3-2
エルフの里、リグモンスーンを尋ねてから一週間が経過した。既に里を離れ、ラムーベの町に滞在を続けていた古谷だが、未だエトとの約束を果たせないでいた。
遺跡から戻ってきたら全てを話すという約束だ。
「はぁ」古谷は飲食店で一人昼飯を食いながら、溜め息を吐く。
里からの帰り際、しれっと別れた時の彼女の顔が目に焼き付いて離れない。寂しそうな顔。それを押し隠すようにして浮かべた笑み。
(わかってる)古谷は思う。(言わなくちゃいけないのはわかってるんだが)
彼を尻込みさせているのは、ひとえに彼自身よくわかっていないからというのが大きい。話は世界規模で、しかも神の意志が絡んでいると来た。
エトをはじめとした異世界の住人はさして気にならないのかもしれないが、古谷からしてみれば胡散臭いことこの上ない。その身で異世界転生という体験を果たしていなかったら、到底信じられることではなかった。
しかも複雑なだけでなく、些か血生臭さを感じさせるところも口を重くさせる要因だった。
果たして、巻き込んでいいものやら。
(せめて俺の正体だけでも打ち明けるか)
古谷はそう決意し、立ち上がる。思い悩むあまり喉を通らず、ほとんど手付かずとなっていたソーセージを啜るように食い尽くす。
「よし」
意気込んで、エトの住む家へと向かったのだった。
*
森を抜けて、彼女の家まで辿り着く。意を決してドアをノックすると、エトが答えた。
「はーい」ドア口に現れる。「あ、フルヤさん」
「お、おう」
「ちょうどよかったです」
「その、話があって……ちょうどよかった?」
「ええ、実は」
切り出そうとする彼女の後ろから、イヴが顔を覗かせる。
「お兄ちゃん、久しぶり」
「あ、ああ。イヴか。また迷ったのか?」
「そんなわけない」イヴは不服そうに頬を膨らます。「馬鹿にしてる?」
「い、いや、そういうわけじゃないんだが」と、言い淀む。
古谷は悩んだ。イヴがいたのでは切り出しづらい。決して無関係ではないとはいえ、むやみやたらと正体を明かすのは憚られた。
(というか)古谷は思う。(何を気安く尋ねてきてるんだよ)
迷ったのではないのなら、そういうことだろう。
エルフの里が張っているという結界は、要するに近づいたものの方向感覚を狂わせるというもので、自分でも気づかないうちに同じところをぐるぐるしているらしい。エルフだけがそれに惑わされない。そういうものらしい。
よって存外エルフの住処というのは人間とご近所さんであるのだが、だからといって気軽に尋ねられたら神様も形無しだ。
「エルフの里でね」エトが言う。「お祝いがあるんだって」
「お祝い?」古谷が問い返す。
イヴがふんふん頷いている。珍しく興奮しているようだ。「子供が生まれたの」
「子供」
「そう」
「それでね」エトが言う。「リグモンスーンでは子供が生まれるたびに、里全体でお祝いをするんだって!」
「へぇ」
古谷が心無い相槌を打つと、イヴは悲しそうに眉を下げた。
「興味ない?」
「え、いや、そんなことはないが」と、ここで合点がいった。「もしかして招待してくれているのか?」
「うん、フルヤさんもよければって」
「いや、俺は構わないが」と、ちらと視線を向ける。「エトは行く気なのか?」
「もちろんです。どんなのか、一度見てみたいですから」
「そ、そうか」
随分と肝が据わっているように感じた。前回はたまたま里の子供たちが相手してくれたからよかったものの、周りの大人は決していい顔はしなかっただろう。後になって散々注意を受けたことだろうから、また相手をしてくれる可能性は極めて低くなっている。
エトのことだからわからないはずがない。その不安をただの興味本位だけで覆せるものだろうか。
そもそも、イヴの親は何も言わなかったのだろうか。ここまで来ることを潔く許可してくれたとは思えない。万が一にでも連れてきたことがばれてしまったら大目玉だろう。
「親にはなんて言うんだ?」古谷が問う。
「大丈夫」イヴは答えた。「たまに他種族も混じっているから」
古今東西お祭り好きというのはいるもので、その喧騒をかぎ分けられる嗅覚を持つものが、これ幸いと忍び込んでいるのだろう。
それが決して見分けられないエルフではないので。
「誰も気にしない」
ということらしい。
「いや、そういう問題じゃあ」と、言いかけた古谷。
それに対して、エトが言い添える。「それくらいお祭り騒ぎ何だって」
あの澄ました顔した連中が脇目もふらずにどんちゃん騒ぎ。それは、確かに一度は見てみたい気もしてくる。
「わかったよ」やがて古谷は欲望に負けた。「少しだけ覗いてみる」
「やったね」エトは、イブとハイタッチを交わした。
*
イヴに導かれて、再びエルフの里へと入った二人。そこに広がっていたのは、前回来た時とは異なる景色だった。
木々には派手な飾りが施され、屋外に並べられた机には所狭しと料理が置いてある。この前のどこか寂寞さすら感じさせた殺風景さは欠片もなく、エルフたちが肩をぶつけ合うほどにひしめき合い、笑い、語らっている。
これだけの人数が里にいたとは思いもよらなかった。それだけ前回は身を隠していたということだろう。
反対にその多さから他種族の存在は、ぱっと見ではわからなかった。入り込んでいたとしてもせいぜい一人や二人だろうから、そう目立つわけでもないのだろう。紛れ込むには最適と言えば最適だ。
エトは体を覆う外套を羽織り、フードを目深に被っている。いつもラムーベに行くときのスタイルと一緒だ。十分に怪しい見た目だが、イヴが魔力コーティングを施してくれた代物らしく、纏う魔力で正体を見破れるエルフの目を眩ませることができるらしい。
魔力がだだ漏れになるのを防ぐようで、魔力を纏っていないことそのものが不審がられたりもするのだが、人でごった返している中ではそれをごまかせるとのことだった。エトがあんなにも楽天的だったのは、どうもこれのおかげのようだ。
そんなわけで、誰からも気にかけられることなく溶け込むことに成功する。
それにしてもこの様相はいかがなものか。言ってしまえば、たかが子供が生まれただけ。それでここまで盛大に祝うことだろうか。
すると、その疑問にイヴは答えた。
「エルフは滅多に子供が生まれないから」
「そうなのか?」
「寿命が長いからか、あまり種の存続に意識が向かない。だから頻度が低くなる」
「なるほど」
それで騒げる時には騒ごうってことらしい。考えることは人間とさほど変わらないようだ。
エルフたちの合間を掻きわけるようにして、机上の料理を物色する。
自然との共栄を選んだ種族だからか、その料理も自然由来のものが多い。器からして大ぶりの葉っぱに乗せられており、その上に果実や食用と思われる草花がある。だいたいがそのままの状態で置かれており、味付けもせいぜい細かくちぎった香草が振り駆けられているだけだった。
それらを適当につまんでいると、いつの間にかやや離れたところにいたエトが泣きべそかいて駆け寄ってきた。
「フルヤさぁん」
なんだか既視感を覚える光景だ。
「なんだ?」
儀礼的に問いかけると、「イヴちゃんがぁ」と親に言いつけるように告げる。後からついてきた件の人物は、平然とした面持ちでこう告げる。
「私はこれを勧めただけ」その手には蠢く幼虫が摘ままれていた。「貴重なたんぱく源。エトにも食べてほしかった」
彼女は見たくもないとばかりに、全力でいやいやと首を振る。
「残念」と表情なく言うので、本心はわからなかった。
「森に棲んでるのに虫駄目なのか?」古谷は気になって問いかける。
するとエトは言った。「平気だよ! でもさすがに食べはしないよ!」
そうしてはしゃいでいると、騒ぎを聞きつけたというわけではないだろうが、アイフの歩いてくる姿が見える。思わず目が合った。いくらエトが魔力コーティングを施した外套を着ているとはいえ、顔を見られてしまえば正体を見破るのは容易だ。
それにアイフとは既に顔見知りでもある。古谷がいて、そこに身を隠すようにしている人物がいればおのずとその答えに辿り着いてしまうだろう。
果たして何を言われるか、古谷は身構えたが彼はたった一言こう言っただけで歩き去っていった。
「あまりはしゃぎすぎるなよ」
(教師かよ)古谷は心の中で密かに思った。
しかしエトの姿が見えていなかったわけではないだろうに、それに対しては何一つ言及しなかった。無礼講の日とはいえ、あまりにも寛容すぎる気がした。
「アイフはさほど聖典を信じていないから」呆然とする古谷を見て、その心を察したイヴが言う。「皆が皆、信じてるわけじゃない」
「だがイヴは最初あんなにも毛嫌いしていたじゃないか」古谷が指摘する。
「初めて会ったから」彼女は照れ臭そうに言った。「でも、今は悪い人じゃないって知ってる」
「イヴちゃん……」エトが感慨深く言う。
思うにアイフがあそこまでエトを目の敵にしていたのは、幾人ものエルフを束ねるという立場によるものだろう。そうでなくては示しがつかない。そう思っているらしい。何とも気真面目な青年だ。
信仰とは画一的なものではない。信心の深さにも個人差がある。考えてみれば当然なのだが、古谷は思いもしなかった。
(でも、そんなもんか)と、古谷。(誰も彼もが聖典の言いなりじゃない)
イヴの母親があそこまで嫌悪を示したのも、ひとえに子を持つ親故だろう。なるべくならば危険から遠ざけたいと思うのが親の心というものだ。イヴという存在がなければまた違った反応を示しただろう。
立場によって、一人一人考え方というのは異なる。イヴ自身がエトを怖がったのも、親の教育の賜物だ。今やそれも水泡に帰したわけだが。
「ね、赤ちゃん見に行こうよ」イヴが、エトに提案していた。
「いいね! 見てみたい!」
そんなわけで三人は赤ん坊を一目拝むために歩き出した。人混みを掻い潜り、辿り着いたのは一軒の家屋。そこも新生児を一目見ようとエルフがごった返していた。考えることは皆同じらしい。
その中に紛れ込むようにして三人は覗き込んだ。エトとイヴは二人して背が低いので、どれだけ背伸びしても見通せない。仕方がないので、古谷が一人ずつ肩車することにした。
「か」一人目、エトが言う。「可愛い……」
古谷も合間から見えた。白い柔肌に、控えめに尖る耳。白に近い金色の髪。エルフの特徴を兼ね備えた新生児は、揺り籠の中から、まだ穢れの知らないくりくりとした目で見物人たちを見つめ返す。朴訥な表情を浮かべていた。さながら未知なるものに向けるまなざしだった。
「エト、早く変わって」イヴが催促してくる。
交代すると、彼女もまた同様な感想を漏らした。
「可愛い……」うっとりと、溜め息を吐くように告げる。
「ねぇ」エトは言った。「私、もう一回見たい」
「駄目」イヴがすげなく言う。「もうちょっと」
「ずるいよ!」
すっかりと赤ん坊に夢中になっている二人の傍ら、古谷は思った。
(あれは、純血種なのか)
遺跡の中でゴーレムから聞かされた話を思い返す。やがて生まれる純血種。それは人間に牙をむく。
そして彼を含めてゴーレムは、それを倒す使命を帯びている。誰もが「いずれ来たる時」などとぼかして、明確にいつなのかを示してくれない。
(くそっ。俺はこの先、赤ん坊を見るたびにこんな気持ちを抱えなくてはならないのかよ)
純粋な気持ちではしゃいでいるエトたちを羨ましく思った。
と、そんな時だ。不意に微かな揺れを感じていたかと思うと、次第にそれは大きくなってくる。誰もが徐々にその異変に気付いていき、何事かと周囲を見渡し始める。
誰しもが不安な表情を浮かべていた。何かが近づいてきているという実感だけが、誰の胸の内にも去来していた。
「あれって」エトが呟く。
そいつは、里を囲む木々をものともせずになぎ倒しながら歩いてくる。魔獣とは桁違いの質量を持ち、その足は一歩進むたびに岩石でできていることと相まって重く響く。
「どうして……」エトが不安そうに言った。
岩塊の巨人――ゴーレムがこちらに向かいつつあったのだった。
*
エルフの長老もまた、自宅の窓からその姿を目撃していた。
「ついにこの日が来たか」皺ともつかない伏し目を向けながら、静かに独り言ちる。「頼んだぞ、ゴーレムの青年」