12-2
エトは目が覚めると、自分がベッドに寝かされていることに気づいた。
最後に覚えている光景は大火に包まれながら、戦う二体の巨人の姿。
早く離脱した方がいいのはわかっていた。が、戦闘の影響は大きくどこが安全圏なのかわからない。それに結末も気になる。
だが結局、限界を感じて町を離れようとしたのだが、判断が遅かったようだ。何もないところで躓くと、そのまま倒れて動けなくなる。それっきり意識を失ったのだった。
(助かったのか、私)エトは思う。
それから窓を除く。その向こうには池が見えた。灰色の岩肌の切り立った崖に沿うようにして広がっており、頭上に浮かぶ太陽の日差しを眩しく反射している。また、崖の上に萌える緑も写実的に映されていた。
試しに外に出てみることにした。それまでに誰かに遭遇するかと思いきや、特にそういうこともなく出てこられる。
朝特有の澄み切った空気が辺りを支配していた。音らしい音はなく、時折風によって草木が揺れるのみ。水辺だからかやけに冷え、吐く息は白くなった。
彼女は、かつて自らが住んでいた湖畔の家を思い起こした。
(思えば、随分と遠くまで来たよなぁ)と、感慨にふける。
あの小屋で過去に囚われて過ごす日々は息が詰まりそうだった。いっそのこと死んでしまいたいと思ったのは一度や二度ではない。
どうせならば、という思いで家を飛び出した。死んでもいいのなら、今の自分を変えることと大差ないはずだ。これまでの自分を捨てて、新しい生き方をしてみる。もうどうなったっていいじゃないか。そんな思いで、古谷の旅に同行を申し出た。
果たして、今の自分はどうだろうか。
とりとめもなく考えていると。
「目が覚めたようだな」と、後ろから声がかかる。
聞き馴染みのないその声に、反射的に振り返った。
その先にいたのは背中に一対の翼を持っている人物だった。かといって鳥人族と言うわけではなく、幾本かの骨の間に皮膜が張られているタイプのものを有している。が、ダンピールと言うわけでもない。
全身が鱗に覆われており、五本の指にはそれぞれ黒曜石と見紛うほど艶やかな爪が生えている。顔は、鼻口部が突出しており、頭部に装飾的とも取れる二本の角があった。
「あなたは……」エトが問う。
「私の名前はカー」と、ドラゴニュートの彼は穏やかに告げた。
「あなたが、私を助けてくれたんですか?」
「いいや」カーは首を振る。「ここまで君を運んできたのはダンピールの子だったよ」
「ダンピール……」と、繰り返す彼女。
状況的に見ても、それは十中八九シオンだろう。
(でも、どうして?)エトは思った。
あそこまで命というものを軽視する彼女が、わざわざ助けた。果たしてどういう風の吹き回しか。
しかし考えても詮無いことで、それからエトは思い至る。
「あの! 他に誰かいませんか?」
「他に?」
「はい、その」と、言い淀み。「何というか、冴えない男性の方とか言いますか……」
古谷のことを尋ねようとしていた。燃え盛るドレステンの町での戦いは見届けられなかったのでどうなっているかわからない。これでエトを助けてくれていたのが彼ならば生存を確認できるというものだが、どうもそうではなさそうだ。
残る望みの一つとして、一緒に助け出されたという可能性。これを考慮して聞き出そうとしたのだった。
が、いざとなると彼をうまく形容する言葉が思いつかない。結局、悪口とも取れる言い方しかできなかった。
「ああ、いるよ」しかも通じてしまった。
(ごめん、フルヤ……)エトは内心で謝る。
ともあれ、案内してもらうことにした。
小屋の中へと戻ると、いくつも並んでいるうちの一室へと導かれる。ベッドの上に古谷が眠りこけていた。
髪はボサボサで、顔中が煤に塗れている。あの大火の中を駆け回ったのだと察せられた。
「今朝未明、突然やってきてね」カーが説明する。「青髪の少女はいるかと尋ねてきた。私がいると答えると、安心したのかその場で倒れた。よほど疲れがたまっていたのだろう」
「そう、ですか……」
エトは古谷の頬をそっと撫でた。くすぐったいのか、彼はむにゃむにゃと顔をそむける。
「ゆっくりとしていくといい」カーは言った。
気を遣ってか、二人きりにしようとするかのように辞去する背中に、エトが尋ねる。
「あの、あなたはここで一体何を」
何もない池の畔で居を構えている。町からもかなりの距離があり、隠居するにしては不便だ。それに先ほど廊下で見た、いくつも並んでいる部屋が気になる。たった一人の生活にあれほどの部屋が必要だろうか。
その疑問はたった一言で氷解を見せる。
「怪我人や病人なんかを匿って、療養させている」
「病院ということですか?」
「真似事みたいなものだ」と、口元を綻ばす。
「しかし……」エトは言い淀んだ。
ちらりとカーの目元を見た。そこには前面から後頭部にかけて、ぐるりと一周黒い帯が巻かれている。両目を覆っていた。
カーは視線に気づいたのか、「ああ、これか」とその布に触れた。「ずっと昔に失明してね」
家の中くらいならば訓練すれば難なく生活できるだろう。しかし診療するとなると話は別だ。
エトは未だ疑問を感じていると。
「存外見えるものだ」それを如実に感じ取ったのか、カーが答える。
「どうやってです?」
そう尋ねるも、話は中断された。カーは不意に顔を背けると、こう言いだしたからだ。
「どうやらまた客人のようだな」
*
カーについて外へと出てみれば、こちらに向かってくる人影があった。腰の辺りで切り詰めたワンピースに、ズボン。それから腰丈ぐらいのマント。綺麗に着飾っていたその姿は、今や所々が破れたり焦げていたりしていた。
顔に至っても汗のせいかメイクが崩れ、煤に塗れていた。
「ここにいたのか、探したぜ」どうもジュンの人格ではなさそうだ。
「レンさん?」エトが尋ねる。
「ああ。古谷もいるのか?」
「はい。今は疲れて寝ていますが」
「よかったぁ」と、心の底から安堵したように息を吐いた。「いなくなった時は焦ったぜ」
それから彼は、エトの隣に立つカーへと視線を向けた。
「あんたが助けてくれたのかい?」
「私は何も。全ては運命のままに」
「はぁ?」
「数奇なめぐりあわせと言うことだ」
「はぁ」わかったのかわからなかったのか。レンは曖昧な返事をした。
「あの、レンさん」エトが尋ねる。「ジュンさんは今」
「ああ、気ぃ失ってるよ。まだ目覚めていない」
「そう、ですか」視線を落とす。
脳裏に焼き付いているのは、業火の中を歩く悪魔のような姿。思い出すだけでも身震いする。
「いつも、ああなんですか」やっとの思いでそう問いかける。
すると、レンは困ったように眉を下げた。「最近は落ち着いていたんだ。だけど、ようやくシオンを見つけたからか情緒が不安定になっていたみたいで」
「危ないって思わなかったんですか」エトは唇を噛む。「あのままじゃあどうなっていたことか」
古谷のおかげかどうかは知らないが、何とか暴走は止まったらしい。しかし、そうでなかったら近隣の森はもちろん、グエンキレの町にまで被害が及んでいたことだろう。それで終わりを見せなかったら、被害は次から次へと拡大していく。
そうでなくとも町一つ焼失している。既に無人だったとはいえ、地図上からも消えてしまった。
「怖い思いをさせたのは謝るよ」レンが的外れなことを言うので。
「私のことはどうでもいいです」エトは食い気味に言う。「でも……」
念頭にあったのは古谷の存在だ。暴走を止めに真っ先に跳び出していった。生存していたからよかったものの、最初に死ぬとしたら目の前で対峙していた彼をおいて他にはいない。そうでなくとも、今は泥のように眠っている。相当、無茶をしたのであろうことが見て取れた。
「どうして、そんな人と一緒にいるんですか」
声が震えるのは怒りか、恐怖か。エトは自分でもわからなくなっていた。
「俺は」答えたのはアルドだった。「ジュンを信じている」
「……答えになっていませんよ」
「かもしれない」彼は臆することなく告げる。「だが、俺はジュンを信じたいと思った。だから一緒にいるんだ」
「それが」エトは気まずそうに視線を落とす。「裏切られることになったとしても?」
自分でも性格の悪いことを言っている自覚があった。それでも言わずにはいれない。
「関係ない」しかしアルドの答えに迷いはなかった。「俺が信じたいと思ったんだ。俺はそう思ったことを後悔しない」
筋は通っていないし、何の弁明にもなっていない。そもそも悪いとすら思ってなさそうな口ぶりだ。
だけれど彼のその態度に、むしろエトの方が気圧された。淀みのない視線で告げられる迷いのない感情は、却ってこちらが間違っているのだという気持ちにさせる。
選択肢が他になかったのはわかっていた。あのドーピングを重ねたかのような黒い魔獣は、レンでもアルドの手にも負えなかった。もちろん、古谷でも対処できなかっただろう。あれを何とか出来るのは、ジュンのゴーレムを置いて他にはいない。
だが、それが免罪符になるかどうかは別の話だ。
エトは納得いかなかったものの反論の糸口を見失い、悔しそうに唇を噛む。そうして訪れた気まずい沈黙を破るかのように、カーが口を開いた。
「積もる話があるようだな。立ち話もなんだろうから中に入るか?」
*
状況は好転しなかった。
リビングのような一室に通されて、丸机を三人が囲んでいる。そうするだけでいっぱいいっぱいになるくらいの小ささで、自然と距離は近くなる。それが却って気まずさを助長させていた。
が、場を仕切り直したことで幾分から冷静さを取り戻したのか、エトが最初に切り出す。「どうして、ジュンさんはあんなふうに?」
火山を思わせる黒い巨人。これまで目にしてきたどのゴーレムよりも異質なその容姿には、ただ事ではない過去を想起させる。
「悪いけど」いつのまにやら、人格がレンに変わっていた。「俺たちは何も知らないんだ」
「知らない?」
「誰の過去も詮索しない。取り決めってほどじゃあないが、なんだかそう言うことになってる」
「なんですか、それ……」
エトとしても昔の話をするのは好きじゃない。特にトラウマに関しては自然と口が重くなり、古谷にでさえ言いたくはなかった。が、それは彼も同様で、あまり昔話をしようとしてこない。未だにどこからやってきたのかすら知らないままだ。
しかし、それはあくまでも内々に留まっているならばの話だ。誰かを、特に今回みたいに不特定多数を巻き込む事態になるかもしれないのだとしたら、もうそれは個人だけの問題とは言い切れない。少なくとも、巻き込まれた側としては知る権利くらいはあっていいだろう。
「それでよく、信じようなんて気になれましたね」エトがきつい口調で言う。
「過去は関係ない」アルドの人格が言った。「今の二人を信じたいと思ったんだ」
「聞こえはいいかもしれないですけど……」エトはそう尻すぼみに言った。
そして、やはり彼のことは苦手だと思った。綺麗ごとばかりを並べるアルドを前にすると、どうしても自分の捻くれた部分が顔を出す。言葉を重ねれば重ねるほど、自分のことが嫌いになりそうだった。
再び立ち込めた沈黙。間を繋ぐようにして、カーは口を開く。そもそも、なぜ同席していたのか。その理由が明かされようとしていた。
「目が覚めたようだな、ジュン」
「え?」驚くエトを他所に。
「……わかるんだね」と、ジュンの人格が言った。
「ああ」カーは悠然と告げる。「懐かしい気配がしたのでな」
「お知り合いだったんですか?」エトが尋ねる。
「まぁ、ね」ジュンは気まずそうに答えた。「懐かしむような間柄ではないけど」
「長く生きていると昔のことは皆、懐かしく思える」カーは言う。「分かち合える相手がいると特にな」
「私とあんたは、そんなんじゃなかった」
「かつての話だ」
「終わってないよ……」ジュンは言う。「何も、終わってなんかいない」
カーは何も言わなかった。それを会話の途切れ目と見たジュンは徐に立ち上がる。
「どこへ?」エトが尋ねると。
「巻き込んで、ごめんね」と、答えになっていない返事。「私、もう行くから」
「行くって……」
ジュンは淡い笑みを浮かべた。「クエシオンを探さなきゃ」
*
家の前の池で顔を洗い、完全にメイクを落とすと服を脱いだ。すっかりボロボロになってしまったマントとワンピ。これらをビリビリに引き裂いて風に乗せると、男のものの服に袖を通す。
(姉御)レンが言う。(よかったのか)
「他に何があるの」ジュンは穏やかに告げる。「初めから決めていたことでしょ」
(そりゃあ……そうだけどさ)
結局、何もかも無駄だった。おいしいものを食べても、おしゃれを楽しんでみても。どれだけ人生を楽しむふりをしても、仇を前にした途端、全てが意味を失ってしまう。憎しみに駆られて、周りが見えなくなる。
だから誰も巻き込まないと心に決めていた。傷つける結果に終わるだけだから。
そう思っていたのに。
「ごめんね、レン。古谷くんのこと、ちょっと気に入っていたでしょ?」
(まぁ、人生は一期一会って言うし?)
「アルドもごめん。せっかく、よくしてくれたのに」
(気にしなくていい)
「……そうだね。二人とも、ありがとう」
未練を振り切るように歩き出す。




