9-2
簡単に終わるかと思われた迷子のペット探しは、想定よりも難儀することが早々にわかった。
まずは飼い主に話を聞きに行くことから始めた古谷。そこでこんなことを言われる。
「最後の目撃情報は町の外れに行くところだったとか」
まさに豪邸と呼ぶにふさわしい場所で、対応してくれたのは使用人の女性だった。通されたのは、見るからに高そうな調度品に囲まれた客室。その豪奢なソファに浅く腰かけながら、対峙する彼女から話を聞く。お茶一つのおもてなしもなかった。
どうも可能な限りの財力と人員と投入して捜索に当たったようだが、実を結ばなかったらしい。
「おそらく、森の方に入っていったのかと」
「な、なるほど」
となると捜索範囲はぐっと広がる。とてもではないが一人で達成するには難易度が高くなってくるわけで、古谷は早くもこの依頼を受けたことを後悔し始めていた。
「これまでにも何人も依頼を受けてくださいましたが、誰一人として帰ってきていないのが現状です」
「では、いなくなったのは結構前ということですか?」
「ええ、もう一か月ほどになるでしょうか」メイドはどこか遠い目を浮かべた。「その間、奥様は手を付けられないほどのご乱心ぶりでして。さっきまで泣いていたかと思えば、急に怒り出したりして……」
実にうんざりした様子で話す。相当、鬱憤が溜まっているらしく、放っておけばずっと愚痴を聞かされそうだったので。
「お気持ちお察しします」と、古谷はどちらとも取れる言い方をして終わらせた。「ところで、まだ生きているという保証は?」
「ありません」冷淡に言い放つメイド。「もう代わりのものを買って与えてしまえというのがご主人様の意向です」
「は、はぁ」実に消費社会的な発想だ。「では、そうしたらいいのではないですか?」
古谷も古谷で、ついつい冷たい言い方をしてしまう。
しかしメイドは首を振る。「奥様は大層可愛がっておりまして、多くの装飾品を持たせていました。どれも特注品でして、同一のものがないとごまかせないかと」
「えーっと、つまり」古谷は言う。「最悪、その装飾品だけでも回収してこいと?」
「ええ」と、メイドは頷いて見せる。
生死は問わず、というのは言わずもがな。
何とも人の血の通わない話だった。所詮はペットなど金持ちの道楽ということだろう。愛は片手間。
「ちなみに、その装飾品の値打ちは?」
尋ねると、メイドは冷たい眼差しを向けてきた。「特注品と言ったはずです。売ればすぐにバレますよ」
「ああ、いや、そうじゃなくて」と、慌てて言い添える。「これまでの請負人が、そのまま盗っていった可能性もあると考えまして。でも、杞憂みたいですね」
それだけ広い人脈を誇っているということだろう。遠い地でならばその限りでもない気がするが、いつ露見するともしれないリスクを抱えることを鑑みれば、労力に見合うかどうかは怪しいところだ。
どの道、この依頼だってそれほど少額ではない。即金でもらえるならば、そう悪い話でもないはずだ。
「……わかりましたよ」
古谷は思うことは数あれど、改めて引き受けることを明言したのだった。
*
グエンキレの町を離れ、森の中へと足を踏み入れていく。闇雲に探したところで見つかるとは到底思えないが、他に方法もないので仕方がなかった。
(道理で誰も受けないわけだ)古谷は思った。(いや、正確に言えば引き受けられていたわけだが)
たかだかペット探しの依頼が、誰の手にも触れられることなく残り続けていた意味にようやく気付いた彼。あるいは、もう何人もの人間を行方不明へと誘っている忌まわしき依頼として噂になっているのかもしれない。
(ローカル情報に疎くなるのは、余所者の辛いところだよなぁ)
何なら古谷は、未だこの世界の事情にすら疎かった。それもこれも異世界転生者という余所者ゆえだ。
(ま、どうせ誰も達成できてないんだから適当にやって駄目でしたでいいだろ。あっちもそんなに期待してないだろうし)
そんな投げやりなことを考える。往々にして労働というものに対してのモチベーションが低いので、転生する前なんかは万年契約社員だったのも当然と言えば当然だった。
やる気なさそうに草を描き分けながら歩いていると、不意に上の方から動物の鳴き声が聞こえてくる。ネコ科のような鳴き声だ。
(ん?)古谷はつられるようにして見上げる。
すると、そこに例のペットがいた。イラスト通りの見た目をしている。
違ったのは。
(でっかー)そのサイズだ。
想像していたものよりもはるかに大きい。トラくらいのサイズだ。かといって別種なのかと思ったらそうではなく、見るからに高そうな宝飾品の数々が首や足に着けられている。探している個体であることに間違いなかった。
彼のいた世界にもメインクーンという巨大な家猫がいるので、愛玩動物としての域を超えているとは思わない。見た目は確かに可愛いし、毛並みもいいから抱き着けばさぞ心地よいことだろう。家にいれば一生戯れていたくなること請け合いだ。
問題は樹上に寝そべるようにしているその猫もどきは、図体の割に臆病なようで、助けを求めるようなか細い声を出していることだった。
(もしかして降りられないのか?)
だが、そんなこと言われても困る。片腕で抱きかかえられるようなサイズではないので、木に登って助け出すのは不可能だ。かといって、こんなことにゴーレムの力を使うのは躊躇われる。
残る選択肢はその身をもって受け止めることだけだが。
(え? あのサイズを?)支え切れる自信がなかった。
どうしたらいいものか決めあぐねた。もっとうまい方法はあるんじゃないかと無い知恵を振り絞っているも、見た目上ではただ猫もどきをじっと見つめているだけだった。
それを向こうが好意的なものと受け止めたのか、足を震わせながらも枝の上にそっと立ち上がる。低い唸り声をあげるその表情からは、決意の色が見て取れた。
「ちょ、ちょっと待て!」古谷は手を突きだして言った。「勝手に決心するなよ。まだこっちの……」
言い終わらないうちに、猫もどきは跳び出した。古谷めがけて突き出した前足は、彼の顔面を捉える。そのまま後ろ足まで乗せると、足場にするようにして更なる跳躍を重ねた。
加わった体重により、仰向けに転倒する古谷。そんな彼には一瞥もくれることなく、恩知らずにも猫もどきは駆けだしていった。上下が反転した視界の中で、まるで何かに急き立てられるように必死に駆けていく後姿を捉える。
みるみると遠ざかっていくその背中に。
「ま、待ってくれぇ!」
彼は虚しい声を森の中に響かせることしかできなかった。
*
エトはかつても父の背中に追いすがったことがある。
町外れの小屋に閉じこもり、ようやく姿を見せたかと思いきや、急に旅に出ると言った時のことだ。しばらく見ないうちにすっかりとやつれた様子の父は、まるで亡霊のような表情をしていた。
青白い肌で、視線はどこか虚ろ。人の上に立つ身だからと、あれだけ身なりには気を遣っていたにも拘わらず髪はボサボサに乱れ、唇は渇き切っている。その口から発せられるのは、うわ言とも取れる覇気のない声だった。
「嫌だよ」幼い頃のエトは言った。「行かないで」
まるで父とは似ても似つかない見た目だったが、これまで過ごしてきた日々がそう言わせた。優しくて、誰からも頼りにされる父。その当時の思い出に縋るように言ったのだった。
が、父は聞く耳を持たなかった。まるで娘の言葉など聞こえないみたいに無視して歩き去っていく。
「待って!」それでも彼女は追いかけた。「待ってよ!」
必死に、必死に。
ついに追いつくことが叶わなかったのは子供と大人とでの歩幅の違いもさることながら、町の人々が彼女を引き留めたからだった。それはエトが町の外までついて行くかもしれないと思われたからで、おそらく父もそんな娘を省みることは一向にないと判断されたからだ。
行き倒れでもしたら、事実上彼女を見捨てたことになってしまう。そして、そうなる可能性は高かった。
かくして、見るも痛ましい親子の別離劇は終わりを見せたかに思われたのだった。
しかし十数年もの歳月をかけて再開されることとなるとは、誰が予想しただろうか。
「お父さん……! お父さん……!」
気づいた時には走り出していた。同時に声に出して呼びかける。薄暗い路地裏で、幼き頃と同じように追い縋る。
両親の愛情をほしいままにできると信じて疑わなかった幼少期。母が亡くなり、父からは無視されるようになってそれが勘違いであったと知れると、たちまち自らの存在意義がわからなくなっていった。
自分はそんなあっさりと置いていかれるくらいには、ちっぽけな存在なのだろうか。そんな思いがいつも頭の片隅にあった。
やがて路地は終わりを告げて、通りへと出てくる。さながら大通りの向かい側に出た形だが、先とは違い人通りは少ない。その中に父親の姿を見つけることはできなかった。
(やっぱり、見間違いだったのかな)肩で息をしながら、エトは思う。
諦めて引き返そうとした時だった。
「お嬢ちゃん」と、呼びかけられる。
野太い声のおっさんが、甘える時のようなぞっとする声音だ。嫌な予感をひしひしと感じながら、彼女はゆっくりと振り返った。
そこには男がいた。一人じゃない。三人の男たちが、エトを取り囲むかのように並んでいる。細身だったり、小太りだったり、はたまた中肉中背だったり。さらには髭の有無など身なりは様々だが、皆一様にして目だけは同じだった。
卑しい目つき。人を傷つけることなどまるで厭わない、荒くれ者どもの。
(しまった……)エトは思う。(こういう場所は歩かないように気を付けていたのに)
自分が外見上幼いことは重々に承知している。女子供は人身売買界隈において需要過多で、賊の類はこれの斡旋者を積極的に買って出る。中身はともかく、見た目は要項を満たしているエトはまさにうってつけの人材と言えた。
彼女は一瞬でも足を止めてしまったことを後悔した。父のことに気を取られ過ぎて、すっかり油断していたのだった。
こういう場面を切り抜けるには早々に立ち去ることだ。口も聞かず、辿ってきた路地裏へと戻ろうとしたのだが。
「おっと、どこにいくんだよ」と、そこから男がもう一人現れる。
道を塞がれてしまった。
「逃げることないだろ」先ほど声を掛けてきた男が言う。「俺たちはちょっとお話したいだけさ」
「話って何ですか」エトは仕方なく応じることにした。
思っていたよりもハキハキとした話しぶりに、男はやや面食らった様子だ。完全に子供となめてかかっていたのだろう。
「何、ただ仕事を紹介したいだけさ」が、すぐに気を取り直した。
たとえここでエトが子供でないことを証明して見せたって、やることに変わりはないといったふうだ。
「間に合ってます」言うだけ言ってみる。
「まぁ、そう邪険にするなよ。まずは話だけでも聞いてくれよ、な?」
どこか威圧感の伴う言い方。乱暴な手段に打って出ることを暗に示している。
(仕方ないか……)エトはこっそり溜め息を吐いて思う。
どの道、彼女に抗う術などない。一旦は彼らの言うことを聞いておいて、隙を見て逃げ出そう。
そう算段したのだった。




