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輝く光を胸に抱いて  作者: 吉永 久
第一話 命という名の冒険
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1-1

新作です。よければ読んでいってください。

 世界が赤く明滅している。


 空も、道も、草木も、見慣れた景色の全てが赤く染まって見える。辛うじて動かせる視線を彷徨わせると、歩行者用の信号機が目に入った。


 上側の、歩行可能であることを示す青色でさえも赤く染まっている。そしてそれが今、警告を示すように点滅していた。


(ああ、そうか)


 古谷は思う。


(俺、轢かれたのか)


 情けないなという思いから、自嘲気味な笑みを零した。


 数時間前に遡る。いつも通り出社しようと家を出た彼は、普段通りのルートを歩いていき、信号に差し掛かる。車道を挟んで向かい側にある公園は、平日であるのにも拘わらずその日はやけに賑やかだった。


 何かあるのだろうかと携帯電話を取り出してみると合点がいく。示されていた日付は7月17日。今年は連休などの関係で、全国的に早めの夏休みなのだと今朝のニュースが言っていたのを思い出した。


(気楽なもんだ)


 心の中で毒づく。


(何も考えず、遊んでいればいいだけだなんて随分な身分じゃないか。俺の時なんて……)


 そう思いかけて、ふと留まる。


(俺の時も、そう大して変わらないはずだよな。なのに、何だってあんなに思い悩んでいたのだろうか)


 知らず知らず、思考はあらぬ方向へと舵を切る。


(いつから俺はこんな大人になってしまったのだろうか。こんな、廃れた大人に)


 子供の頃は無限の可能性を抱いていた。より正確に言うならば、未来というのは無限に広がっているものと思い込んでいたのだ。自らの将来に何の根拠もないのに過大な期待を寄せて、漠然と勇名を馳せることとなるだろうとばかり思っていた。


 しかし現実はこれだ。ろくに才もなく、学生のうちに身に着けたスキルもなく、だというのにも拘わらず社会人になれば自然と何者かになれるとばかり思って飛び込んで、今では万年契約社員として金欠気味な生活を送っている。


 毎日毎日、嫌々ながらも働きに出て、かといってゆとりある生活を送れることもなく、休みの日はコスパ重視で惰眠を貪るか、スマホを弄るかして、たいていベッドの上で一日を過ごす。


(わかってるよ)


 古谷は思う。


(悪いのは全部自分だ)


 その自覚があるからこそ他人を妬む資格がないことを彼は自覚していた。が、そう簡単に割り切れないからこそ感情というものが厄介なわけで、また更に厄介なことに、いくら嫉妬を重ねようが虚しさが募るばかりだというのだから救いようがない。


 そうはいってもやめられない。止まらない。


 結局のところ、悪感情を含めて自分の身に纏わることの一切合切に関して何も考えないようにすることが、一番の解決策だった。思考停止。実際には解決などしていないが、それでも一時凌ぎになる。


 一時を凌げれば、二時も凌げて、凌いで凌いで凌ぎ続ければ、気づいた時には人生の終局だ。その時が来るまでただ耐え忍べばいい。


 それでも。


(俺、本当にこんな大人になりたかったんだっけ?)


 再び思考の袋小路に入りかけたところを、物理的に頭を振ることで振り払う。


 それにどれほどの効能があるかと言われれば、おそらく無に等しいと言わざるを得ない。だけれど彼は些か強く頭を振り過ぎたせいで頭痛を覚えたので、結果としてはオーライだ。痛みに集中すれば余計なことを考えずに済む。


 そうこうしている間にも公園には続々と子供たちが集まってきていた。我先にと駆け足で入っていくものや、自転車で豪快に乗り入れるもの。中には長期休みという熱に浮かされて、歩道でふざけ合いながら向かうものもいる。


(危ないなぁ)


 そんな様子を目に留めた古谷は思う。幸いにして交通量は少ないが、決してゼロではない。万が一ということもあるのだから用心するに越したことはないだろう。


 だが、そんなことを子供に説いてみても聞く耳など乗ってはくれないことなど火を見るより明らかだ。知らないおじさんの忠告など、誰が聞くものか。よって、思うだけに留める。


 とそんな時、公園の入り口から不意に子供が飛び出してきた。ボール遊びをしていてうっかり暴投でもしてしまったのか、園外へとボールが飛び出してきて、その後を追うようにして子供が現れたのだった。


 そのボールはよほど強い力で投げられたのだろう。勢いは留まるところを知らず、着地したかと思えば何度もバウンドして、ついには車道へと転がっていく。そして、子供も無我夢中とばかりに追いかけた。


 運悪く、そこにトラックがやってくる。


 古谷の体は自然に動き出した。思考を停止していたからか、言っても無駄だと思っていたからか。普段から臆病であることを自覚していた彼は、いざという時でも動けずに呆然とするばかりだろうと思っていたのだが、思いに反して体から真っ先に動き出した。


 車道の半ばまで来て、子供を抱きかかえる。そのまま走り去ればよかったのだが、ここにきて持ち前の臆病さを思い出す。迫りくるトラックを前に足が竦んだ。まだ事態を把握しきれていない子供が、見知らぬ大人に抱きすくめられたことで思わぬ抵抗を示したことも一役買っている。


 結果として一歩も動くことは叶わなかった。それでもトラックは徐々に近づいてきている。ブレーキは甲高い音を響かせながらも、到底間に合いそうもない。古谷は反射的に背中を丸めるようにして、子供を守る体勢に入る。


 尤も悪手な選択。間もなく衝撃が訪れて、彼はまんまと轢かれてしまったのだった。


 かくして一度は意識を手放した彼だが、やがて取り戻す。そうして見た景色が、真っ赤に染まった世界だった。それは彼が流した血が目に入ることにより、染め上げられた色だった。


 次第に自らに起こった出来事を飲み込み始めた彼は、不自由なりに精一杯力を振り絞って子供の姿を探す。いくら身を挺して庇ったと言えど、自分のこの様を見ればあるいは子供も巻き込んでしまっているのではないかと気になったのだった。


 せっかく助けたというのに怪我でもさせていたら元も子もない。それ以上なら最悪だ。


 しかし幸いにして、子供は無事な姿で見つかった。古谷から見て、やや見下ろすような位置に呆然とした面持ちで立っているのだった。拾ったボールを大事そうに抱えこんでいる。


 目が合うと何が起こったのかを察したようで、みるみると顔を歪める。涙を零し始めた。


(泣かないでくれ)


 そう訴えて、涙を拭おうとしたが指先一つ動かせない。ついには成す術がないことを悟ると、古谷は思った。


(これじゃあ意味ないじゃないか。俺が死んでしまえば、子供にとって嫌な記憶になってしまう)


 漫画やアニメの主人公のように格好良く助けられたらばどんなに良かっただろうか。


(まぁ、でも俺らしいか)


 何をやっても中途半端な彼にとってはお似合いの結末かもしれない。それでも彼が尊い命を一つ救えたのだ。それだけで十分だろう。


 その達成感が今生を未練もなく手放せるきっかけとなる。


(最後の最後に、生きている意味があったのがわかってよかった)


 それを最後に、古谷は吸い込まれるように眠りについた。


          *


「古谷……古谷……」


 誰かの呼ぶ声がする。そうは認識しつつも声は遥か遠く、やまびこのように幾重にも反響して聞こえた。まるで他人事のように感じられる。


 だが次の瞬間には、「起きなさい、古谷弘治」とすぐ耳元で呼ばれて彼は覚醒した。


 自分が今いる場所がどこなのか、よくわからなかった。上下左右の感覚もなく、重力も浮力も感じられない。肉体と外界との境界線でさえも覚束ない有様で、自分は今にもこの空間の中に溶けだしてしまうのではないかというおかしな危機感に囚われる。


 目の前に広がるのは、ただただ一面の白。明暗さすらない白一色で、とてもではないがこの世の光景とは思えなかった。


(ああ俺、死んだのか)


 となれば、ここは天国かあるいは地獄か。しかし、そのどちらにも感じられない。


 まどろみの延長線上を漂い続ける感覚は天国とも言えたし、自己を見失ってしまいそうな感覚は地獄とも思われた。


 もしくはそのどちらでもないのかもしれない。そう思いかけた時、またも声が語りかけてきた。


「古谷弘治。私はあなたの勇敢な行動を見ました。自らの危険も顧みず、子供を助けようとしたあなたに感動しました」


(俺に声をかけてくるあんたは、いったい誰なんだ)


 声は出せなかったものの、思考するだけでその意を相手に通じた。


「私はティア。あなた方、人類が言うところの神です」


(神……。それが俺に何の用だ)


「先ほども言った通り、私はあなたの勇敢な意思に感銘を受けました。ここであなたという存在を失うのは非常に惜しい。よって、あなたには再び生を授けようと思います」


(つまり、俺を蘇らせようって言うのか?)


「いかにも」


(だが、そんなことをしてしまってもいいのか。死人がホイホイ生き返っていたら大問題だろう)


「問題はありません。あなたがこれから生きていく世界は、元いたところとは異なるものです。そこでは科学の代わりに魔法が発展し、これまでに見たこともない生き物がいます」


(異なる、世界)


「ええ。謂わば、異世界です」


(そんなこと急に言われても。生きていける自信がない)


「その点も問題ありません。あなたには特別な力を授けます。それを行使すれば……」


(力? どんな力だ?)


 尋ねると、神は「へっへっへっへ」と不敵に笑いだした。


「心配することはありません」


          *


「いや怪しいわ!」


 古谷は叫ぶと同時に体を起こした。どうもうつ伏せになっていたらしい彼は、無意識のうちに腕だけで体を持ち上げている。しかしすぐにバランス感覚を失った。


 なぜだかそこは川べりで、下半身が水に浸かっている状態だった彼は滑り落ちそうになったのだった。


 そこを間一髪で持ち堪える。


(あっぶねー)


 川から這い出すようにしながら地面へと転がり、仰向けの体勢になる。あわや溺れていたかもしれないという緊張で、未だに動機がしていた。


 呼吸を整えているその最中に、周囲を見渡す。


 先も言ったようにそこは川べりで、木々の間を流れるようにしてせせらいでいる。木はどれも幹が太く、天が覆われるほどに葉を茂らせている。見通せないほど密集している様子から、森の中であることが察せられた。


 ようやく上がっていた息が収まってきたので、上体を起こしてみる。


(次から次へと、何なんだいったい)


 白い謎の空間かと思ったら、次の瞬間には森の中。目まぐるしく変化する光景に嘆息した。


(それにしても、ここからいったいどうしたらいいんだか)


 いきなりこんなところに放り出されても困惑するばかりだ。未だ半信半疑であるが、もし本当にここが異世界であるならば、神様は相当意地が悪い。生きていける力を授けてくれるという話であったが、その実態すらも伝えられていないままだった。


(まぁ、それは今は置いておこう)


 不平不満は数あれど、ここでじっとしていても仕様がない。生まれも育ちも立派なシティボーイである古谷だが、夜の森が危険だという知識くらいはある。実感こそ伴っていないが、それをわざわざ体感するつもりもなかった。


 そう思って立ち上がりかけたところで、すぐそばの茂みが音を立てだした。古谷は動きを止め、ついでに息さえも潜めて意識を向けた。


 徐々に音は近づいてくる。


(思った傍からかよ)


 正体はわからずとも、迷いない足取りから相当森に慣れているものと推察した。必然的に出てくる答えは野生生物だろう。川で喉に渇きを癒そうとしているのか。


 そこに生きた肉がいる。カモがネギを背負っているとはまさにこのことで、一杯目のお通し感覚でバリバリいかれること請け合いだ。


 身構え、息をのんで神経を研ぎ澄ましていると、いよいよ茂みの揺れが目視の範囲内となった。着実にこちらへと近づいてきている。


 そしてすぐ目の前の茂みからかき分けるようにして出てきたのは。


「あ、目を覚まされたんですね」


 腕いっぱいに小瓶を抱えた、青いショートカットの髪を持つ少女だった。

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