを確かに目撃している。にも拘わらず、五体満足で現れた。
「本当に大丈夫なんですか?」
何度も何度も確認を取られた古谷は、その度に元気に振舞って見せた。回数を重ねるにつれて彼女の驚きは訝しさへと取って代わったようだ。
「何があったんですか?」
いよいよそう問われると、古谷は伝家の宝刀を使った。
「事故のショックでよく覚えていないんだ」
「またですか?」
(そう言われてもねぇ)
八割くらいは事実なので仕方がない。
そして今に至る。
「よければ、私の家に戻りますか?」
「ああ」是が非でも、と言いかけて「落ち着いたらな」と言い直した。
あまりガツガツし過ぎて、勘ぐられることとなっても具合が悪い。
町の復興は順調に進んでいた。避難所は後回しにするとしても、壊された家屋類についてはすっかり立て直されている。その時に古谷が目にしたのは、この世界において生活に深く根付いている魔法の数々だった。
物を浮かし、火を起こし、土を操り、水を出す。その応用として、物を切断したり、地面を掘ったり。そんな場面を幾度となく目撃した。先日、魔獣との戦闘で起こった爆発も、討伐隊が放った爆炎魔法によるものらしい。それもまた、火を起こす魔法の応用だそうだ。
「基本的なレベルのものは、基礎教養として学びますので大抵の方は使えますよ」と、エト。「確かそういった世界基準があったはずですが、フルヤのところは違ったんですか?」
「え? あ、あー、まぁそんなところだ」
「なるほど。町の発展具合によってはそういうところもあるかもしれませんね」
「あ、うん、そだね」
嘘をついている後ろめたさをからすげない返事をしたのだが、そのつれなさを暗に故郷の文明レベルを貶されたショックからと勘違いしたようで、エトはさらに言い添えた。
「かくいうこの町も、まだ村だった頃はそういった教育制度がなかったと聞いてますから」
「なるほど」
意図せず過去の話について触れてきた。古谷はこのまま彼女の父親の話にもつれ込もうかどうか考えあぐねていると、エトが先んじる。
「もちろん、向き不向きもあるので人によっては魔道具に頼らなければいけなかったり、逆に身一つですごい応用をする人もいます。自警団にいる方々は、主に後者ですね」
「魔道具があるのか」
「ええ、魔法は生活するのに必要不可欠なので。魔獣の存在がある以上、特に」
「それもそうか」
魔獣の存在で国交が難しくなっているので、インフラを支えるのに魔法が必要不可欠になるのも、さほどおかしな話ではない。
と、ここで古谷は思い至る。
「エトはどのくらいなんだ?」
町の復興には二人も積極的に携わっていた。エトたっての希望からだ。
大概は炊事などの簡単な手伝いだけで、家屋の立て直しなど直接的なことには関わっていない。もちろん専門性が求められるからでもあるが、それ以外でも魔法が役立つ場面はあるだろう。
特に他意のない質問だったが、彼女は慌てた様子で言った。
「な、なんでですか?」
「いや、そういや使っているところを見たことないなと思って」
すると、エトはもにょもにょとした口調になる。
「えーっと、私はそれほどではない、と言いますか」
(なるほど)古谷は思った。
彼女の話で言うならば前者ということだろう。コンプレックスに感じているならば、口が重くなるのも仕方がない。
「そうだ、もし魔道具に興味あるなら後で見に行きますか?」
しかも、あからさまに話題を逸らされたので確定的だ。
「そうだな」
古谷は特に何も言わずに同意した。
(まぁ、隠し事があるのはお互い様だからな)
という心からだった。
*
それからさらに一週間ほど経って、ようやく二人はエトの家に戻ることとなる。その時には既に町の復興の九割方は終えており、残すところ避難所を直すところとなった。
しかし他と比べて煉瓦造りのその建物は、強度の問題もあるので一朝一夕で直せるものではなく、長期間を見越して行わなければならない。これ以上、手伝うこともないということでいよいよ戻ることにしたのだった。
壮麗な丘を引き返し、森を抜けると、湖畔の小屋に辿り着く。古谷の記憶の限りでは、この小屋のどこかに本があるようには見受けられなかったが、どうやら離れにあったらしい。
寝泊まりしていた小屋とは別の場所に案内された。
「ここが書庫になっています」
そう言って開かれた先には異様な光景が広がっている。
窓一つのない暗い室内で、燭台がいくつも置いてある。てっきり本の劣化を防ぐため直射日光を避ける作りになっているのかと思いきや、入り口側を除く壁三面に天井までの本棚が据え付けられている。
明かりを取り込むつもりのない配置だ。そして、それ以外にはほとんど家具はない。唯一気になるのは、一面黒張りとなっている床の中央部に描かれている魔法陣だ。
「昔、父が使っていたんです」
エトが言い訳するかのように述べる。
「本も、全て父が集めたものでして」
妻を失い、死者を蘇らせるという魔術に傾倒したエトの父親。その過程で世界中にあらゆる魔導書や禁術の書かれた本を取り寄せたらしい。どんな些細なことでも見逃すまいとしたようで、世界中の伝承や神話、果てには眉唾な噂話まで取りまとめたような本も見受けられる。
「あるわけないんですけどね、死者を蘇らせる魔術なんて」
エトはさながら笑い話のように言いたそうだった。だが声が震えていたので、彼女が思うほどの効果はなかった。
「そうなのか」
古谷は何気ない相槌のつもりだったのだが、エトの気に障ったらしい。やや語調を荒げて言った。
「そりゃそうですよ。死んだ人が生き返るなんて、そんなことあっていいわけないじゃないですか」
「……そうだな」
古谷は微妙な気持ちになった。かくいう彼も、別の世界でとはいえ一度死んで蘇った身だ。
(あっていいわけじゃない、か)彼は思う。(確かにそうなのかもしれん)
ゴーレム。古谷は元いた世界で知識くらいあったわけだが、異世界人にとっては馴染みがないようだ。つまり、その存在は異質ということ。
(この力の意味は、いったい)
念願叶ってエトの口から過去を語られたわけだが、思っていたような言葉がかけられない。彼女の気持ちに寄り添えるほど、今の古谷にも余裕があるわけではなかった。結局お互いに沈黙してしまったので、気まずい雰囲気が立ち込めることとなった。
エトは逃げるように言う。
「私は少し森に行ってきますので、ごゆっくり」
「あ、ああ」と、古谷。「気を付けて」
その言葉は聞き届けられたのか。発言とほとんど同じタイミングで扉は閉められた。
やや後ろ髪引かれるが、古谷は自分のことを優先する。適当に一冊の本を抜き出して読んでみた。
異世界の文字は元いた世界とはまるで違うが、平然と読める。エトや他の異世界人とも会話が成り立っていることからも、古谷自身がこの世界に合わせてチューニングされているのだろう。
生きていくうえでの最低限の保証といったところか。
ともあれ、彼はその一冊から異世界のことをいくつか知った。
この世界には人間族をはじめ、エルフ、マーフォーク、ドラゴニュート、鳥人族、ワーウルフ、ダンピールの七つの種族がいるらしい。それらはそれぞれの種族でのみ集まり、集落や町などを形成し世界中に点在しているらしい。基本的に他種族同士で交流することはないとのこと。
一説によると、かつて七つの種族は共存していたらしいのだが、どういったわけか分断された。各地にある遺跡などには、それを裏付けるかのような壁画が発見されているのだそうだ。
そして肝心のゴーレムの記述だが、ほとんどエトの言う通りのことしか書かれていない。誰が何のために作ったのか、世界各地で遺跡が発見されており、ついでに実物を模したと思われる石像があるとのこと。
その本には、石像を模写したのだろうか。ゴーレムの姿が描かれてあった。
いくつもの岩塊が接合するようにして、人型を形成している。顔には物憂げな眼があるのみで、表情の類はほとんど読み取れない。そして胸の中央部には結晶体がはめ込まれている。
(俺は、こう見えていたのか)
古谷はその絵を、そっと撫でた。
自らが変身していたので、当然その姿を見ることはできていない。辛うじて腕の様子から、岩で構成された体らしいという推論を立てられただけだ。
次のページでは、ゴーストなる種族の存在に触れられていた。が、ゴーレムと同じくほとんど何もわかっていないのか、たいしたことは書かれていない。いくつかの目撃談があるのみで、しかもどれも姿が異なっているとのこと。
それでどうして同じ種族だと判断したのかについてだが、オカルトの類を一緒くたにそう呼んでいるのかもしれない。
(ゴースト……。幽霊か)
この異世界にも、そういう存在がいるのだと感じた。より正確に言うならば、同じ迷信があるのだということを感慨深く思った。死者をそういった形で恐れ、あるいは敬うのは万国共通ならぬ万世共通なのだろう。
古谷は決して積極的に否定していたわけでもないが、かといって幽霊の存在を信じていたわけでもなかった。転生を果たして今は懐疑的だ。
(この異世界で亡くなったら、俺の世界へと転生するのだろうか)彼は取りとめもなく考える。(エトの母親もあるいは)
と、その時だ。不意に部屋の扉が開いたかと思うと、息せき切った様子のエトが現れた。
「フルヤさん! その、手伝ってもらっていいですか!」
「あ、ああ。構わないが」勢いに気圧されながらも尋ねる。「何かあったのか?」
彼女はもどかしそうにしながらも答える。
「倒れていたんです!」
「倒れていたって、誰が?」
エトは言った。
「エルフですよ!」