5-2
道中でセラは他種族にも寛容なわけを話し出した。
「話は長くなりますが、端的に言えば男性に協力していただきたいことがあるんです」
「協力?」
「はい。実は私たちマーフォークはその男女比に偏りがありまして、およそ1:99の確率で女性しか生まれないんです」
「偏りとかいうレベルじゃないだろ、それ」
セラは苦笑する。「なんでそうなったんですかね? ともかく、女性に対して男性が不足しているんです」
「不足って?」尋ねる古谷。
何気なくエトの方を見ると、彼女は既に何かを察しているらしく顔を赤らめて俯いている。この反応で、なんとなくどういう類の話なのかくらいは古谷にも察せられた。
「一年に数度、女性に繁殖期が訪れます。ですがそれに対して男性の数が足りないので、他種族の方に補っていただくんです」
「それって、つまり……」
「はい。協力と言うのはつまり」セラはさらりと言ってのけた。「精子の提供です」
「ひゃぁあ」エトが両手を顔で覆う。
(どっから出してんだよ、その声)
古谷は思いながら、こう尋ねる。
「ええっと、もしかして俺にも?」
「彼女さんさえよろしければ、ですが」と、エトを見た。
「ええ! わ、私そんなんじゃないですよ!」
「え? そうなんですか? 海辺で水かけあっていたんで、てっきり」
勘違いされても無理はない。
「それは……」エトは弁明しようとしたが、自分でもその理由がわからなかった。「なんであんなことしたんだろうね?」と、古谷を見る。
普段の彼だったらば、「知らんよ」とでも言い返すところだろう。だが現在その頭を支配しているのはこれから始まろうとしている、人魚たちとのあれやこれだ。
「フルヤ」その顔を見て、エトは冷めた声で言った。「鼻の下、伸びてるよ」
「え、嘘。……じゃなくて、そんなことないって」と、慌てて鼻ごと手で覆い隠す。
「言っておくけど、多分フルヤが考えているようなことにはならないから」
「別に何も考えてないって」
「だといいけどね」と、極めて冷ややかな声。
二人のやり取りを見たセラは、くすりと笑みを零して言った。「とりあえず服、着替えましょうか」
水の中を通ってきたので当然ずぶ濡れだ。しかも体に貼りついているので動きづらい。
「海中用のもの、ありますから」
そう言って、二人を先導し始めた。
*
かくして衣装を着替えた古谷とエト。用意されたものは水着だった。
古谷が来ているのは半袖短パンのウェットスーツ。エトは水色を基調とした花柄のビキニにパレオを巻いている。
「なんか、派手なような……」着慣れない服に、もじもじとする彼女。
「とってもお似合いですよぉ」セラがアパレル店員のようなことを言った。
エトは未だ晴れない面持ちで古谷を見上げるも、彼はそんな彼女のことなど眼中にもないとばかりにセラに言った。
「で、早速ですけど……」
エトは浮力を生かしてドロップキックをかました。
「痛ぁ! 何? 何だよ!」
「別にぃ?」と、そっぽを向く。「ただ、ちょっとキモかったから」
「ひ、酷くない?」
「だいたい、何言うつもりだったの?」
「いや、それは、そのぉ……ねぇ?」
「私たちの目的忘れてないよね? 町の代表者さんに会わせてもらうんだからね?」
「わ、わかってるよ。まさに、それを言おうとしていたんだ」
冷めた目つき。「どうだか」
「信じてくれって!」
彼の主張を無視して、エトは言う。「それで、セラさん」
「既に手配済みですよ」と、話を聞いていた彼女は先んじて言う。「今、お話し中だと思いますので少々お待ちください」
それを待つ間、二人は人魚の町を見て回ることになった。道は舗装されておらず、時折高低差のある岩棚を飛び移るようにして移動していくことになったが、浮力のあるおかげでそれほど苦にならない。
「アクセサリーや服が欲しくなったら、あちらのお店がおすすめです。それからお土産が欲しくなったらあちら」
(お土産って)古谷は思う。(観光地かよ)
「それから小腹が空いたら名物の『人魚の肉』をどうぞ。不死になれると噂です」
「ええ? 売ってるんですか?」倫理観どうなってるんだよ、と古谷は思う。
「ちょっとしたジョークですよ」セラは茶目っ気な笑みを浮かべる。「でも、これが意外と売れまして。中にはそれが目的で訪れる方もいるんですよ」
「あの、ちなみにどこからどこまでがジョーク?」
「企業秘密です」セラは唇の前に人差し指を立てた。それから、「それじゃ、お次はフルヤさんお待ちかねのところ行きますか!」と話題を逸らした。
「お待ちかね……」まだ聞きたいことがたくさんあった古谷であったが、その言葉の前には全てが些末なことのように感じられた。
「さぁさぁこっちですよ!」セラがテンションを上げて先導する。「ゴー! ゴー!」
古谷は意気揚々と彼女についていった。その後ろを冷たい眼差しのエトが追う。
そうして進んだ一行の眼前に、一見すると豪奢な建物が見えた。宮殿と思しき外観で、真ん中にタマネギ型の屋根を持つ塔があり、左右に延びるような構造になっている。
簡素な部類の宮殿ではあるが、けばけばしい色に包まれている。サンゴや藻類の発光を利用しているらしく、具体的にはピンク色。
古谷からしたら、どこからどうみてもラブホテルにしか見えなかった。
「なにあれ……」一方、エトは完全にドン引きしている。
「これで中々反響がいいんですよ」と、説明するセラ。「さ、参りましょう。エトさんもよければご一緒に」
「行きませんよ、なんで行くんですか」
「ここまでついてきたので、てっきり」
「他に行く当てがないからですよ。ここで待ってます」
そう言うや否や、彼女は近くの岩場に腰かける。自らの両膝に両肘をつき、開いた両手に顎を乗せて、さぞつまらなそうな態度を全身で現わす。
「そうですか?」が、セラはさして気にしなかった。「では参りましょうか、フルヤさん」
「はい!」
古谷も古谷で、元気よく返事をする。そうして、いよいよ宮殿の中へと足を踏み入れていった。
中は殊更に簡素であった。廊下には余計な装飾は一切なく、材質剥き出しの壁と床とがあるだけだ。片側にアーチ窓型の穴がいくつか開いており、そこから外の明かりが取り込まれている。その向かいには部屋が連なり、扉が閉ざされている。
古谷はセラに誘われて、一つの部屋の前に立った。
「さ、ここです」
促されて、彼は生唾を一つごくり。飲み込んでから、意を決して扉を開ける。
待ち受けていたのは薄暗い室内。内装と呼べるものは何もなく、壁沿いに無数のブロック状の棚が置かれている。
そして、その棚の一個一個に球状の何かが置いてある。
「……へ?」
いったいどこへ連れてこられたのか、呆然とする古谷。そんな彼など気にかけず、セラは壁際の一画に近寄って指を指す。
「ここです! この辺りが私の生んだ卵です!」
「……卵?」
「はい、私たちは繁殖期に入ると卵を産むんです。で、そこに精子を注いでもらうんですが、男性の数が足りないので全てと言うわけにはいかないんですよ。でも、せっかく産んだのにこのままだと腐ってしまって。それってすっごく勿体ないじゃないですか!」
「え、えーっと」沸々と自らの思い違いを感じ始める古谷。「俺は、つまり」
「はい、ここで射精をお願いします!」
魚の繁殖方法を考えてみれば、これは当然だった。
「……ちなみにその間セラさんは?」一縷の望みをかけて聞く。
「お暇します」すると、セラはあっさりと答えた。「終わったら呼んでください」
言うや否や、彼女はさっさと部屋を去っていった。残されたのは彼一人と、大量の魚卵。しかもそのうちの何個かは既に受精済みらしく、命が芽生え、中で半透明の生命体が蠢いている。
こう言ってしまっては悪いが、正直気味が悪かった。
*
「あれ? もうお済なんですか?」
部屋の前で待機していたセラが言う。
「あー……」古谷は気まずそうに言った。「その、ちょっと、気が乗らなくて」
「それは残念です」
よくあることなのだろう。それ以上、彼女は粘ることなくその施設を後にすることとなった。
早々に出てきた二人に、エトは一瞥くれるだけでそれ以上の反応を示さない。古谷はおずおずと近づくと、口だけはきいてくれた。
「随分と早かったんだね」
「いや、うん」古谷は言う。「正直、すまんかった」
ここでようやく視線を合わせてくれた彼女は、立ち上がると両手で水をすくいかけるような真似をする。当然、水中なので微かな水圧がかかるだけだった。
古谷は居たたまれなさそうに、それを受け入れる。何ならもっとしてくれてもいいくらいだったが、エトはそれ以上にはしてこなかった。
どこか気まずい沈黙に包まれる中、セラが発言する。
「では、次に参りましょうか」
(え? この流れでツアーを続けるのか?)古谷は自らのしでかしたことを棚に上げて思った。
八割方は彼のせいである。
「いよいよ、お待ちかねですよ」セラは言った。
「いや、もうそれはいいですって」
「あれ? もうよろしくなったんですか? 代表とお会いできるのですが……」
*
そんなわけで、随分と遠回りをしてしまった感はあるが二人はようやく本来の目的を果たせるに至った。
マーフォークは男女の出生率の影響からか、自然と男性が実権を握るようになるらしい。種の繁栄のためにどちらが守られるべきかは一目瞭然なので、致し方ない。
ちなみにであるがそれぞれの性別にそれぞれの呼称があり、女性性はマーメイド、男性性はマーマイトと言うらしい。
そんなようなことを道中セラから聞いた二人は、先ほどの安っぽい宮殿もどきとは比べ物にならないくらい荘厳な神殿へと足を踏み入れていた。
大人四人分が手を繋いでようやく取り囲めるくらい太い柱がいくつも連なり、その高さに至ってはゴーレムの姿と同等くらいだ。天井はなく、水面を通して微かな陽光が差し込んでいる。
三人は並ぶ柱によって形成された道を進んでいく。やがて屋内部分に差し掛かると、セラは言った。
「この奥です」
「セラさんはこないんですか?」エトが尋ねる。
「はい。私はここでお留守番しています」
そういうのならば仕方ないだろう。二人だけで入っていく。
中は意外にもだだっ広い空間で、壁や天井部こそ人工物であるものの床面にはさほど手が加えられていないようだ。一部、石材が張られているもののところによっては巨岩が盛り上がっていたりする。
そして町でも見られた海底谷の亀裂から差し込む淡い緑の光を、ここでも光源として役立てていた。
だがそれだけでは暗いのか、水中の至るところにクラゲのような水棲生物が漂っており、それらも明かり代わりにしているようだった。地下から差し込む淡い緑の輝きを、体内に取り込むようにして光っている。
全体が緑の光に包まれている部屋の最奥部には一本の柱が立っており、その端部に玉座のような椅子が取り付けられている。色は真っ白と味気ないものであるが、凝った意匠が彫られていたりと、十分に荘厳な雰囲気で拵えられていた。
その椅子に町を代表するマーマイトはいた。ひじ掛けに頬杖を突き、反対側のひじ掛けから尾ひれを垂らしているだらしない姿勢。周囲には二人のマーメイドがいて、一人は彼にマッサージを施し、もう一人は食べ物を満載した籠を手にして傍にいる。
クラゲたちには防壁としての役割もあるのだろう。人一人すら通り抜けられないほど敷き詰められており、マーマイトまでの行く手を阻んでいる。
マーマイトの彼は手を伸ばして籠から一つの巻貝を手にすると、手で引きずり出すようにする。一本の条となった身をちゅるちゅると啜るように食べると、ゴミとなった貝殻をその辺に投げ捨てるようにした。
「よく来たね」姿勢を正すことなく、口に物を含んだままくちゃくちゃと喋り出した。「何でも話があるみたいで」
ブロンドの長髪で、年のほどは青年くらい。遥か頭上の席にいることと相まってか、見下すような目つきをしており、どことなくいけ好かない。
「ええ、まぁ」と、エト。少しおどおどとしている。
マーマイトの彼はどこか嘲弄するかのように言った。「なんか、忠告があるんだって?」
光源が下からなだけあって、顔の下半分の方がより照らし出されている。その結果、嘲るように上がった口角が協調されるように映し出され、悪印象をより強いものとしていた。
どうやらこんな奴と話をしなくてはならないらしい。古谷は思わず顔を顰めた。