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第6話:封じられし聖女、その名を呼ぶ者

夜会を抜け出した貴族たちが、館の別室で“余興”を楽しんでいるらしい――そんな話が、地下の看守たちの間で囁かれ始めた。

 地下牢で囚人たちを監視する仕事をするならず者たちは、主に金と快楽のためゲイルの下に仕えている。その彼らが小声で交わす噂には、そそるような刺激と背筋を凍らせるような不吉さが入り交じっていた。


 「おい、聞いたか? 上には今、“聖女”を名乗る女がいるそうだ。実際には『堕天』とか何とか……」

 「へっ、それってどっかの教会から追放された身分のことだろ。聖女の力があったところで、この館じゃ貴族に逆らえねぇさ」

 「ま、既に身も心も壊れているって噂だし、ただの玩具なんじゃねえの?」


 嘲るような笑い声がこだまする。

 彼らの間では“聖女”という神聖な響きなど形ばかりのもので、実態は貴族の娼館に堕ちた女に過ぎない――そんな蔑んだ見方が常識となっていた。


 ***


 ところが、その“聖女”と呼ばれる女性が、じつは館の最深部――拷問室さえ通り越した隠し部屋に閉じ込められているという事実を知る者は少なかった。

 そこはかつて地下水路と繋がっていた通路を封鎖し、音も光も届きにくいよう改造された部屋である。天井には儀式を思わせる呪文の刻印があり、冷気と湿り気が異様に強い。

 その中央に設置された台座の上で、リリスと名乗る一人の女性が鎖に繋がれ、うなだれていた。


 「……リリス、貴様はもう『聖女』ではない。――『堕天』の名が相応しいだろうよ」

 そう言い放ったのは、貴族服に身を包んだ中年男。その男はゲイルの取り巻きの一人であり、教会との裏取引を請け負っているらしい。彼が冷笑を浮かべつつ、リリスの頬を荒々しく掴んだ。

 「女神の御名を汚した裏切り者め……もっとも、貴様の身に宿る“奇跡”はまだ利用価値がある。心も身体も壊さぬよう、うまく飼い慣らさねばならん」

 「……っ……」

 リリスは苦痛に耐えるように瞼を閉じた。かつては確かに教会で“聖女候補”と謳われ、その奇跡の力で多くの人々を救ってきた。しかしある事件に巻き込まれ、教会から追放され、行き場を失ったのだ。

 彷徨う末に、ゲイルの館へと連れ込まれ、今では「堕天の聖女」と揶揄されている。

 男は鎖を引き、一部が破れたリリスの白衣が肩からずり落ちる。露わになった肌には、無数の拷問痕と奇妙な紋様が刻まれていた。

 「ほう……。いまだに女神の力が消えず、この紋様が反発しているようだな。やはり貴様の体質は特別ということか」

 男の目には欲望と支配欲が燃え盛っている。リリスから奇跡の力を搾り取れれば、ゲイルへの貢献になり、自分自身の出世も望める――そう考えているのだろう。

 「う……ぁ……」

 リリスは声にならない呻き声を上げる。己の体が壊れていく痛みに耐えながら、微かに祈りを捧げようとした。しかし鎖の魔力が邪魔をし、奇跡の呪文は中途半端に途切れた。

 地面に硬い音をたてて膝をついたリリスを、男は冷酷に見下ろす。

 「祈りなど無意味だ。女神はもう、お前を見捨てた。――ここで醜くあえぎながら、力を吐き出してもらうぞ」


 ***


 同じ頃、上階のある一室では、ゲイルがヴァリオに向き合っていた。

 「ヴァリオ、お前がしばらく地下に張り付いているのは知っているが、進捗はどうだ? ルシエル・アルバーグはおとなしく飼われているかね」

 ゲイルの声は飄々としているが、口元には薄気味悪い笑みが浮かんでいる。

 ヴァリオは無表情を貫きながら、わざとらしく頭を下げた。

 「はい、今のところは大人しくしているようです。少しは手柄を立ててみせようと、奴も生に執着している。――そう思わせておけば、こちらが都合良く扱えましょう」

 「ふん、それならいい。あれに逃げられたら面倒だからな。せいぜい腐った夢でも見させておけ。……いずれ“本命”の見世物として地下から引きずり出す機会が来るだろう」

 肩をすくめてゲイルが吐き捨てる。アルバーグ家の一族を皆殺しにするだけではなく、逆らった者への見せしめを兼ねて、ルシエルを“客前”で公開処刑するかもしれないと匂わせる口ぶりだ。

 「了解しました、ゲイル様。……ところで、うわさに聞く『堕天の聖女』というのは、本当に地下深くに閉じ込められているのですか?」

 ヴァリオが探るように尋ねると、ゲイルは鼻で笑う。

 「聖女? ああ、“リリス”のことか。確かに奇跡の力が残っているらしいが、もう使い物にならんよ。堕ちた聖女はあくまで笑い者――芸の一つだ。連中がどう調理するか見ものだな」

 そう言い捨てるゲイルの眼はひどく冷ややかで、まるで駒扱いしているのが丸わかりだった。

 (リリス……“堕天”……か)

 ヴァリオは胸中でその名を反芻しながら、表面上は「なるほど」と適当に相槌を打つ。彼はルシエルとの“手打ち”に加え、何か別の手札を得るために、この情報を必要としているのだ。

 「では、用が済んだら下へ戻ります。ご命令があればいつでも」

 ヴァリオが恭しく退室するや否や、ゲイルは自らの愛妾を呼び寄せる。

 「さあ、次の酒を持ってこい。――ここで退屈を紛らわすためには、まだまだ派手な余興が必要だ。奴隷に踊らせるか、あるいは……フフッ」

 笑みを含み、ゲイルの瞳が妖しく光る。もはや人間としての情など微塵も感じられない。


 ***


 一方、地下牢の別区画にて、ルシエルは再び闇の囁きを聞いていた。

 フィナとの再会後、わずかに頭が冴える瞬間もあったが、すぐに再び倦怠感と幻覚めいた熱に苛まれている。

 床に臥せったまま喘ぐように息をつくと、その影がかさりと揺れた。

 ――どこからか、ローブを纏った覆面の人影がまた現れ、ルシエルを見下ろしている。

 「……っ……」

 咄嗟に身構えようとしても、身体が動かない。ぎしりと痛む背中を押さえつけるようにして、覆面の人物は静かに笑みを漏らす。

 「お前が“魔王”の器……なるほど、悪くない。深き憎悪は力の源となる。だが、このままではその炎がくすぶったままだ」

 低く通る声が、まるで耳元で囁くようだった。ルシエルは息を呑み、虚ろな目で覆面を見上げる。

 「誰、だ……お前……」

 「名を名乗るほど野暮でもない。俺はただ、力ある者が育つ様を眺めるのが好きなだけさ。……そう、たとえば“堕天の聖女”とやらが、今どこかで鎖に繋がれ苦痛に喘いでいるように……」

 その言葉にルシエルはかすかな動揺を覚える。聖女――そんな存在がこの地下にいるのだろうか。

 覆面は嘲るように続ける。

 「お前が本当に復讐を望むなら、その女を味方につけるのも一手だろう。あるいは、利用して捨てるも自由。――いずれにせよ、お前が這い上がるには強い火種が要る」

 腕の中が焼けるような痛みと熱を感じながら、ルシエルはその場に膝をついた。背筋を支える力が失せていく。

 「ふざけるな……俺は……誰を捨てるつもりも……」

 言い終える前に、覆面の人物がすうっと後ずさり、闇に溶けるように姿を消した。まるで最初から幻のようだ。

 だが、確かに聞こえたあの声音は、「聖女」というキーワードと、「力を求める」という誘惑を残していったのだ。

 (堕天の聖女……。フィナだけじゃなく、そんな存在も囚われているのか。――一体、ゲイルの館はどこまで腐りきってるんだ……)

 絶望と憤怒の狭間で、ルシエルの心はざわめく。すべてを壊すだけの力が欲しい――そう強く思えば思うほど、不気味な熱が身体の奥で渦を巻くように感じられた。


 ***


 同じ時、リリスが捕らえられている隠し部屋では、拷問官たちが魔術的な刻印を調整しながら、彼女の“奇跡の力”を抜き取ろうと躍起になっていた。

 「大司教からの密令でな、“聖女”の器に宿る力を抽出しろとのことだ。……お前が素直に差し出せば痛みは少なくて済むかもしれんがな」

 貴族服の男が鎖を引き、リリスの細い首筋に触れる。彼女は虚ろな目の奥でわずかに涙をこぼしながら、どこにいるかもわからぬ“女神”へ祈りを捧げようとする。

 しかし荒々しく踏みつけられ、口の中に血の味が広がる。

 「やめろ……!」

 かすれた声をあげても、相手は聞く耳など持たない。冷たい金具が肌を刺し、リリスの意識が遠のく。

 (神よ……まだ……わたしを見捨てないで……)

 どれほど願っても、天は遠く閉ざされているように見えた。


 だが、この夜のどこかで、一人の青年が闇の声を聞きながら“復讐”を誓っている。その力が巡り巡ってリリスへと注がれたとき、奇跡なのか破滅なのか、思いも寄らぬ歯車が動き始めるかもしれない。


 闇に囚われた聖女と、憎悪に身を焦がす青年――

 それぞれが自らの血を代価に、魔を孕む復讐劇へと踏み込もうとしている。

 歪んだ王国の地下で、運命の糸は確かに絡み合いつつあった。



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