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第4話:夜会の仮面、地下の衝動

ヴァリオとのやり取りを終え、ルシエルは再び地下へと戻された。

 もっとも、先ほどまで囚われていた牢よりは幾分マシな場所だ。埃まみれだが、最低限の寝台と水の容器が置かれている。ここもゲイルの館の地下に違いはないが、まるで“家畜”を一時的に飼育する檻という印象だ。

 「ここでしばらく過ごせ。俺が必要とするまで死ぬんじゃないぞ」

 ヴァリオが冷ややかに言い残し、牢の鍵を閉める。それと入れ替わるように兵士が食事の残飯を差し入れるが、グラつく銀の皿からはかすかな酸味の臭いが立ち上っていた。どうやら、贅沢な宴の裏で余り物が流れてきたようだ。

 ルシエルは渋い顔をしつつも、一口ずつゆっくりとそれを口に運ぶ。

 (生きるためなら、こんな物でも構わない……)

 そして時折、視界の端にちらつく“闇の囁き”が、また微かに震えた。


 「食らえ……。復讐のためには、その身を強張らせてはならない。生き延び、そして喰らい尽くすのだ……」


 ルシエルは思わず息を呑む。飢えからくる幻聴なのか、それとも本当に何かの魔力が自分を呼んでいるのか。答えはわからない。だが、今はその言葉に従うしかないように思える。


 ***


 そのころ、館の上階。

 ローゼリア王国の貴族たちが集う夜会は、時刻が深まるほどに“仮面”を脱ぎ捨て、快楽と欲望をあらわにしつつあった。

 大広間の中央では、金箔で彩られた仮面をつけた男女がペアになり、妖艶なステップを踏んでいる。軽快な弦楽器の調べが、どこか淫靡な空気を帯びて流れていた。

 さらにその隅では、ワインを浴びるように飲んだ貴婦人が、男の胸元にしなだれかかり、あけすけな笑みを浮かべている。腰や太腿に触れる手をいさめる者などいない。いや、むしろ愉悦に満ちた視線で眺めている貴族も多い。

 ――欲にまみれた香気が、館全体を包み込んでいる。

 ゲイル・ロスフォードはそんな宵の空気を存分に味わいながら、壁際の一画に腰掛けていた。傍らには妖しいドレスをまとった女が一人、そして足下には首輪を嵌められた踊り子が膝をついている。

 「……ふん、まったく飽きないね。王都の貴族連中は表では清廉を装っているが、ここでは何の恥じらいもない。醜さを隠す仮面がお似合いだ……」

 ゲイルは薄く笑い、足下の踊り子の髪をくしゃりと掴む。踊り子はかすかな苦悶の表情を浮かべつつも、主人に従順を示すように身を縮めた。

 女がグラスのワインを勧め、ゲイルはそれを一気に飲み干す。

 「どうかしら。今夜の余興には、まだ“囚人”を引っ張り出す余地があると思うのだけれど」

 女が甘ったるい声で囁く。ゲイルは嘲笑を浮かべ、軽く指を鳴らす。

 「もう少し待て。あのアルバーグの小僧はヴァリオが預かったらしい。……ま、どうせ面白い形で処分されるだろうがな。わざわざ手を下すまでもない。いずれこの館をさらに騒がせてくれるかもしれん」

 意地の悪い光がゲイルの瞳に宿る。彼は酒に酔うどころか、冷酷な計算の中で楽しんでいるようだった。


 ***


 一方、地下の薄暗い廊下では、何人かの看守が行き来している。鞭や棒を手にしながら、あちこちの牢を確認していた。

 そのうちの一つが、フィナの閉じ込められている牢へ近づく。看守の男は一瞥したあと、鈍い声で言った。

 「……その娘、連れていかなくていいのか?」

 「いや、まだ指示が来てねぇ。ゲイル様の客が『もっと若いのを……』とか言ってたが、どうするかは上次第だ。おもしろい玩具にされるのも時間の問題だろうな」

 嘲笑が混じる。フィナは身をすくめ、これまでになく強い恐怖を覚える。できるなら逃げたい。しかし鍵は堅牢で、手枷足枷も付けられている。

 (ルシエルさん……大丈夫なのかな)

 そんな不安を抱えながら、ただ震えるしかできない。

 しかし、監視の目が遠のいた後、フィナは自分の膝元に奇妙なものが落ちているのを見つけた。――小さな紙の切れ端と、細い金属片。

 「……何、これ」

 ひどく汚れ、かすれた文字が書かれている。読み取れるかどうか分からないが、必死で目を凝らしてみると、どうやら「がんばれ」とか「抜け道」とか、そんな単語が見える気がした。

 (もしかして、誰かが私たちを助けようと……?)

 混乱しながらもフィナの胸にかすかな希望が芽生える。先ほどまで完全に閉じ込められていると思ったが、この地下にはまだ知られざる通路や協力者がいるのかもしれない。

 ――ただ、その正体は分からない。あの冷酷なコルヴァではあり得ないし、ヴァリオも“そこまでの慈悲”はないだろう。

 フィナは紙切れを握りしめ、薄暗い牢の中で膝を抱える。――誰かが、きっと手を差し伸べてくれる。そう信じないと、狂ってしまいそうだった。


 ***


 とある時刻。地下牢の一角では、ルシエルがベッド代わりの木箱に横になっていた。体力の回復には程遠いが、少しずつ火傷や傷跡が治り始めているのを感じる。

 「まだ痛むが……あの日よりはだいぶ楽だな」

 独り言のように呟いたとき、廊下の方から小さな物音がした。ナイフが石床を引きずるような、かすれた音。

 身体を強引に起こして扉越しに耳を澄ます。――看守の巡回とも違う、もっと静かな足取りだ。

 やがて、その音は隣接する物置部屋の扉を開ける気配となり、かすかな嗤い声が聞こえた。

 「……誰だ……?」

 ルシエルは警戒心を募らせるが、相手の姿を確認できない。すると、物置の向こうで何かを倒すような大きな音がして、そのまま音が消えた。

 (何を……?)

 次の瞬間、ルシエルの背筋に冷たいものが走る。――嫌な匂いだ。甘い香りに混じるようにして、鉄の臭いが鼻を刺す。まるで血の匂いにも似た、不吉な気配。

 「……闇の底では、誰もが獣になる」

 脳裏で囁く声。それはまるで、ここがもう“正気の世界ではない”と告げているようだ。


 ***


 一方で、ヴァリオは上階へ繋がる階段近くで腕を組んでいた。彼には彼なりの狙いがある。それゆえに、無益に囚人を殺されるのは困る。

 (ゲイルのところへ戻る前に、ルシエルをどう使うか見極めないと。……できれば書類のありかを吐かせ、そのまま上手く引き出したいが……)

 彼の心中にも葛藤がある。騎士としての誇りなど既に捨てているが、最低限の道義は残っているらしく、あまりに酷い仕打ちに加担するたび、自分自身を蝕む嫌悪感を覚える。

 「ヴァリオ殿、ゲイル様がお呼びです」

 手下らしき兵士が来て告げる。ヴァリオはしぶしぶといった様子で頷き、ランタンを置いて階段を上がっていく。

 夜会の時間はまだ続いている。果たしてどのような指令が下るのか――吐き気をこらえながらも、彼は権力者のいる大広間へ向かわざるを得ない。


 ***


 そして、静かに水滴が落ちる地下奥の通路。

 冥府へ通ずるかのような暗い石壁を、覆面の人影が一つ、すり足で歩んでいた。先ほど物置部屋で物音を立てた張本人だろう。

 長いローブを纏い、その下に隠したナイフからは滴るように血の匂いが漂っていた。しかし、歩く速度は衰えない。

 「……間もなく、あの男が闇の力を求める。そうなれば、この腐敗した地を蝕む“芽”も育つだろう」

 覆面の下から紡がれた囁きは、不気味なまでに落ち着いた響きだ。

 「堕天の聖女」あるいは「魔族の眷属」――どちらを思わせるような、蠱惑的で邪悪な気配。

 姿を見た者は誰もいない。けれど、存在そのものがこの暗い地下に確かな亀裂を生じさせる。


 ***


 眠りに落ちそうになりながらも、ルシエルは何度も頭痛に襲われていた。金縛りのように動けなくなり、闇の声がまるで自分の意識を乗っ取ろうとしているかのようだ。

 「……復讐……する……。あいつらを……」

 ブツブツと呟く唇からは、熱を帯びた吐息が漏れる。掌が微かに光ったような気がするが、それは気のせいかもしれない。

 このまま朝が来るのか、あるいは昼なのか夜なのか――地下では誰にもわからない。

 だが確かに、何かが動き始めている。ゲイルたちの狂った夜会は終わりを知らず、王国の腐敗に浸かる貴族たちは相変わらず他人の悲鳴で戯れる。

 そして地下の闇には、さらなる“力”が息づき、ルシエルの“憎しみ”を待ち焦がれている。


 次の血と炎が舞う時、それは――魔王の序章となるだろう。

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