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輝く光を胸に抱いて  作者: 吉永 久
第一話 命という名の冒険
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1-4

 突如として現れた魔獣は、町の人々を容赦なく襲い、逃げ遅れたものを踏みつけにし、僅かに先に行くものを口で捕らえては放り投げ、家屋を尻尾で一薙ぎして倒壊させた。


 今や完全に姿を現した魔獣は、全身紫色の体躯をしならせて自らの功績を喧伝するように一鳴きする。


 第一印象は、不安ともつかない違和感だった。背中に山なりの背びれを持つ前傾姿勢は如何にも恐竜風だが、それに対して下半身が貧弱すぎる。形だけを真似た、出来損ない恐竜という印象だ。


 そんな紛い物が、生ある人々の町を蹂躙していた。


「フルヤさん、逃げましょう」


 エトの呼びかけに意識を目の前のことに戻した古谷は、まだ動揺の残るその心で「ああ」と曖昧に頷く。先を行こうとする彼女に付き従った。


 逃げる人並みに従って行った先は避難所らしく、既にかなりの数の人が収容されている。一緒に来た人々と共になだれ込むようにして入った二人は、足の踏み場もないほど埋まっている僅かな隙間を何とか見つけては、座る人を跨ぐようにして歩き、自分たちも何とか腰を下ろす。


 そうして不安に息を潜める人たちの中に加わった。二人は小声で会話を交わす。


「大丈夫なのか、ここ」


 建物は煉瓦造りだった。町に入ってからというもの、木造建築の並ぶ中での唯一だったので気になってはいたが有事の際の避難所だったようだ。しかし、3メートルにも及ぼうという巨体で体当たりでもされたらひとたまりもないだろう。


「仕方ありません、ここ以上に安全は場所はありませんから」


「もっと遠くに逃げるとかは」


「あまり得策とは言えません。別の魔獣に敗れて逃げてきたのかもしれませんから、まだ他にもウロついている可能性があります」


「町には普段、あまり出ないのか」


「はい、滅多に。しかし町に討伐隊がいますので彼らに任せましょう」


「討伐隊?」


「ええ。と言っても自警団みたいなものですけどね」


 間もなく、戦闘が始まったようだ。外から断続的な爆発音が響いたかと思うと、魔獣の悲鳴ともつかない咆哮が聞こえる。それから反撃でも食らったのか、今度は人声で悲鳴が上がる。次いで、怒鳴り声。


 戦闘の余波が、時折建物を揺らした。天井に積もっていたのか埃が落ち、同時に微か悲鳴が室内に響く。堪らなくなったようで、どこかで子供が泣きだした。


「大丈夫、大丈夫だから」


 そう慰める母親の声が聞こえた。かくいう、その声も震えている。


 ついに戦闘の音がすぐそこまで来ているのを聞きつけると、誰もが不安そうにその方向へと視線を向けた。息を詰め、祈るように見つめている。だが、壁の向こう側に何かがぶつかったのか、盛大な音を響かせると人々はいよいよ恐怖に震えた。


 そして、祈りを嘲笑うように壁は破壊された


 煉瓦の壁に大穴が空き、その向こう側に青空が見える。それも束の間、魔獣が覗き込むようにして覆い被さり、たちまち影が落ちる。


 室内はすっかりとパニックに陥り、我先にと逃げ出す人々に溢れた。魔獣の反対側、つまるところ入り口とは逆方向に向かう。


 だがそこに待ち受けているのは壁しかなく、人々は素手で破壊を試みているのか、何度も叩いて、時には「開けてくれ!」と呼びかけた。いるかどうかもわからない相手に、破壊してくれと頼んでいるのだった。


 古谷は、エトを抱え込むようにして庇うとその事態を遠巻きにした。視線を反転させると魔獣は壁の穴をさらに広げようと、細い腕の三本しかないかぎ爪を縁にかけたのが見えた。


 手前に引くのか、あるいは押し壊すのか。何にせよ、行動に移される前に魔獣の横顔が爆ぜる。たじろぐ魔獣をさらなる爆発が襲う。下方より放たれているらしいそれは、時に掠め、時には直撃を繰り返し、魔獣の気をすっかり引いたようだ。


 それを見て、古谷は言う。


「エト、行こう」


「行くって、どこに?」


「ここにいてはやられるだけだ。逃げなきゃ」


「逃げるたって」エトは不安な面持ちで言う。「入り口は……」


 その視線の先はすっかりと人の捌けた出入り口だ。あの先は魔獣の足元で、絶賛戦闘の真っただ中に躍り出ることとなる。危険度合で言うならば、今最も危ない場所だろう。


 だが、仮にここで討伐隊が魔獣を退けることに失敗したら再び倒壊の危機が訪れる。どう転ぶかわからない以上、今この瞬間で判断しなくてはならなかった。


「無理ですよ……。この人数が一斉に出て言ったら確実に誰かが犠牲になります」


 エトの言葉に対し、古谷は動揺する。そもそも二人の間では前提が違うみたいだった。


 古谷は助けられた手前、彼女だけは何としてでも守らなくてはと考えていた。それが恩返しになるだろうと思っていた。


 しかし、エトは全員の命を考慮していた。


「エト」古谷は諭すように言う。「逃げるのは俺たちだけだ」


「……え?」


「エトの言う通り、全員が逃げるのは土台無理だ。だけど、一人でも多く生き残った方がいい。そうだろ?」


「な、何言ってるんですか。だって考えてみてもください。私たちがあそこから逃げ出したら続く人が出てくるかもしれないじゃないですか。そしたら巻き込まれる人だって……」


「それは自己責任だ」


「……本気で言ってるんですか」


「俺だって、こんなことは言いたくない。だけど全員は助けるなんて不可能なんだよ。そんなこと気負う必要ない」


「……嫌です」


 エトは、肩にかけられた古谷の腕を振り払うと一歩身を引いた。


「できません。私だけが助かるくらいなら、いっそここで」


「エト。わかってくれ。俺はお前を助けたいんだ」


「気持ちは嬉しいです。でも、嫌なものは嫌です」


 それ以上は対話を拒むように背を向けた。


「エト……」


 避難所内は依然として阿鼻叫喚の渦に巻き込まれており、古谷の呟きはすぐさま掻き消された。


 古谷にとって町の住人は町の住人以外の何物でもない。言葉を交わしたのも薬屋の店主くらいのもので、しかも名前すら知らない。多くの人が名もなきモブでしかなかった。


 古谷の中では、未だ漠然としている異世界で唯一名前を持っているのはエトたった一人だった。


 そんな彼女に愛想をつかされたようにそっぽを向かれたものだから、たちまち取り残された気分になった。


 と、その時ついに壁が破壊された。魔獣が討伐隊の攻撃の合間を縫って、壁に尻尾を叩きつけたのだった。いくつもの瓦礫に早変わりした煉瓦の壁は、もうその役割を果たせそうにないほどにしか残されていない。最後の砦というのは少々心もとない足元付近の煉瓦も、魔獣の侵入と共にあっさりと蹴り飛ばされた。


 それらは勢いこそなかったものの、一歩でも距離を取ろうとする人々の方へと飛んでいく。比較的軽くなった細かい破片だけが届いて降りかかったが、まるで腕が折れたかのように悲痛の声が響いた。


 魔獣は身を屈めて入り込むと、咆哮し、共振して建物が震える。が、それは討伐隊の攻撃ですぐに中断を余儀なくされた。しかし、あまりにも不意を突き過ぎた攻撃だったために魔獣はバランスを崩した。


 まだ形を保っていた壁の一部と共に倒れ行く。ただでさえ脆くなっていた天井は、雪崩れるようにして崩落していった。


 増々反対側の壁によって被害を免れようと人々は詰め寄ったが、その人の圧力にはじき出される影もあった。まだ年端も行かないような子供で自分の身に何が起きたのかもわかっていない。母親の悲鳴と、密度の高い人と人の間から伸ばされる腕が見えた。


 古谷の体は反射的に動いていた。今まさに子供に降りかかろうとする瓦礫の数々が見えて、このままでは助かりそうにないことが明らかだったからだ。


 彼は子供の下にまで辿り着くと、覆いかぶさるようにして抱え込む。それからふと既視感を覚えた。


(前にもこんなことあったな)


 あの時もそのまま走り去ればいいものを、こうして庇った。そして死んだのだった。


(俺も学ばないな)


 ふと自嘲気味に笑うと、せめて子供の命だけを助けようと強く掻き抱いた。直後、二人を瓦礫が包み込んだのだった。


          *


 その瞬間を目撃した子供の母親は悲鳴を上げて、エトは呆然と立ち尽くしていた。彼女もまた子供の危機に気づいたものの一人であったが、いざという場面になって臆して一歩も動き出せないでいた。


 対して、古谷弘治は身を挺して庇ったのだった。


(私、全然駄目だ)エトは思う。(口ではどんなに言っても、肝心な時に何もできない)


 古谷に対して酷い態度を取ったことを後悔した。


「ごめん……」


 謝罪の言葉と共に、自らの情けなさと彼を悼む気持ちとで涙を流し始める。たちまち視界を覆い、眼前はぼやけた。が、それでも目を差すほどの強烈な光を瞼の裏で感じることができた。


(え……?)


 あまりの驚きに涙も引っ込んで視界を上げると、どこから現れたのか、岩塊の巨人の姿がそこにはあった。半壊している天井を優に超す身長で、全貌までは拝めない。


 夢か幻か。しかし周囲を見渡すと、誰もが同じように呆然とした面持ちで見上げている。どうやら自分だけに見えるものではないということだけ、辛うじて分かった。


 一歩、巨人は悠然と歩みだす。重たいその足が踏み出されるだけで地面が揺れる。避難所の、破壊された箇所の断面から素材が細やかな粒子となって落ちていった。


 巨人が動き出したのには理由があった。というのも、先ほどまで身を横たえていた魔獣が体勢を立て直していたからだ。巨人は魔獣の方へと向かい、敵対するように対峙する。


(戦うつもりなの?)エトは思う。


 あの質量同士が、ただでさえ崩壊寸前のこの場所でぶつかり合えば、全員漏れなく瓦礫の下だ。しかも逃げ場は相変わらずないと来た。


 予期せぬことが起こったが、状況が絶望的であることに変わりはなかった。


 と思ったが、巨人は魔獣にそっと掴みかかった。そのまま足に力を込めて前へと押していく。


 対する魔獣も踏ん張るには踏ん張るも、見かけ通り貧弱な下半身では敵わないのか、あえなく押し出された。


 いよいよ避難所の外へと出ると、巨人は突き放すように最後の一押しをした。さらによろめく魔獣に体当たりをかまし、そのまま押し倒してしまう。圧し掛かるような優位なポジションを取ると、両手を頭上で固く組み、振り下ろす。


 一度、二度。しかし三度目になろうという時、魔獣がけたたましい叫びをあげたかと思うと、がむしゃらに噛みついてきた。肩へと食らいつく結果となり、牙が欠けることなど厭わず力強く食い込ませようとする。


 巨人は苦痛に呻き、攻撃の手を止める。優位的なポジションを捨ててまで、魔獣の牙から逃れようとした。


 強引に身を捩らせて振り解くと、数歩後退り距離を取る。巨人は痛みに慣れていないのか、肩を抑えて荒く息を吐いている。そうしている間にも、魔獣は体勢を立て直し二つの巨躯は相対した。


 魔獣が一つ雄叫びを上げた。かと思うと、眉間に並ぶ二本の角が輝きだす。次いで背中に並ぶヒレが、首元から順々に同様の輝きを放っていった。


 何を始める気なのか。危険な予感がする。魔獣の直線上には未だ逃げ場のない人々が集う避難所がある。何をするせよ、あまりいい兆候とは言えなかった。


 その時、魔獣がこれまでに見せたことがない速さで突進を始めた。地面を削る勢いで頭を突き出すようにし、まっすぐと向かってくる。輝きを帯びた角はどうも高熱を放っているらしく、まだだいぶ距離があるのにも拘わらず熱さを感じた。


 真正面から受け止めた巨人は猶更だったろう。頭を抱え込むようにして直進する魔獣を受け止めると、それ以上は先に行かせんとするかのように足を踏ん張らせる。刹那、巨人の横顔が赤く照らし出された。


(あれは、何?)エトは思う。


 見れば、胸の結晶体が赤く点滅を始めているのに気付いた。


 気に掛ける余裕などなかったので元はどんな色だったかはわからないが、少なくとも点滅などしていなかった。彼女にはそれが何かの警告のように見えた。


 巨人は誰よりもそれを感じていることだろう。やや焦りを見せた様子で、火事場の馬鹿力とでも言わんばかりに力を込めて押し返す。やがて避難所から距離を取ると、魔獣を抱え込んだまま強引に回転を始めた。


 勢いがつき始めると遠心力で魔獣の体が浮いていく。強風が巻き起こり、辺りに粉塵が舞う。


 巨人はそれからも数度振り回すと、おもむろに手を離した。支えを失った魔獣は勢いに乗って、でたらめな方向へと飛んでいく。そのまま空の彼方へと消えていった。


 しばらく魔獣の消えた方向に目をやっていた巨人だが、やがてエトたちへと目を向ける。


(守って、くれたの?)


 そう思ったのはエトだけではなかったようで、避難所の人々は各々探るように外へと出ていく。


 そんな様子をただ見守る巨人に増々確信を深めると、誰もが口々に礼を述べ出した。


「ありがとう」「ありがとう」「我らの救世主だ」


 すっかり喝采ムードの中、エトは遅れて外へと出るとじっと立ち尽くす巨人を見る。


(あなたは、いったい何者なの?)


 その時、突然世界は変わった。今までそこにあった日常はあっけなく崩れ去り、そして全く知らなかった現実が彼女を見下ろしていた。

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