3-3
迫りつつあるゴーレムに、エルフ一同は動揺を浮かべた。それは明確な恐怖などではなく、何が起こっているのかという困惑に近かった。
ともすれば、人混みの中から数人のエルフが緊迫の表情で駆けだしていく。古谷は、その中に自らを囲んだエルフの部隊員がいたことを見て取り、あのゴーレムを魔獣と判断したのだと察した。アイフを筆頭に対処にあたるのだろうと思われる。
(だけど)古谷は思った。(おそらく無理だ)
魔獣とは圧倒的に違うことを彼はその身で感じている。魔獣ですら足止めすることが限度だったエルフの部隊に、どうこうできるとはとても思えなかった。
(俺が説得するしかない)
古谷は駆けだす。
「フルヤさん! どこ行くんですか!」
エトが急に走り出す彼を呼び止めるが、ついにその耳には届くことはなかった。
「ああもう!」
仕方がないので彼女もその後を追う。イヴも、「え、ちょっと!」と驚きの声を上げて追いかけた。
*
草木を掻きわけて、地を這う根を飛び越えるようにして古谷は駆け抜ける。風のような速さで、一目散にゴーレムのもとへと向かった。やがてその足元までやって来ると、彼は叫ぶ。
「おい! どういうつもりだ!」
すげなく無視される懸念もあったが、ほどなくして返事があった。
(純血種が生まれた。故に排除しに来た)
「どうしてわかる!」
(なぜ貴様にはわからない)と、ゴーレムは歩みを止めることなく言う。(我々には感じることができる)
それは沸々と感じていた。形容しがたい不安とも取れない何かを、古谷は心の内で感じ取っていた。今までにない感覚だったので、それが何なのか明確にできなかった。だが、心の片隅でもしやという感覚があったことは否定できない。
「まだ、わからないじゃないか!」
しかし彼はその思いを振り切った。
(わかる)一方、ゴーレムは迷うことなく告げる。(これが我々の使命だからだ)
「使命って、まだ生まれて間もない赤ん坊に手を上げることかよ! そんな一方的な暴力、お前は何とも思わないのか!」
(赤子だけではない)ゴーレムの声は極めて冷淡だ。(この里の住人を残らず根絶やしにする)
「なっ!」思わず言葉を失った。
(ここに住む混血種の血は薄れ、これから先は純血種しか生まれない。人間を守るためにはここのエルフを滅ぼすより他ない)
「おかしいだろ、それは!」
(極めて合理的な判断だ)
ついにゴーレムは里の中へと足を踏み入れた。すると早速、腕を振り回してまるで行く手を遮るものを振り払うように一本の家屋を有する木をへし折る。中ほどで折れたそれは徐々に傾いていき、土煙を立てながら倒れた。
ゴーレムがへし折った家屋は新生児を迎えたばかりの家だった。その天井部分あたるところをちょうど吹き飛ばしようで、内装を見下ろすことができる。だが揺り籠の中身も含めて、もぬけの殻だった。
エルフが蜘蛛の子を散らすようにして逃げ惑っている。ゴーレムはその中に新生児を抱えた母親を目ざとく見つけると、腕を大きく振り上げて拳を地面にたたきつける。大きな揺れが起こり、ほとんど震源地の直下にいる付近のエルフたちは、反動で飛び上がってはバランスを崩して転倒した。
母親もまた、地面に投げ出される形になりながらも、赤ん坊を抱えるようにして守ろうとする。ゴーレムは無情にそれごと叩き潰そうと、歩み寄っていった。
「やめろ!」古谷は言う。「本当はお前だってこんなこと望んでないだろ!」
そんな言葉に耳を貸す気配はなく、ゴーレムは片腕を振り上げた。が、その時を見計らっていたように遠方から火球が飛んでくる。それは岩塊の体に着弾すると、爆ぜた。
外傷はあまりなかったが、体幹の一番外側にある状態の腕を狙われたからだろう、バランスが崩れた。ゴーレムはよろめくようにして、一歩、二歩と横へずれる。それから上げていた腕を一旦下ろして、火球の飛んできた方へと目をやった。
その視線の先では、既にアイフ達エルフの部隊が次なる攻撃の準備を始めていた。樹上にいる幾人ものエルフが手を掲げて、その先に魔法陣が展開されている。
「総員、放て!」
合図とともにそれらは放たれた。いくつもの火球が通り道に蜃気楼を残して飛んでいく。着弾すると同時に爆発し、ゴーレムの体を僅かにたじろがせる。
が、まるでダメージがない。
(駄目だ、このままじゃあ)古谷はその光景を見ながら思う。
ただ無差別に見たものを襲う魔獣とはわけが違う。明確な意思があって、それを果たすためにやってきているので、ちょっとやそっと痛めつけられただけでは退くわけがない。
そう思っている合間にも、火球はどんどんゴーレムの体を襲っていく。やがて岩塊の体が熱を帯びていき、微かに蒸気を上げだした。
その時を待っていたようで、エルフの部隊が次に繰り出したのは水魔法だった。放たれたそれはまっすぐゴーレムへと飛んでいくと、着弾と同時にこれまでにないほどの爆発が起きる。
水蒸気爆発だ。その威力は周辺の木々を吹き飛ばすほど。里の一部を犠牲になってでも、追い払おうという姿勢だった。
濛々と立ち込める水蒸気の中、エルフたちは固唾を呑んで行く末を見守った。これだけの威力があれば、いくら頑強な岩石の体と言えど多少なりとも傷つけることができただろう。あるいは完全に倒せたか。そんな思いが透けて見えた。
しかし白い煙を掻きわけるようにして現れた巨人は、至って平然と歩いていた。目立った外傷はなく、これといった体幹の乱れもない。あまりの無敵ぶりにたじろぐエルフたちに、今度はゴーレムから仕掛けた。
樹上に固まるエルフたちへ向かって、腕を一振り。エルフたちは慌てて飛びのくも、何人かはその風圧に押されて地面へ投げ出される形となる。そのうちの一人に、大質量の拳が降り注いだ。
仲間の誰かがその名を呼ぶ。が、返事はなかった。ゆっくりと持ち上げられた巨人の拳から、かつてエルフだったものの肉塊が剥がれ落ちる。それは脳髄がはみ出ており、片目が飛び出ており、腸が零れ落ちている。一瞬にしてその命が断たれたと判断するには十分だ。
エルフたちの反応は別れた。怯えて逃げ出すもの、激情して突っ込むもの、諦めて呆然とするもの。何にせよ、たったの一撃でたちまち統率が取れなくなった。
「おい! しっかりしろ!」アイフはそのうちの一人に声を掛ける。
しかしその言葉が届いているのか、いないのか。へらへらと笑って、うわ言を繰り返していた。
「もうだめだ……。おしまいだ……」
「くそっ」アイフは毒づき、それからすぐ傍を雄叫びを上げて駆け抜けていく仲間の一人に制止を告げる。「よせ! 止まれ!」
が、これも聞き届けられない。半ば自暴自棄のように突っ込んでいったエルフは、あっさりと返り討ちにあって、来た道を引き返すように吹き飛ばされる。それは逃げ出すエルフの一人とぶつかって、もつれあう。
悔しいが歯が立たないことを認めるしかなかった。アイフは口元を歪むほど歯を食いしばりながらも、一人でも多くの命を守る決断を下す。
「おい、逃げるぞ」未だ呆然と立ち尽くすエルフに声を掛ける。
が、まるで動こうとしないので腕を引っ張るしかなかった。体重をかけてようやく動かし、ようやく勢いがついてきたかと思ったその時、目ざといゴーレムがその姿を認めた。腕を伸ばす。
アイフも気づき速力を上げて必死に逃げようとするも、僅かに動きの鈍い後方のエルフはついにその手に捕まれてしまった。そして、目の前で握りつぶされる。骨の砕け散る音共に、指の隙間から液状になった肉片が零れ落ちる。
彼はその音をまともに聞き届け、まともに見届けてしまった。そしてあまりのことに一歩も動けなくなってしまう。
ゴーレムが次なる標的としたのは、他でもないそんな彼だった。その掌が、まだ仲間の肉片がこびりついているそれが、眼前に迫っていく。だけれどアイフは、それでも一歩も動き出すことができなかった。
いよいよ手が彼を掴もうという時、横合いから古谷が飛びつくようにしてアイフを避けさせた。
「大丈夫か!」古谷が尋ねる。
「あ、ああ」しかしアイフはそう答えるだけで精一杯だった。
命の恩人を見たのは一瞬、彼の視線は自らの手に注がれた。そこにまだ、かつて仲間のものだった腕が握られている。耳の内では骨の折れる音が残響していた。その最中に聞こえた、断末魔と共に。
「しっかりしろ!」まだぼんやりとする感覚を引き摺るアイフに、古谷が言う。「動けるか」
「あ、ああ」彼はうわ言のような相槌しか打てなくなっていた。
ゴーレムは古谷を巻き込まないためか、攻撃を辞めた。が、それはただ標的を変えただけのことで、二人でやり取りを続けている間にも幾人もの命が奪われていく。
これ以上は看過できない。
「お前は逃げろ」古谷は言う。「いいな?」
「ああ、わかった」アイフは言われるがままに頷く。
返事を聞き届けると、古谷は彼から離れていく。
「お前はどうするつもりなんだ」未だ腰を上げられないでいるアイフが問いかけた。
「俺はやる」
「やるって、いったい何を」
「俺にしかできないことを」
意味を図りかねるかのように呆然とした面持ちを浮かべるアイフからさらに離れて、古谷は殺戮を繰り広げるゴーレムへと向き合った。
「生き残るためだからと言って他種族を滅ぼしていいわけじゃない。あんた、自分でそう言っていたじゃないか! 本当はこんなこと、望んでなんかいないんだろ!」
そう叫ぶも、返事はない。
逃げ惑うエルフたちを容赦なく叩き潰されて行く。一つ、また一つと命が消えていく。聞こえるのはエルフの悲鳴ばかり。
しばらく苦しげに目を瞑っていた古谷だったが、やがて身を見開くと意を決して腕を天高くつき上げた。次第に掌に光が溢れ出していき、それをつかみ取るようにするとその手を胸の前に掲げる。たちまち辺りは眩い光に包まれる。
周囲の地面が重力に逆らって剥がれだしたかと思うと、ひと塊の岩となって彼を中心に集まりだしていく。やがてそれらは積み上がり、大きな岩山となるとそれを突き崩すようにして中から岩塊の巨人が姿を現した。その胸には青い光を称えている。
古谷弘治がゴーレムへと変身を果たした。
*
その光景を目撃したのは、目の前にいたアイフだけではない。古谷を追っていたエトと、そのまた彼女を追っていたイヴも目撃者のうちだった。
目が眩むような光に一時は顔を背けた二人だが、辛うじて指の隙間から垣間見た。そしてゴーレムへと変貌遂げた古谷の姿を見て、ただ茫然と立ち尽くす。
「フルヤさんが」エトは辛うじて言った。「ゴーレム……」