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輝く光を胸に抱いて  作者: 吉永 久
第一章:第四話 光を繋ぐもの
15/20

4-3

「今更、何の用だよ」古谷は言う。


 そこはいつしか連れられた白い空間だった。重力も浮力も感じられない。現実かどうかも覚束ないような場所。


 そこで女神を自称するティアと再び対峙した。


「あなたには苦しい思いをさせてしまったようですね」彼女は抑揚のない声で言う。「申し訳ありません」


 前回と違うのは、古谷は自らの体をきちんと認識できており、ティアの姿も見えていることだ。


「それだけで済む話かよ」思念という形ではなく、言葉にして対話を交わしていく。「だいたい、あんたいったい何者なんだ。俺を騙して異世界に放り込みやがって。何が目的だ」


「結果として騙すような形になったことは申し訳なく思います。ですが、あなたの行動は予想外でした。大抵のものは考えることを辞めて従順になるか、その力を自らの欲望のために使い自滅するか。そのどちらかなので」


「なんだよ、その言い草」


「お怒りになるのも無理はないでしょう。ですが、状況は逼迫していました。純血種の覚醒は間近に迫っておりましたが、それに対抗するだけのゴーレムの数が揃っておりませんでした。その日が来る前に、一人でも多く可能性のあるものを引き入れなければなりませんでした」


「……それが真の目的なのか?」


「その通りです。それは既にお聞きのことと思いますが」


「聞きたいことがある。純血種を生み出したのは神の意志なんだろ。じゃあ、女神を自称するあんたはいったい何者なんだ」


「自称というのは些か語弊がありますね」ティアは言う。「正真正銘、と言っても証明はできないんですが、私は女神であることに違いありません。ただ、人間側に加担しただけのことです」


 古谷は思い出す。遺跡のゴーレムは七つの神がいてそれぞれの種族を生み出した、と言っていた。


「じゃあ、あんたが人間を生み出した神ということか」


 しかしティアは首を振る。「いいえ、私は違います。人間を生み出した神は、その責任を取らされる形で天界を追放されました」


「ならなぜあんたは人間に肩入れする」


「約束があるので」


「約束?」


「はい、かつて追放された神と約束したのです。人間を守ると。そのために私は他所の世界より資質のありそうなものをスカウトしてきました」そう言うや、ティアは遠い目をした。「ですが、そううまくいきませんでした」


「そうか……」古谷は自分もそのうちの一人であることを暗に告げられたような気がして、気落ちした。


 しかし元を正せば、勝手に期待をかけられて、勝手に失望されただけのこと。全てが身勝手だ。


「古谷弘治」そんな女神は言う。「あなたにはチャンスを与えるべきなのでしょう」


「チャンス?」


「はい、あなたは最善を尽くした結果に苦しんでいる。救済を与えましょう」


 一方的に異世界に放り込んでおいて、上から目線での言い分。やはりどこまでも自分勝手に感じる。しかもあろうことか、「たった一度きりですが」とまで言い出す始末。


 しかし、古谷はこれに期待した。「救済って?」


「あなたをただ一度だけ、元の世界に戻します」


「そんなことしていいのか。俺は死んだことになっているんだろう?」


「ええ。ですからあなたが死ぬ前に戻します」


「そんなことができるのか」


「限定的ですが」


「限定的?」


「一つ、条件があります」ティアは言った。「これを破ったら、あなたは今一度この瞬間へと戻ってきてしまいます」


「その条件って?」


「この異世界に来ることになった出来事を無視してください」


「異世界に来ることになった出来事って……」と、古谷は繰り返す。


「はい、あなたが庇った子供を、今度は見捨ててください」



          *


 アラーム音が鳴り響く。明かりの灯されていない薄暗い室内。カーテンの隙間から朝日が差し込み、漂う埃を照らし出す中でけたたましく鳴り続ける。古谷はベッドから飛び起きると、スマホを操作してそれを止めた。


「ふぅ」小さな達成感と、一気に眠りから引き起こされた疲労とで一息つく。


 それからまだ寝ぼけている頭で周囲を見渡した。六畳一間の質素な一室。ただものが少ないというだけで決して整理が行き届いているというわけではなく、昨夜食べた弁当のゴミは未だ机の上に放置されており、数日分の衣服が洗濯されることなく部屋中に脱ぎ散らかされている。


(俺の部屋……。戻ってきたのか)


 しかしその表現は正しくないように感じられた。今更ながらとても現実感が伴わないことの連続で、どうも長い夢を見ていたようにしか思われない。ゴーレムも、純血種のことも、全てはまだ夢見心地なおっさんの痛々しい妄想の数々にしか思われなかった。


(年甲斐もなく、何やってんだか)古谷は自嘲する。


 かくして、彼はのろのろと出勤の準備を始めた。


 朝飯は昨夜コンビニで買ってきた菓子パンで、それをインスタントの珈琲で流し込む。歯を磨き、着替えまで済ませると半ば飛び出すようにして家を出た。


 途中、コンビニで昼飯を買うと、そのまま歩き慣れたいつものルートを辿る。軽快な足取りとまではいわないけれど、永い眠りから覚めた心地の彼はどこか解放された気持ちであり、自然と歩幅は大きい。


 だけれど、向かいの道に公園が近づくにつれて次第に歩調は悪くなっていく。


(そうだ……)古谷は思う。(このままいけば、確か)


 今日は七月十七日。夏休み初日だった。それだけに子供たちは浮かれていて、軽率な行動が危機を招くことになるなどまるで考えていない。


 ほどなくして子供がトラックに轢かれることになる。古谷はそれを見捨てなくてはならない。


(いやいや)と、努めて明るく否定して見せた。(本当にそうなるかわからないだろ)


 全ては夢だった。よって、その予言染みた言葉も無効だろう。そもそも、予言などというものは当たらないと相場が決まっている。


(だけど、本当に起こったらどうする?)そんな思いが古谷の脳裏を掠めた。


 予言というのは根拠がないだけに信じられないが、かといって頭から否定して見せるだけの証拠がないのも事実。要するに、信じるか信じないかはあなた次第、という奴だ。


(そうだ)古谷は思いつく。(轢かれるってわかっているなら、あらかじめ対策でもしたらいい。入り口で待ち伏せしたりとか……)


 だけどそんなことしたら会社に遅れるな、などと思うとそれ以上に考えることを辞めてしまう。


(そもそも、どうして俺が助けなくちゃいけないんだよ)気づけば足は止まっている。(所詮は他人のガキじゃないか)


 少なくとも命を懸けるほどの義理はない。


(そうだよ。俺には関係ないじゃないか)


 そう思って、踵を返した。万が一、本当に事故が起こったとして、それを目の前で目撃するのはあまり気分のいいものじゃない。


(それに事故に関わっていたら会社に遅れるしな)


 彼は心の内でそう言い訳をして来た道を引き返す。例え遠回りになったとしても、公園の前の道は避けるつもりだった。


 と、そんな時。前方より一台のトラックがやってくるのが目に入った。微かに見える程度なので距離はあるが、みるみると近づいてきていた。


(あれは……)


 確証はなかった。どことなく見覚えのあるそれは、例の子供を轢くこととなるトラックのようにも感じられるし、違うかもしれない。ナンバーなど覚えていないし、そもそもまだそれが視認できる距離じゃない。


 が、その瞬間を悠長に待っていたら手遅れになるだろう。とてもじゃないが、そこから追いかけたのでは間に合わない。


(もしあれが本当にそうなら、事故になって、それで……)


 気づけば古谷は身を翻していた。荷物も、買ってきたばかりの昼飯も放り出して、脇目もふらずに走り出す。


 自分でも何がそんなに忌避感を覚えさせるのかわからなかった。確かに命は大切だ。義務教育の賜物で、植え付けられた道徳観念が理屈もなくそういうものだと訴えかけてきている。


 しかしそれは古谷自身の気持ちかどうか判断がつかなかった。


 ただ恐れているだけなのかもしれない。見殺しにすることが怖いだけなのかもしれない。


 怖いというのなら自らが死ぬことだってそうだろう。にも拘らず、古谷の意に反して足は止まらない。臆病さを示す指針計おかしくなっているとしか思われない。


(俺はどうにかなっちまったのか?)古谷は思う。(かもしれない)


 異世界での出来事は彼に大きな変化を与えた。何よりゴーレムへと変身して人々を助ける英雄的行いは、彼にある種の陶酔を齎した。これまでの変哲のない日常から一転、とてつもない承認欲求が満たされた。その美酒はさぞ中毒的だったことだろう。


 だが同時に、それは責任を背負うということでもある。一挙手一投足が周囲に、世界に影響を及ぼす。ひとたび間違えれば、取り返しはつかない。


 心の内では、いつも特別になりたいと願っていた。しかしそれは重圧と紙一重だった。


 そして彼は、耐えきれずに逃げ出した。


(でも、ようやくわかったんだ)


 転生する以前は、何気ない日々を漫然と過ごしていた。そうやって暇つぶしをするように、ただ死を迎えるその日まで悪戯に生きている。


(決して特別ではなかった。けど!)


 どのような形であれ、そうやって生きてきた足跡は自分を自分足らしめる。住んでいた町、所有している物、関わってきた人々。そういった人生の辿ってきた道程全てが、生きるということだ。


(俺は確かに生きていたんだ!)


 失うことは、僅かに死ぬことだ。心を埋めていたピースの一つを欠くことになる。


 ましてやそれが人一人の命ともなると、より喪失は大きなものとなる。人が一人死ぬことは、決してその人だけが死ぬという意味ではない。周りの人の心も死ぬことである。


(生きるということは繋がること。命とは繋がりの形そのもののこと)


 これまで固執し続けていたものを打ち砕かれたことで視野が広がり、ようやくそのことに気づけた。


(だから、それが断たれてしまうことは残酷なんだ!)


 それが今の古谷に出せる精一杯の答えだった。


 件の信号に辿り着いた時には、既に子供が飛び出していて、トラックが接触しようというところだった。古谷は躊躇うことなく、飛び込んでいく。


 つき飛ばそうとするように腕を伸ばし、ぐんぐんと飛んでいった。


          *


「戻ってきたのですね」


 どこか残念そうな声が聞こえて、古谷は目を覚ます。三度の白い空間で、目の前にはティアが立っていた。悲しそうな瞳で、彼を見つめている。


「ああ」古谷はゆっくりと立ち上がる。


「なぜですか?」


「うまく言えないんだけど」尋ねる彼女に考え深く答えた。「どちらを選ぶとか、誰かが犠牲になるだとか。命ってのはそんなふうにして諦めていいものじゃないんだ」


 まっすぐとした視線で言う古谷に、ティアは一瞬だけ目を見張り、次いで伏し目がちになる。


「そう、ですか。どうやら私はあなた方を見くびっていたようですね。度重なる失敗が、どこか私に諦念を齎していたようです」


 数々の非礼をお詫びします。彼女はそう付け加えた。


「そしてどうか、異世界のことをお願いします」と、深々と頭を下げる。


「……何ができるかわからないけど、精一杯やってみるよ」古谷は身を翻した。「それに伝えなくちゃならないこともあるしな」


「誰に、何をですか?」


 古谷はその問いかけには答えず、口角を上げてみせるだけだった。


 それから自信を喪失し、引きこもるようにして森の中の小屋に住む青髪の少女の姿を思い浮かべた。


 古谷は数歩前に出ると、天高く腕を伸ばす。掌に溢れ出した光をつかみ取る。たちまち輝きが増し、手の隙間という隙間から光が零れる。辺りを包み込んでいく。


(人は変われるってことを、だ)


 ゴーレムへと変身した。


          *


 純血種の襲来から数日。ラムーベの町には何の音沙汰もなかった。不気味な静寂と、奇妙な緊張感だけが支配し続けていた。


 ある意味では災害の副産物ともいえるその緊迫感だが、ほどなくして漠然としたものから実際的なものへと移行した。ついに純血種が姿を現したのだ。依然と全く同じルートを辿り、町へと侵入しようとしている。


 しかしそんな大蛇の好き勝手にはさせまいと、町の住人たちは揃って立ちはだかっていた。討伐隊の面々を筆頭にしており、桑、鋤、果てにはフライパン。皆、思い思いの武器を手にしている。


 数日間の協議の末に出した答えだった。純血種を迎え撃つ。無謀なことかもしれないが、町を見捨てることはできないという判断からだった。誰もがこの町に産まれ、生きてきた。失うことは手足をもがれることと同義だ。


 エトはこの決定には反対の立場だったが、誰もその意見に耳を傾ける者はいなかった。さながら決意に水を差されまいとするかのようで、自らを鼓舞し続けるためにも耳を閉ざしたのだった。


 結局、彼女だけが逃げ延びることなど、彼女自身が望んでいないので、運命を共にするような気持ちで同じ場所にいる。


 反面、心のどこかでは喜んでもいた。元は父の築いた町で、思い入れは人一倍大きい。後ろめたさから森の中に居を移したが、それでも近くに住み続けていたのは要するに離れがたかったからに過ぎない。失いたくないという思いを共有できていることは嬉しかった。


 しかし、気持ちだけで勝てるなら苦労はしない。最悪は手も足も出ずに死ぬだろう。


 アルビノの大蛇が迫りくる。近づいてくるにつれて、町の住人たちの顔には不安の色が浮かんできた。恐怖に震える心を押さえつけるだけでも精一杯で、逃げ出さないだけでもたいしたものだ。


 そうできたのも、ひとえに誰もが希望を信じていたからだ。救世主の到来を心待ちにしていた。


 そして、その期待に応えるように目の前に光の柱が立ち上る。やがてそれが晴れると、次いで見えたのは大きな背中だ。巨岩が寄り集まることでできている、見るからに頑強そうな体。


 ゴーレムが、白い大蛇の前に立ちはだかるようにして現れたのだった。


 町民たちはその登場に喚起した。自分たちを守ってくれる守護神の存在に、諸手を上げて喜ぶ。


 そんな中、ただ一人不安そうな顔を浮かべるものがいた。


(フルヤさん……)エトは思う。


 結局のところ、純血種を倒すには彼の存在が必要不可欠だ。それを悟った彼が半ば自暴自棄になって現れたのではないか。無理をしているのではないか。そんな不安がよぎったのだった。


 だがそんな心配が届いたのか、ゴーレムは首だけを振り向ける。目が合った。


 そして巨人は、安心させるかのようにゆっくりと頷いた。


 エトは表情を一転させて、強く頷き返す。その瞳に不安の色は、もうない。

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