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第5話:蠢く影、囚人たちの交差

館の地下は、まるで巨大な迷宮のようだった。腐臭と冷気が混ざり合い、どこからともなく水滴が垂れる音が響く。その奥に潜むのは囚人たちの絶望だけではなく、怪しげな魔力の片鱗や、足音も立てぬ暗殺者の気配……。

 そんな闇の奥底で、少女・フィナは相変わらず牢の中にいた。あの日、足下に落ちていた紙切れと金属片――あれ以来、看守が来るたびに隠し持っているが、その使い道もわからず、宙ぶらりんのままだ。

 「……誰が落としてくれたんだろう……」

 か細い声で呟きながら、フィナはそっと紙片を開く。ほとんど読めないほど汚れているが、「抜け道」という単語だけは何とか判読できた。

 (抜け道、なんて……本当にそんなものがあるの?)

 この地下には、何層にも重なる通路や部屋が存在すると囁かれている。かつては防衛用の隠し回廊や、貯蔵庫もあったという噂だ。けれど、詳しい情報を持っているのは館の主か、ごく一部の人間だけだろう。

 フィナは金属片を見つめながら膝を抱える。先日、ルシエルがヴァリオに連れられていったきり、どうしているのか気がかりだ。彼の存在だけが、この暗闇での心細さを少し紛らわせてくれていたのに。

 (無事ならいいけれど……)

 思考に沈んでいると、ガラン、と牢の扉を揺らす音が聞こえた。ハッとして顔を上げると、見るからに狡猾そうな看守の男が立っている。かつてコルヴァに嘲られた時と同じような不快感を覚える。

 「おい、お前。立て。――上の客が、お前を使うとか言い出したぞ」

 その男は下卑た笑みを浮かべつつ、鍵束を手で弄ぶ。フィナは嫌な汗が背を伝うのを感じた。

 「い、嫌……です……。どこへ連れていくの……」

 「決まってるだろう? 狭い部屋か、宴席での見世物か。……運が良きゃ気に入られて助かるかもしれないし、悪けりゃ使い潰されるだけだ」

 看守が扉を開け、乱暴にフィナの腕をつかむ。痛みが走り、彼女は小さく悲鳴を上げた。

 その瞬間、牢の床に置いてあった紙切れと金属片が、ひょいとフィナの足下で転がる。看守はちらりと視線を落とすが、汚れた紙屑だと思ったのか興味を示さず、フィナの腕をさらに強く引いた。

 「さっさと歩け。あんまりぐずぐずしてると、鞭の痕が増えるぞ」

 男の高圧的な声に震えを押し殺しながら、フィナは金属片を足で蹴り飛ばさないようにそっと踏み隠す。そして隙を見計らってそれをもう一度拾い上げ、こっそり衣の裾の内側に隠した。

 (紙片は……ああ、無理かもしれない)

 急いで拾えそうにない。もし拾ったところで、看守に見つかったら取り上げられるだろう。それでもフィナは金属片――細く曲がった針金のようなそれだけでも、肌身離さず持っておきたいと思った。

 こうして彼女は牢を引き出され、怯える心をなんとか奮い立たせながら、上階へ続く石段を見上げた。


 ***


 一方、ルシエルはヴァリオとの会話を経てから数日が経過した。地下牢の“管理された自由”の中で、治りかけの傷を抱えつつ、闇の声に惑わされている。

 ヴァリオが言うには、何か準備をしているらしい。ゲイルたちの目を盗んで、ルシエルを外へ連れ出す算段を整える――そのための時間が必要だと。

 (……本当に信用していいのか?)

 どこか疑念は拭えない。だが、今は他に頼れる者がいないのも事実だ。

 ある夜、ふと扉の向こうから小さな声が聞こえる。

 「……ルシエル……いるのか……?」

 かすれ声だ。聞き覚えのあるその声音に、ルシエルは急いで扉に近づき、小さな窓から外を覗き込む。

 「……フィナか!?」

 閉じ込められていたはずのフィナが、廊下に一人で立っていた。薄暗い灯りが彼女のやつれた顔を照らしている。腕や裾に鞭痕らしき赤い線が見え、ひどく痛々しい。

 「どうして……そこに……」

 ルシエルは狼狽しながら尋ねる。フィナはかすかな笑みを浮かべ、鍵束をかざした。

 「……なんとか、抜け出せたの。上の階で……“客”に呼ばれたんだけど……少しだけ、騙して逃げられた……」

 しかし声は震え、今にも倒れそうだ。きっと何か危うい芸当を成し遂げ、すんでのところで看守の目を掻い潜ってきたのだろう。鍵束だって、どこかからかすめ取ったに違いない。

 (あの儚げなフィナが、そこまで……)

 ルシエルは驚きと同時に強い胸の痛みを覚える。いかに追いつめられていたのか、想像に難くない。

 「開けるね……」

 フィナは鍵束をガチャリと試しながら、ルシエルの牢の扉を探り始める。微かな手の震えが伝わってきそうだ。

 すると、奥の方からガチャン、と無骨な足音が近づいてくる気配がした。監視兵か、あるいはコルヴァのような手下か……いずれにしても厄介だ。

 「急がないと……見つかる……」

 フィナが焦るように呟くと、ルシエルも扉の窓を握り返す。

 「ダメだ。ここを開けても、俺と一緒に逃げる先がない。下手をすれば二人とも捕まって痛い目を見るだけだ……」

 「でも……このままじゃ、いつか私……耐えられなくなる……。あなたを助けたいとか、思ってるのに……ごめんなさい……!」

 フィナの唇が震えている。せっかく鍵を手に入れたというのに、無駄にするのかという悔しさと、自分を顧みてくれたルシエルへの申し訳なさが入り混じっているのだろう。

 ルシエルは扉越しに彼女の手をそっと握る。金具と肌の冷たさが、切なさを増幅させる。

 「焦るな。いずれ動く時が来る。今は、その鍵を隠しておけ。お前が自由に動ける方が可能性が増える……。だから、ここを離れるんだ」

 フィナの瞳に涙が浮かぶ。だが、ルシエルの強い言葉が彼女を落ち着かせる。そうだ、今ここで衝動的に行動しても、館の出口は遠い。兵士や看守に囲まれたら、どうにもならない。

 「……わかった。絶対、また来る……。あなたも……死なないで……」

 「もちろん。必ずこの地下から抜け出してやる」

 フィナは鍵束を服の内側へと隠し、来た道を戻るように足音を忍ばせて行く。わずか数分の再会だったが、ルシエルの心に確かな決意が宿った。

 (あの子まで犠牲にするわけにはいかない……。俺は必ず、ここを壊す)


 ***


 看守や兵士の動きを盗み見ながら、フィナが廊下の角を曲がったとき、背中に冷やりとした殺気を感じた。思わず振り返るが、人影はない。

 しかし、どこかで視線だけが息を潜めている。まるで追跡者のように。

 (嫌な予感……。誰かに見られてる……?)

 息が詰まりそうになる。耳を澄ますが、何も聞こえない。足音すらしない。それが逆に恐怖を煽る。

 (走りたい。でも走ったら見つかるかもしれない。どうすれば……)

 フィナは震える脚を押さえ込むようにして、細心の注意を払いながら歩き始める。限りなく薄い確率だが、このまま人気のない通路を通り、どこか隙間から外へ出られないかとも考えた。

 しかし、現実はそう甘くない。――次の曲がり角で、兵士の足音がカツンと響くと、フィナは瞬時に壁際の暗がりへ身を潜める。

 「……くそ、こんな地下まで巡回させられて……。どこに抜け道があるかなんて知らねえよ」

 兵士の独り言が聞こえる。どうやら彼も何かを探しているらしい。先日の騒ぎで“囚人が紛れ込んだ”という報告があったのかもしれない。

 フィナは兵士が通り過ぎるのを待ち、深く息を吐いた。どこまで逃げられるかわからないが、止まっていては捕まるだけだ。――そう思い、意を決して再び歩き出す。

 遠くの方で、先ほど感じた殺気がふっと消えていくのを感じた。これは単なる勘なのか、あるいは本当に誰かが“試して”いるのか。いずれにしても、この地下では自分の安全を信じられる者などほとんどいない。


 ***


 上階の大広間では、未だに仮面舞踏会のような体裁を取りつつ、貴族たちの醜い欲望が飛び交っている。そんな中、ゲイルがグラスを片手にソファへ深く腰を沈め、くつろぎの体勢をとっていた。

 「ヴァリオのやつ……使えそうなら使えばいい。どうせ皆、俺の掌の上で踊るピエロに過ぎん」

 隣に控える女が微笑む。艶やかな衣装を身にまとい、その胸元をちらつかせながら甘えるように囁く。

 「ゲイル様、そろそろ“本命”のお披露目はないのですか? このままでは退屈してしまいますわ」

 「ふん……。本命ね。――まだだ。あの小僧がどんな悲鳴をあげるか、じっくりと待っているところさ」

 まるで怨念のかたまりを弄ぶような笑いを含んで、ゲイルはグラスの中身を一気に飲み干す。アルバーグ家の残党が、自分の手のひらを抜け出せると思っているのなら、それは大きな勘違いだ。彼らこそ、自分が“真の権力者”になるための踏み台……。

 天井近くのシャンデリアが怪しく瞬き、貴族たちの狂騒曲はまだまだ終わりを見せない。


 ***


 同じ頃、ルシエルは牢の中で目を閉じていた。――フィナの姿を見送ったあと、ひどい疲労感に襲われ、床に座り込んでしまったのだ。

 ぼんやりした意識の隙間に、再び“闇の声”が入り込んでくる。

 「歩みを止めるな……。渇望するのだ……。より強く、より深く……」

 まるで耳元で囁かれるようなその声に、ルシエルは微かに頷く。憎しみが、救いたいという願いをかき立てる燃料になっていると感じ始めていた。

 ゲイルをはじめとする貴族たち。腐敗した王国の上層部。フィナのように弱い者を弄ぶ輩。――全てを打倒する力が欲しい。闇に堕ちてでも、手に入れる価値があると心が叫んでいる。

 (あの紙切れや針金を誰がフィナに渡したのか、それも気になるが……。今は目の前の機会を待つしかない。絶対に、仕掛けてやる……)

 唇を強く噛んだとき、舌先に鉄の味が広がった。傷ついた唇から一滴、血の玉が落ち、床に吸い込まれる。

 ――その姿を、牢の外の闇で密かに見つめている影がいた。

 ローブに覆面、その手には揺らめく魔力の火を持つ――そう、先日物置部屋で何者かを仕留めたらしい人影。

 「……堕天の火は、確かにここに宿りつつある。お前が“魔王”となるに相応しい器なのか、見極めさせてもらおう……」

 覆面の下から、小さな嗤いが漏れる。だが、その気配はすぐに虚空へ溶けるように消えていく。


 館の地下は、まるで不穏な運命の交差点。

 ルシエル、フィナ、ヴァリオ――そして謎の覆面。

 絡み合う影たちの行方は、まだ誰にもわからない。

 ただ一つ確かなのは、“復讐”の炎が勢いを増しつつあるということだ。

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